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第7話 仕組まれた炎上

炎上は、火が大きくなる前のほうが不気味だ。


 燃え上がってしまえば、誰の目にも見える。対策会議が開かれ、公式コメントが検討され、関係者が右往左往する。


 けれど、まだ煙だけの段階では違う。


 気づいた人間だけが、焦げた匂いを嗅ぐ。


 知らない人間は、何も起きていない顔で日常を続ける。


 その夜、私は自宅のダイニングテーブルにノートパソコンを置き、LumiRiseに関する投稿を追っていた。


 時刻は二十三時四十分。


 本来なら、もう寝るべき時間だ。明日も朝から現場がある。睡眠不足でタレントに「寝てください」と言うマネージャーほど説得力のないものはない。


 それでも、今夜だけは目を離せなかった。


 投稿は、最初の一件から一時間ほどで四十件近くに増えていた。


澪が奈々にきつく当たってるらしい

最年少いじめとか笑えない

ファンミで謝罪演出あるって聞いた

LumiRiseって表では仲良し売りだけど裏はギスギス?


 文面は違う。


 だが、構造は同じだった。


 「らしい」


 「聞いた」


 「本当なら」


 「〜っぽい」


 断定しない。


 責任を取らない。


 それでいて、読む側に疑念だけを残す。


 炎上の火種としては典型的だった。


 私は投稿を一つずつ保存し、表に整理した。


 投稿時刻。


 アカウント名。


 作成日。


 フォロワー数。


 投稿頻度。


 使われている言葉。


 拡散元。


 引用しているアカウント。


 ひと目で不自然な点があった。


 アカウントの多くが、ここ一か月以内に作成されている。


 普段は他のアイドルの話題を少しだけ投稿しているが、急にLumiRiseの不仲説だけを同じ時間帯に流し始めていた。


 そして、いくつかのアカウントは、過去にレイヴンエンターテインメント所属タレントの宣伝投稿ばかりを不自然に拡散していた。


 偶然ではない。


 少なくとも、自然発生のファンの噂ではない。


 私はスクリーンショットを保存しながら、相沢記者へメールを送った。


不仲説投稿が発生しました。

初動投稿群のスクリーンショットと一覧を作成中です。

アカウント作成時期、文面、拡散経路に不自然な共通点があります。

そちらで確認できる範囲があればお願いします。


 送信してから、LumiRiseのグループチャットを開いた。


 四人はまだ通話しているようだった。


 花音から短いメッセージが届いていた。


四人で話しています。

奈々は落ち着いています。

澪も大丈夫です。

佐伯さんも無理しないでください。


 私は少しだけ笑った。


 担当タレントに体調を気遣われるマネージャー。


 情けないようで、少し嬉しい。


 返信する。


ありがとうございます。

皆さんは二十四時までに通話を終えて寝てください。

投稿への反応は不要です。

明朝、こちらで状況を共有します。


 すぐに優芽から返事が来た。


佐伯さんも寝てください。業務指示です。


 澪が続く。


人に寝ろと言うなら自分も寝てください。


 奈々。


佐伯さんが倒れたら嫌です。


 花音。


本当に、無理しすぎないでください。


 私は画面の前で、しばらく動けなかった。


 守る対象だったはずの四人が、こちらを見ている。


 心配している。


 信頼は、こういうところで一方通行ではなくなるのだと、初めて実感した。


二十五時までに作業を終えます。

その後、寝ます。


 送信すると、優芽からすぐに、


記録しました!


 と返ってきた。


 思わず声を出して笑ってしまった。


 けれど、その笑いは長く続かなかった。


 新しい投稿が流れてきたからだ。


関係者だけど、奈々ちゃん前に澪に泣かされてたよ。

運営は隠してるけど、ファンミで何かあるかもね。


 関係者。


 その言葉が入ったことで、空気が変わる。


 ただの噂から、内部告発めいた形になる。


 もちろん、本物かどうかはわからない。むしろ偽物の可能性が高い。だが、見る側はそう判断しない。


 「関係者」という四文字は、無責任な噂に濁った説得力を与える。


 その投稿は、数分で拡散され始めた。


 引用欄には、心配、怒り、面白半分、便乗が混じっている。


これ本当なら澪やばくない?

