恋をしたのは
沙耶とアキラが付き合うことになった。
リビングでそれを祝うパーティーが始まり、シャンパンも何本か開けられて、宴もたけなわになった頃。
「誓いのチューはせんのか?」
セクハラ丸出しのセリフを口にしたのは、甲羅を紅白に塗られた土星の使者、アーカイオス。
爬虫類特有の無機質な表情とは裏腹に、その声はいたく上機嫌だった。
「いいわねぇ!せっかくだからぁ、記念にその写真を撮りましょうよぉ!」
アストレアは、どこからか一眼レフカメラを取り出して構える。
酔っぱらっているのか、いつも以上にハイテンションだ。
「人前で、そんなことはいたしません!」
私は久しぶりにお酒を飲んで、頬が赤くなっていた。
とはいえ、理性を飛ばすほど酔っているわけではない。
付き合ってまだ数時間で、そんなことをしてはいけないだろう。
恋人として、段階をちゃんと踏んでいくのだ。
普段からアキラにもそう伝えていた。
「アンタたち、そんなこと強制しちゃダメじゃないの……二人のペースってのがあるでしょうよ」
ニクスが、物凄く真っ当な意見で二人を諫める。
彼女はいつも冷静で頼もしい。
「だから……ほっぺにチューくらいにしておきなさい!」
だが今は、その目は可笑しそうに細められている。
どうやら彼女も酔っているらしい。
「テラにもちゅーして欲しい!」
テラがジュースを置いて、こちらに頬を突き出す。
意外なことに彼女はお酒が苦手なようだ。
中学生のような外見から考えれば当然とも言えたが、普段まったく好き嫌いをしないので普通に飲むと思っていた。
「テラ様!その御役目は是非とも、このニクスめがいたします!」
ニクスが意気込んで唇を尖らすが、テラは首を振って私を指差す。
「サヤじゃなきゃヤダ!」
ニクスはその言葉にショックを受けて、涙を浮かべながらシャンパンボトルを呷った。
「サヤ……だめ?」
上目使いでそう言われちゃうと、ダメとは言えない。
元々断る気もなかったので、そのお願いを素直に受け入れた。
「いいですよ、ハイ!」
テラの頬にキスをした瞬間、フラッシュが焚かれ、皆が囃し立てる。
とても嬉しそうなテラの笑顔に、こちらまで嬉しくなった。
「じゃあ次は僕の番だね」
アキラが嬉しそうに微笑んで、頬を向けてきた。
一瞬の迷い。
だが、テラにはしてアキラにはしないのも悪い気がした。
「……もう、今日は特別ですよ」
少し緊張しながら彼の頬にキスをした。
再びフラッシュが焚かれて、先ほど以上に祝福の声が上がった。
お酒が回るのを感じながら顔を手で扇いでると、アキラが耳元へ口を寄せた。
「お返し」
そう言って、自然に頬へキスをされる。
「えっ……?」
心臓が大きく跳ねた。
アルコールが急激に回るのを感じるほどに。
目の前にはアキラの顔がある。
喜びを映す瞳。
そこにはハッキリと、私への熱い恋心が浮かんでいた。
私はこの時、初めてアキラを異性として認識したのだ。
そして同時に、そこへ映る彼の悲しみの深さを知った。
彼はいつも楽しそうに微笑んでいた。
それもきっと嘘ではない。
だけど、その心には膨大な悲しみが埋まっていたのだ。
きっとそれはアキラのものだけでは無いのだろう。
百万年の悲哀。
その重さはテラの孤絶を超えていた。
アキラが、恋心という慣れない感情を私に向けたからこそ気付いた綻び。
そこから見えたのは、今までずっと精神の奥底へしまってあったのであろうもの。
瞳に映る深遠な悲しみ。
そこに私は、恋をした。
アキラ本人ですら気付いていない、悲哀の結晶。
それを、この世で最も美しいと思ってしまったのだ。
同時に、この手で溶かしてあげたいという激しい想いも。
気付けば彼の瞳に魅入っていた。
息が掛かるほどの至近距離で。
もっと近くで見たい。
私の熱を届かせたい。
