12 月夜草の効能
第一体育ホールに向かうと、ちょうど洗い場に、よく知るうしろ姿が見えた。じゃぐちを上に向けて、ゴクゴクと水を飲んでいる。
近づくと、リュウはふり向いた。笑顔をうかべていた顔が、ぼくを見て一瞬でくもる。
ムシして歩いて行こうとするリュウのうでを、ぼくはつかんだ。
「なんだよ、はなせって!」
「いいから、こっち。話があるんだ」
「やめろって! 今、練習中なんだから」
にげようとするリュウを、ムリやり体育ホールの裏につれて行く。
手をはなすと、リュウは思いっきりにらみつけてきた。
「なんだよ、もう来んなって言ってるのが分かんないのかよ」
「うん、分かんないよ。だってリュウ、なんにも教えてくれないじゃん」
リュウは目をそらして、むくれっつらになる。うつむいて、つま先で土をいじった。
(これ、イライラしてるときのリュウのクセだよね。昔から変わんないなあ……)
ぼくはかえって落ち着いてきて、思ってたことを、そのままするりと言葉にした。
「リュウ。ぼくにとってリュウは大事な友だちで、それは学園に来たからって、大人になるからって、変わらないんだ。たとえ、剣術クラブでなにかあって、それが原因で、ぼくたちに強くあたってるんだとしても、やっぱりリュウは、ぼくにとって大事な友だちだ」
うつむいたリュウが、今なにを考えてるのか分からない。……こわかったけど、ぼくは勇気を出した。
「ぼくは、このまま終わるなんてイヤだ! 今まで、ずっといっしょに過ごしてきたのに、それがぜんぶ、なかったことになるのはイヤだよ。——子どものままでいることの、なにが悪いんだよ! ぼくたち、まだ子どもだろ」
はっとリュウが顔をあげた。
そよそよと、木々が風にふかれる音がする。
長いちんもくのあと、リュウの口がゆっくり開こうとしたとき——。
「あれ、リュウじゃん。なにやってるんだよ」
リュウはビクリとかたをふるわせて、ふり返った。
そこには、ユニフォーム姿の男子生徒。リュウとぼくを見て、まゆをひそめる。
「せんぱい……」
「もう練習がはじまるだろ。早くしないと、副部長にしかられっぞ」
「はっ、はい!」
ぼくの横をリュウが走りぬける。
「——リュウ!」
声をかけたぼくに、先輩がいぶかしんだ。
「なんだよ、リュウ。あいつ、やっぱりお前の知り合いなのか?」
「っち、ちがいますよ! あいつは……ただの、ストーカーっす…………」
リュウの後ろ姿が、どんどん小さくなっていく。
風がふいたわけじゃないのに、ブルリ、とぼくの体がふるえた。にぎった指の先がどんどん冷たくなっていく。
西日が差してきても、しばらく、ぼくはそこから動くことができなかった。
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「あ、コハク」
ドアをあけようとしていたセナが、ふり返った。
ろうかにはぼくたちのほか、だれもいない。窓の外の美しい満月が、真っ暗なろうかを照らし出す。
「ちょうどよかった! ぼくも今来たとこなんだ——って、なにかあった?」
顔をのぞきこもうとするセナに、ぼくは横を向いた。
「ううん、なんでもない。ちょっとねむいだけだよ。それより早く行こう」
引き戸に手をかけるぼくに、セナが笑う。
「ああ、コハク。ダメだよ、そんなことしても開かないよ。カギがかかってるからね」
「え? じゃあどうやってなかに入るの?」
「だから、ぼくが開けるんだよ」
セナが手をかけると、どういうわけか、カチリ、と音がしてカギ穴がまわった。
「え……ええっ? 今の、どうやったの? もしかしてセナ、魔法使いかなにか?」
「あはははっ。コハクも言うようになったね。それより急がないと。満月に雲がかかったら、次のチャンスは一か月後だ」