奈々ちゃん守ってあげて

やっぱりあのグループ裏ありそう

ファンミ荒れる?

事務所は説明して


 私はすぐに投稿を保存した。


 発信元のアカウントを開く。


 作成日は二週間前。


 投稿数は十二。


 そのうち八件が、レイヴン所属グループの新曲告知を褒める投稿。


 残り四件が、LumiRiseに関する不仲匂わせ。


 私は画面を見つめた。


 雑だ。


 雑すぎる。


 だが、炎上の初動には十分だ。


 誰もアカウントの作成日など見ない。


 文面の信憑性を検証する前に、感情が動く。


 そして感情が動いた投稿は、数字を持つ。


 その数字を見て、さらに人が集まる。


 火はそうやって大きくなる。


 私は宣伝担当に電話をかけた。


 時刻は深夜だったが、彼女はすぐに出た。


「佐伯さん、見ています」


 声が固い。


「状況は?」


「公式にも問い合わせが来始めています。まだ少数ですが、『奈々ちゃん大丈夫ですか』『澪ちゃんのいじめは本当ですか』という内容です」


「公式からの反応はまだ出さないでください」


「はい。ただ、須藤さんからは『話題になっているならファンミに誘導しろ』とメッセージが来ました」


 私は目を閉じた。


 やはり、そう来る。


「文面は残っていますか」


「残っています。転送します」


「お願いします」


 すぐにメッセージが届いた。


不仲説が回っているなら逆にチャンス。

ファンミで本音企画やる流れに戻せる。

公式は否定せず、関心を引っ張れ。


 私はそれを見て、静かに息を吐いた。


 これで一つ、はっきりした。


 少なくとも須藤は、この炎上を利用する意思がある。


 偶発的に起きた噂を利用しようとしているだけか。


 あるいは最初から知っていたのか。


 まだ断定はできない。


 だが、資料、RVE、真壁、小早川、須藤の発言。


 状況証拠は積み上がっている。


「宣伝担当さん」


「はい」


「明日の朝、公式からポジティブな素材を出します」


「反論ではなく?」


「はい。直接否定すると、噂の存在を知らない層にも広がります。まずは今日の告知動画を固定し、澪と奈々の自然なやり取りを切り出した短尺を出します」


「『泣いてもいい』のところですか」


「そうです。加えて、ファンミの内容は『四人で作る前向きな企画』として告知してください。不仲や本音対立という言葉は一切使わない」


「わかりました」


「それから、問い合わせには定型文で対応します。『事実確認中』ではなく、『メンバーは通常通り活動しており、今後も公式情報をご確認ください』程度に留めます」


「了解です」


 電話の向こうで、宣伝担当が少し息を吐いた。


「佐伯さん、正直に言うと、昨日の代替案のほうが絶対いいです。無理に泣かせる企画、私も嫌でした」


「ありがとうございます。その感覚を大事にしてください」


「はい」


 通話を切った直後、相沢から返信が来た。


投稿群を確認しました。

こちらで追っていたアカウント群と一致するものがあります。

過去にも同様の手口で、他社の若手グループに不仲説を流していた可能性があります。

ただし記事にするには、まだ材料が弱いです。

内部資料や指示系統があれば強い。


 内部資料。


 私はパソコンのフォルダを見た。


 RVE企画書。