頭の中はそのことでいっぱいになってしまい、周りの状況すら見えていなかった。
「ちゅー……するの?」
羨ましそうなテラの声で、やっと自分の置かれている状況に気が付く。
私はアキラと、鼻先が触れ合う距離で見合っていた。
「えっ!?あっ!す、すみません……」
慌てて離れると、酔いが回ったのか足元がふらついた。
「大丈夫?沙耶さん」
咄嗟に支えてくれたアキラの腕。
それが想像以上に力強く、彼が大人の体になっていることにあらためて気付いた。
「す、少しだけ酔ってしまったようです!……部屋で休んでも良いでしょうか?」
アキラの腕の中から飛び出して、頭を下げる。
このままだと良くない気がした。
心臓の激しい鼓動が止まってくれないのだ。
「酔うの……危ない」
テラが本気で心配してくれる。
「大丈夫です!少し休んだら戻ってきます!」
水の入ったペットボトルを手に、少しふらつく足取りで部屋に戻った。
制服のままベッドに座って、とりあえず軽く水を飲む。
先ほどの衝動。
その余韻を流し込むように。
深く息を吐いて、胸に手を当てた。
少し落ち着いたが、それでも心臓は早鐘を鳴らしている。
頭の中には彼の瞳が浮かび続けていた。
呆然としながら座り込んでいると、急にノックの音が聞こえて思わず体が強張る。
「は、はい……」
「僕だけど、ちょっといいかな?」
良くはない。
この状況で二人きりは危険な気がした。
「アル茶持ってきたんだけど」
そうだ、あの魔法のお茶を飲めばきっと落ち着ける。
冷静になれば流されることもないだろう。
今は一刻も早く気持ちを落ち着けたかった。
「ありがとうございます!どうぞ!」
慌てて立ち上がったせいで目を回し、再びベッドに座り込んでしまう。
やはり無理に動くのは良くないようだ。
「お邪魔するね」
アキラが、ペットボトルを手に部屋へ入ってきた。
ベッドにいる私へゆっくりと近付き、心配そうにそれを差し出す。
「大丈夫?ちょっと酔っちゃったかな?」
手渡してくれたペットボトルはよく冷えていて、火照った顔に付けてしまいたかった。
「す、少し飲み過ぎたようです……」
アキラが近くにいることで再び動悸が早まってきた。
「そ、そういえば、聞いたことありませんでしたが、このアル茶ってどんな茶葉を使っているのですか?」
動揺を誤魔化すように、取り留めもないことを聞く。
とはいえ、前から少しだけ気になっていたのも本当だった。
この御茶は、季節ごとに味が少し変わっていた。
おそらく使う茶葉を変えているのだろう。
それでも癒しの効果は変らない。
飲むと心と体が回復する不思議なお茶だった。
「茶葉はその季節で手に入った一番茶を煎じているんだ」
やはり決まった茶葉ではないらしい。
「そうだったんですね、なんでこれには癒しの効果が付くのですか?」
普通に入れただけで魔法みたいな効果はでない。
なにか秘密があるのだろう。
「少しの魔力と特殊な素材を混ぜ込んでるんだ」
魔力はわかる。
いや、わかりはしないけど目にする機会も増えたから知っている。
だが特殊な素材と言われ、焦ってしまった。
アル茶は常に冷蔵庫へストックされていて、私は毎日飲んでいる。
朝昼晩と欠かさず飲み続けているが、いつのまにか補充されてあった。
特殊な素材が必要なら、私のせいでそれを物凄く減らしてしまっている。
「それは知りませんでした、迂闊に飲み過ぎてしまい申し訳ありません……」
手に持っていたペットボトルを返そうと差し出す。
「ああ、特殊って言っても別に無くなったりはしないんだ、だから遠慮しなくても大丈夫だよ」
アキラは手を振って受け取るのを拒んだ。
「そうなのですか?」
減らない素材ならば、言われた通り遠慮することもないと思えた。
ならばとりあえず、一口飲んで落ち着かせてもらおう。
「うん、僕の血を混ぜてるだけだから」
