最後の日
桜が咲くころ、アキラは何も言わずに姿を消した。
それは周囲に少なくない影響を与える。
しかも、テラとその御付きの黒猫までいなくなったとあっては、そこに重大な何かが起こっていると考えるのが当然だろう。
最初に異変を捉えていたのは西園寺蕚。
彼女はすぐに友人と連絡を取り、独自に情報を集め出す。
アキラに置いて行かれたチトと、虫を使って話をして、直前の会話で彼らが富士山に向かったことまでは掴めていた。
しかし、富士の樹海でニクスは見つけたが、その周囲にはアキラはおろかテラすらいなかった。
虫で見た視界では、黒猫は何もない岩壁の前で微動だにせず何かを待っているようだった。
おそらくここにヒントがある。
だがそれ以上のことは何もわからなかった。
アキラを愛する女性たちの中で、あらゆる憶測が走る。
もしや、テラと戦って相討ちにでもなったのかもしれない。
そんな最悪な事態が現実味を帯びていた。
その不安を打ち消すためにそれぞれが連絡を取り合い、アキラの家へ来られる者が終結した。
紫星雪乃、大和幸江、西園寺蕚、山岸心寧、水瀬裕子。
それぞれが不安そうな顔を浮かべている。
「……全員が揃うなど随分と久しいな」
雪乃が、真剣な顔をしてアキラ邸の前で皆の姿を確認する。
「そんなことより、なにか情報は無いのですか!?」
幸江が焦りを浮かべながら問う。
すでにあらゆる手を打ったのだろう。
それでもわからない現状に、その顔は焦燥を浮かべていた。
「チトが言うには、ふたりは直前まで喧嘩などしてはらへんかったようどす」
蕚は、チトから聞いた話を共有する。
あの日、アキラが珍しくテラと二人で出かけるというので、チトは遠慮してそれに付いて行かなかった。
そのせいで、彼女は二人の間で起きたことを知ることが出来なかったのだ。
そのことをチトは深く後悔していると虫を使って伝えてきた。
「実は、ここ最近マナの様子がおかしいの……何かの前触れのように自然たちが落ち付きをなくしちゃってる……」
心寧は不安そうにお腹を擦る。
そこには命が宿っていることを示す膨らみがあった。
「わたしも最近、近所で膨大な魔力の流れを感じた……天変地異でも起こったみたいな馬鹿げた量よ」
裕子が赤子を抱きながら、身近で起きた異変を伝えた。
その言葉に雪乃と幸江も頷く。
都内に住む彼女たちにはその異変を察知出来ていた。
皆が、確実に何かが起きた事を感じ取っている。
だがそれが何なのかがわかっていなかった。
「アマテラスは、出産が始まったらしく入院して連絡が取れなくなった……なぜか他の二人も同様にだ」
雪乃が、アキラの娘たちと連絡が取れないと口にする。
もうそうなると、頼りになるのは沙耶だけだった。
彼女に詳しい話を聞くためにここまで来たのだ。
「それでは、やはり沙耶さんに聞いてみましょう」
幸江がアキラ邸の呼び鈴を鳴らす。
すると、インターフォンから返答があった。
「どちらさまですか?」
聞き覚えのある沙耶の声。
「突然申し訳ありません……大和幸江です、沙耶さん少しよろしいでしょうか?」
「まあ!お久しぶりです!どうぞいらしてください!」
驚きと歓迎の声が聞こえ、門の鍵がオートで開く。
少し遅れて玄関の扉が開き、中から沙耶が顔を出した。
「あら?皆さま、お久しぶりです!」
そのお腹はいつ出産が始まってもおかしくないほど膨らんでいた。
沙耶は雪乃と蕚にも気付き、頭を下げる。
「お久しぶりです、突然お邪魔して申し訳ありません」
「ご無沙汰しておりますえ、急にお伺いしてほんまに失礼いたします」
二人も多少の緊張を浮かべながら頭を下げた。
「お連れ様はどなたでしょうか?」
視線の先には抱っこ紐で赤子を抱いた裕子と、お腹の膨らんだ心寧。
沙耶と二人には面識が無かった。
「私の友人です、今回は非常事態でしたので来てもらいました」
雪乃が二人を紹介する。
「山岸心寧です!ヨロシクです!」
「水瀬裕子よ……よろしく」
対照的な挨拶。
マナに素養がある心寧は沙耶を一目で気に入り、裕子はあまり好意的な反応を見せない。
「まあまあ!ようこそいらっしゃいました!外は暑いですから皆さま中に入って下さい!」
彼女たちを招き入れ、沙耶はもてなしを始める。
それを精華がフォローしていた。
「ここにもいるのね……」
裕子はアキラが造ったホムンクルスの精華を見て呟く。
「アキラさんは、私たち皆に一人ずつ与えて下さったみたいですね」