 キャラクター施策。


 不仲疑惑を逆手に取ったファンミ案。


 須藤の「否定せず、関心を引っ張れ」というメッセージ。


 まだ公に出す段階ではない。


 だが、方向は見えてきた。


 炎上を仕組む側は、偶然を装う。


 だからこちらは、偶然ではない線を集める。


 誰が、いつ、どの資料を出し、どの発言をしたか。


 その積み重ねだけが、火元へ届く。


 深夜一時前、私は作業を終えた。


 LumiRise記録フォルダに、今日の投稿一覧を保存する。


 ファイル名。


 SNS不仲炎上_初日投稿一覧。


 さらに、須藤のメッセージを保存。


 須藤発言_炎上利用指示。


 最後に、一日の要約を書く。


仕組まれた不仲説と見られる投稿が発生。

澪・奈々の関係性を標的。

RVE関連アカウントとの接点あり。

須藤、公式否定を避けファンミ誘導を指示。

公式対応方針:直接反論せず、本人たちの自然な関係性を示す素材で上書きする。


 保存。


 その瞬間、どっと疲れが押し寄せた。


 スマートフォンを見ると、LumiRiseのグループチャットに最後のメッセージが残っていた。


 花音。


通話終わりました。全員寝ます。

佐伯さんも寝てください。


 優芽。


起きてたら怒ります!


 奈々。


おやすみなさい。明日、ちゃんと会えますように。


 澪。


おやすみなさい。記録係さん。


 私は小さく笑った。


 記録係。


 悪くない。


作業終了。寝ます。

おやすみなさい。


 送信して、私はようやくパソコンを閉じた。


 翌朝、炎上はまだ燃え広がってはいなかった。


 だが、火は消えてもいなかった。


 午前七時、私は事務所の会議室にいた。


 宣伝担当、宮内、そしてLumiRiseの四人。


 本来なら、朝から全員を集める予定ではなかった。だが、今日ばかりは状況共有が必要だった。


 四人の顔には疲れがあった。


 それでも、昨夜の通話が効いたのか、表情は崩れていない。


「まず確認します。昨夜の投稿を見た人」


 優芽が視線を逸らした。


「……ちょっとだけ」


「優芽」


 花音が低い声で呼ぶ。


「ごめん! でも、すぐ閉じました!」


「見てどう感じましたか」


 私が聞くと、優芽は少し考えた。


「腹が立ちました」


「怖いより?」


「最初は怖かったです。でも、澪と奈々が通話してるの見たら、何も知らない人が勝手なこと言ってるって思って、腹が立ちました」


 私は頷いた。


「その感覚は大事です。ただし、怒りのまま反応しないでください」


「はい」


「奈々さんは?」


 奈々は膝の上で手を握った。


「怖かったです。私のせいで澪ちゃんが悪く言われたらどうしようって」


 澪がすぐに言った。


「奈々のせいじゃない」


「でも」


「違う」


 澪の声は強かったが、昨日までとは少し違う。


 突き放す強さではなく、支える強さだった。


「私が悪く言われるのは嫌だけど、奈々のせいにされるほうがもっと嫌」


 奈々の目が揺れた。


 花音が二人を見て、静かに言った。


「私も、リーダーなのに止められなかったらどうしようと思いました。でも、これは私たちの中で起きたことじゃない。外から勝手に作られたものだと思うので、四人で崩されないようにしたいです」


