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第9話 元同僚の記者

相沢慎一と初めて会ったのは、白石瑠璃がまだデビュー二年目の頃だった。


 その頃の瑠璃は、ようやく音楽番組に呼ばれ始めたばかりで、会社は彼女を一気に売り出そうとしていた。地方キャンペーン、ラジオ、雑誌、配信、ライブのリハーサル。喉を使う仕事ばかりが続き、ある日、彼女は本番直前に声を出せなくなった。


 私はその日の収録を止めた。


 当然、怒鳴られた。


 番組側にも、営業にも、神田にも。


 ただ、そのとき現場にいた一人の記者だけが、後日こう言ってきた。


「タレントが声を失う前に止めた人を、責める業界でいいんですかね」


 それが相沢だった。


 週刊トーチ。


 芸能人の熱愛やスキャンダルを追う雑誌とは違い、相沢は芸能界の労務問題や契約トラブルを地道に取材している記者だった。


 業界では煙たがられている。


 けれど、彼の記事で救われた人間がいることも、私は知っている。


 その相沢から、朝七時過ぎにメッセージが来た。


本日、直接話せますか。

Milky Gateの件で、こちらでも確認が取れました。

電話ではなく対面がいいです。


 私は画面を見つめた。


 対面。


 つまり、書けない話があるということだ。


 午前の予定を確認する。


 LumiRiseは十時からファンミーティング用の構成リハーサル。午後は衣装合わせとボイストレーニング。私の同席は必要だが、昼に一時間だけ抜けられる可能性がある。


 ただし、会社に知られればまずい。


 黒崎はすでに相沢の名前を出している。


 私の外部接触を警戒しているのは明らかだ。


 私は相沢へ返信した。


本日十二時四十分、代々木公園近くのカフェなら二十五分だけ可能です。

資料の受け渡しはしません。会話のみ。


 数分後、返信が来た。


了解。奥の席を取ります。

こちらも録音はしません。メモのみ。


 私はスマートフォンを伏せ、深く息を吐いた。


 外部の記者と会う。


 これは危険だ。


 会社から見れば、内部告発に近い行動に見えるだろう。


 実際、そうなる可能性もある。


 だが、今の段階で相沢と線をつないでおく必要があった。


 もし会社が私を完全に排除したとき。


 もしLumiRiseが次の炎上で追い込まれたとき。


 もしRVEとスターリットの関係を外から検証する必要が出たとき。


 社内の記録だけでは足りない。


 外に、事実を扱える人間が必要だった。


 私はいつもより少し早く事務所に向かった。


 八時半、LumiRiseの四人はすでにレッスン室にいた。


 最近、彼女たちは時間より早く来る。


 前向きな理由だけではない。事務所にいるほうが、互いの様子を確認できて安心するのだろう。炎上の火がまだ消えていない今、離れている時間が不安なのかもしれない。


 レッスン室の扉を開けると、優芽が一番に振り返った。


「おはようございます! 佐伯さん、体調報告!」


「おはようございます。睡眠六時間、体温三十六度四分、朝食はおにぎりと味噌汁です」


「よし」


 優芽が満足そうに頷く。


 澪が腕を組んで言った。


「証拠写真は?」


「必要ですか」


「冗談です」


「澪の冗談、わかりにくいよ」


 奈々が小さく笑う。


 花音は私の顔を見て、少しだけ表情を引き締めた。


「佐伯さん、今日どこかで外に出ますか」


 鋭い。


 リーダーは、こちらのわずかな緊張を見逃さない。


「昼に短時間、外部の方と会います」


「記者さんですか」


 私は数秒だけ黙った。


 四人の視線が集まる。


 もう、ごまかしすぎる段階ではない。


「はい。週刊トーチの相沢さんです」


 空気が変わった。


 優芽が目を丸くする。


「週刊誌の人ですか」


「芸能労務や契約問題を扱う記者です。ゴシップ目的の人ではありません」


 澪が眉を寄せた。


「私たちのこと、記事にするんですか」


「今すぐではありません。少なくとも、皆さんの名前や状況を勝手に出すことはしません」


「でも、外に話すんですよね」


 澪の声には警戒があった。


 当然だ。


 記者という存在は、芸能人にとって味方にも敵にもなる。


 特に今、SNSで歪んだ噂を流されている彼女たちにとって、「外に話す」という行為は怖いはずだ。


「話す内容は限定します。主に過去の類似案件と、RVEの関与についてです。LumiRiseの個別事情は、本人たちの同意なしに詳細を出しません」


 花音が静かに尋ねる。


「それは、私たちを守るために必要なことですか」


「必要になる可能性があります」


「今じゃなくて?」


「今後、会社が私を外したり、皆さんに不利な説明をしたりした場合、外部で事実を検証できる人が必要です」


 奈々が不安そうに言った。


「佐伯さん、外されるんですか」


「可能性はあります」


「嫌です」


 奈々は即座に言った。


 優芽も頷く。


「私も嫌です」


 澪は少し黙ってから言った。


「でも、会社はやりそう」


 花音が唇を結ぶ。


「だから、先に道を作るんですね」


「はい」


 私は頷いた。


「ただし、これは皆さんにもリスクがあります。記者と接触していることが会社に知られれば、私への圧力は強まるでしょう。皆さんにも探りが入るかもしれません。だから、今日のことは必要以上に口外しないでください」


