幕間 小蓮の幻影
長い草原の旅が終わりを告げる頃、愚楽はひとり、川のほとりに腰を下ろしていた。
川面はゆったりと流れ、遠くには木々が霞んで見える。そこから先には草原ではなく、大地を越えた未知の海が広がっていると人々は言う。
石を拾い、水面に投げる。輪が広がり、やがて消える。
愚楽はその消えゆく輪をじっと見つめていた。
焚き火の煙の向こう、ふと風に乗って笑い声が聞こえた気がした。
「兄ちゃん、まだ馬鹿なことしてるの?」
顔を上げると、そこに小蓮が立っていた。
子どものころの姿でもあり、舞台で輝いた若き日の姿でもあり、母となり最後の舞台に立ったときの姿でもある。
幾つもの姿が重なり合い、幻のように揺らめいていた。
愚楽は目をこすった。
「小蓮……なのか?」
「そうだよ。兄ちゃん、相変わらずだね」
幻影の小蓮は微笑みながら歩み寄り、愚楽の隣に腰を下ろした。
川面を覗き込みながら、くすりと笑う。
「覚えてる? あたし、最後の舞台で言ったんだよ。“子や孫に会ったら、笑っていてね”って」
愚楽は頷いた。
「もちろん覚えてる。俺は馬鹿だが、あの時のお前の顔は忘れねえ。笑いながら泣いてたろ」
小蓮は少しだけ目を潤ませ、それでも笑った。
「兄ちゃんは不老不死でしょ? だから、あたしはもう会えないけど……子や孫を通して、また縁は繋がっていく。小蓮って名は、そのために残るんだよ」
愚楽は拳を膝に打ちつけた。
「そうか……縁か。蓮明も、そう言ってたな。商いは縁を運ぶもんだって」
「そう。だから、兄ちゃんは馬鹿でもいい。笑って、飯を食べて、縁を繋げばいい」
そう言って小蓮は、川の向こうを指差した。
「見て。あっちには海があるよ。草原よりもっと広くて、果てがない。魚も貝も、きっと旨いよ」
「魚……! 海の飯か!」
愚楽の目が輝いた。
「そりゃ行くしかねえ! 俺は馬鹿でも旨い飯の味は忘れない!」
その叫びに、小蓮は声を上げて笑った。
「うん、それでいいんだよ、兄ちゃん」
朝日が昇り、光が川面を照らした。
次の瞬間、幻影の小蓮は淡い光に溶けるように消えていった。
愚楽はしばしその場所に座り込み、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
「小蓮……俺は忘れねえ。飯も、お前も、縁も」
やがて立ち上がり、東の風を胸いっぱいに吸い込む。
その風は草原を越え、彼を大いなる海へと導くようだった。
「よし! 今度は海だ! 魚も貝も待ってろよ!」
大声で笑いながら、愚楽は再び旅立った。
こうして草原の余韻は静かに終わり、愚楽の放浪は新たな舞台――港町と大航海の時代へと移っていった。




