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永遠の馬鹿  作者: 火浦マリ
始皇帝編
3/53

御前の大失態


 咸陽宮に従者として迎えられた愚楽は、胸を躍らせていた。


「これからは腹いっぱい旨い飯にありつける!」


 それが彼にとって一番の期待だった。粗末な粟粥や雑草混じりの汁しか知らない彼にとって、宮廷の厨房から漂う香りは夢の国のように思えた。




 だが現実は甘くなかった。宮廷の従者の務めは厳格で、皇帝の傍に立つ以上、礼を欠けば即刻処罰。笑いを取るなどもってのほか――そう、誰もが思っていた。




 そんなある日の朝、始皇帝が御前で食事を取る場に、愚楽も従者として立ち会うことになった。


 長卓に置かれた御膳は、粟の飯、羊肉の煮込み、塩漬けの魚、果実と酒。どれも庶民からすれば決して口にできぬ贅沢である。




 湯気が立ちのぼり、香辛料の香りが鼻を刺す。愚楽の腹はぐうぐう鳴り、口の中に唾が溢れる。


「……うまそうだ……」


 気づけば声が漏れていた。




 御膳を皇帝の前に置いた瞬間、愚楽は思わず口走った。


「陛下、この肉、ちょっと味見しても……」




 広間は一瞬で凍りついた。廷臣たちは蒼白になり、武官は剣に手をかける。従者が皇帝の食事を口にするなど、本来なら即刻死罪である。




 始皇帝の視線が愚楽に突き刺さる。愚楽は慌てて手を引っ込め、代わりに自分の腹をさすった。


「じゃあ……匂いだけ、いただきます……」




 彼は鼻を突き出し、ずずずっと音を立てて大げさに香りを吸い込んだ。


 広間に滑稽な音が響き渡る。廷臣たちは唖然とし、怒声を上げかけた。




 しかし、始皇帝が先に吹き出した。


「ふはははは! 匂いだけか! なるほど、食わずとも笑いを供するとは!」




 帝の笑いが雷鳴のように広がり、空気は一変した。廷臣たちは慌てて口をつぐみ、額を床に擦りつける。




「よいか、愚楽。そなたは食うな。だが笑わせろ。それが余に仕えるお前の務めだ!」


「へ、へい! 俺は匂いで腹を満たし、笑いで陛下を満たします!」




 広間に再び笑いが走り、緊張はほぐれた。だが愚楽の腹は相変わらずぐうぐう鳴り続けていた。




 食事が終わり、御膳の余り物が下げられるとき、始皇帝はふと思い出したように言った。


「その余りを、愚楽に与えよ」




 廷臣たちが目を剥いた。だが帝はにやりと笑い、杯を掲げた。


「余の膳に手をつけるは許さん。だが余りを食うは許す。笑わせた褒美だ」




 愚楽はぱっと顔を輝かせ、残った肉や飯にかぶりついた。


「うめぇ! やっぱり匂いだけじゃ物足りねぇ!」




 その姿に、廷臣たちは呆れ返り、兵たちは肩を震わせて笑いを堪えた。始皇帝は大声で笑い、杯を飲み干した。




 こうして愚楽は、宮廷での最初の大失態を、逆に笑いとご馳走で締めくくった。


 彼が「笑いを供する従者」として本格的に宮廷に根を下ろすきっかけとなったのは、この日の出来事であった。



始皇帝編は全15話あります。

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