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第6話 信頼は、控室で生まれる

降格通知の翌日、LumiRiseの四人はいつもより早く事務所に来ていた。


 午前八時半。


 レッスン室の前に着くと、中から声が聞こえた。


「だから、そこは奈々が無理に前に出なくていいんだって」


「でも、昨日の立ち位置表だと……」


「優芽の足首が戻るまで変えるしかない。奈々が前に出すぎると、次の移動でぶつかる」


「澪、言い方」


「事実」


「事実でも、もう少し優しく」


「……奈々、前に出なくていい」


「それは優しいんですか?」


「努力は感じる」


 扉の前で、私は少しだけ足を止めた。


 中に入ると、四人が振り返った。


「おはようございます」


 花音がすぐに立ち上がる。


「おはようございます。すみません、勝手にレッスン室を使っていました」


「予約は取っていますか」


「はい。宮内さんが空き時間を教えてくれて、使用申請も出しました」


 宮内。


 昨日の缶コーヒーに続いて、また小さく手を貸してくれたらしい。


 私は頷いた。


「問題ありません。何を確認していましたか」


 優芽が片手を上げた。


「私の足が使えない間のフォーメーションです」


「足の状態は?」


「痛みは二です。昨日と同じくらい。腫れは少し引きました」


「確認します」


「はい」


 優芽は素直に椅子へ座り、足首を出した。


 初日なら、きっと「大丈夫です」と笑って逃げていた。今は違う。痛みを報告し、確認を受け入れる。小さな変化だが、マネジメントでは大きい。


 私は足首の状態を確認した。


 熱感は昨日より弱い。腫れも引いている。ただし、高負荷のステップはまだ避けるべきだった。


「今日は跳ばない、走らない、急な方向転換なし」


「了解です」


「違和感が出たら止める」


「業務指示ですね」


「はい」


 優芽は笑った。


 その笑顔は、以前より少し軽い。


 無理して明るくする笑顔ではなく、自分の弱さを一度見せたあとの笑顔だった。


 私はホワイトボードを見た。


 そこには、今日の練習項目が花音の字で書かれていた。


 一、歌詞解釈の共有。


 二、優芽負担軽減フォーメーション。


 三、奈々のカメラ目線練習。


 四、澪のトーク返答練習。


 五、花音が一人でまとめすぎない練習。


 最後の項目を見て、私は少し眉を上げた。


「五番は?」


 花音が気まずそうに視線を逸らした。


 代わりに澪が答えた。


「花音が何でも『私がやる』って言うので、禁止しました」


「禁止って言い方はしてないでしょ」


「似たようなもの」


 優芽が笑いながら口を挟む。


「花音は、私たちが失敗しそうになるとすぐ背負うんです。だから今日は、花音が何か言う前に、私たちが言う練習」


 奈々が小さく頷いた。


「私も、できないって言うだけじゃなくて、どうしたらできるか言う練習をします」


 私は四人を見た。


 自分たちで課題を見つけている。


 これは、会社が用意したキャラクターではない。


 彼女たち自身の関係性だ。


 昨日、勝手に押しつけられた役割を拒否したことで、逆に本当の役割が見え始めている。


 リーダーとして背負う花音。


 核心を言葉にする澪。


 場を明るくする優芽。


 怖くても一歩進もうとする奈々。


 それは商品用の設定ではなく、グループの骨格だった。


「いい練習です」


 私が言うと、花音は少し安心したように笑った。


「佐伯さんにそう言ってもらえると、ほっとします」


「ただし、練習時間は九十分までです。途中で十分休憩を入れます」


「はい」


「それから、今日は午後にファンミーティングの事前打ち合わせがあります。須藤さんも出席予定です」


 四人の表情が少し固くなった。


 澪が短く言う。


「また変な企画ですか」


「確認します」


「それ、変な企画の可能性が高いときの言い方ですよね」


「その通りです」


 優芽が苦笑した。


「佐伯さん、最近ちょっと正直になってきましたね」


「皆さんが察するようになったので」


 レッスン室に小さな笑いが起きた。


 その笑いを見て、私は思った。


 信頼は、華やかなステージの上で突然生まれるものではない。


 控室。


 移動車。


 レッスン室。


 食事を取る時間。


 足首にテープを巻く時間。


 怖いと言えた時間。


 そういう小さな場所で、少しずつ生まれる。


 午前の練習は、想像以上に濃かった。


 澪は奈々のカメラ目線練習に付き合った。


「カメラを敵だと思わない」


「はい」


「でも味方だと思いすぎても飲まれる」


「はい……?」


「見たい人だけを見る」


「佐伯さんが言ってたやつですね」


「そう」


 澪は奈々の正面に立ち、手で小さな四角を作った。


「ここがカメラだと思って。私の目じゃなくて、少し奥を見る」


 奈々はぎこちなく視線を上げた。


「こうですか」


「怖がりすぎ」


「すみません」


「謝らなくていい。怖いなら、怖いまま見る」


「怖いまま?」


「無理に笑うと、余計怖く見える」


「澪ちゃん、言い方」


 優芽が横から突っ込む。


 澪は一瞬考えた。


「……怖くても、そのままでいいと思う」


 奈々は目を丸くした。


「今の、優しいです」


