余韻と旅立ち
舞台で小蓮が息を引き取った夜、村は静まり返っていた。だが観客の胸には彼女の笑いが残り、祭りの余韻のようにいつまでも響いていた。
愚楽は楽屋の隅で、小さな娘を抱いていた。三歳の少女は母を失ったことを理解できず、不思議そうに愚楽の顔を見つめていた。
「母ちゃん、どこいったの?」
その問いに答える言葉を愚楽は持たなかった。ただ大きな手で娘の背を撫で、涙を隠すように笑った。
「母ちゃんは、みんなの心の中で笑ってるよ」
翌朝、一座の仲間たちが集まり、座長が口を開いた。
「小蓮は芸人として生き、母として去った。残されたこの子を、我らが育てよう」
仲間たちは深く頷いた。
「私が衣を縫ってあげる」
「俺が太鼓を教える」
「食べ物の心配はいらない、みんなで分け合おう」
彼らの言葉に、愚楽は胸が熱くなった。
娘は母によく似ていた。大きな黒い瞳で人をじっと見つめ、笑えば舞台を照らすような明るさがあった。
愚楽はしばらくの間、一座と共に彼女を見守った。小さな手で太鼓を叩こうとし、転んでは笑い、仲間たちの膝で眠る。
「この子は、大丈夫だな……」
愚楽はそう感じ始めていた。
だが、夜になると愚楽の胸はざわついた。
――俺は不老不死だ。
小蓮が「人の道を歩む」と決断したように、娘もまた人の道を歩むだろう。だが自分は永遠に変わらず、老いることも死ぬこともない。
共にいれば、やがて「なぜ」と問われる日が来る。小蓮の時と同じように。
ある夜、座長が焚き火の前で愚楽に声をかけた。
「お前は、そろそろ旅立つ気だな」
愚楽は驚いて目を丸くした。
「わかるか?」
「わかるさ。お前の目はいつも遠くを見ている。だが安心しろ。小蓮の子は我らが娘同然に育てる。芸も、人としての道も、きっと立派に」
仲間たちも頷いた。
「お前がいなくても、この子は笑って生きられるさ」
愚楽は黙って娘を見つめた。小さな寝顔は安らかで、時折夢の中で笑っているように口元を動かしていた。
「小蓮……お前の願い通りだ。子は人の中で育ち、笑いを忘れないだろう」
翌朝、愚楽は一座の仲間に深く頭を下げた。
「頼む。この子を……」
「心配するな、愚楽。お前はお前の道を行け」
座長が力強く答え、仲間たちは娘を抱き寄せた。
愚楽は娘の額に口づけした。
「また会おうな。お前が大人になっても、俺はこのまんまだ。驚くなよ」
娘は小さな声で「兄ちゃん、いかないで」と呟いたが、仲間の腕の中で眠りについた。
愚楽は背を向け、歩き出した。市場の喧噪も、舞台の笑い声も背中に遠ざかっていく。胸は痛んだが、それでも彼は歩いた。
「俺は……馬鹿で、不老で、どこにも落ち着けない。でも……」
振り返ると、舞台の前に灯籠が揺れ、仲間たちが子を抱いて立っていた。小さな手が振られているように見えた。
愚楽は涙を拭い、大声で笑った。
「はははっ! またどこかで会おう! 俺は馬鹿だから、必ず戻ってくる!」
笑い声は谷にこだまし、山々へと響いた。
こうして愚楽は小蓮の子を人々に託し、再び孤独な旅へと戻った。だが心には確かに残っていた。
――有限の命が残すもの。
――笑いが繋ぐもの。
愚楽の旅は終わらない。次の町で、次の世代で、また誰かと出会うために。
小蓮編完結です。