 私はメモを取りながら頷いた。


「その認識で合っています。今回の投稿は、自然なファンの感想ではなく、意図的に不仲を匂わせるものと見ています」


 澪が腕を組んだ。


「誰がやってるんですか」


「調査中です」


「RVEですか」


 鋭い。


 私はすぐには答えなかった。


 だが、四人に隠しすぎる段階でもない。


「関連が疑われる投稿はあります。ただし、まだ断定はできません」


 澪は唇を結んだ。


「断定できるまで言わない。佐伯さんらしいですね」


「断定できないことを断定すると、こちらが不利になります」


「わかってます」


 優芽が手を上げた。


「じゃあ、私たちはどうすればいいですか?」


「三つあります」


 私はホワイトボードに書いた。


 一、反応しない。


 二、自分たちの自然な関係性を見せる。


 三、ファンに嘘を見せない。


「まず、噂に直接反応しないこと。怒って否定したくなると思いますが、相手はそれを狙っています」


 奈々が頷く。


「反応したら、広がるんですよね」


「はい。次に、自分たちの関係性を自然に見せること。無理に仲良しアピールをする必要はありません。普段通りでいいです」


 優芽が笑った。


「普段通りって、澪が私にうるさいって言うのも含みます?」


「含みます」


「やった」


「何がやったなの」


 澪が呆れたように言う。


 そのやり取りに、奈々が少し笑った。


 私は続けた。


「最後に、ファンミーティングでは嘘の涙や不仲演出はしません。昨日皆さんが拒否した通りです。今日、公式から前向きな内容で告知します」


 花音が深く頷いた。


「はい」


 宣伝担当がタブレットを見せた。


「昨日の告知動画から、澪さんと奈々さんのやり取りを短く切り出しました。これを午前中に投稿予定です。文面は、『ファンミでは四人らしい時間をお届けします』という形です」