アキラは、自分がそばに居られないからと、彼女たちに出産育児のお手伝いとしてホムンクルスを送っていた。
十分すぎるほどの支度金と一緒に。
「ウチにいるのは精音ちゃん!とっても可愛いんだよ!」
心寧がスマホを撮りだし、画面を見せる。
そこには精音と呼ばれた、心寧に少し似ている白い髪の少女が無表情のままピースサインで映っていた。
「ウチのは精羽、一人暮らしだからホントにありがたいけどね」
裕子は、精華により目の前へ並べられていくお茶を眺めながら、感謝を口にした。
「それで皆さま、今日はどうされました?」
ニコニコとお腹を支えながら、沙耶が立ったまま声を掛けた。
「その、アキラさんと急に連絡が取れなくなりまして……沙耶さんならなにかご存じかと」
幸江は、これが最後の手掛かりだと悲痛な顔で沙耶に聞く。
彼女にとってアキラが急に消えることは、過去のトラウマを強く刺激する出来事だった。
「アキラ君でしたら、先週、ひと月ほどテラちゃんと出掛けてくるって言ってましたよ」
口元に指を当てて、アキラの言伝をそのまま伝える。
「「「テ、テラ……ちゃん……?」」」
三人娘が唖然とした顔で沙耶の言葉を呑み込めずにいた。
最恐の化物に対し、あまりにも不釣り合いな呼び名に困惑を隠せない。
「なら帰ってくるんだよな?」
テラのことをあまり知らない裕子が、沙耶の言葉に胸を撫でおろす。
「もー!アッキーったら心配かけるんだから!でもホッとしたよー」
心寧は胸の代わりに、膨らんでいるお腹を擦った。
「だいぶ大きいですね!何か月目ですか?」
妊婦仲間として、沙耶が心寧に話しかける。
「今は八ヵ月!結構動くんです!」
「わかります!かわいいですよね~!」
二人の間には、ほのぼのとしたやり取りが交わされていた。
「な、なんにせよ、アキラさんは無事なんですね!?」
アキラの無事を知り、幸江は大きく息を吐いた。
沙耶は、幸江がこの家を出てから久しく会っていなかったが、彼を師として深く慕う彼女の行動は理解できた。
元カノの雪乃と、アキラのことを好きだった蕚が心配することも。
確かに、アキラが家を長く空けることなど今までなかった。
ましてやテラと二人きりで長い間一緒に出掛けることも。
前日、寝る前にさらりと告げられたけど、起きてから夢かと思ったくらいだ。
「ええ、出産に立ち会えなくてゴメンって謝ってましたよ」
よほど大事な用事なのだろう。
だが、臨月の沙耶を放ってまで行わなければいけないことが、誰にも想像つかなかった。
「そういえば、お二人は初めましてですが、アキラ君のお友達ですか?」
沙耶が裕子と心寧に声を掛ける。
幸江たちに付きそう彼女たちもアキラの行方を気にしているようだった。
一人は赤ちゃんを抱っこして、一人は身重の状態で。
沙耶はそれを不思議に思ったのだろう。
「ワタシはアッキーの恋人だよ!というかここにいるみんなそうだよ!」
何もはばからず、明るく心寧が告げる。
「恋……人……?」
だが、それは沙耶にとっては予想外過ぎる言葉だった。
「そ……れは、いったいどのような……?」
戸惑い皆を見渡す沙耶。
そして、裕子が抱っこしている赤子に目が留まる。
「なら……その子は……」
沙耶の視線を受け止めて、裕子は答えた。
「ああ、アキラくんの子供だけど」
「ワタシのこの子もアッキーの子だよ!みんなの子供もそうだし、メイドさんの子供もアッキーの赤ちゃんでしょ?」
心寧が手を広げて雪乃たち三人へ向ける。
それはあまりにも非常識な事実だった。
「どういう……ことでしょうか?」
助けを求めるような沙耶の視線を受けて、幸江が目を反らした。
蕚は口を閉ざし表情を消している。
そして、ゆっくりと雪乃が口を開いた。
「実は……沙耶さんには黙っていたのだが……我々は去年、すでにアキラの子供を産んでいる」
それは、沙耶にとって心臓を素手で掴まれたような、逃げ場のない絶望の報せだった。
耳で聞いた瞬間は理解が追いつかなかったのだろう。
だが、もう一度その場に立つ女性たちの顔を見渡したとき、誰ひとり否定しない沈黙が、残酷な真実を告げていた。
沙耶の血の気は一瞬で引き、膝から力が抜け、まるで糸の切れた人形のようにその場へ崩れ落ちた。
涙すら出ない。
ただ世界が音を失い、自分だけが何も知らず取り残されたような、深い暗闇が胸を満たしていく。
この日を最後に、一条沙耶がこの家へ戻ることは、二度となかった——。




