神の扉は、彼女によって開かれる
アキラは、幸江の実家を後にすると、雪乃の住むマンションに来ていた。
彼女は綾乃の所有する住居に、アキラが造ったホムンクルスと二人で暮らしている。
ここに来たのは、出産間近となった雪乃の見舞いも兼ねて、なにか助言を貰えるのではないかと思ったからだ。
「具合どう?」
ソファーで隣に座るアキラが、心配そうに雪乃を見つめる。
「貴様の外見に驚き過ぎて、少し腹が張っただけだ……」
私は、ひと月ぶりのアキラとの面会に、喜びよりも衝撃を受けていた。
「ちょっと大人になろうと思ったんだ」
「ちょっと?……玉手箱を軽く開けたのかと思ったぞ」
どうみても成人男性になっている。
妊娠した自分よりも変化してるとは思いもしなかった。
まったく、いつも驚かせてくれる。
それは初めて出会った時からずっと変わらない。
驚かされた記憶の数々が思い出され、小さく笑いが漏れた。
「玉手箱って『水江浦嶋子』の話かな?」
「それは元ネタのほうだが……まあ、そうだ」
「そういえば、考えてみたら今回の試練は『竹取物語』みたいだ」
「何の話だ?」
「今、沙耶さんと結婚するために三つのものを探しているんだけど、とても困難でね」
そうか、アキラは沙耶と結婚したいのか。
それに対しては以前聞いていたので、いまさら思うことはない。
だが、三つのものを捧げものというのは初耳だった。
アキラが困難というほどだ。
よほどのものに違いない。
「ひとつは持っていて、残るは恋心と年齢なんだ」
確かに困難だ。
言っている意味すらわからないのだから。
「年齢はともかく、恋心というのはどういう意味だ?」
外見を大人にするほどだ。
年を取らなけれぼいけない事情は汲めた。
「僕は、好きになった人を怖いなんて思ったことがない、つまり恋心がわからないんだ」
確かに、私が知る限りアキラは恋をしたことがなかった。
家族を失う悲しみは覚えても、誰かを真剣に欲しいと願った記憶はない。
相手が心から拒否すれば、絶対に無理強いはしないだろう。
「恋心がわからないと困るのか?」
アキラが結婚にこだわるとは思えなかった。
出来ないならそれで良いと受け入れるだろう。
それに、百万年生きて一度も恋をしたことが無いのだ。
今更、恋を知るのは不可能に思えた。
「沙耶さんにプロポーズが出来ない、そのせいで人類が滅ぶ」
だが、どうやら不可能を可能にしなければならないようだ。
「……ならば私も全力で助けになろう」
アルを一番長く見てきた自分にしか出来ないことが、必ずあるはずだ。
「ありがとう、雪乃が助けてくれるなら心強いよ」
恋心を彼に教える。
それは、自分が抱えている気持ちを彼に伝えればいい。
「まず、私はアキラが好きだ」
「僕も雪乃のことが好きだよ」
ニコニコと慣れない顔で返されてしまい、思わず赤面する。
「違う!……いや違くは無いのだが、愛情だけではなく気持ちの問題だ」
「そうなの?」
「ああ、私は恋によってアキラを独り占めしたくて、どうしようもなくなった」
まだ、彼の過去を知る前。
母に嫉妬して、アキラの彼女たちに嫉妬をした。
「恋心に縛られて、身動きが取れなくなったんだ」
「恋心って縛るの?」
「ああ、時に自分の意思すら出せなくなるほどにな」
「そっか、大変なんだね」
あの時、私は確かにアキラへ恋をしていた。
だが今は、愛の方が強い。
「アキラが恋を知るには、人類への愛を上回るほどの恋心を抱く必要がある」
そうでなければ気付けない。
「もしくは太陽の使命すら忘れるほど、相手へ夢中になるか」
刻まれた使命を凌駕するほどの気持ち。
それこそが恋ゆえの盲目さだろう。
「どっちも難しいね、雪乃は僕にそれだけの気持ちを抱いてくれたの?」
「ああ、世界の全てを敵に回しても、アキラが欲しかったよ」
当時、自分にとっての全てである母にすら逆らった。
あの時、アキラさえいれば、他に何もいらないと本気で思えた。
「やっぱり僕には難しそうだね」
彼が持つ、深く広く果てしなく大きな愛。
人はそれに包まれて進化してきた。
彼にとっては全人類が我が子なのだ。
それを見捨てるほどの気持ちなんて、抱けるはずがない。
だが、このままでは人類が滅んでしまう。
人類神が告げたのだから、冗談ではないのだろう。
何かアキラに恋心を理解させ、それを抱かせる方法はないのか?