「うるさい」


 優芽が笑った。


「照れてる」


「照れてない」


 花音はそのやり取りを見て、口元を緩めていた。


 以前の花音なら、きっとすぐに「私が見本をやる」と入っていただろう。だが今は、一歩引いてメンバー同士のやり取りを見守っている。


 それも練習なのだ。


 花音が一人で背負いすぎない練習。


 私はメモを取った。


メンバー間での相互支援が自然発生。

花音、一歩引いて見守る動きあり。

澪、奈々への指導で言葉を選ぼうとする傾向。

優芽、空気緩和役として機能。

奈々、謝罪ではなく確認する姿勢が出始める。


 これは証拠というより、成長記録だ。


 だが、いつか必要になる。


 会社が「LumiRiseは外部施策でキャラクター化すべき」と主張したとき、私は示せる。


 この子たちは、そんな薄い設定がなくても、自分たちで関係性を育てている。


 十時半、休憩を入れた。


 私は用意していた軽食を並べる。小さなパン、ゆで卵、果物、温かいスープ。


 奈々がスープを見て、少し笑った。


「最近、スープを見ると安心します」


「温かいものは胃に優しいので」


「前は、食べると怒られると思ってました」


 その言葉に、花音が少し顔を曇らせた。


 優芽も黙る。


 私は奈々の前にスープを置いた。


「今は?」


 奈々は両手でカップを持ち、少し考えた。


「食べないと怒られる、です」


「怒ってはいません」


「でも、食べてくださいって顔をします」


 優芽が笑った。


「わかる。佐伯さんの無言の圧」


「そんなに圧がありますか」


「あります。優しいけど逃げられないやつ」


 澪がパンを半分に割りながら言った。


「でも、そっちのほうがいい」


 彼女は何でもないように続けた。


「食べるなって言われるより、食べろって言われるほうが」


 何気ない言葉のようで、重かった。


 私は頷くだけにした。


 休憩中、宮内がレッスン室を覗いた。


「佐伯さん、ちょっといいですか」


「はい」


 廊下へ出ると、宮内は周囲を確認してから小さな声で言った。


「午後のファンミ打ち合わせの資料、さっき共有フォルダに上がってました」


「見ましたか」


「はい。変です」


 彼女はタブレットを差し出した。


 資料タイトルは、LumiRiseファンミーティング演出案。


 ページをめくる。


 前半は普通だった。


 トーク。


 ミニライブ。


 プレゼント抽選。


 ファンからの質問コーナー。


 問題は後半だった。


 メンバー本音告白企画。


 涙の絆演出。


 不仲疑惑を逆手に取ったドッキリ風展開。


 私は画面を止めた。


「不仲疑惑?」


 宮内が頷く。


「まだ表には出てません。でも、企画書には『今後SNS上で予想されるメンバー間温度差の話題を活用』って」


 今後SNS上で予想される。


 つまり、先に仕込むつもりがある。


 相沢記者の言っていた「炎上の種」。


 RVE関連のキャラクター施策。


 そして今回のファンミ企画。


 繋がった。


 彼らは、LumiRiseの炎上を自然発生として演出し、その火を使って注目を集めようとしている。


 私は資料を自分の端末へ転送し、保存した。


「宮内さん、この資料を見たことは誰かに言いましたか」


「言ってません」


「そのままでお願いします」


「佐伯さん、これ、やっぱりおかしいですよね」


「はい」


 宮内は不安そうに唇を結んだ。


「私、前に別グループで似たようなことを見ました。ファン同士を煽って、メンバーの人気差を作って、投票企画にして……結局、メンバーが一人辞めました」


 私は彼女を見た。


「その資料や記録は残っていますか」


「少しなら。個人メモですけど」


「消さないでください」


 宮内は目を見開いた。


「使いますか」


「今すぐではありません。ただ、同じ手口なら確認材料になります」


「わかりました」


 彼女は小さく頷き、それから苦笑した。


「私、佐伯さんの影響で記録癖がつきそうです」


「悪い癖ではありません」


「ですよね」


 宮内は少しだけ笑って戻っていった。


 味方が一人、また少し踏み込んだ。


 危険でもある。


 だが、彼女自身も過去に何かを見てきたのだろう。


 その悔しさが、今の行動につながっている。


 午後一時。


 小会議室でファンミーティングの打ち合わせが始まった。


 出席者は、私、LumiRise四人、須藤、宣伝担当、イベント制作会社の担当者二名。


 そして、RVEプロモーション企画室の担当者として、若い男性が一人いた。


 名刺には、小早川悠斗とある。


 年齢は二十代後半くらい。柔らかい笑顔で、言葉遣いも丁寧だった。だが、資料を説明する声には、どこか温度がなかった。


「今回のファンミーティングでは、LumiRiseさんの等身大の魅力を引き出すために、少し踏み込んだ企画を提案しています」


 スクリーンに資料が映る。


 メンバー本音告白企画。


 涙の絆演出。


 不仲疑惑を逆手に取ったドッキリ風展開。


 四人の顔が、明らかに強張った。


 須藤はそれを見ても、何も言わない。


 小早川は続けた。


「今のファンは、綺麗に整えられたステージだけではなく、裏側や葛藤を求めています。メンバー同士の本音、衝突、涙、和解。そういったドラマがあることで、応援熱が高まります」