 優芽が小さく手を上げた。


「質問です」


「はい」


「佐伯さんは、一人で行くんですか」


「はい」


「危なくないですか」


「カフェで短時間会うだけです」


「でも、会社にバレたら危ないですよね」


「その意味では、危険です」


「じゃあ、誰か近くにいたほうがよくないですか」


 私は少し驚いた。


 優芽は真剣だった。


 冗談ではない。


「それはできません。皆さんを巻き込むわけにはいきません」


「巻き込まれてます」


 澪が言った。


 私は彼女を見る。


 澪はまっすぐこちらを見返した。


「もう巻き込まれてます。私たちのことだから」


 花音も頷いた。


「ただ、私たちが行くと余計に目立ちます。だから同行はしません。でも、時間だけ共有してください。終わったら連絡してください」


 奈々が小さく言う。


「連絡がなかったら、心配します」


「わかりました」


 私は素直に答えた。


「十二時四十分から二十五分程度。終了後、連絡します」


 優芽がスマートフォンにメモする。


「記録しました」


「最近、皆さんまで記録癖がついていますね」


「佐伯さんのせいです」


 澪が言う。


「悪い癖ではありません」


 私が返すと、四人が少し笑った。


 午前のリハーサルは、前日よりさらに良くなっていた。


 ファンミーティングの構成は、LumiRise自身の言葉を中心に組み直された。


 まず、新曲『夜明けのプリズム』について四人が語る。


 次に、ファンからの応援メッセージを紹介する。


 その後、メンバー同士が選ぶ「助けられた瞬間」。


 これは四人が特に大切にしたいと言ったコーナーだった。


「ファンの前で、私たちがどう助け合ってるかを話したいです」


 花音がそう提案した。


「不仲説とかじゃなくて、ちゃんと今の関係を見せたい」


 優芽は、奈々がカメラを怖がったときの話をするつもりだった。


 奈々は、澪が「泣いてもいい」と言ってくれたことを話したいと言った。


 澪は最初、「そういうのをステージで言うのは照れる」と渋ったが、最終的にはこう言った。


「じゃあ私は、花音が一人で背負わないって言った日のことを話します」


 花音は驚いていた。


「私?」


「うん。花音が一人で背負うのをやめるって言ったから、私たちも言いやすくなった」


 花音はしばらく言葉を失い、それから小さく頷いた。


 優芽が「泣く?」と茶化すと、花音は「泣かない」と言った。


 奈々が「泣いてもいいです」と言った。


 澪が「それ私の台詞」と返した。


 そういう空気が、少しずつ生まれている。


 誰かが作った涙ではない。


 誰かが仕込んだ不仲でもない。


 彼女たちが自分で積み上げた関係性だ。


 私はそのリハーサルを見ながら、改めて思った。


 これを壊させてはいけない。


 昼、私は事務所を出た。


 会社用スマートフォンは通常通り持ち、個人用スマートフォンは通知を切らない。バッグにはノート、ペン、そして警告書のコピー。資料そのものは持たない。


 代々木公園近くのカフェは、昼時にしては静かだった。


 相沢は奥の席にいた。


 四十代前半。くたびれたジャケットに、黒縁の眼鏡。芸能記者らしい派手さはない。ノートパソコンではなく、紙の手帳を広げている。


「佐伯さん」


「お待たせしました」


「いえ。来てくれて助かります」


 私は向かいに座った。


 注文はホットコーヒーだけにした。


 相沢はすぐに本題へ入った。


「Milky Gateの件、当時の投稿ログを追いました。確かに、不仲説が出た直後に、公式配信で本音トーク企画が行われています。その配信後、強気キャラにされたメンバーへの批判が急増している」


「RVEの関与は?」


「当時の制作協力リストにRVEプロモーション企画室の名前がありました。表向きはイベント制作協力です。ただ、関係者の一人から、企画の骨子はRVE側が出していたという証言が取れました」


「関係者?」


「まだ匿名です。記事には使えません。ただ、裏取りとしては重要です」


 相沢は手帳をめくった。


「さらに、当時の広告代理店の担当者が、今のLumiRise案件にも関わっています」


 私は眉を寄せた。


「名前は?」


「大崎良平。昨日の広告代理店顔合わせにいましたか?」


 私は記憶をたどる。


 高級ホテルのラウンジ。


 代理店の役員。


 制作会社プロデューサー。


 飲料メーカー宣伝部長。


 そして、真壁。


 名刺の束を思い出す。


「いました。広告代理店側の役員です」


「やはり」


 相沢は低い声で言った。


「大崎、真壁、RVE、須藤。このあたりが繋がっています」


 私はコーヒーに手をつけず、相沢の言葉を聞いていた。


 予想はしていた。


 だが、名前が並ぶと重みが違う。


「目的は何ですか」


「そこがまだ見えません。単純に炎上商法でLumiRiseを売りたいだけなら、スターリット側に利益があります。でも、レイヴン系のRVEが深く入っているのが不自然です」