 動画を再生する。


 奈々が「泣いたらごめんなさい」と言い、澪が「泣いてもいい」と返す。


 数秒のやり取り。


 だが、今の状況では強い。


 噂への直接反論ではなく、事実の提示。


 花音が動画を見て、少し微笑んだ。


「これ、いいですね」


 奈々は照れたように俯いた。


「私、変な顔してませんか」


「してない」


 澪が即答する。


 奈々が驚いて顔を上げた。


「本当ですか?」


「本当。だから変な投稿見るな」


「はい」


 優芽がにやにやする。


「澪、今日ずっと優しい」


「うるさい」


「出た」


 四人の空気が少し軽くなった。


 私はそれを確認してから、会議を終えた。


 だが、穏やかな時間は長く続かなかった。


 午前十時。


 神田部長から呼び出しがあった。


 第一会議室に向かうと、黒崎常務、神田部長、須藤、小早川が揃っていた。


 そして、テーブルの上には昨夜のSNS投稿を印刷した紙が並んでいる。


 黒崎常務は上機嫌だった。


「佐伯。見たか、この反応」


「確認しています」


「不仲説、広がり始めているな」


 まるで新曲が話題になったかのような口ぶりだった。


 私は表情を動かさない。


「事実無根の噂です」


「そうだとしても、関心は関心だ」


 神田が言う。


「公式が否定しないことで、ファンミへの注目が上がる。昨日のRVE案に戻すぞ。本音告白企画だ」


「本人たちは拒否しています」


「説得しろ」


 須藤が当然のように言った。


「むしろ今が一番効くんです。澪と奈々の不仲説をファンミで回収すれば、感動になる。澪が奈々に謝る流れを作って、最後に抱き合えばいい」


 私は須藤を見た。


「澪が謝る理由は何ですか」


「演出ですよ」


「事実ではないのに、謝罪させるのですか」


「だから演出だって言ってるでしょう」


「ファンはそれを事実として受け取ります」


 小早川が穏やかに口を挟んだ。


「佐伯さん、そこは見せ方です。明確にいじめがあったとは言わない。ただ、すれ違いがありました、でも乗り越えました、という物語にする」


「なかったすれ違いを作るのですか」


「グループには多少のすれ違いはあるでしょう」


「今回の噂とは関係ありません」


「関係づけるかどうかは、演出次第です」


 私は小早川を見た。


「昨夜の不仲説投稿と、RVEの企画案は連動していますか」


 会議室の空気が一瞬止まった。


 黒崎の目が細くなる。


 神田が怒鳴る前に、小早川が笑った。


「まさか。偶然でしょう」


「偶然にしては、昨日の会議資料と投稿内容が一致しています」


「人が思いつくことは似るものです」


「投稿アカウントの一部が、レイヴン関連タレントの宣伝投稿を不自然に拡散しています」


 小早川の笑顔が消えかけた。


 須藤が声を荒げる。


「佐伯さん、何を調べてるんですか」


「担当タレントに関する炎上の発信源です」


「あなたは探偵じゃない」


「マネージャーです」


 私は言った。


「担当タレントの名誉と安全を守るため、必要な確認をしています」


 黒崎常務が低い声で言った。


「佐伯。お前はまた余計なことをしているな」


「余計かどうかは、被害が出てからでは遅いので」


「被害?」


 黒崎は鼻で笑った。


「話題になっている。これはチャンスだ。芸能界で一番怖いのは無関心だ。多少の噂で名前が広がるなら、利用しない手はない」


「未成年者を含むグループに対する虚偽の不仲説を利用することには反対します」


「お前の反対は聞き飽きた」


 黒崎は机の上の資料を指で叩いた。


「本日の午後、ファンミ構成をRVE案に戻す。澪と奈々には、本音トークの練習をさせろ」


「お断りします」


 神田が立ち上がった。


「佐伯!」


「本人たちの拒否意思があり、事実と異なる謝罪演出を含む企画です。担当として同意できません」


「お前、降格された意味がわかってないのか!」


「役職と判断基準は別です」


 会議室が静まり返る。


 黒崎常務はしばらく私を見ていた。


 そして、冷たく言った。


「では、お前の同意はいらない。須藤、午後からLumiRiseの打ち合わせはお前が直接見る。佐伯は外れろ」


 来た。


 担当外しではない。


 だが、重要な打ち合わせから私を排除する。


 四人に直接圧をかけるつもりだ。


「本人たちは、私の同席を求めています」


「会社が決める」


「未成年メンバーが含まれています。本人が不安を示している場合、担当者の同席は必要です」


「お前は補佐だ」


「担当業務は継続と辞令にあります」


 神田が机を叩いた。


「黙れ!」


 そのとき、会議室のドアがノックされた。


 全員が振り返る。


 ドアが開き、宣伝担当が顔を出した。


「失礼します。公式動画、投稿後十五分で反応がかなり良いです」


 黒崎が眉をひそめる。


「何の話だ」


「今朝投稿した澪さんと奈々さんの動画です。不仲説への直接反論ではありませんが、ポジティブな反応が伸びています。ネガティブ投稿の勢いも少し落ちています」


 彼女はタブレットをテーブルに置いた。


 画面には、公式動画の反応が表示されている。


澪ちゃんと奈々ちゃん普通に仲良いじゃん

不仲説流してた人何だったの?

