表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
永遠の馬鹿  作者: 火浦マリ
イスラム黄金時代編
PR
33/93

料理博士、弟子入りを志す

 バグダードの市場スークは、朝から人々でごった返していた。


 香辛料の山は赤や黄の絨毯のように広がり、羊肉の串が煙を上げ、ナツメヤシやザクロが山と積まれている。蜜で照り輝く菓子は蜂の巣のように甘く、果汁酒の壺からは芳しい香りが漂った。




 その中で、ひときわ騒がしい男がいた。


「おい! ここの親父! 俺を弟子にしてくれ!」


 愚楽である。




 声をかけられたのは、羊肉の煮込みを大鍋でかき回している大柄な料理人だった。


「な、なんだお前は?」


「俺は愚楽! 料理博士を目指してるんだ! 肉を煮る学問を俺に教えてくれ!」


 周囲の客たちは一斉に振り返り、くすくすと笑い始めた。




 料理人は眉をひそめた。


「博士? ここは学堂じゃなくて台所だぞ」


「違う! こここそが最高の学堂だ! 肉を柔らかくする火加減、香辛料の入れる順番、全部学問なんだ!」


 愚楽は大真面目に叫んだ。




 客たちは大笑いし、子どもたちは「博士!博士!」と囃したてる。




 そこへユースフが駆け寄ってきた。


「愚楽! やめろ、また市場を騒がせて……」


「うるさいユースフ! お前の学問は星を読むだけだろ? 俺は肉を読むんだ!」


「肉を……読む?」


「そうだ! 鍋の湯気を見れば未来が分かる!」


 そう言って愚楽は鍋の蓋を開け、湯気を深呼吸した。


「……うん! 未来は腹いっぱいだ!」


 群衆はどっと笑い、料理人まで吹き出した。




「はははっ、面白い奴だ! よし、少しだけ手伝わせてやろう」


 料理人は木杓子を渡した。


「ただし、焦がしたら叩き出すからな」


「任せとけ!」




 愚楽は得意げに鍋をかき回した。しかし次の瞬間、杓子を振り回しすぎて汁が飛び散り、近くの客の服にかかってしまった。


「熱っ!」


「す、すまねえ!」


 大慌てで謝る愚楽の姿に、またも爆笑が起きる。




 ユースフは顔を覆った。


「なんという無茶苦茶を……」


 だが料理人は笑いながら肩を叩いた。


「いいさ、笑いが取れたからな! お前は鍋より舞台向きだ!」


「いやいや、俺は本気で博士になるんだ!」




 愚楽はなおも熱弁を振るった。


「料理は人を救う学問だ! 病人には柔らかい粥を、子どもには甘いナツメヤシを、戦士には肉を! 食えば皆、笑顔になる!」


 その言葉に、群衆の笑いはやがて頷きに変わった。


「確かに……食は人を支える」


「こいつの言葉は馬鹿だが、真実でもあるな」




 ユースフはため息をつきながらも、心の奥で何かを感じていた。


――愚かさの中に、人を和ませる力がある。学問の言葉では届かないものを、彼は笑いで伝えてしまうのだ。




 結局、愚楽は弟子入りには失敗した。


 だがその日から市場では、彼のことを「料理博士」と呼ぶ者が増えた。




「よし、次はザクロ博士だ!」


「それはただの果物売りだ!」


「いいや、果物を学ぶのも立派な学問だろ!」


 愚楽の声に、再び市場は笑いに包まれた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