やっぱり猫が好き
アキラはプロポーズのために、真心を意識し、恋心を覚え、年齢を変えた。
全ての準備を終えて、後は沙耶に告げるだけとなった。
人類の未来は、神の一言に懸かっていた。
真夜中、家のリビングでソファーに座り、再びプロポーズの言葉を考えているアキラ。
だが以前とは違い、そこに悩む素振りは見えなかった。
「うん、やっぱり真心が大事だな」
組んでいた腕を解き、髪を掻き上げる。
「いい言葉でも浮かんだの?」
黒猫が、嬉しそうにアキラへ声を掛ける。
先ほどアキラが帰宅した時に、プロポーズのための準備が整ったと聞かされていた。
後はそれを言葉にまとめるだけだとも。
黒猫は、主人であるテラの『沙耶の母乳を飲む』という望みを叶えることを、心から待ち望んでいた。
「実は僕、沙耶さんに恋をしてたんだ、だから真心を持って当たってみることにしたよ」
「へー、やっと気付いたのね」
「うん、そして沙耶さん以外にも恋心を持ってる相手がいたよ」
「アンタがねぇ、意外だわ」
黒猫が目を丸くする。
基本的に人類神は感情が薄い。
表面的には出てるように見えても、それが長続きしないのだ。
「雪乃が教えてくれたんだ、恋の感覚を」
なるほど。
その感覚を過去の感情に当てはめて気付けたのか。
「僕の初恋は、ニクス……お前だったよ」
聞いてから、数秒経っても理解できない言葉だった。
「僕はきっと、オマエが困っていたら望まれなくても助けに行くし、この世からいなくなったら辛いよ」
数千年に及ぶ長い付き合いの中で、敵として出会ったふたり。
だが、数奇な運命を辿り、友人として長くそばで過ごした。
「あの時、キリマンジェロで僕をソーマまで命を懸けて運んでくれたろ?」
それは、彼と和解する切っ掛けになった出来事。
お互い瀕死の状態で、アルを口に咥え、吹雪の山を登った記憶。
「あの時から、僕はオマエのことが好きになってたみたい」
微笑みながら、こちらを見る瞳には親愛の情が映っている。
「あ、そう……」
反応に困った。
正直、アルに対して信頼や友情のような物は持っている。
だが、それは確実に恋とは違う。
そもそもネコの女神であるニクスにとって、自身の恋愛対象が人では無い。
発情期になり少しムラムラした時などは、クールな黒豹や、雄々しい虎を誘って済ませている。
そのため、急に恋愛感情を向けられても、困惑するしかなかった。
「だから子供産んでくれる?」
「馬鹿なの!?嫌よ!」
主人の為ならいざ知らず、なんで意味もなく人間の子を孕まなければならないのだ。
「そもそも、私は人の子供を妊娠出来ないわよ、遺伝子を弄らないと」
それはかなりの痛みとリスクを背負う行為。
テラの望みでもなければ、絶対にやりたくなかった。
「そっか、残念だよ」
そう言うと、大して残念そうな顔をしないで髪を掻き上げた。
「テラも……アルの子供……産めないの?」
不意に主人の声が聞こえた。
どうやら、私たちの話を聞いていたらしい。
実は、さっきからソファーで携帯ゲームをしながら寝そべっていたのだ。
だが、まさかこちらの会話を聞いているとは思わなかった。
「今のままだと無理じゃないか?今度生まれ変わる時に、地球へお願いしてみろよ」
それは確かに重要なことだ。
将来的に、テラはアルと子供を作る事が決まっていた。
ならば、いつかはその準備をしなければならない。
「テラの遺伝子……アルは変えられないの?」
「無理だと思うぞ、オマエのは唯一性が高すぎるし、出来たとしても時間が掛かりすぎる」
遺伝子レベルの肉体改造は激しい苦痛を伴う。
テラがそれを受けて、大人しく耐えているとは思えなかった。
きっと痛みにキレて、暴走するだろう。
「そう……」
テラは少し考える素振りをして、納得したようにゲームへ戻っていった。