「泣いてもいい」って言える関係いいな

LumiRiseの空気好き

ファンミ楽しみになった


 数字も悪くない。


 再生数、反応率、保存数。


 昨日の告知動画を上回っていた。


 黒崎の表情が変わった。


 数字には反応する。


 神田は不満そうに言った。


「一時的なものだろう」


 宣伝担当は少し緊張しながらも続けた。


「ですが、現時点では不仲説を煽るより、四人の自然な関係性を出したほうが好感度が高いです。ファンミのチケット追加販売ページへの遷移も増えています」


 須藤が苛立ったように言う。


「それは不仲説で関心が集まったからでしょう」


「それだけではありません。公式素材で安心したファンが購入している動きです。コメントにも『安心して見に行ける』という声があります」


 会議室に微妙な沈黙が落ちた。


 私は宣伝担当を見た。


 彼女は小さく頷いた。


 数字で返す。


 昨日まで、私がやってきたことを、彼女も使ったのだ。


 小早川はタブレットを見つめながら言った。


「なるほど。反論ではなく上書きですか」


「はい」


 宣伝担当が答えた。


「今のLumiRiseには、そのほうが合っていると思います」


 黒崎常務はしばらく考え込んだ。


 そして、低く言った。


「午後の打ち合わせは予定通り行う。ただし、構成は両案比較だ。RVE案と佐伯案、どちらが数字を取れるかで判断する」


 神田が不満そうにしたが、黒崎は続けた。


「佐伯、お前も同席しろ」


「承知しました」


「ただし、数字で負けたら黙れ」


「数字だけでなく、本人意思と安全面も判断材料にしてください」


 黒崎が睨む。


「本当に面倒な女だな」


「よく言われます」


 小早川が小さく笑った。


 その笑いは、どこか楽しんでいるようでもあった。


 午後の打ち合わせは、重苦しい空気の中で始まった。


 LumiRiseの四人は、すでに状況を把握していた。


 花音は落ち着いている。


 優芽は少し緊張しているが、表情は明るく保っている。


 奈々は澪の隣に座っていた。


 澪は、いつもよりも背筋を伸ばしている。


 須藤がわざとらしく明るい声で言った。


「今日はファンミ構成について、もう一度話し合います。SNSでも少し話題になっているので、その流れをうまく活かしたい」


 澪がすぐに言った。


「不仲説のことですか」


 須藤の笑顔が引きつる。


「まあ、そういう見方もあるかな」


「事実じゃないです」


「それをファンミで伝えればいい」


「謝罪演出はしません」


 奈々が小さく、でもはっきり言った。


 須藤が奈々を見る。


「奈々ちゃん、君は被害者ポジションのほうがファンに守ってもらえるよ」


 その瞬間、澪が椅子から立ち上がりかけた。


 だが、奈々が先に言った。


「私は被害者ポジションになりたいわけじゃないです」


 声は震えていた。


 でも、逃げていなかった。


「澪ちゃんに泣かされたこともありません。勝手にそういう話にされるのは嫌です」


 会議室が静まった。


 優芽が続いた。


「私も、そういうの嫌です。不仲っぽくして注目されても、ファンミで楽しくできないと思います」


 花音が資料を開く。


「私たちは、昨日の佐伯さんの代替案をベースにした構成を希望します。理由もまとめてきました」


 花音は一枚の紙をテーブルに置いた。


 そこには、四人で書いたらしい文章があった。


LumiRiseファンミーティングについての本人希望

・嘘の不仲演出はしない

・誰かを悪者にする構成は避ける

・怪我や涙を煽りに使わない

・四人の現在の関係性と、新曲に込めた思いを伝えたい

・ファンに安心して応援してもらえる時間にしたい


 私はその紙を見て、胸の奥が熱くなった。


 本人意思記録。


 これ以上ない形だった。


 須藤は不機嫌そうに紙を見た。


「誰に書かされたの?」


 澪が即答した。


「四人で書きました」


「佐伯さんの影響だね」


「影響はあります」


 花音が言った。


「でも、これは私たちの意思です」


 奈々が小さく頷いた。


「はい」


 優芽も続く。


「佐伯さんが言ったからじゃなくて、私たちが嫌だから嫌です」


 小早川は黙って四人を見ていた。


 黒崎常務は出席していなかったが、神田と須藤は明らかに苛立っている。


 しかし、今日は宣伝担当とイベント制作会社もいる。


 そして、公式動画の数字がある。


 場の空気は、一方的ではなかった。


 宣伝担当が資料を出した。


「現時点の反応データです。不仲説関連の投稿は一定数ありますが、公式動画投稿後、ポジティブ反応が上回っています。ファンミ販売ページへの流入は、佐伯案ベースの告知動画からのほうが高いです」