「競合事務所が、他社グループの売り出しに協力する理由」


「普通はない。あるとすれば、裏で何らかの契約があるか、移籍や権利取得を狙っているか、もしくはスターリット内部の誰かが個人的に利益を得ているか」


 私は小さく息を吐いた。


 どれも最悪だった。


「LumiRiseを炎上させて価値を上げる。その後、何かを回収する」


「可能性はあります」


 相沢は手帳を閉じた。


「佐伯さん、社内で契約書やプロモーション予算を見られますか」


「降格されているので、閲覧権限は制限されています」


「でしょうね」


「ただ、契約問題の兆候はあります。ファンミやプロモーション施策に、本人同意の範囲が不明確なものが多い。外部会社との関係も、本人たちに説明されていません」


「契約書が見たいですね」


「私もです」


 相沢は少し考え込んだ。


「LumiRiseのメンバーは、契約内容を理解していますか」


「十分ではないと思います。特に奈々は未成年です。保護者同席でどこまで説明されたか、確認が必要です」


「そこは重要です」


「はい」


 私はノートに短く書いた。


 契約説明。


 保護者同席。


 外部会社利用同意。


 肖像・炎上施策。


「相沢さん」


「はい」


「記事にする場合、絶対にLumiRiseの名前を先に出さないでください」


「わかっています」


「彼女たちはまだ弱い。会社、RVE、広告代理店、SNSアカウント群。全部が繋がっている可能性がある。記事が中途半端に出れば、彼女たちが矢面に立ちます」


「その通りです」


「私は、会社を叩きたいわけではありません。彼女たちを守りたいだけです」


 相沢はまっすぐ私を見た。


「佐伯さん、それは両立しないことがあります」


 わかっている。


 会社の不正を明らかにすることは、彼女たちの居場所を壊すことにもつながる。


 守るために戦えば、守りたい場所そのものが壊れるかもしれない。


 でも、壊れた場所に彼女たちを留めることが守ることなのか。


 その答えは、まだ出せない。


「わかっています」


 私は言った。


「だから、順番を間違えたくありません」


「順番?」


「まず、彼女たちの意思を確認する。契約を確認する。安全な退路を作る。その上で、必要なら外に出す」


 相沢は頷いた。


「賛成です。僕も、彼女たちを記事の材料にするつもりはありません」


「ありがとうございます」


「ただし、時間はあまりないかもしれません」


 彼の声が低くなった。


「昨夜の炎上がうまくいかなかったことで、相手は次の手を打つでしょう。マネージャー攻撃だけで終わるとは思えない」


「私もそう思います」


「次は、契約かスキャンダルか、内部告発風の偽情報か」


 私は顔を上げた。


「内部告発風」


「よくある手です。『元スタッフ』や『関係者』を名乗る投稿で、もっと具体的な嘘を流す。写真や切り抜き動画を加工して使うこともある」


 私は奈々の顔を思い出した。


 澪の言葉。


 優芽の足首。


 花音の責任感。


 どこを切り取られても、悪意ある文脈をつけられる可能性がある。


「防ぐ方法は?」


「完全には無理です。ただ、事前に公式で正しい文脈を積み上げること。メンバー本人が無理なく発信できる範囲で、関係性や活動方針を出しておくこと。そして、偽情報が出たときにすぐ検証できる記録を残すこと」


 相沢は少し笑った。


「そこは佐伯さんの得意分野でしょう」


「記録係ですから」


「誰が言ったんですか」


「担当タレントです」


 相沢は珍しく柔らかく笑った。


「いいチームですね」


「はい」


 私は即答していた。


 自分でも少し驚いた。


 でも、もう否定する気はなかった。


 裏方でいい。


 けれど、外側ではない。


 私はあの子たちのチームに入れてもらった。


 その責任は重い。


 カフェを出る前に、相沢は最後に言った。


「佐伯さん、連絡は今後、直接電話より別ルートにしましょう。会社側に警戒されているなら、通話記録を見られる可能性もある」


「わかりました」


「それと、絶対に一人で証拠を抱えないでください。あなたが潰されたら、記録も消される」


「バックアップは取っています」


「どこに?」


「複数箇所に」


 相沢は頷いた。


「ならいい。ですが、信頼できる人にも存在だけは知らせておいたほうがいい」


「検討します」


「検討ではなく、早めに」


 記者らしい強い言い方だった。


 私は少しだけ苦笑した。


「承知しました」


 カフェを出ると、すぐにLumiRiseのグループチャットへ連絡した。


面談終了。事務所へ戻ります。


 優芽から即返信。


無事確認!


 奈々。


よかったです。


 花音。


お疲れさまです。戻ったら少し休んでください。


 澪。


コーヒーだけで昼ごはん終わらせてないですよね?


