西域での邂逅
秦の始皇帝を看取り、小蓮の笑いと涙の一生を見届けた愚楽は、それからも人の世を漂い続けた。
漢の世を渡り歩き、やがて三国の戦乱を目にし、魏も呉も蜀も消えていくのを眺めた。どこにいても愚楽は相変わらず馬鹿で、祭りや市で腹を空かせて笑いを拾って生きてきた。
耳で聞いた物語を真似して語り、異国の言葉を口にすれば、どこでも子どもたちが笑って果物をくれる。老いて死んでいく人々を何度も見送りながらも、自分だけは若いままで、ただ笑って飯を食い、また次の土地へと歩いた。
時代は変わり、隋が興って滅び、唐の太宗が天下を治める頃。シルクロードは再び活気を取り戻し、西域を往来する隊商の列は絶えなかった。
砂漠を越え、オアシスを結ぶ道は遠くインドへと繋がっていた。
その西域の荒野を、愚楽は腹を抱えて歩いていた。
「くそぅ、飯はどこだ……。ラクダは食えるのか? いや食うわけにはいかない、砂はまずいし……」
馬鹿なぼやきを口にしつつも、愚楽の目は生き生きとしていた。何度死線を越えても死なない身でありながら、やはり腹は減る。空腹と笑いが彼の永遠の友だった。
その時、前方に人影があった。
日差しの下、黒衣の僧が一人、砂に膝をついていた。頬はこけ、唇は乾いている。旅の途中で力尽きかけていたのだ。
愚楽は思わず駆け寄った。
「おいおい、大丈夫か? あんた、こんなとこで寝たら干し肉になっちまうぞ!」
僧は薄く目を開け、かすれ声で答えた。
「……私は玄奘。天竺へ経を求めに向かう者……」
「げん……ぞー? へぇ、変な名前だな」
「……げんじょう、だ」
「おお、そうか。悪い悪い!」
愚楽は自分の水筒を差し出した。僧は驚いたように彼を見た。
「お主……どこから来た?」
「さあなぁ。始皇帝さまのとこにいたこともあったし、小蓮って娘と旅芸人やったこともあった。気づいたら腹減って、ここまで来ちまった」
玄奘は唖然としたが、水を一口飲むとわずかに笑みを浮かべた。
「奇妙な……だが、救われた」
愚楽は僧を肩に担ぎ、近くのオアシスまで運んだ。そこは椰子の木陰と泉のある小さな村で、商人たちが休んでいた。
玄奘は礼を述べ、合掌した。
「恩人よ、名を聞かせてほしい」
「俺か? 愚楽ってんだ。愚かで楽しいって意味さ。始皇帝さまがつけてくれたあだ名で、俺も気に入ってるんだ」
「愚楽……なるほど」
玄奘は小さく頷いた。
数日後、玄奘の体力は戻った。
「私は経を求め、天竺へ向かわねばならぬ。命を賭けても行く価値がある」
「へぇ、経ってのは飯か? それなら俺も行く!」
「違う! 仏の教えを記した経典だ」
「え? 食えないの?」
「……食えはしない」
「なぁんだ。でもまあ、腹は減るけど、旅は好きだ。よし、ついてってやる!」
玄奘は呆れつつも、なぜか彼を拒めなかった。砂漠で救われた縁もある。
「勝手にするがよい。ただし、私の旅は苦しいぞ」
「へっ、苦しいのは慣れっこだ。腹が減っても、笑ってりゃなんとかなる!」
こうして、唐の高僧と不老不死の馬鹿は、思いも寄らぬ道連れとなった。
西域から天竺へ――真理と笑いを抱えた旅が、いま始まろうとしていた。




