襲撃1
後ろの男が近づいてきていた。ニコルは、アルベルトの背中越しに姿を確認しようとしたが、アルベルトの腕が遮った。ニコルをその場に留める。
「壁沿いに、俺の左へ。前には出るな」
ニコルが動くと、後ろの男も同じ方へ回った。アルベルトは彼女を自分の脇へ入れ、男の方へ左手を向けた。
「そこで止まれ」とアルベルト。
「話をするだけじゃねえかよ」
男の手元が赤く濁って光った。
ニコルが顔を上げた時には、赤い塊がアルベルトに向かって飛んできていた。アルベルトの手から広がる青い面に当たり、その赤い光は霧散した。
アルベルトは左手を出したまま体勢を崩さない。ニコルの前に広い背中があった。
「ニコル。心配ない」
通路から出てきた男も、片腕を上げていた。
ニコルを覆うように、もう一つの青い面を広げた。その向こうで赤みを帯びた魔力が弾ける。今度は大きな音がして、ニコルは肩をすくめた。
アルベルトの右腕はぴくりとも動かなかった。
「トマトでも投げつけてきたのかと思ったぞ」とアルベルトが言うと、男たちは答えず、続けて撃った。
わざわざ相手を煽るようなことを言わなくてもよいと思ったが、もちろんそれを口にする暇などない。ニコルは反射的に袖で顔を覆う。隙間から見れば、やはり紋様の浮かんだ青い光が広がっていた。
アルベルトの袖も、その後ろにいるニコルの髪も揺れることさえない。
これが魔術同士の攻防なのだ。一人が両手を突き出す。何やら強力な魔術を使いそうな姿勢で、ニコルは身を固くした。しかしアルベルトは面倒そうに溜息を吐くばかりである。
「この程度じゃ話にならん。そろそろやめておけ」
後ろの男が急に走って近づいてきた。遠くからは無理だとみるや、接近戦ということか。ますますニコルは足手まといでしかない。
しかしアルベルトが小さい障壁を繰り出し、それを弾くように手を動かした。ガラスの破片のように障壁が砕け散るとともに、男が跳ね飛ばされる。
最初に声を掛けた男は、仲間を交互に見た。飛ばされた男が顔を上げたが、次の光は出なかった。
男達が無言で視線を交わす。やがて、一人が上げていた手を下した。
「今日は警告だけだ」
返事を待たず、路地の男へ顎を向けた。その男は奥へ下がり、正面にいた男も続いた。残る一人は、後ずさりしながら言った。
「クレマンスの件に、これ以上首を突っ込むな」
「用件は分かった。だがお前らじゃ何度やっても相手にならんぞ」
「女だけでもそう言えるのか?」
アルベルトが言葉に詰まる。面目ないことこの上ない。荒事となるとニコルは全く役に立たない。男はいったん走り出すと、振り返らずに足を速めた。
ニコルは路地を見た。三人の姿は曲がり角の向こうへ消え、足音も遠ざかった。
「追いますか」
「三人いる。お前を置いて追うわけにもいかん」
アルベルトは障壁を消した。物音を聞きつけたのか、少し先の戸口から男が顔を出した。アルベルトは監察局の者だと告げ、治安局を呼んでくれと頼んだ。男が奥へ声を掛け、別の者が通りへ出ていった。
「怪我はないか」
「ありません。アルベルトは」
「欠伸が出るかと思った」
「私を安心させようとしてくれていますね」
「……どうだろうな」
彼は右手で外套の前を払った。穴も、焦げたところもなかった。飛んできた光は一度も当たっていないようだ。相手の攻撃も速いし、ずっと目を開けていられたわけでもないので全貌はわからなかった。
ニコルは改めて、アルベルトの手元から顔まで確かめた。彼の背が高いので、見上げる形になる。
「本当に、何ともないんですね」
「ない。何か気になるか」
「いえ」
もう分かっていることを聞き直していた。これはおそらく自分自身を落ち着けるために質問を重ねている。緊張していたのだ。自分の額に触れた。汗をかいている。
「緊張していたようです」
「気づいてなかったのか。顔が強張っているぞ」
「そのようです。人生であまり緊張したことがないので、よくわからず」
アルベルトが苦笑しつつ「とりあえず何もなくて良かった」と言った。
正面から声を掛けた男。路地から鞄を見て問いかけた男。後ろへ戻ってきた男。暗がりで顔まではよく見えなかったが、声は覚えている。
「あの方は、アルベルトの名前をご存じでしたね」
「ああ。いつからつけられていたのかもわからん。油断した。だが素人じゃない」
「マフィア関係者、ということでしょうか」
「可能性は高いだろう」
「調査の停止を求めていました。それで利益を得るのはビアンキーニ、なのでしょうか。クレマンスさんの事件を起こしたのがビアンキーニであれば、筋は通りますが」
「ああ。だが全く別のグループかもしれん。まだ何も分からん。とにかく局に戻って報告しよう」
恐る恐る出てきた店の男に何を見たか聞くと、白い光が続けて飛ぶのを見たと言った。顔や、誰が先に手を出したかまでは分からないという。アルベルトは、そのまま治安局にも話してほしいと頼んだ。
ニコルは、三人が言ったことを思い出した。クレマンスのことを調べるな。何を聞いた。こちらの名前も知っている。
治安局の職員が来ると、アルベルトは男たちの服装と、去った方向を伝えた。通路の先を見に行った職員は、姿はないと言って戻ってきた。
「被害者が監察局と知っていたら来なかったぞ」と治安局の男が言った。冗談としては全然笑えないと思ったが、アルベルトは気にした風もない。
「俺たちも一応市民だぞ」
「こうして来てやったろう」
「黙って働いてくれた方がありがたみもある」
「お前らにありがたがられてもな」
ふん、とアルベルトが鼻を鳴らすのを無視して、治安局員はいくつかニコルにも確認を取った。
「そちらの担当にも伝えてくれ。こちらからも報告する。お前らもこの件に関しては情報が欲しいんだろう」
治安局の男は嫌そうな顔をしたが、了承した。
局へ帰る道では、アルベルトが人通りの多い方を選んだ。ニコルも隣を歩いた。
「調査は、続けますよね」
「ああ。この程度で逃げるわけにはいかん」
ニコルは、顔の隠れていた三人をもう一度思い出した。これまで会った者の中に、同じ声の人間がいただろうか。分からなかった。思い出して、身震いした。これが命の危険というものなのだ。現場は恐ろしい。
「一人にはしない」とアルベルト。
女だけでもそう言えるのか?
先ほどの彼らの発言を受けてのことだろう。彼らの言い分はもっともである。アルベルトを脅すより、抵抗力の無いニコルを脅す方がはるかに効果的だ。
「怖い、か?」とアルベルトは小声で聞いた。
「怖いです」
率直に答える。怖くないわけがない。
「ですが、アルベルトがいるなら、大丈夫です」
アルベルトは目を白黒させる。思っていた反応と違う。
「怖いけれど、何とか耐えられる、という意味ですよ」
「言い直さなくてもいい」
アルベルトはぶっきらぼうにそう言った。意味が分からない。