薬学クラブのクラブ室は、理科室によく似ていた。黒い天板の実験台に、棚にはズラリと、ビーカーや、すり鉢、ラベルのはられた液体がならべられてる。
どこからともなくアネッサがあらわれて、ふわりと実験台にこしかけた。
『遅かったじゃないか。あと少しで、満月がてっぺんに来ちまうところだった』
「ごめんごめん、でも、間に合ったでしょ」
セナは月夜草が入ったポットをかかげて、にっこり笑った。机の上の顕微鏡をどかして、一番月の光が強くあたる場所にポットをおく。
すると……。
「わあ~っ!」
月夜草の葉が、キラキラかがやきだした。無数の朝露のつぶのような光が葉っぱの表面にあらわれて、パチパチはじける。
そして、かたく閉じていたツボミがゆっくり花開いた。白くて、プレパラートみたいにうすい花弁が、バラのようにうずをまく。
ハラリ、と落ちた一枚の花弁を、セナは水をはったおぼんの上でキャッチした。花弁はゆらり、ゆらり、と水の上でゆれる。
セナは花弁をピンセットでとると、月の光にすかした。
「うん。すごく質がいいよ。ほとんど気泡が入ってない。アリスは、有能な弟子になりそうだね」
アネッサはかたひじをついたままほほ笑んだ。アリスについてはなにも言わないで、『さて、』とぼくをふり返る。
『さっそくはじめようか。ぼうやは、なにもしなくていいよ。というより、ぜんぶあたしにまかせとくれ。これは繊細な作業だからね』
「う、うん。分かった」
ぼくはドキドキしながらアネッサと向かい合う。
(のりうつられるって……いったい、どんな感じなんだろう)
スゥー……アネッサがうでをひろげながら飛んでくる。ベールをかけるように、ふわりとだきしめられると、目の前が真っ暗になった。
……そして。正直そのあとは、ほとんど覚えてない。
ぼんやりした意識のなか、ぼくの手が動いて、すり鉢で花びらをすりつぶしたり、細かい粉にしたり……なんとなく、そんな場面を見た気がするけど、自分が手を動かした感覚はなくて、まるでまどろみながら紙芝居でも見ているみたいだった。
「——コハク、終わったよ」
セナの声がして、ぼくははっと目をあけた。
セナの横には、さっきと同じように、アネッサが実験台にこしかけている。
「……え? もう、終わったの?」
「うん。ほら、無事完成したよ」
セナはぼくに、薬包紙をさしだした。粘土みたいにかためられた紫色のかたまりが、ごろんとセナの手の上でころがる。
「これが薬?」
「うん。苦いと思うけど、がまんしてね——はい」
セナは、ぼくの口のなかにいきなり薬をつっこんだ。だ液とまざって、びっくりするぐらい苦あ~い汁がとけだしてくる。
「……! モ、モモ、モぁ……!」
「ダメだよ、ちゃんとぜんぶ飲みこまなくちゃ。薬の効果が出なくなるでしょ」
セナは小さい子に言い聞かせるみたいに、口のなかに水をながしこんでくる。
(…………モ、もう、ダメかも…………)
気絶しそうになりながらも、どうにかゴクンッとのみこんだのを最後に、意識がすぅ…… とうすらいでいく。
(……ああ、ぼく、ほんとうに気絶するんだ……)
体の重みが消えて、まるで空気にとけこむように軽くなった。ぼくは覚悟を決めて目をつむる。けど……。
『……あれ?』
いつまで経っても、それ以上の変化はなくて、ぼくはパチリと目をあけた。なんとなく自分の体を見下ろして、ギョッとする。
『え、えぇぇぇ⁈』
なんとぼくは空中にいて、すぐ真下には、床の上でねむりこむぼくの体! そしてその横では、同じように目をつむって、セナもたおれてる。
『ぼく、どうなっちゃったの⁈』
『あははっ。コハクがびっくりしてる』
笑い声にふりむくと、そこにはセナがいた。セナの体はすけていて、理科室のかべが、体ごしに見えている。