 私は足を止めた。


 鋭い。


戻る前に軽食を買います。


 澪。


記録しました。


 私はコンビニでサンドイッチを買った。


 事務所に戻ると、エントランスで須藤が待っていた。


 待っていた、というより、待ち伏せていた。


「佐伯さん、どちらへ?」


「昼休憩です」


「ずいぶん長い昼休憩ですね」


「業務時間内の外出申請は不要な範囲です」


「誰かと会ってました?」


 私は彼を見る。


「業務関係者です」


「週刊トーチですか」


 想定内だった。


 けれど、はっきり名前を出してきたことで、確信が強まった。


 誰かが見ていた。


 あるいは、私の動きを追っている。


「媒体関係者とのやり取りについて、須藤さんに報告する義務はありません」


「黒崎常務にはありますよ」


「必要があれば報告します」


「内部情報を漏らしたら終わりですよ」


「漏らしていません」


「どうだか」


 須藤は薄く笑った。


「佐伯さん、正義感で動いてるつもりかもしれませんけどね。あなたが騒げば騒ぐほど、LumiRiseの仕事は減りますよ」


「仕事の内容によります」


「まだそんなこと言ってるんですか」


「はい」


「仕事が減ったら、あの子たちに恨まれますよ」


 その言葉は、狙って刺しに来ていた。


 タレントを守るために仕事を止める。


 その結果、タレントの機会が減る。


 芸能マネージャーにとって、最も苦しい矛盾だ。


 須藤はそれを知っている。


 知った上で、そこを突いている。


「恨まれるかどうかは、彼女たちが判断します」


「随分信頼されてると思ってるんですね」


「信頼は、私が思うものではありません。彼女たちの行動で確認するものです」


 須藤の顔から笑みが消えた。


「気持ち悪いですね」


「そうですか」


「タレントと仲良しごっこして、会社に逆らって、記者と会って。自分がヒーローだと思ってるんですか?」


「思っていません」


 私は静かに答えた。


「私はマネージャーです」


「降格された補佐でしょう」


「それでも、現場を見る仕事です」


 須藤は舌打ちした。


「まあいいです。近いうちにわかりますよ。あなたが守ってるつもりのものが、どれだけ脆いか」


 また予告めいた言葉。


 真壁。


 小早川。


 須藤。


 同じ匂いがする。


 相手は次の手を用意している。


 私はその場で反応せず、彼の横を通り過ぎた。


 デスクに戻る前に、今の会話をメモする。


須藤、佐伯の外出先を把握している様子。週刊トーチの名前を出す。

「近いうちにわかる」「守っているものが脆い」と発言。

次の攻撃を示唆。


 保存。


 午後の衣装合わせでは、別の問題が起きた。


 ファンミーティング用の衣装が、事前に聞いていたものと違っていた。


 白と淡いブルーを基調にした衣装のはずが、実際に届いたものは黒と赤を使った、少し攻撃的な印象の衣装だった。特に澪の衣装は、他の三人より明らかに黒の面積が多く、奈々の衣装は逆に白が強い。