 イベント制作会社の女性も言った。


「現場運営としても、嘘の対立演出はリスクが高いです。ファンが不仲説を信じた状態で来場すると、会場の空気が荒れる可能性があります。前向きな構成のほうが安全です」


 小早川は腕を組み、しばらく黙った。


 そして意外にも、こう言った。


「今回は、代替案ベースでいいのではないでしょうか」


 須藤が驚いた顔をする。


「小早川さん?」


「数字が出ています。本人たちも拒否している。ここで無理に不仲演出を押すと、かえって不自然です」


 私は小早川を見た。


 彼は笑っている。


 引いた。


 なぜ。


 単に分が悪いと見て引いたのか。


 それとも、別の火種を用意しているのか。


 油断はできない。


 神田は不満げだったが、宣伝担当の数字と制作会社の安全面の意見を無視しきれなかった。


 結果、ファンミーティングは佐伯案をベースに再構成されることになった。


 嘘の不仲演出は削除。


 涙の強要もなし。


 澪と奈々の謝罪シーンも当然なくなった。


 会議が終わると、四人は明らかに疲れた顔をしていた。


 それでも、どこか誇らしげだった。


 廊下に出ると、優芽が小さく拳を握った。


「勝った……?」


「一旦は」


 私が言うと、澪が眉を上げた。


「一旦、ですか」


「はい。相手が完全に諦めたとは思わないほうがいいです」


 花音が頷く。


「でも、今日は言えました」


「はい」


 奈々が胸に手を当てた。


「怖かったです。でも、澪ちゃんが隣にいたので言えました」


 澪は少しだけ目を逸らした。


「別に、私は何も」


「いました」


 奈々が言った。


「いてくれました」


 澪は黙った。


 優芽がにやにやしながら澪を見る。


「照れてる」


「うるさい」


「今日のうるさいは優しいやつですね」


「本当にうるさい」


 四人が笑った。


 私はその笑い声を聞きながら、初日に会議室で見た彼女たちを思い出していた。


 疲れていて、不安そうで、諦めていた四人。


 まだ数日しか経っていない。


 それでも、彼女たちはもう、自分たちの言葉で拒否できるようになった。


 それは大きな前進だった。


 だが、夜になると、状況は再び動いた。


 公式動画と会議結果で、不仲説の勢いは一時的に弱まった。


 しかし、二十時過ぎ。


 今度は別の方向から投稿が出始めた。


LumiRiseのマネージャー、メンバーを洗脳してるらしい

澪と奈々の不仲を隠蔽してるのは佐伯って人?

元白石瑠璃の担当で、現場を止めまくる厄介マネージャー

タレントを守るふりして売れるチャンス潰してる


 標的が変わった。


 LumiRiseから、私へ。


 私は画面を見ながら、静かに理解した。


 不仲説で燃やせないなら、マネージャーを燃やす。


 守る人間を潰せば、守られている側は孤立する。


 小早川の言葉がよみがえる。


 守る人は、弱点が多い。


 なるほど。


 そういうことか。


 私はスクリーンショットを撮った。


 投稿を保存する。


 アカウントを確認する。


 また、新しいアカウント。


 また、レイヴン関連の拡散履歴。


 そしてその中に、一件だけ内部情報を含む投稿があった。


佐伯美月、昨日降格されたのにまだ担当面してるらしい。

会社からも問題視されてるのに、LumiRiseかわいそう。


 降格の情報。


 これは社内の人間、または社内から情報を得た誰かでなければ出せない。


 私はその投稿を保存した。


 怒りは、不思議と湧かなかった。


 代わりに、頭が冷えていく。


 私を燃やすなら、燃やせばいい。


 ただし、その火元も記録に残る。


 そのとき、LumiRiseのグループチャットが一気に動いた。


 花音。


佐伯さん、見ました。これは私たちが何か言ったほうがいいですか?


