煙突の街の飯テロ
ロンドンの煤けた下町は、昼も夜も人で溢れていた。
労働者たちが交代で工場から吐き出され、狭い路地の屋台へ流れ込む。煤煙と油煙が入り混じった空気の中、腹をすかせた者たちを惹きつけるのは、揚げ物の香ばしい匂いだった。
「兄ちゃん、これがロンドンの味だ!」
少年が油紙に包んだ何かを愚楽に差し出す。
愚楽は油紙を開いて目を丸くした。黄金色の魚の切り身が、揚げたてで湯気を立てている。その横にはこんがりと揚げた芋の棒切れ。
「なんだこれ!? 魚の天ぷらに、芋がついてるのか!」
かぶりついた瞬間、サクッと衣が砕け、熱々の白身が舌を包んだ。油の香りに塩気が効いている。愚楽は叫んだ。
「う、旨い! 魚なのに肉みたいだ! 芋も甘くてホクホクじゃねえか!」
夢中で頬張る愚楽を見て、周りの労働者たちが笑いだした。
「兄ちゃん、そんな大げさに食うなよ!」
「いやいや、見てるだけで腹が減ってくる!」
次々に揚げ物を買う者が現れ、屋台は大繁盛。店主の老人は目を丸くして愚楽に言った。
「お前さん、客引きの天才だな!」
そこへ、別の屋台から湯気が漂ってきた。
木の鉢に盛られたのは、小麦の麺を肉汁で煮込んだ一皿。香草と玉ねぎが浮かび、湯気が顔を包む。
「これは……何だ?」
「マカロニさ!」屋台の男が胸を張った。「イタリアから来た新しい食べ物だよ。細長い管に肉汁を絡めて食べるんだ」
愚楽はフォーク代わりの木の棒をもらい、ぶすっと刺して口に運んだ。
「……柔らかい! 長い芋かと思ったら違うな! 噛むと小麦の味がする!」
ごくりと飲み込み、顔をほころばせる。
「これは腹が膨れる! 俺は博士だ! 飯の博士だからわかる! これは世界を変えるぞ!」
「博士? 馬鹿だろ!」
誰かが突っ込み、路地に笑い声が広がる。だが愚楽は胸を張って言った。
「馬鹿でも旨い飯の味は忘れない! これからは魚と芋と……この“麺”だ!」
酒場から出てきた労働者たちも匂いにつられて屋台へ集まり、路地は小さな祭りのように賑わった。愚楽は皿を片手に走り回り、子供に芋を分け与え、女たちに魚を差し出し、老人にスープをよそった。
そのとき、小蓮商会ロンドン支店の支配人、蓮英が様子を見に来た。
「またお前か……どこでも騒ぎを起こすな」
だが、彼の口元には笑みが浮かんでいた。
「だが、こうして笑いと飯で人の輪を作る力……やはり馬鹿とは侮れぬ」
愚楽は口いっぱいに魚と芋を頬張りながら答えた。
「金があれば飯が食える! でも笑いがあれば、飯がなくても半分は満ちる!」
労働者たちがどっと笑い、誰かが声をあげた。
「おい、もう一つ揚げてくれ! 兄ちゃんの笑いで酒が旨くなる!」
煤煙の下町の一角で、愚楽はまた「笑う兄ちゃん」として人々の腹と心を満たしていた。
その夜の空は、煤で覆われてなお、不思議と明るく見えた。