 意図が見えすぎている。


 澪を強く、冷たく見せる。


 奈々を守られる側に見せる。


 不仲説の構図に合わせている。


 衣装担当の女性は困った顔をしていた。


「すみません、今朝、須藤さんから差し替え指示があって……」


「発注元は?」


「RVE側のスタイリスト案だと聞いています」


 私は衣装を見た。


 四人も気づいている。


 澪が低く言った。


「まだやるんですね」


 奈々が澪の衣装を見て、不安そうに眉を寄せる。


 優芽が怒ったように腕を組んだ。


「これ、さすがにわざとですよね」


 花音が私を見る。


「佐伯さん、これは嫌です」


 私は頷いた。


「変更します」


「でも、明後日が本番です」


 衣装担当が慌てた。


「今から全部作り直しは難しいです」


「元の衣装案は残っていますか」


「はい。ただ、調整前です」


「そちらをベースに戻してください。間に合わない部分は小物で調整しましょう」


 衣装担当は少し迷ったが、すぐに頷いた。


「私も、正直こっちは違うと思ってました。元案のほうがLumiRiseらしいです」


「ありがとうございます」


 その場で須藤へ連絡した。


 予想通り、彼は怒った。


「衣装まで口出すんですか!」


「事前確認済みのコンセプトと異なります。本人たちも拒否しています」


「本人たち、本人たちって。衣装は演出です!」


「不仲説に寄せた演出は不要です」


「またそれか!」


「元案へ戻します。衣装担当と調整済みです」


「勝手に決めるな!」


「本番まで時間がありません。現場判断です」


「あなた、補佐ですよね?」


「現場にいますので」


 電話は怒鳴り声で終わった。


 私は通話履歴を保存した。


 衣装合わせは、元案へ戻すことで進んだ。


 白と淡いブルー。


 夜明け前の空のような色。


 四人が並ぶと、それぞれの個性はありながら、同じ光の中にいるように見えた。


 奈々が鏡の前で小さく言った。


「こっちのほうが好きです」


 澪も頷いた。


「私も」


 優芽が笑う。


「黒い澪も似合ってたけど、あれ絶対悪役にされるやつだった」


「悪役って何」


「クール毒舌担当」


「拒否します」


 花音が四人の姿を見て、静かに微笑んだ。


「これで出たいです」


「出ましょう」


 私は言った。


 そのとき、衣装担当が小声で言った。


「あの、佐伯さん」


「はい」


「差し替え指示のメール、必要なら転送できます」


 私は彼女を見た。


 衣装担当は少し緊張した顔をしていたが、逃げなかった。


「須藤さんからの指示と、RVEスタイリスト案の添付があります。私も、後で『勝手に変えた』って言われるのは困るので」


「助かります」


「ただ、私の名前はなるべく……」


「出しません。必要な場合は事前に相談します」


 彼女はほっとしたように頷いた。


 また一人。


 小さな味方が増えた。


 夜、事務所を出る前に、私は今日の記録を整理した。


 相沢との対面。


 Milky Gateの裏取り。


 大崎、真壁、RVE、須藤の線。


 須藤の待ち伏せ。


 衣装差し替え。


 衣装担当からの協力申し出。


 記録の量は増えている。


 だが、まだ決定打ではない。


 火元は見え始めている。


 でも、火をつけた手をつかむには、もう一歩必要だった。


 そのとき、白石瑠璃からメッセージが届いた。


美月さん

