ダチョウの卵事件
市場の喧騒は日ごとに変化するが、その日ほど人々の目を集めた日はなかった。
広場の真ん中に、どん、と置かれたもの――それは、人の頭より大きな白い卵だった。
商人が胸を張って叫んだ。
「見よ! これはアフリカの砂漠から運ばれた“ダチョウの卵”だ!」
周囲の人々がざわめいた。
「でかい! こんな卵があるのか!」
「まるで壺だな……」
「割ったら村ひとつ養えるんじゃないか?」
愚楽は目を丸くし、口をだらしなく開けた。
「お……おおおお……俺はこんなでかい卵を見たことがねえ!」
卵は大鍋ほどの大きさで、殻は分厚く、光を受けて白く輝いていた。重さは一キロどころではなく、子供が抱え込むほどの迫力だ。商人は誇らしげに杖で殻を叩き、こんこんと音を響かせた。
「丈夫な殻! このひとつで鶏卵三十個分以上だ!」
愚楽はよだれを垂らしながら叫んだ。
「食いてえっ! 絶対に旨いに決まってる! これを茹でてかぶりついたら一生忘れねえ!」
周りの客たちは笑った。
「馬鹿なやつだ、あんなもの観賞用だぞ」
「食べられるって話もあるが……誰もやったことはない」
「毒かもしれんぞ!」
しかし愚楽の耳には届かない。彼は両手を広げ、商人に詰め寄った。
「これいくらだ! 俺は欲しい!」
商人はにやりと笑い、指を三本立てた。
「銀貨三十枚!」
愚楽の顔が凍りついた。
「……三十……!? 俺は一枚も持ってねえ……」
その場にへたり込み、泣きそうな顔をする。
「俺の人生最大の旨い飯チャンスが……馬鹿でも旨い飯の味は忘れない愚楽の名が泣く」
そのとき、後ろから声がした。
「――まさか、愚楽という名を名乗る者に出会うとはな」
振り返ると、背の高い若い男が立っていた。衣は上等な布で仕立てられ、腰には帳簿を収めた革袋を下げている。
男は商人に近づき、銀貨袋を取り出すとあっさりと支払った。
「この卵、私が買おう」
人々がざわめいた。
「出た、小蓮商会の若旦那だ」
「また珍品を仕入れる気か」
愚楽はぽかんと口を開けた。
「お、おい! なんでそんなに簡単に……!」
若い男――蓮承は、愚楽をじっと見つめた。
「名は愚楽と言ったな。お前のような愚か者に会うのを、我が一族は代々語り継いできたのだ」
愚楽はきょとんとした。
「……え? どういうことだ?」
「小蓮。かつて我が一族の祖となった女芸人の名だ。彼女は“愚楽”と呼ばれる男と共に舞台に立ち、その子孫が代々商会を継いでいる。……まさか、その伝承の馬鹿が、本当に目の前にいるとはな」
愚楽は頭を掻き、大笑いした。
「ははは! やっぱり縁ってやつはあるんだな! そうだ、俺は愚楽! 馬鹿でも旨い飯の味は忘れない!」
市場の人々は再び爆笑した。
「やっぱり馬鹿だ!」
「でもなんだか憎めないな!」
蓮承は笑いをこらえながら卵を愚楽に手渡した。
「持っていけ。せっかくだ、調理してみるといい。どうせお前なら、馬鹿げたことをして市場中を笑わせるだろう」
「おおっ! ありがてえ! よし、これを大鍋で茹でてやる!」
愚楽は大きな卵を抱え込もうとしたが、あまりの重さに後ろへひっくり返った。
「ぐえっ! こ、こいつは……でけえ!」
人々は腹を抱えて笑い、イザベラは呆れ顔で腰に手を当てた。
「ほんとにあんたって馬鹿だね。でも、いいよ。うちの厨房で煮てみようじゃないか」
こうして愚楽と蓮承、小蓮商会と港町の縁が結ばれた。
そして、馬鹿げた発想から生まれる“巨大な料理”が、歴史の片隅に刻まれることになるのだった。




