アルベルトとニコル2
アルベルトが溜息をつく。新人の面倒を見ることになったが、一方で聖痕反応を確認するたびに、ほかの担当へ頭を下げずに済む。それは確かに助かる。兄たちなら、不満のある顔も見せずに片づけるのだろうか、あるいは好機と見てほくそ笑むのか。
「行くぞ」
立ち上がると、ニコルも遅れて立ち上がった。長めのスカートに薄手のコート、中に着た白いブラウス以外は黒で統一されている。修道女が着るようなものではない。
服は簡素で、局にいても目立つことはなさそうだ。というかアルベルトも黒いロングパンツに頑丈なブーツを合わせた制服姿なので、並んでも違和感はない。
廊下に出ると、靴音が石の床に硬く響いた。厚い壁の奥にある高い窓から、床へ細く光が差し込んでいる。扉の下の方は擦れて、木地が出ていた。
実際に並んでみると、ニコルは背が低くも高くもないが、長身のアルベルトからすると、ニコルを見下ろす形になった。
日は既に傾き始めていた。外回りで行きたいところがあったが、もう遅いだろう。ならば焦っても仕方ない。
「上司の方ですか」
「支局長だ」
「支局長の方にも、あのようにお話しするのですね。もっと上下関係が強いものかと」
不満を隠さない物言いのことだろう。支局長のオリヴァーは何かとアルベルトに目を掛けてくれた。ほとんど新人同然だった二年目の頭に、現場担当に推してくれたのもオリヴァーだ。
「俺だって人は選ぶ。支局長は、はっきりとした物言いを認めてくれる」
「信頼されているのですね」
「現場が優先だ」
「どうあれ、私としては雇っていただけるなら不満はありません」
「教会に不満でもあったのか」
「いえ、特には」
それ以上話す気は無さそうだった。連れだって歩くと、ニコルがアルベルトの腰のあたりをしげしげと見た。
「そちらの剣は。街では帯刀されている人は見ませんでしたが」
ニコルはアルベルトの腰に差した短剣というにはやや長い剣を見ながら、首をかしげる。制服より、腰の剣が気になるらしい。
「ああ、これか。俺たちの剣はまあ飾りみたいなものだ」
「なるほど、戦闘行為では魔術が優勢なのですね」
「そうだ」
魔術で攻め、魔術で防ぐ。現代戦闘の基本である。剣の届く距離まで近づかずに済むことも多い。
古い魔術師は、炎や水、雷や風を再現したという。その技術は失われたとされ、今の魔術師は魔力そのものを直接操る。アルベルトも、そう教わった。
「ではなぜ剣を」
「儀礼用みたいなものだな」
「制服の一部ですか」
「そんなとこだ」
「綺麗ですね」
「そんな良いものじゃない。欲しいのか」
「いえ、別に」
なんなんだ一体。そう思ってから、装飾の話ではなく、ものが新品のようだ、と言ったことに気づいた。確かに滅多に使わないので新品同然ではある。そう言われるとまるで簡単な現場にしか出ていないようではないか。釈然としない。
「お仕事はもう大丈夫なのですね」
「業務中だが」
「いえ、そうではなく」
二人の足音だけが廊下に響く。ニコルは視線を彷徨わせている。危険な気配はしないし、薄気味悪いとまでは言わないものの、落ち着きはない。
「ここだ」
アルベルトが鍵を差し込み、扉を開ける。
寝台と机、椅子、それに小さな衣装棚があるだけの簡素な部屋である。窓辺の石の縁は広く、灰色の屋根がいくつも見えた。その向こうに聖堂の尖塔が二本、突き出ている。長期滞在には心許ないが、数日を過ごすには困らない。牢屋よりはずっと快適だろう。
「当面はここを使ってもらう」
アルベルトは受け取った鍵をニコルに渡した。
「明日の朝、また迎えに来る。住所変更を届けて身分証を更新する。当面必要なものも揃える」
「アルベルトさんが案内してくださるんですか」
「担当だからな。アルベルトでいい」
「では、その際にご一緒しますか」
「何の話だ」
「ですから、お仕事に。何か今日中の予定があったけれど、明日に回されたのかと」
「なぜそう思った」
ニコルは無表情でアルベルトを見つめた。
「アルベルトさんは最初から落ち着かない様子でした。部屋を出てから、窓の外を確認されて、溜息をつかれました。しかしそれから焦る様子がなくなりましたので、次の予定がなくなったのかと」
それからニコルは眉間を指さした。アルベルトの眉間にしわが寄っていた、ということだろう。しかめ面で子供のようにそわそわとしていたとは、ずいぶん不格好なことである。
無意識だった。アルベルトは誤魔化すように、手に持った書類を抱えなおした。実際、今日中に確認しておきたい聞き込みが一件残っていたが、もう回れそうにない。正式に支局長から新人の担当となったことを理由に、誰かに頼んで、明日の予定をそのまま進めることに決めていた。
「別の案件で街に出るはずだっただけだ。では明日九時頃には来る」
アルベルトは、支局長から受け取った書面を見た。早速現場に連れていくことになる。危険はないか?
いや、そもそも彼女の身を父親のように案じる理由があるのかどうか。勿論ない。
「私はここでもそれほど珍しいのですか?」と脈絡なくニコルが言った。
ニコルは革鞄を机の上へ置き、中から小さな帳面と筆記具を取り出していた。それから長い髪を耳にかけて、ペンを手に取った。
「まあうちの局では初めてだ。中央まで行けば何かあるかもしれんが。つまり、珍しいな」
「どれくらいでしょうか」
アルベルトが言葉に詰まる。どれくらいかと言われると、少なくともこれまでアルベルトが会ったことはない。聖痕の反応が弱い者はいる。だが、紋様がありながら本人の魔力が全く検出されない例は、聞いたことがなかった。
「面白いですね」
「何がだ」
「大きな街に来ても、前例がないのだなと。皆さんやはり困った顔をされますね」
自分の魔力が無いこと自体は気にしていないらしい。田舎の修道院で育てば、世間知らずにもなるか。
部屋に西日が差し込んできていた。予想以上に時間がかかった。今日の書類仕事は一切片付かなかった。そしてアルベルトは新人の担当となった。かつて先輩局員に教わった内容を、今度は自分が伝える側になった。だが習ったのは局内のことまでで、現場に関しては自力で学んだ。
彼女は魔術を使えない。だが、聖痕反応を確かめられる。そしてその仕事ならできると考えて、ここまで来た。
前例のない存在。
それを彼女は面白いと言う。
ほんのりとオレンジに染まった部屋を背景にしたニコル・ハートは、その日初めて、満足そうに微笑んでいた。