「衝突を演出するということですか」


 私が聞くと、小早川は微笑んだ。


「演出というより、潜在的な感情を引き出す形です」


「本人たちが望んでいない場合は?」


「もちろん無理強いはしません。ただ、多少の緊張感があったほうがイベントとしては盛り上がります」


 須藤が補足する。


「要するに、ただ歌って喋るだけじゃ弱いってことです。ファンに刺さる物語が必要なんですよ」


 私は資料を見た。


「不仲疑惑という文言がありますが、現時点でそのような事実はありません」


 小早川は滑らかに答える。


「事実というより、見せ方です。たとえば澪さんは言葉が強く、奈々さんは繊細に見える。そこに少しすれ違いがあったという構成にすれば、最後の和解で感動が生まれます」


 奈々の顔が青ざめた。


 澪の目が冷たくなる。


「私が奈々を傷つける役ってことですか」


 澪が言った。


 小早川は笑顔のまま首を振る。


「傷つけるというより、誤解されやすいクールな役ですね」


「同じです」


 澪の声が低くなる。


 小早川の笑顔がわずかに固まった。


「もちろん、最終的には澪さんの優しさが伝わる構成にします」


「最初から普通に伝えればいいじゃないですか」


 優芽が口を挟んだ。


「わざわざ不仲っぽくしなくても」


 須藤が苛立ったように言った。


「優芽ちゃん、これはプロが考えた企画だから」


「でも、私たちのことですよね」


 優芽の声は明るかったが、逃げていなかった。


「私たちが嫌だって言ったら、変えられますか」


 会議室が静かになった。


 須藤の表情が険しくなる。


「嫌だ嫌だで仕事はできないよ」


 花音が静かに口を開いた。


「嫌だと言っているだけではありません。私たちは、ファンの前で嘘の不仲や涙を見せたくありません」


 リーダーの声だった。


 震えていない。


 私は横で聞いていた。


 今、彼女たちは自分たちの言葉で拒否している。


 私が遮るべきではない。


 小早川は少し困ったように笑った。


「皆さん真面目ですね。ただ、ファンは感動を求めています。少し涙があるくらいのほうが、後のミニライブも盛り上がりますよ」


 奈々が俯いた。


 私は彼女がまた黙り込むかと思った。


 だが、奈々は小さく息を吸い、顔を上げた。


「私、泣かせるための企画は嫌です」


 声は小さい。


 でも、確かだった。


「泣くことはあると思います。でも、最初から泣かせようとされるのは嫌です」


 優芽が隣で頷いた。


 澪は黙って奈々を見ている。


 花音は少しだけ目を細めた。泣きそうになったのを堪えたのかもしれない。


 私はそこで初めて口を開いた。


「本人たちの意思は明確です。この企画は再検討してください」


 須藤が机を叩いた。


「佐伯さん、あなたは黙っていてください」


「本人たちの意思確認を受けた担当として発言しています」


「補佐でしょう」


「担当業務は継続です」


 小早川が場を収めるように言った。


「では、表現を調整しましょう。不仲という言葉は使わず、『本音で語り合う』という形に」


「台本で対立させる部分は残りますか」


 私が聞くと、彼は一瞬沈黙した。


「多少の山場は必要です」


「では不可です」


 須藤が立ち上がった。


「佐伯さん!」


「ファンミーティングで本人たちが望まない対立・涙・不仲演出を行うことに反対します。本人四名も拒否意思を示しています。代替案を出します」


「代替案?」


「はい」


 私は持参していた資料をテーブルに置いた。


 昨夜から作っておいたものだ。


 LumiRiseファンミーティング代替構成案。


 一、四人による新曲歌詞解釈トーク。


 二、ファンからの応援メッセージ紹介。


 三、メンバー同士が選ぶ「助けられた瞬間」。


 四、優芽の足首を考慮した座り振付講座。


 五、奈々のカメラ目線チャレンジ。


 六、澪の言葉選び相談室。


 七、花音が一人で背負わないための四人宣言。


 八、ミニライブ。


 涙を強制しない。


 対立を作らない。


 それでも、ドラマはある。


 彼女たちがここ数日で本当に積み上げてきたものだ。


 小早川は資料を見て、少し目を細めた。


「これは……ずいぶん内輪向けですね」


「ファンミーティングですから」


「刺激が弱い」


「継続的な信頼を作る構成です」


「拡散性は?」


「切り抜き前提ではなく、ファン満足度を優先します。ただし、自然な発言が出れば結果的に拡散します」


 宣伝担当が資料を覗き込んだ。


「これ、悪くないと思います」


 須藤が睨む。


「何が?」


「昨日から公式のコメント欄でも、『ちゃんと食べて』『無理しないで』みたいな反応が伸びています。無理やり泣かせるより、今のLumiRiseの空気を見せたほうが好感度は高いかもしれません」


