沙丘の果て
前210年、東巡の帰途。
列は広大な砂地――沙丘の地に至った。真夏の熱気が砂を照り返し、空は霞み、行列を率いる兵たちの足取りは重かった。
御車の中で始皇帝は横たわり、咳に身を震わせていた。顔は青ざめ、声はかすれている。
「……胸が苦しい。歩を止めるな……余は、まだ……」
だが帝の気力も尽きかけていた。
愚楽は慌てて車に駆け寄り、へたり込むように傍らに座った。
「陛下、無理しない方がいいですよ。ほら、笑ってごらんなさい。笑うと胸が広がって、楽になりますから!」
始皇帝はかすかに笑い、目を閉じた。
「そなたは最後まで……馬鹿なことを申す」
夜、御車の幕の中。周囲には近臣すら遠ざけられ、ただ愚楽だけが呼ばれていた。
始皇帝は弱々しい声で囁いた。
「愚楽……余は天下を統べ、長城を築き、道路を繋げ、万世に残る事業を為した。だが……永遠は得られなんだ」
愚楽は頭を掻き、いつもの調子で答えた。
「ええ? そんなの簡単じゃないですか。永遠ってのは……飯を食って、笑って、また次の日も同じことをやることですよ」
始皇帝は目を細めた。
「……同じことの繰り返しが、永遠だと?」
「そうです! 腹いっぱい食べて、腹を抱えて笑って、眠ったらまた次の日が来る。それが続いていけば、永遠も同じじゃないですか」
しばし沈黙が落ちた。幕の外では風が砂を叩き、夜の虫の声が遠く響く。
やがて帝はかすかに笑みを浮かべた。
「……余は大いなる宮殿や道こそが永遠だと思っていた。だが、余が死ねば誰かが壊すかもしれぬ。だが、そなたの言う“笑い”と“飯”は……人の営みと共に続くのかもしれぬな」
愚楽は鼻を鳴らし、肩を揺すった。
「陛下だって、みんなが“笑った”とか“飯がうまかった”とか思い出すなら、それが残るんですよ。それこそが永遠です」
帝の目に光が宿った。
「……愚楽よ。馬鹿の言葉に、真理があったか……」
静かな時が流れた。帝は力なく天を仰ぎ、最後の息を吐き出す前に呟いた。
「永遠とは、笑いにあるのかもしれぬな……」
その言葉と共に、始皇帝は静かに目を閉じた。
愚楽はしばらく黙って見つめ、やがて大きく息を吸い込み、わざとらしく笑い声をあげた。
「はははっ! 陛下、最後まで立派に笑いましたね!」
涙が頬を伝っていたが、愚楽は止めなかった。笑いと涙はごちゃ混ぜになり、沙丘の風に吹き散らされた。
こうして始皇帝は歴史の舞台を去り、愚楽だけが取り残された。
だが彼の胸には確かに残っていた。
――永遠は、笑いと共にある。