それを必死に考え続ける。
アキラは自分から異性を求めたとしても、そこには人を増やすという使命があり、恋という感情は伴わない。
思い返せば、彼は使命の奴隷だった。
自分の意思を失くし、ただひたすら太陽に与えられた役目を果たす人生を送った。
気の遠くなるほどの時を刻み。
機械のように感情を失くしていた。
だけど、ある時それを放棄する。
人類の進歩を感じて、人に使命を託した。
アルの意識はあの時、確かに使命から解放された。
それは彼が自分の人生を生き始めたという変節。
太陽の使命という呪いは、彼の愛する人類が、その進化によって解いたのだ。
アキラはもう使命にあまり縛られてはいない。
その証拠に、太陽からの使命を勝手に変えたのだから。
「そういえば、アキラは沙耶さんのために、自らの使命を曲げる形で叶えると言ったな」
思い出したのは、沙耶を泣かせないと声を上げた姿。
「あの時、沙耶さんを泣かせたくないと思ったのはなぜだ?」
いくら使命の縛りが薄れたとはいえ、完全に失われたわけではないだろう。
人が叶えると信じたからこそ、三つの使命を託したのだ。
太陽になるという本当の使命は、再び刻まれていたはず。
本来ならば、自身が太陽になるという決められた使命を全うしたはずだ。
それなのに、アキラは確実性の無い方法を模索し始めた。
——沙耶の言葉で。
「沙耶さんを泣かせたくなかったんだ、とてもお世話になってるし」
『世話になっている』
本当にそれだけで、人類の命運すら掛かった使命を曲げるだろうか?
アキラは自分で気付けないだけで、沙耶へ特別な気持ちを持っているのではないか?
「……アキラは、沙耶さんにどんな印象を持っている?」
ならば、意識させればいい。
「沙耶さんの印象?そうだね、おっぱいが大きくてお尻がどっしりしてるね」
「真面目に考えろ!」
「え?僕は真面目だよ、大切なことだもの」
そうだ、過去の記憶を見た私は知っていたではないか。
アキラが女性を見る基準は、丈夫な子供を産めるかどうかだった。
胸が大きく乳をあげやすいのは大切なこと。
骨盤が安産型でしっかりしていることも。
「……そうだな、すまない……他には?」
「優しいね」
それはよくわかる。
初対面の時から優しくしてくれた。
身に纏う雰囲気が常に柔らかい。
あの人に厳しい幸江が、手放しでその人柄を褒めるのが何よりの証拠だろう。
いけずを信条としている蕚も、沙耶の前ではいじわるを言わず、借りてきた猫のように大人しい。
「あと、すごく心が強いんだ」
それも納得出来た。
沙耶は、あのテラに対して物怖じしない。
そして、他の使徒へも気軽に接していた。
普通の神経ではない。
彼らは、神の力を持つ存在だ。
機嫌ひとつ損ねるだけで、命を落とす可能性すらある。
そこには、どうしたって緊張感が生まれるだろう。
現に、幸江と蕚も妊娠後、テラの影響を恐れてアキラの家を出た。
私も、もしテラと共に暮らすとなれば、まともな神経ではいられないだろう。
胎児に悪いというアキラの言葉も頷ける。
そんな場所で、何も気にせず働けるものだろうか?
「僕に色々なことを教えてくれるし、僕を守ってもくれる」
感謝を告げるアキラの瞳は、深い愛情を湛えている。
しかし、そこに恋の色は見えない。
「それに沙耶さんは、使徒に対しての特殊な異能を持ってるんだ」
嬉しそうな顔で、胸の部分に手を当てた。
「どんな能力だ?確かに癒しの力くらいなら、持っていてもおかしくなさそうだが」
沙耶の戦闘力は皆無に等しい。
魔力や気も感じない。
実に普通の女性だろう。
だが、確かに不思議な人物だ。
特殊な能力くらい持っていてもおかしくなかった。
「みんな、沙耶さんといると、なんだか眠くなるんだってさ」
睡眠誘導の力か?
「テラは、沙耶さんといると、お腹があんまり減らないって言ってた」
化け物の飢餓感を薄める異能?
「僕は、沙耶さんを見ていると、たまに落ち着かない気分へなるんだ」
見ている者の落ち着きをなくす能力?
確かに不思議な異能だ。
だが、あまりに統一感がない。
九星の使徒のみに効く呪いの類だろうか。
とはいえ、テラやアキラに普通の呪いが効くわけない。
それこそヒルコ級の呪力が必要になるだろう。
ならば、動物の魂の力『オド』による意識操作か、自然物の魂の力『マナ』による幻覚だろうか?
「沙耶さんは、オドかマナを操れるのか?」
「オドは無理だと思うよ、マナには物凄く好かれてるけど、操れないし本人に自覚は無いみたい」
ならば、やはりマナを無意識に使っているのかも知れない。
「アキラは、どんな感じに落ち着かなくなるのだ?」
「そうだね、心臓の鼓動が早くなったり、ちょっと胸が苦しくなったり、なんだか泣きそうになったりするかな」
ずいぶんと複雑な症状だ。
だが、それを私はよく知っていた。
「……ちなみに、それは最近いつ起こった?」
「確か、ニクスから沙耶さんはそのうち悪い男と結婚するって言われた時かな」
アキラは、あまり思い出したくないというように眉を寄せた。
「……他にはいつ感じる?」
「沙耶さんが僕を心配してくれたり、僕を助けてくれたりすると感じるよ」
今度は嬉しそうな表情で、何度もなぞったであろう記憶を思い返している。
「……もし、沙耶さんが、暴力を振るわれて、無理矢理子供を孕まされたらどう思う?」
「それ、ニクスも言ってたけど、人のする行為だから仕方ないと思うよ」
人類神としての目線。
それは人の営みを全て許容する。
「ならば、もし沙耶が人間じゃなかったら?」
想像して欲しい。
「もし、沙耶が九星の使徒だったら?」
アキラの保護下にいなかったら。
「もし、対等な生き物だったら?」
人類として捉えなかったら?
