博覧会の混乱
1851年、ロンドン。ハイド・パークに建てられた巨大なガラスの宮殿――クリスタル・パレスには、世界中から集められた機械と製品が並んでいた。鉄と蒸気の時代を象徴する祭典。ヴィクトリア女王とアルバート公が臨席し、各国の技術者や商人が誇らしげに展示品を披露している。
そんな厳かな場に、例の馬鹿が紛れ込んでいた。
「ほおお……鉄の塊が勝手に動いてる!」
愚楽は、展示された蒸気機関のピストンの動きに目を丸くしている。周囲の子供たちまでつられて大はしゃぎし、警備兵が慌てて制止する。
蓮承に連れられて会場に入った愚楽は、すぐに腹の虫が鳴りだした。
「なあ、こんなにたくさん鉄を並べるくらいなら、飯を並べた方がよくないか?」
「……愚楽さん、ここは“世界の未来”を示す場なんです。食堂ではありません」
「未来ってのは、腹が満ちることじゃないのか?」
蓮承は額を押さえて溜息をついた。
会場の奥には「最新式パン焼き機」と銘打たれた展示があった。石炭の熱で均一に焼き上げる仕組みは、多くの観客を驚かせていた。説明員が誇らしげに解説する横で、愚楽は身を乗り出した。
「おお、これなら魚も焼けるんじゃないか?」
そう言うや否や、彼は懐から取り出した包みを開き、昼食に持ち歩いていた干物を機械の投入口に突っ込んでしまった。
「やめろ! それは展示品だ!」
説明員の叫びも虚しく、蒸気の音と共に機械が動き出す。じゅう、と香ばしい匂いが立ちこめ、会場はざわめきに包まれた。
「なんだこの匂いは……?」
「魚を焼いているのか?」
英国紳士たちが眉をひそめ、逆に庶民たちは腹を鳴らした。
さらに愚楽は調子に乗り、近くの機械織機にパンを押し込もうとした。
「布が織れるなら、パンだって編めるだろ!」
織機の歯車にパンが詰まり、がちゃがちゃと悲鳴のような音を立てる。
「止めろ馬鹿者!」
係員が駆け寄るも遅く、会場は大混乱に陥った。
その時、どこからか女王の一行が姿を現した。ヴィクトリア女王は憮然とした顔で混乱の現場を見下ろした。臣下が青ざめて「この東洋の道化を即刻つまみ出します」と訴えると、女王は小さく首を振った。
「いや……見よ、群衆の笑顔を」
確かに、騒ぎを見守る人々の間には笑いが広がっていた。子供たちは声を上げてはしゃぎ、労働者の男たちは腹を抱えて笑っている。重苦しい蒸気の匂いに包まれた会場に、思いがけず明るさが差し込んでいたのだ。
愚楽は焼き上がった魚をひょいと取り出し、むしゃむしゃと食べてにやりと笑った。
「やっぱり未来は飯からだ!」
この日、クリスタル・パレスで最も人を集めた展示は、蒸気機関でも織機でもなく――ひとりの馬鹿が焼いた魚だった。