 イベント制作会社の女性担当者も頷いた。


「座り振付講座は安全面でも良いですし、ファン参加型にできます。会場で一緒に手振りを覚える形にすれば盛り上がります」


 須藤の顔が歪んだ。


 味方が増えた。


 小さくだが、空気が変わった。


 小早川は笑顔を保っていたが、目は笑っていなかった。


「なるほど。佐伯さんは、かなり手堅い構成がお好きなんですね」


「炎上前提よりは」


 小早川の口元が止まった。


「炎上前提とは、心外ですね」


「資料に不仲疑惑の活用とありました」


「言葉の問題です」


「言葉は大事です」


 澪が小さく言った。


 全員の視線が彼女へ向く。


「勝手に毒舌って言われるのも、不仲っぽくされるのも、言葉の問題ですよね。でも、その言葉でこっちの見え方が決まるなら、大事です」


 花音が続いた。


「ファンの人に、嘘の私たちを見せたくありません」


 優芽も言った。


「怪我を美談にされるより、今できる形で一緒に楽しみたいです」


 奈々は緊張しながらも、最後に言った。


「泣かせる企画より、笑える企画がいいです」


 小早川は数秒黙り、それから資料を閉じた。


「わかりました。持ち帰って再検討します」


 須藤が何か言おうとしたが、宣伝担当が先に口を開いた。


「では、代替案ベースで再構成して、明日までに確認しましょう。ファン向けの事前告知も、前向きな内容で作れます」


 須藤は苦虫を噛み潰したような顔をした。


 だが、多数決ではないにしろ、場の空気はすでに変わっていた。


 会議が終わると、小早川は私に近づいた。


「佐伯さん」


「はい」


「あなたのような方がいると、企画はやりにくくなります」


「そうでしょうね」


「でも、面白い」


 彼は名刺を指で軽く叩いた。


「真壁も、あなたに興味を持っていました」


「光栄ではありません」


「でしょうね」


 小早川は笑った。


「ただ、気をつけてください。守る人は、弱点が多い」


 私は彼を見返した。


「利用する人よりは、少ないと思います」


 小早川の笑顔が一瞬消えた。


 すぐに戻ったが。


「では、また」


 彼は会議室を出ていった。


 須藤も何も言わずに続いた。


 残された四人は、しばらく黙っていた。


 やがて、奈々が力が抜けたように椅子に座り込んだ。


「言えた……」


 優芽が隣にしゃがみ込む。


「言えてた! すごかった!」


「声、震えてました」


「震えてても言えたら勝ち」


 澪が頷いた。


「奈々、ちゃんと言えてた」


 奈々は目を潤ませたが、泣かなかった。


 花音が静かに言った。


「私も、言えました」


「はい」


 私は頷いた。


「皆さん、自分の言葉で言えていました」


 花音は胸に手を当て、ゆっくり息を吐いた。


「怖かったです」


「怖くて当然です」


「でも、四人で言うと、一人で言うより怖くなかった」


 優芽が笑う。


「それ、グループっぽい」


「元からグループです」


 澪が言った。


「でも、やっとグループになってきた気がする」


 その言葉に、誰も反論しなかった。


