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ナキ・ムシ

 私は子供の頃から泣き虫だった。


 悲しくて泣いて、驚いて泣いて、嬉しくて泣いて、眠くて泣いた。

 

 『沙耶、そんなに泣いていたら瞳が溶けちゃうわよ』


 母の言葉に恐怖してまた泣く。

 

 『泣きぼくろのせいかしらね』


 母が呆れたようによく言っていた。


 箱を開けたばかりのティッシュを上手に取らなかっただけで泣いた時は、あまりの繊細さにみんなから笑われた。

 その笑い声に情けなくなり、また泣いてしまう。

 

 だから、人が泣くのも嫌だった。

 釣られて泣いてしまうから。


 弟と妹がいるが、二人を泣かせないためにいつも一生懸命世話をした。


 二人の内の片方でも泣いてしまうと、私も泣けてしまうからだ。

 するともう片方も泣いてしまう。

 

 そして私だけが怒られた。


 『いつまでも泣いてないで、お姉ちゃんなんだから強くなりなさい』


 親としての当たり前の言葉は、私にとって物凄く難しい課題だった。

 なにせ我慢しても涙は勝手に出てくるのだから。


 そのせいか、人の悲しむ気配へ敏感になった。

 出来るだけ、相手が泣く前になんとか出来ないかと考える癖が付いた。


 人を悲しませたくない。

 本当に、ただそれだけの人間。

 

 だからこそ、私は神童と呼ばれていた一条アキラに惹かれなかった。

 彼は悲しみをまるで持っていなかったのだ。

 

 一条家は親戚の多い一族なので、大人たちの集まりの際には必然的に多くの子供も集められる。

 その中で、途方もない魅力を持つアキラに誰もが憧れ、彼の周りには常に人が集まっていた。


 そこに私は必要ないと思った。

 彼の周りには悲しむ子供はいないのだ。


 だから、彼の輪から外れている子供たちと一緒にいた。

 そこには悲しみが浮かんでいたから。


 一族の中で落ちこぼれた者、人に馴染めない者、アキラの光が眩し過ぎて近寄れない者。

 彼らの世話を進んでした。


 そうしないと、そこから悲しみが広がってしまうから。



 沙耶は学生のころ、アキラから聞いた話で将来を決めた。

 彼が周囲の人間に将来やりたいことを聞かれ、子供を救う事業を起こしたいと答えたからだ。


 一条アキラは人を導く光だろう。

 だが、光のそばには影が生まれる。


 なら、自分が少しでもその陰に寄り添えたら良いと思った。

 泣いている人を見たくないという、とても自分勝手な理由で。


 それが子供なら尚更だ。


 しかし、アキラが病気になってしまった。

 そこには苦痛と悲しみが渦巻いていた。


 彼だけではない、その家族や彼を慕っている人たちにも悲みが広がっていた。


 その悲しみを無くすためなら、自分の持ち得る全てを捧げようと思った。

 なにより、あの素晴らしい光が消えてしまうのは悲し過ぎるから。


 

 そして私の二年間に渡る介護生活が始まる。

 基本的には経管栄養による食事の補給と、気道管理や床ずれ防止の体位変換が主な仕事だった。

 他にも血塗れになるシーツや服の交換、糞尿の処理、傷口の消毒など、やることは多岐に渡った。


 代わりのいないワンオペ作業だったので、二時間ごとに様子を確認する日々は心身が酷く削られた。

 まとまった睡眠が取れない状況。

 その上、寝たとしてもアキラの叫び声で起こされる。


 目の下には隈が張り付き、常に体が不調を訴えていた。

 それでも頑張れていたのは、彼がいつか治ると信じていたから。


 彼の残った片方の瞳に、ほんの少しの光が見えていたからだ。


 二人きり、お互いを(ヤスリ)で削り合うような日々の中。

 アキラとは感情のみで会話をしていた。

 叫び声と呻き声しか発せない彼に寄り添うには、それしかなかったのだ。


 アキラが発する苦痛以外の微弱な感情へ集中し、悲しみや寂しさを感じた時は、どんな状態でも躊躇わず抱きしめた。

 人の体温を伝え、悲しみを包むために。


 絶対に彼を引き戻して見せる。

 それだけを胸に生きていた。


 そのためだけに人生を使ってもいいと思った。

 アキラの悲しみは、世界中の悲しみを引き起こす気がしていたからだ。


 彼を笑顔に戻せたら、きっと世界にある多くの悲しみが無くなる。

 それを確信していて、それこそが自分の望みだった。


 だから全部自分のため。

 自分が泣きたくないからやっているだけ。


 あまりにも自己中心的な行為だった。


 

 アキラが目覚めた時は、心から嬉しかった。

 報われたことよりも、彼が悲しみを宿していないことに。


 だからこそ、彼が富士の樹海に行くと言い出した時は胸が締め付けられた。

 

 その時浮かべていた感情は、虚しさだったから。

 まるで、逃れられない運命を辿らなければいけないという悲しみ。


 だから同伴を申し出た。

 アキラを死なせないために、命を懸けてでも引き止めるつもりだった。


 結局それは誤解だったのだが、その日、ひとりの少女と出会った。


 彼女の名はテラ。

 とても不思議な女の子だった。


 初めて目を合わせた時、私は失禁して気を失いかけた。

 生まれて初めて死を間近に感じたのだ。


 その恐怖はとても辛い経験で、トラウマになるほど心に刻み込まれた。

 だけど、アキラが飲ませてくれた不思議なお茶で、心と体が持ち直す。

 冷静になった後、彼女から伝わってきたのは、私に対する申し訳なさと、膨大な悲しみだった。


 それは過去に感じたことのないほどに、絶望的な嘆き。

 だから私は家に帰ると必死に料理をした。

 彼女は、食事をしている時だけは悲しみを出さないから。


 あの日から、彼女の悲しみに寄り添うことが私の日課になった。


 アキラはもう大丈夫だ。

 昔の光を取り戻して、あの輝くような笑みを見せている。


 なら、私の役目は、この少女に染み付いている悲哀をゆっくりと剥がしていけたら良い。


 彼女のためではない。

 

 彼女を見る私が悲しくならないように。

 ただ、そのために全力を尽くそう。


 私は今でも、泣き虫のままなのだから——。

 

 

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