Milky Gateの元メンバー、会ってもいいと言っています。

ただし、名前は出したくないそうです。

条件は、LumiRiseの子たちを同じ目に遭わせないためなら、話す、とのことです。


 私は画面を見つめた。


 過去の被害者が、声を出そうとしている。


 それは大きな前進だ。


 同時に、重い。


 彼女の傷を、こちらの戦いに使うことになるかもしれない。


 私は慎重に返信した。


ありがとう。

本人の条件を最優先にします。

まずは私だけで会います。録音なし、記録の可否も本人に確認します。

無理はさせません。


 瑠璃から返信。


それなら大丈夫だと思います。

美月さん、その子はずっと「誰かに止めてほしかった」と言っていました。


 私は目を閉じた。


 誰かに止めてほしかった。


 その言葉は、LumiRiseの未来にもなり得た。


 もし初日に私が黙っていたら。


 優芽の足首を見過ごしていたら。


 奈々の睡眠不足を「プロ意識」で片づけていたら。


 澪の怒りを問題児扱いしていたら。


 花音の責任感に甘えていたら。


 彼女たちも、いつか同じ言葉を言っていたかもしれない。


 誰かに止めてほしかった、と。


 私は記録の最後に一行を加えた。


Milky Gate元メンバー、匿名条件で面談可能。

「同じ目に遭わせないためなら話す」との意思。


 保存。


 その瞬間、LumiRiseのグループチャットに通知が来た。


 優芽。


衣装、元に戻ってよかったです!

佐伯さん、今日もありがとうございました。


 奈々。


黒い衣装、少し怖かったので安心しました。


 澪。


悪役回避しました。


 花音。


ファンミ、私たちらしい形でできそうです。

まだ不安はありますが、楽しみでもあります。


 私は返信した。


皆さんが自分の意思を伝えた結果です。

明日は最終リハーサルです。

今日は早めに休んでください。


 優芽。


佐伯さんもです。


 澪。


体調報告を忘れずに。


 奈々。


スープ飲んでください。


 花音。


おやすみなさい。


 私は笑いながら、短く返した。


了解しました。おやすみなさい。


 会社を出ると、夜風が冷たかった。


 スマートフォンをポケットに入れ、駅へ向かう。


 街の大型ビジョンには、レイヴンエンターテインメント所属の人気グループの広告が流れていた。


 完璧な笑顔。


 強い照明。


 大きなコピー。


 夢は、作れる。


 だが、作られた夢の裏で、誰かを壊していい理由にはならない。


 相沢は言った。


 大崎、真壁、RVE、須藤。


 線は見えた。


 瑠璃は言った。


 元メンバーが話してもいいと。


 宮内は過去の資料を差し出した。


 衣装担当はメールを転送すると言った。


 LumiRiseは、自分たちらしいファンミを選んだ。


 火元は近い。


 けれど私は、そこで立ち止まらない。


 火元を見つけるだけでは足りない。


 その火で誰が暖を取り、誰が金を得て、誰が涙を商品にしたのか。


 そこまで明らかにする。


 裏方は、ただ舞台袖に立っているだけではない。


 舞台装置の歪みも、照明の熱も、床のきしみも、出演者の震える指先も見ている。


 全部見ている。


 そして今、私はようやく、暗がりで火をつけた手の輪郭を見つけ始めていた。

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