「アキラは彼女が苦しんでいる時……どうする?」
考えてみれば、アキラは九星の使徒に対しては人としての普通の人間らしい感情や対応を見せる。
テラに嫌悪感は勿論のこと、ニクスやチトには友愛を、アストラヴィアやアストレアには無遠慮な態度で接していた。
つまり、親愛の度合いを変えている。
それは個を見ているということ。
それはおそらく、彼らが自分に並び立っているからだろう。
庇護する使命もなく、守る必要もない相手だからだ。
そして、沙耶は強さが無くてもアキラと同じ目線で立っている。
彼を普通の世界に連れて行った女性だ。
アキラにとって、ある意味、九星の使徒達と同じ存在なのだ。
だからアキラは、沙耶を人類としてではなく、彼女自身を見て、そこに感情を抱いている。
それを、人類への大きな愛で覆い隠しているだけに思えた。
「沙耶さんが、使徒だったら、か……」
アキラはそう呟いて、自分の胸を強く握った。
「……助けに……いく……かな?」
自信が無さそうに口にした言葉。
それは初めて見るアキラの姿だった。
「なんでだ?向こうは望んでいなくてもか?」
おそらく考えたことがなかったのだろう。
自分と同じ位置に人が立っているという意味を。
「……うん……もし沙耶さんが、人じゃなかったら……僕は望まれなくても彼女を救いに行く」
苦しそうに胸を抑え、絞り出すように声を出した。
それは使命を無視し、人類への愛情も打ち消し、人の進化すら望まない言葉。
ただ、好きな相手を救いに行きたいと願う気持ち。
「いいかアキラ、その人の気持ちを考えない我儘さが……恋心なんだ」
相手の状況なんて無視して、自分の気持ちだけを押し付ける。
そんな醜い感情。
だけど、人が持つ最大のエネルギー源。
私は、恋で人生を変えた。
彼に恋をして、新たな扉を開いたのだから。
「アキラはすでに持っていたんだ、気付いていなかっただけで」
「これが……恋心なんだ……」
アキラは呆然としながら、その透明な瞳を揺らした。
「ああ、だから安心してプロポーズしてこい!」
私は隣に座るアキラの手を、強く握りしめた。
彼のプロポーズが上手くいくようにと、願いを込めて。
「ありがとう雪乃、やっぱり頼りになるね」
優しく握り返す手は熱を孕んでいる。
おそらく人類を救える希望に燃えているのだろう。
「でもさ、雪乃」
私の瞳を見つめながら言葉を続ける。
「これが恋心だって言うなら……」
そこには、いつもと違う色が映る。
「僕は、雪乃にもそれを抱いているよ」
息が止まった。
「あの南の島で、雪乃が僕と普通の人生を歩むと言ってくれた時から——」
思わず喉が鳴る。
「僕は君に、恋をしていたんだ」
届いていた。
「だから、もう一回言うね」
私の愚かで醜い恋が。
「好きだよ、雪乃」
思いもよらない形で成就した。
「……と、当然だ!」
零れた涙をぬぐわずに笑みを浮かべる。
「子供を作ってから気付くやつがあるか……痴れ者め」
でも、恋にずっと足掻いていた自分だからこそ、彼に気付かせることが出来た。
「私も好きだ……出会った時からずっとな……」
彼を好きになって良かった。
愛せて良かった。
出会えて、良かった。
「子供の名前、考えたんだ」
アキラが私のお腹へ伝えるように、優しく手を当てた。
「シンゴ、紫星進悟はどうかな?」
伝わる熱に、赤子が動く。
「良い名だな……きっと本人も気に入るだろう」
アキラの手に自分の手を重ねた。
「がんばって、人類を救ってこい!」
いつもそうしてくれたように、きっと今度も救ってくれる。
「うん、まかせて」
その微笑みに人類を託し。
「でも、どうしようもなくなったら呼んでくれ」
だけど、彼だけに背負わせない。
「うん、頼りにしてるよ、雪乃」
私は、これからもアキラと共に歩いて行く。
紫星雪乃の恋は、こうして成就した。
だけどこれは始まり。
これから先、きっと幾度も困難は訪れる。
再び涙を流す日も、立ち止まりそうになる時もあるだろう。
それでも彼女は歩みを止めない。
愛する者と共に、自らの手で未来を選び取り、太陽すら創り出す道を進んでいく。
雪乃の魂には、いつだって神が宿っているのだから——。
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