 夕方、ファンミーティングの告知用ショート動画を撮った。


 内容は当初予定から変更された。


 四人が並び、花音が話し始める。


「次のファンミーティングでは、私たち四人が今大切にしていることを、皆さんと一緒に話せる時間にしたいと思っています」


 優芽が続く。


「私は足をちゃんと治しながら、今できるダンスを全力で見せます!」


 奈々が少し緊張しながら言う。


「私も、泣き虫だけじゃないところを見せたいです。あ、でも泣いたらごめんなさい」


 澪が横から言った。


「泣いてもいい」


 奈々が驚いて澪を見る。


 優芽が笑う。


 花音も笑う。


 台本にはない。


 でも、その一瞬が一番良かった。


 撮影担当が小さく言った。


「今の、使いましょう」


 私は頷いた。


「お願いします」


 夜、公式アカウントに動画が投稿されると、反応はすぐに広がった。


澪ちゃんの「泣いてもいい」優しすぎる

奈々ちゃん、泣き虫だけじゃないよ!

優芽ちゃん無理しないで、でも楽しみにしてる

花音ちゃんの言葉、安心する

LumiRise、最近雰囲気良くない?


 ポジティブな反応が多かった。


 自然な関係性は、作られた不仲より強い。


 少なくとも、ファンには届き始めている。


 私は数値を記録し、宣伝担当へ共有した。


 すると、すぐに返信が来た。


代替構成のほうが反応良いです。

明日の会議で、この方向を推します。


 私は短く返した。


ありがとうございます。本人たちの意思と安全面を軸に進めましょう。


 その直後、相沢記者からメールが届いた。


佐伯さん

RVE関連のアカウント群について、追加情報があります。

近いうちに「LumiRise内の不仲」を匂わせる投稿が出る可能性が高いです。

特に朝比奈澪さんと三枝奈々さんの関係性を狙う内容です。

先に手を打てるなら、打ったほうがいい。


 私は画面を見つめた。


 今日の会議で提案された不仲演出。


 澪と奈々。


 まさに同じ構図だ。


 彼らは、ファンミーティングで不仲を演出するだけではない。


 その前にSNSで疑惑を流し、ファンミで回収するつもりだったのだ。


 炎上を仕込み、イベントで涙の和解を見せる。


 そして、注目度を上げる。


 最低だ。


 私はすぐに今日の告知動画の反応を確認した。


 澪の「泣いてもいい」。


 奈々の自然な笑顔。


 そのやり取りが、すでにファンの間で好意的に広がっている。


 偶然だが、これは防波堤になる。


 私は相沢へ返信した。


情報ありがとうございます。

本日、澪と奈々の自然な関係性が伝わる動画を公式から投稿済みです。

今後、不仲を匂わせる投稿が出た場合、発信源と拡散経路を確認します。

追加情報があればお願いします。


 送信してすぐ、私はLumiRiseのグループチャットへ連絡した。


今後、SNSでメンバー同士の不仲を煽るような投稿が出る可能性があります。

見かけても反応しないでください。

スクリーンショットを撮って、私に送ってください。

公式で必要な対応をします。


 花音から即座に返信。


わかりました。みんなにも確認します。


 澪。


私と奈々ですか?


