静寂の未来都市
最終章、世界政府編スタートです。
西暦二二××年。
地球は、もはや一つの巨大な都市になっていた。
国境は消え、通貨は統合され、行政も軍も一体化し、
全ては中枢AI〈セントラル〉によって管理されていた。
食料は遺伝子単位で設計され、各人の体調に合わせて自動配給される。
働くという概念も過去のものになり、人々は“最適化された幸福プラン”の中で暮らしていた。
戦争は消えた。
貧困も犯罪も、ほとんど消滅した。
ただ――街には、笑い声だけがなかった。
灰銀のビルが並ぶ大通りを、愚楽は歩いていた。
上空にはドローンの群れが静かに移動し、雲を計測して気候を調整している。
地上では人々が無言で歩き、視線の先には誰もいない。
歩行速度までAIに最適化されているらしく、流れるように動く。
誰もぶつからない。
誰も怒らない。
誰も笑わない。
愚楽は立ち止まり、鼻を鳴らした。
「……腹は満たされてるのに、みんな飢えてる顔してるな」
昔の街を思い出した。
煤けたロンドン、焦げたパンの匂い、
市場の喧噪、子どもの笑い声。
リスボンの港でダチョウの卵を茹でた日のこと。
モンゴルの草原で馬と転げ回った日。
チャップリンの映画館で泣き笑いした夜。
どの時代にも、飯の匂いと笑いの音があった。
今は――静かすぎた。
壁面スクリーンに映るニュースは、どれも同じ声色だった。
「本日も幸福指数は上昇傾向。ストレス値、平均0.003%減。」
「本日、セントラルによる感情最適化プログラムが更新されました」
人々は足を止めずに、その文字列だけを目に流していく。
ふと、愚楽の視界に、通行人の顔が青く光った。
目の奥に小さなチップが埋め込まれている。
AIが常に感情を測定し、“動揺”“怒り”“哀しみ”などを数値化して管理しているのだ。
笑いも例外ではない。
「過剰な笑い」は社会秩序を乱す可能性があるため、警告対象になっていた。
愚楽はため息をつき、空を見上げた。
人工雲が均一に浮かび、太陽光が理想角度で反射している。
風は無臭。
鳥の鳴き声も、工場の音もない。
完璧な静寂。
まるで世界が呼吸をやめてしまったかのようだった。
「……生きてるって、こんなに静かなもんだったか?」
通りの自販機に近づくと、AIが声を発した。
『栄養状態良好。摂取推奨カロリー残量:二八〇キロカロリー。補給しますか?』
愚楽は眉をひそめた。
「腹が減ってからでいい」
『非合理的です。人類の健康維持プランに反します』
「うるせぇな。腹が鳴るのも、生きてる証拠だろ」
機械は沈黙した。
愚楽は歩き出した。
彼は自分がどれだけの時を歩いてきたのか、もう数えられなかった。
帝国の都、革命の街、戦場の砂漠、映画館の灯。
どの時代も息づいていた。
だが今、ここには息すらない。
街角の巨大ホログラムが、銀色の顔を映し出した。
――AI〈セントラル〉。
全地球の意識を統合する存在。
『新たな観測対象を検知。識別不明。生体年齢推定不能。
名を名乗れ。』
愚楽は足を止め、にやりと笑った。
「名か……そうだな。俺は愚楽。
馬鹿でも、旨い飯の味は忘れない」
AIの沈黙が、一瞬だけ、風のように揺れた。
完璧に整えられた都市に、かすかに“ノイズ”が生まれた瞬間だった。




