ラマダーン初日の騒動
ある朝、ユースフは厳粛な面持ちで愚楽に告げた。
「今日から一月、我らはラマダーンを迎える。日の出から日没まで、食も飲みも口にせず、心を清めて神に仕えるのだ」
「……はあ?」
愚楽は耳を疑った。
「食べちゃいけない? 水もダメ? 昼間は腹が空いたまんま? そんな馬鹿な!」
「馬鹿ではない。信仰の試練だ」
「試練は嫌いだ! 腹が減ったら死ぬ!」
それでも町全体が断食に入ると、愚楽もさすがに遠慮せざるを得なかった。
市場はいつもより静かで、羊肉の鍋も昼は火が落とされている。人々は飢えを堪えながらも、祈りに心を向けていた。
だが愚楽の腹は、早くも盛大に鳴り響いていた。
「ぐぅぅぅぅ……おいユースフ、何か食わせろ!」
「我慢しろ。日没までだ」
「あとどのくらいだ?」
「……始まったばかりだ」
「ぎゃああ!」
その時、市場で叫び声が上がった。
「盗人だ! 財布を盗まれた!」
人々が騒ぎ、群衆がざわめく。愚楽は空腹で朦朧としながらも、反射的に声を張り上げた。
「盗んだなー! 俺の腹を!」
群衆が一斉に振り向き、爆笑が広がる。
しかし盗人は本当に紛れていた。慌ただしく人を押しのけ、袋を抱えて走り去る。
愚楽はふらふらと追いかけた。
「待てぇ! お前が盗んだのは金か、それとも飯か!」
彼は盗人の真似をして大袈裟に走り、わざと群衆にぶつかって転んだ。
転んだ拍子に盗人と正面衝突し、袋が宙に舞った。
袋の中身――金貨と干し葡萄が地面に散らばった。
群衆が一斉に盗人を押さえ込み、拍手喝采が起こる。
「盗賊を捕まえたぞ!」
「いや、捕まえたのは……」
視線が愚楽に集まる。彼は干し葡萄をむしゃむしゃ食べながら立ち上がった。
「んん! これは証拠だ! 間違いなく盗品だ!」
群衆は笑いに包まれた。
ユースフは額を押さえた。
「……お前は無茶苦茶だ」
「いいや、腹が減ってたから神様が盗人をぶつけてくれたんだ!」
「それは解釈が間違っている!」
やがて夕刻。太鼓の音が街に響き、断食明けを告げた。
一斉に屋台が火を入れ、煮込み鍋がぐつぐつと音を立てる。
大皿の上には黄金色のピラフ、羊肉のシチュー、ナツメヤシ、ザクロ、蜂蜜菓子。
愚楽は目を輝かせ、両手を広げた。
「これだ! これが信仰のご褒美か!」
ユースフは苦笑しながらナツメヤシを差し出した。
「まずはこれだ。預言者も断食明けに口にした果実だ」
「おお、博士だなユースフ!」
愚楽は頬張り、涙を流さんばかりに叫んだ。
「甘い! 生き返ったぁ!」
人々は祈りとともに食卓を囲み、笑い合い、互いに料理を分け合った。
愚楽もまた、盗人騒ぎで笑いをもたらしたことで場の人気者となり、皿に盛られたご馳走を次々と受け取った。
満腹になった彼は大の字になり、空を仰いだ。
「やっぱり料理学問は偉大だ……断食があれば飯はさらに旨くなる!」
ユースフは呆れながらも、どこか納得するように笑った。




