料理博士、弟子入りを志す
バグダードの市場は、朝から人々でごった返していた。
香辛料の山は赤や黄の絨毯のように広がり、羊肉の串が煙を上げ、ナツメヤシやザクロが山と積まれている。蜜で照り輝く菓子は蜂の巣のように甘く、果汁酒の壺からは芳しい香りが漂った。
その中で、ひときわ騒がしい男がいた。
「おい! ここの親父! 俺を弟子にしてくれ!」
愚楽である。
声をかけられたのは、羊肉の煮込みを大鍋でかき回している大柄な料理人だった。
「な、なんだお前は?」
「俺は愚楽! 料理博士を目指してるんだ! 肉を煮る学問を俺に教えてくれ!」
周囲の客たちは一斉に振り返り、くすくすと笑い始めた。
料理人は眉をひそめた。
「博士? ここは学堂じゃなくて台所だぞ」
「違う! こここそが最高の学堂だ! 肉を柔らかくする火加減、香辛料の入れる順番、全部学問なんだ!」
愚楽は大真面目に叫んだ。
客たちは大笑いし、子どもたちは「博士!博士!」と囃したてる。
そこへユースフが駆け寄ってきた。
「愚楽! やめろ、また市場を騒がせて……」
「うるさいユースフ! お前の学問は星を読むだけだろ? 俺は肉を読むんだ!」
「肉を……読む?」
「そうだ! 鍋の湯気を見れば未来が分かる!」
そう言って愚楽は鍋の蓋を開け、湯気を深呼吸した。
「……うん! 未来は腹いっぱいだ!」
群衆はどっと笑い、料理人まで吹き出した。
「はははっ、面白い奴だ! よし、少しだけ手伝わせてやろう」
料理人は木杓子を渡した。
「ただし、焦がしたら叩き出すからな」
「任せとけ!」
愚楽は得意げに鍋をかき回した。しかし次の瞬間、杓子を振り回しすぎて汁が飛び散り、近くの客の服にかかってしまった。
「熱っ!」
「す、すまねえ!」
大慌てで謝る愚楽の姿に、またも爆笑が起きる。
ユースフは顔を覆った。
「なんという無茶苦茶を……」
だが料理人は笑いながら肩を叩いた。
「いいさ、笑いが取れたからな! お前は鍋より舞台向きだ!」
「いやいや、俺は本気で博士になるんだ!」
愚楽はなおも熱弁を振るった。
「料理は人を救う学問だ! 病人には柔らかい粥を、子どもには甘いナツメヤシを、戦士には肉を! 食えば皆、笑顔になる!」
その言葉に、群衆の笑いはやがて頷きに変わった。
「確かに……食は人を支える」
「こいつの言葉は馬鹿だが、真実でもあるな」
ユースフはため息をつきながらも、心の奥で何かを感じていた。
――愚かさの中に、人を和ませる力がある。学問の言葉では届かないものを、彼は笑いで伝えてしまうのだ。
結局、愚楽は弟子入りには失敗した。
だがその日から市場では、彼のことを「料理博士」と呼ぶ者が増えた。
「よし、次はザクロ博士だ!」
「それはただの果物売りだ!」
「いいや、果物を学ぶのも立派な学問だろ!」
愚楽の声に、再び市場は笑いに包まれた。




