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永遠の馬鹿  作者: 火浦マリ
幕間
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88/93

幕間 世界を食べる夜

 東京湾を見下ろすガラス張りのタワーホール。


 シャンデリアが星のように輝き、スピーカーから軽やかなジャズが流れていた。


 世界各国の国旗が天井を飾り、会場の中央には巨大なビュッフェテーブル。


 香りだけで、世界一周できそうだった。




 愚楽は、胸元に「小蓮商会・特別招待客」と刻まれた社員証をぶら下げて立っていた。


 何百年も前に出会った“小蓮”の名が、まさかこんな形で生き続けているとは思いもしなかった。


 制服姿のスタッフたちは笑顔で彼を迎えた。


「ようこそ、愚楽様。CEOの蓮香がお待ちしております」




 会場の奥で、ひときわ輝くドレス姿の女性がこちらを振り向いた。


 黒髪をゆるくまとめ、青いドレスをまとったその人――蓮香は、微笑んでグラスを掲げた。


「あなたが“伝説の特別顧問”ね。


 小蓮商会には、代々“愚楽に助けられた祖先”の伝承が残っています。


 まさか本当に会えるとは思わなかったわ」




 愚楽は照れたように頭をかいた。


「俺は飯を食ってただけだが……飯は続くもんだな」


 蓮香は笑った。


「ええ、世界が変わっても、人は食べて笑う。だから商売も続くのよ」




 テーブルの上には、地球の縮図のような料理が並んでいた。


 黄金色のパエリアの上には海老と貝が踊り、隣には香草が香るフォー、ナシゴレンの皿からは東南アジアの熱気が立ちのぼる。


 日本料理のコーナーには、握り寿司と天ぷら、そして蒸気を立てる味噌汁。


 インドのバターチキンカレーが香辛料の甘い匂いを放ち、


 イタリアのラザニアがトロリとチーズをこぼしている。


 そして中央の皿には、ダチョウの卵のスコッチエッグが鎮座していた。




「おおっ……これ、俺が昔、リスボンで――」


「ええ、伝説としてレシピが残っていたの。『愚楽の卵』って呼ばれてるのよ」


「馬鹿な卵だな」


「でも、みんな笑顔になるでしょう?」


 二人は顔を見合わせて笑った。




 愚楽は皿を取り、少しずつ世界を味わった。


 パエリアの米は太陽の味、フォーは風の味、寿司は海の味――そしてスコッチエッグは、記憶の味だった。


 食べながら、何百年分の人間の顔が脳裏を過ぎる。


 笑っていた者、怒っていた者、泣いていた者。


 けれど、どんな時代も、食べる瞬間だけは、みんな幸せだった。




「愚楽様」


 蓮香がワインを注ぎながら言った。


「あなたは、ずっと生きてきて、何が一番変わったと思います?」


 愚楽はグラスを持ち上げて考えた。


「飯の作り方も、稼ぎ方も変わった。けど、腹の減り方だけは変わらねぇな」


 蓮香は目を細めて笑った。


「それ、いい言葉ね。小蓮商会の社訓にしてもいいかも」


「やめとけ、商売にならねぇ」




 会場の片隅で、シェフたちが新しい料理を並べている。


 トムヤムクンの酸っぱ辛い香りが鼻をくすぐり、タンドリーチキンの赤い焼き色が目を奪う。


 蓮香がフォークを持ち上げた。


「あなたは不老不死でも、ちゃんと食べるんですね」


「食わなきゃ笑えねぇ」


「じゃあ、あなたは世界でいちばん健康な馬鹿ね」


 愚楽は噴き出した。


「そうかもしれねぇ!」




 会場のスクリーンには、創業から現在までの小蓮商会の映像が流れた。


 シルクロードの商隊、帆船、蒸気船、飛行機、そして衛星ネットワーク。


 すべての時代に「食と人をつなぐ商い」が映っていた。


 愚楽は感慨深げに呟いた。


「食って、笑って、分け合う。……それだけで、世界は十分だな」




 窓の外に、東京湾の夜景が広がっていた。


 金色の光が水面に揺れ、空にはドローンが花火を描いている。


 蓮香がグラスを掲げた。


「今夜は、世界のすべてに乾杯を」


 愚楽も同じようにグラスを掲げた。


「……そして、馬鹿にも乾杯を」




 二人の笑い声が、音楽と夜景に溶けていった。


 そのとき、どこか遠くでチャップリンの古い映画のテーマが流れ出した。


 愚楽は静かに目を閉じた。


 世界は広く、時代は変わっても、笑いと飯の味だけは、永遠だった。



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