民の声を伝える道化
天下を統一した始皇帝は、しばしば大規模な巡幸に出た。各地の風土を確かめ、祭祀を行い、民の暮らしを見定めるためである。
その日、咸陽から東へ向かう一行の列には、奇妙な姿が混じっていた。
「ひぃ、歩くだけで腹が減る……」
馬車の影にちょこんと座り、愚楽が腹をさすっていた。従者として同行を命じられたのだが、宮廷の者たちは揃って顔をしかめていた。
「なぜこのような者まで……」
「また何かやらかすぞ」
陰口を叩く廷臣たちをよそに、始皇帝は御車から顔を覗かせ、愚楽を見てにやりと笑った。
「退屈を追い払うのが愚楽の役目よ。連れて行かねば旅がつまらぬ」
列がある村に着いたとき、民が道端に集まり、訴えを声高に叫んだ。
「我らの村は干ばつで田が枯れました!」
「役人が税を取り立てすぎるのです!」
「橋が壊れて渡れませぬ!」
次々に飛び交う声は雑然とし、廷臣たちは耳をふさぎたくなるほどだった。
「陛下、ここで聞き入れては旅が滞ります。訴えは郡県に任せられたし……」
李仲が渋い顔で進言した。
しかし、そのとき。
「はーい! 只今、村の声をまとめてお届けいたしまーす!」
愚楽が群衆の中に飛び込み、大げさな身振りで叫んだ。
「ひとりめ! 干からびた田んぼで腰まで土に埋まり、手を振っております!」
「ふたりめ! 腹をすかせた役人が税袋をぱんぱんにして走っております!」
「みっつめ! 橋が壊れ、川の向こうから“おーい!”と裸で叫んでおります!」
村人たちは一瞬ぽかんとしたが、やがて笑い出した。
「そうだそうだ、まさにそんな有り様だ!」
「うまいこと言うわ!」
愚楽は訴えをそのまま真似するのではなく、耳で覚えた要点を滑稽な芝居に変えてみせた。両手をばたつかせて溺れる真似をすれば、村人は笑いながらもうなずき、問題の深刻さを示すことになった。
廷臣たちは眉をひそめた。
「陛下、このようなふざけは……」
だが始皇帝は御車から身を乗り出し、腹を抱えて笑った。
「ふはははは! よいぞ愚楽! 余は訴えの文言よりも、そなたの真似の方がはるかに分かりやすい!」
帝は笑いを収めると、真剣な眼差しを村人に向けた。
「橋はすぐに直させよ。干ばつの村には粟を配れ。役人の取り立ては法に照らして調べる」
村人たちは一斉に頭を下げ、涙ぐみながら感謝の声を上げた。
愚楽は腹をさすり、にやりと笑った。
「いやぁ、俺は腹が減ってただけなのに……なんだか役に立っちまったな」
廷臣たちは頭を抱え、李仲は歯噛みした。だが誰も逆らえない。始皇帝が満足げに杯を掲げたからだ。
「愚楽よ。そなたの耳は賢しらの文より確かだ。これからも民の声を、笑いと共に余に届けよ!」
こうして愚楽は、ただの道化ではなく、「民の声を伝える従者」としての役目を新たに帯びることになった。




