東海の果てに
大規模な東巡の行列が大地を覆っていた。数千の兵、百を超える車、方士や医師、工人まで連なり、塵煙が空を曇らせる。始皇帝は御車に座し、海辺を目指して進んでいた。
目的はただ一つ――仙人の住む蓬莱を探し出し、不老不死の薬を得ること。
方士たちは口々に「東海の彼方に神山あり」「仙人は霞を食む」と語り、帝をその気にさせていた。
海辺に到着すると、白い波が寄せ、海鳥が鳴き、水平線は霞んで見えた。
始皇帝は壇を築かせ、香を焚いて祈祷を命じた。方士たちが衣を翻して舞い、海に向かって拝礼する。
だが民や兵たちは疲れ果て、空気は重かった。誰もが「本当に仙人などいるのか」と心の内で呟いていた。
そのとき、愚楽が壇の端にちょこんと腰を下ろし、海を覗き込みながら言った。
「へぇー、あっちが蓬莱ってやつですか? 俺にはただの水の広がりにしか見えませんけど……」
兵士が慌てて制止する。
「愚楽! 無礼を言うな!」
「いやいや、本当に見えねぇんですよ。魚なら見えるんですけどねぇ」
そう言うや愚楽は、わざと袖をまくって釣り竿を構える真似をした。
「仙人じゃなくて魚ならすぐ釣れますよ! おーい、仙人さーん! 掛かったら引き上げますからねー!」
海に向かって大声で叫ぶ姿に、民たちは思わず吹き出した。
「仙人を釣るだと!」
「愚楽らしい!」
兵士たちは顔を覆ったが、始皇帝はじっと愚楽を見つめ、やがて肩を震わせて笑い出した。
「ふはははは! 仙人を釣るか! なるほど、余もいつか釣り上げてやりたいものよ!」
笑いが広がり、重苦しい空気は一気に和らいだ。方士たちは冷や汗をかきつつも何も言えなかった。
その後、始皇帝は海を眺めながら愚楽に問いかけた。
「なあ愚楽。余はこうして蓬莱を探しているが……もし仙薬が見つからなかったら、余はどうすべきか」
愚楽はぽりぽりと頭を掻いた。
「さあ……俺なら、飯食って昼寝しますけどね」
「昼寝、か」
「ええ! 昼寝すれば、永遠なんて考えなくても、目が覚めたらまた楽しいですから」
兵士たちは呆れたが、始皇帝は目を細めて海を見つめた。
「……なるほど。余は昼寝ができぬ性分ゆえ、永遠を欲しておるのかもしれぬな」
日が沈み、海は赤く染まった。
方士たちはなお「仙人は彼方にいる」と声を張り上げたが、愚楽はあくびをしながら海鳥を真似して鳴いた。
「カァー! 仙人なんかいないよー!」
その声にまた笑いが起こり、兵も民も肩の力を抜いた。
こうして始皇帝の東巡は一つの節目を迎えた。仙薬は見つからず、蓬莱も遠いままだったが、愚楽の笑いだけは確かに人々の心に残った。
その夜、始皇帝は帳の中で独り言をつぶやいた。
「笑う馬鹿は、永遠を手にしているのかもしれぬな……」




