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永遠の馬鹿  作者: 火浦マリ
チンギス・ハーン編
42/58

旅立ちと草原の余韻

 草原の夜明けは静かだった。


 白い霧が馬の群れを包み、草葉に露が光る。冷たい風が幕営を撫で、遠くで馬の嘶きが響いた。




 蓮明は幕営の外に立ち、地平線を見つめていた。


 その表情は迷いを振り払ったかのように澄んでいる。


 昨夜、彼は決意したのだ。自分は御用商人として小蓮商会の名を掲げ、商いを通じて縁を繋ぐ。そのために生き抜くのだと。




 後ろから愚楽の声がした。


「よう、早えな。まだ飯も出来てねえぞ」


「……飯の心配か」


 蓮明は思わず笑った。




 愚楽は手を頭にやりながら大あくびをした。


「腹が減ったら歩けねえだろ? それに俺はもう、そろそろ行く頃だ」


「行く?」


「ああ。お前は商会を背負え。俺は……また飯を追って旅に出る」




 愚楽の瞳はどこか遠くを見ていた。


 蓮明はしばらく黙り、やがて頷いた。


「そうか。お前は、止まる男じゃない。馬鹿だが……縁を結ぶ風のような存在だ」




 二人は焚き火の前に座った。


 湯気の立つ乳茶をすする。塩気の効いたその味が、草原の朝を象徴するかのように濃かった。




 ふと、愚楽は湯気の向こうに過ぎ去った顔を思い浮かべた。


「……小蓮のことを思い出した」


「小蓮?」


「昔、俺と舞台に立った娘だ。子どもだったのに、笑い上手で、俺の馬鹿をうまく引き出してくれた。……やがて母になり、最後まで舞台に立って、笑いながら去っていった」




 愚楽の表情は、珍しく静かだった。


「俺は馬鹿だから、あの時どうしてやるのが正しかったか分からねえ。けどな、小蓮が『人の道を歩むよ』って言ったとき、俺は……その背中を笑い泣きで見送った。それだけは覚えてる」




 蓮明は黙って耳を傾けた。


 自分の商会の名「小蓮」に、その女性の存在が宿っていると直感した。


 やはり愚楽と一族は、深く結びついているのだ。




 愚楽は急に笑顔に戻り、乳茶を飲み干した。


「まあ、旨い飯と笑いがあればいいさ! 名は愚楽! 馬鹿でも旨い飯の味は忘れない!」




 蓮明は呆れながらも笑った。


「その言葉、必ず子や孫に伝えよう。『馬鹿だが縁を結ぶ道化がいた』とな」




 愚楽は立ち上がり、空を仰いだ。


 東の地平に太陽が昇り、黄金の光が草原を染めていく。


 馬の群れが走り出し、風が彼の衣を揺らした。




「じゃあな、蓮明。また会うかもしれん。飯の匂いがする場所でな!」




 蓮明は強く頷いた。


「その時は必ず“小蓮”の名を掲げて迎える」




 愚楽は大声で笑い、馬の嘶きとともに人影の中に消えていった。


 草原に残った蓮明は、拳を胸に当て、心の中で誓った。


「小蓮商会は必ず残す。血と縁を繋ぎ、いつかまた……愚楽と交わるために」




 こうして、ひとりの馬鹿は再び放浪に旅立ち、ひとりの商人は未来を背負った。


 草原の風は冷たくも清らかに吹き渡り、その余韻は遠い未来へと続いていった。



チンギス・ハーン編完結です。

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