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永遠の馬鹿  作者: 火浦マリ
チャップリン編
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映画という魔法

 ロサンゼルスの空は、どこまでも乾いていた。


 照りつける陽の下、埃っぽい通りの向こうに白い看板が立っている。


 《ESSANAY FILM STUDIO》


 その文字を見上げながら、愚楽は帽子を押さえた。


「ここが……笑いの工場か」




 木造のスタジオでは、奇妙な格好の人々が走り回っていた。


 白い粉を顔に塗り、カメラの前で転び、殴られ、追いかけられている。


 それを黒い箱のような機械がじっと見つめていた。


 愚楽はその箱の影に隠れ、じっと覗き込んだ。




「おい、そこ! 部外者は出てけ!」


 怒鳴られて慌てて逃げる途中、床に落ちていた細長い巻物を拾った。


 くるくると巻かれた透明な帯。


 端を少し開いて陽の光に透かしてみる。


 小さな人影がいくつも並んでいた。


「……なんだこれ。小人が捕まってるのか?」


 目を凝らすと、それは“笑って転ぶ男”の連続写真だった。




 愚楽はしばらく黙っていた。


 陽に透かしたフィルムの中で、男がずっと転び続けているように見えた。


「これが笑いを閉じ込める箱か……」


 彼は小さく呟いた。


「俺の馬鹿も、ここに詰められるのかな」




 昼になると、スタジオの外でホットドッグの屋台が湯気を上げた。


 香ばしいパンの匂いに釣られて愚楽が近づく。


「ソーセージをパンで挟む? 贅沢だな!」


「一セントだよ、ミスター」


「なら二本くれ!」


 口いっぱいに頬張る。熱くて、辛くて、旨い。


 舌を火傷しながら笑った。


「熱いけど……生きてる味がする!」


 隣で若い撮影助手が笑いながら言った。


「ミスター、あなた、チャップリンの知り合い?」


「知り合いっていうか……昔、転び合った仲だ」


「はは、面白い冗談だ!」




 午後、再びスタジオの裏口に戻ると、黒い布を被ったカメラが回っていた。


 チャップリンが現れ、ステッキを持って歩き出す。


 転び、帽子を拾い、子どもに頭を下げる――ただそれだけの芝居。


 だが愚楽には、そこに何か懐かしい温かさを感じた。




「音がねぇのに、笑えるんだな……」


 口の中のホットドッグを飲み込みながら、呟いた。


「声を奪われても、笑いは生きてる。人間ってやつは頑丈だな」


 近くにいた清掃婦が苦笑して言った。


「お兄さん、何言ってるの?」


「いや、腹が鳴っただけさ」


 そう言って笑う愚楽の腹が、ほんとうにぐうと鳴った。




 撮影が終わり、チャップリンがスタッフに囲まれながら去っていくのを、愚楽は遠くから見送った。


 白い粉を落とし、帽子を脱いだその横顔には、まだ舞台の頃の面影があった。


 彼はもう、世界のチャップリンだ。


 だが愚楽には、あのロンドンの少年の笑いが今もその奥に見えた。




 陽が傾き、スタジオの壁がオレンジ色に染まる。


 愚楽は拾ったフィルムをポケットに戻した。


「小さな箱に笑いを詰めて、世界を回す。……馬鹿なことを、よく思いつくもんだ」


 そう言って笑いながら、取っておいた最後のホットドッグを頬張った。


 ソーセージの脂が唇に光った。


「うまいな。……でも、笑いの方がもっと熱い」




 西の空で夕陽が沈む。


 カメラの影が地面を長く引きずっていた。


 愚楽の影も、その中に溶けていった。


 ――笑いとは、光を食べるようなものかもしれない。


 そんなことを考えたが、次の瞬間にはもう忘れていた。



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