 優芽。


ふざけてる。佐伯さんがチャンス潰してるとか、何も知らないくせに。


 奈々。


私、嫌です。佐伯さんが悪く言われるの。


 澪。


反応しないほうがいいのはわかってます。でも腹が立ちます。


 私はすぐに返した。


反応しないでください。

私への投稿も記録しています。

皆さんが直接庇うと、相手はさらに利用します。


 澪から即座に返事。


じゃあ黙って見てろってことですか。


 その文面には、怒りが滲んでいた。


 私は少し考えてから返す。


黙っていることと、何もしないことは違います。

公式に出すべきタイミングと形を選びます。

今は感情で反応しないことが、皆さん自身を守る行動です。


 花音。


わかりました。

でも、私たちは佐伯さんを信じています。


 優芽。


それは記録しておいてください。


 奈々。


私もです。


 澪。


私も。

でも、腹は立っています。


 私は画面を見つめた。


 数日前なら、彼女たちは会社に逆らうことを恐れ、何も言えなかっただろう。


 今は、怒っている。


 私のために。


 それが嬉しいと同時に、危うかった。


 この怒りを守らなければならない。


 彼女たちが傷つかない形に変えなければならない。


 私は返信した。


ありがとうございます。

その言葉だけで十分です。

今夜はこれ以上見ないでください。


 そして、新しいフォルダを作る。


 SNS標的変更_佐伯攻撃。


 保存しながら、私は思った。


 炎上は仕組まれた。


 第一段階は、澪と奈々の不仲説。


 第二段階は、私への攻撃。


 次は何が来る。


 LumiRiseの過去か。


 白石瑠璃の名前か。


 会社内部からの処分か。


 どれにせよ、相手はもう動きを隠さなくなっている。


 ならば、こちらも次の段階へ進む必要がある。


 記録するだけでは足りない。


 協力者を増やし、外部にも備える。


 私は相沢記者へメールを送った。


標的がLumiRiseから私個人へ移りました。

降格情報など社内情報を含む投稿あり。

内部関与の可能性が高まりました。

資料整理が進み次第、相談したいです。


 送信。


 数分後、返信が来た。


承知しました。

ここからは慎重に。

もし内部資料を出す場合、タレント本人を守る形で進めましょう。

私は動けます。


 私はその文面を保存した。


 そして、白石瑠璃にも短く連絡した。


状況が動いています。

RVE関連の炎上仕込みの可能性が高まりました。

瑠璃にも迷惑が及ぶかもしれません。注意してください。


 瑠璃からの返信は早かった。


覚悟しています。

美月さん、一人で抱えないでください。

私は証言できます。


 私はスマートフォンを握りしめた。


 一人ではない。


 LumiRiseがいる。


 宮内がいる。


 宣伝担当がいる。


 相沢がいる。


 瑠璃がいる。


 まだ小さな輪だ。


 だが、もう一人ではない。


 炎上は、確かに仕組まれている。


 けれど、相手は一つ誤算をしている。


 LumiRiseは、もう初日のように黙って耐えるだけのグループではない。


 そして私も、ただ攻撃されて黙る裏方ではない。


 私は最後に、今日の記録の末尾へ書いた。


不仲説が弱まった直後、佐伯個人への攻撃投稿が発生。

降格情報を含む社内情報が外部アカウントより投稿された。

内部関与の疑いが強い。

次段階として、外部協力者との連携を検討。


 保存。


 画面に映る自分の顔は、疲れていた。


 だが、目は冷めていた。


 スカッとする結末には、まだ遠い。


 相手は大人で、会社で、業界で、数字を持っている。


 こちらにあるのは、記録と、本人たちの意思と、少しずつ集まった味方だけ。


 でも、それで十分だ。


 火をつけた人間は、燃え広がる炎ばかりを見る。


 その足元に、焦げ跡が残っていることには気づかない。


 私はその焦げ跡を、一つずつ拾っている。


 いつか、全部つなげて見せるために。


 誰が火をつけたのか。


 誰がその炎で笑おうとしたのか。


 誰が、彼女たちの涙を商品にしようとしたのか。


 その日が来るまで、私は記録係でいい。


 ただし、最後には必ず突きつける。


 あなたたちが裏方と見下した人間は、全部見ていたのだと。

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