それを聞いて、キャップを開けようとして止めた。
「け、血液が混ざってたんですか!?これに……」
この一年で物凄い量を飲んでしまっていた。
それこそ体に染み込むくらいに。
「僕の体液には人の心身を回復させる効果があるんだ」
にこやかに告げられた衝撃の事実。
知ってしまったら流石に飲むのを躊躇ってしまう。
「全ての人類には僕の血が流れているから、飲むとなんだか懐かしくなるらしいよ」
一番初めに富士山で飲んだ時、確かにノスタルジックな気分になったのを覚えてる。
あれは私の遺伝子が、アキラの血液を喜んだ証拠だったらしい。
「魔力で色々調整してるし安全なものだから、いくら飲んでも健康に問題はないよ」
私の躊躇いを見て、アキラが安全を保障してくれた。
とはいえ素直に飲めるわけもなく、私の心は乱れたままだ。
「沙耶さん、ホントに良かったのかな?僕と付き合うの」
そこにあったのは申し訳なさ。
星導者たちに促された感が拭えないのだろう。
「え、ええ……大丈夫です」
先ほどまでは勢いに流された感があったが、今は本気で恋をしていた。
「なら良かった、僕は沙耶さんが大好きだから嬉しいよ」
アキラは自然と隣に座り、嬉しそうに微笑む。
だが、私は隣を向けない。
再び彼の瞳を見てしまったら、もう引き返せなくなってしまうから。
「あの……つかぬことをお伺いしますが」
もう一度、アキラの瞳を覗く前にハッキリさせたいことがあった。
それを知らなければ進んではいけない気がした。
「アキラ君は、そこにいますか?」
それは、一年前からずっと気になっていた問い。
「……いるよ」
使命によって消されてしまった一条アキラの存在。
「なら、アキラ君のような子供は……何人いますか?」
そして、過去にも同じように消されてしまったであろう子供たちの意識。
「三万二千五百十二人だよ」
私が感じたのは彼らの悲しみ。
アキラの話では、体が成長すると人類神アルに目覚めるらしい。
なら、目覚める前の人格は?生活は?家族はどうなる?
きっと大いなる使命のために、それらを全て捨て去ってきたのだろう。
確かにアキラは目覚める前とあまり変わらない。
記憶も残っている。
だけど、生活は変ってしまったし、生き方も以前の彼と一緒ではない。
そこには変化が生まれていた。
アキラは、『一条アキラ』をあっさりと捨てた。
なら捨てられた一条アキラはどこへいったのだろう?
それこそが、彼の瞳に映った悲しみだった。
彼は、彼らは確かにアキラの中にいるのだ。
顧みられることもなく、ただ静かに沈んでいる。
人としての人生を謳歌せず、使命のために生き続けた人類神。
彼は私から見れば被害者だ。
太陽の意思とやらを勝手に押し付けられて、終いには太陽に成れと言われていた。
さらにその人類神も、三万人を超える人間へ転生を続け、使命を押し付けてきた。
彼の瞳の中に、人生を奪われた子供たちの悲しみが宿っているのがその証拠だ。
人の残滓として溜めこまれていた深遠な悲哀。
私はそれを放っては置けない。
だから覚悟を持って瞳を覗く。
その悲しみへ寄り添うために。
「沙耶さんは、どうしてそんなに悲しげな瞳をしてるの?」
アキラが、瞳の中を探る私の視線をじっと受け止める。
「私が……アキラ君を見つけられてないからよ」
きっといるはずだ。
人類神の中に、一条アキラの悲しみが。
「僕がアキラだよ、沙耶さんのよく知るアキラだ」
「いいえ、私はアキラ君をよく知らない、だから探してるの」
私は昔、一条アキラに近付かなかった。
彼に悲しみを感じなかったから。
ただ遠目から、凄いなと眺めていただけ。
私は昔から、一条アキラに寄り添っていない。
だからこそ、今から私は彼に寄り添う。
人類神アルではなく、私が恋をした、人間の彼に——。