何か変なことを考えていなければいいのだが。
主人の思考はかなり突飛なので、不意にとんでもないことを言い出す。
地球の頂点なのだから仕方がないが、叶えるのが難しい願いも多々あった。
基本的に食事関係だったが。
「チトはアルと子供作ってもいい」
アキラの胸ポケットから這い出てきた白いネズミが、平坦な声で訴えた。
「嬉しいけど、チトの体じゃ小さすぎて無理だね、人間にもなれないし」
木星の使徒であるチトは、西園寺蕚と切り離された後、すぐにネズミの姿に転生し戻ってきた。
どうやら転生のコツは掴んだらしい。
「アルはチトに恋をしてるか?」
アキラの肩に乗って耳元で囁く。
「もちろんさ、僕はチトが大好きだよ」
「チトも大好き」
一生ふたりでやっていて欲しい。
愛おしげに頬ずりしながらイチャついている二匹を見ながら、溜息を吐く。
「ワタクシもぉ!産んで差し上げてもぉ!良くってよぉ!」
水槽から魚が飛び出し、金髪の美しい女性へと変化した。
「断る、僕はオマエに興味がない」
だが、その申し出をアキラは一言で切り捨てる。
「ヒドいぃぃ!恩を売って開放してもらおうと思っただけなのにぃぃ!」
夜中だというのに、アストレアが喚く。
「そもそもオマエ、産卵式だろ?」
その声に、心底鬱陶しい顔をしながらアキラが聞いた。
「ですからぁ、アル様のためにここで卵を産むのでぇ、そこにぶっかけてもらえばぁ、二人の愛の結晶ができますぅ」
アストレアはそれを気にもせず、わざとらしく顔を染めて床を指差す。
「絶対やめろ、床が魚臭くなるだろ」
「ヒドいぃぃ!乙女の純情の価値ぃ!」
本当に騒がしいことこの上ない。
この騒ぎで起こしてしまったのか、二階から沙耶が下りてくる気配がした。
「みなさま、どうされました?」
寝間着のまま、心配そうにリビングの扉を開けてこちらを伺う。
「女神ぃ!アル様がヒドイんですぅ!叱ってくださいぃ!」
濁々と目から海水を垂れ流して沙耶へ抱き着くアストレア。
「あらあら、大丈夫ですか?何があったのですか?」
金色の髪を撫でながら自然にあやす姿をみて、アキラが怒りを見せる。
「オマエ卑怯だぞ!毎回沙耶さんへ助けを求めやがって!」
最近アストレアは、何かあるとすぐに沙耶へ甘える癖がついていた。
ただ、それも無理はない。
彼女こそアルとテラという地球最強に対抗し得る存在。
唯一、二人が頭の上がらない相手だった。
でも、それだけではない。
不思議なのだが、沙耶のそばにいると何となく安心するのだ。
ほっとするというか、自分が本当に猫になった錯覚が起きる。
百万年も使命に生きていると、自分が何者かわからなくなっていた。
猫なのか、黒豹なのか、動物なのか、神なのか。
テラの僕。
そのアイデンティティーだけを頼りに生きている憐れな生き物。
そんな自分が、沙耶の前でだけは何故か自然体でいられた。
気付くと彼女の膝で眠ってしまう。
アル以外の人間に触れられるなんて、絶対に許すことはなかったのに。
おそらく、他の使徒も似たような感覚を彼女に対し覚えている。
女とみれば見境の無いルカリオンですら、沙耶に対してだけは性欲をぶつけない。
それはあまりにも特異な能力。
普通の人間には持ち得ない力。
その正体がわからない。
だが、害がないので皆が気にしていなかった。
そして、それは私も同じ。
ただ日々を緩やかに過ごし、安寧を享受していた。
しかし、アルがこれから行うプロポーズによってそれは崩壊する。
結果、私は自らの愚かさを知ることとなり、主人の命を奪う手助けをしてしまう。
私にとって最悪な事態が起きる兆候は、すでにあったというのに。
その時の私は何ひとつ気付かぬまま、目の前のやり取りをのんきに眺めていた——。