 私は少し迷い、正直に返した。


その可能性が高いです。


 奈々から、少し遅れて届いた。


私、澪ちゃんと不仲じゃないです。


 澪がすぐに返した。


知ってる。


 優芽。


不仲どころか今日めちゃくちゃ優しかったよね。


 澪。


うるさい。


 奈々。


でも、嬉しかったです。


 少し間があって、澪。


ならよかった。


 私はそのやり取りを見て、スクリーンショットを撮った。


 本人たちの関係性。


 本人たちの言葉。


 仕組まれた不仲への、何より強い反証だった。


 その夜、会社を出るとき、エントランスの巨大ポスターの前で足を止めた。


 白石瑠璃のポスターは、いつの間にか新しい広告に替えられていた。


 LumiRiseではない。


 別の事務所の人気アイドル。


 芸能界の光は、入れ替わりが早い。


 今日誰かが輝いていても、明日には別の誰かに場所を譲る。その速さの中で、大人たちは「今しかない」と言って若い才能を急がせる。


 でも、本当に大切なのは、今だけ輝かせることではない。


 明日も、来年も、本人が自分を失わずに立てる場所を作ることだ。


 私はビルを出た。


 夜風が冷たかった。


 スマートフォンが震える。


 通知を開くと、匿名アカウントの投稿が一件、拡散され始めていた。


LumiRise、裏では澪が奈々を泣かせてるって聞いた。

最年少いじめとか本当ならきつい。


 来た。


 早すぎる。


 私はすぐにスクリーンショットを撮った。


 投稿時刻。


 アカウント名。


 リポスト数。


 引用の内容。


 続けて、同じような文言の投稿が増え始める。


澪って性格きつそうだもんね

奈々ちゃん最近怯えてない?

不仲説マジ?

ファンミで何か発表あるって聞いたけど


 私はタクシー乗り場へ向かう足を止めた。


 火はついた。


 だが、まだ小さい。


 ここで慌てて消そうとすると、かえって煙が広がる。


 必要なのは、火元を特定すること。


 そして、燃やそうとしている人間に、こちらが気づいていると悟らせすぎないこと。


 私は宣伝担当へ連絡した。


先ほどからLumiRise不仲説を煽る投稿が複数発生。

公式からの即時反論は一旦保留。

投稿一覧を収集し、発信源と拡散経路を確認します。

本日投稿した告知動画のポジティブ反応を固定表示できるか確認してください。


 次に、宮内へ連絡する。


可能であれば、過去の類似案件のアカウントパターンを確認してください。

無理はしないでください。


 最後に、LumiRiseへ。


先ほど話した投稿が出始めました。

反応しないこと。

エゴサをしないこと。

不安な人は私に直接連絡してください。

今夜は私が確認します。


 すぐに花音から返信。


了解しました。

みんなには見ないように言います。


 優芽。


見ません! 見たら怒られるので!


 奈々。


少し怖いです。


 澪。


奈々、私と通話する?


 奈々。


いいんですか?


 澪。


いい。変な投稿見るくらいなら私と話してたほうがまし。


 優芽。


それ優しいのに言い方。


 花音。


じゃあ今日は四人で少しだけ通話して、早めに寝よう。


 私は画面を見て、少しだけ息を吐いた。


 信頼は、控室で生まれる。


 そして、炎上の夜にも試される。


 仕組まれた不仲は、彼女たち自身のつながりを壊そうとしている。


 だが、今日の彼女たちは初日とは違う。


 怖いと言える。


 嫌だと言える。


 通話しようと言える。


 一人で抱えない選択ができる。


 私はスマートフォンを握り直した。


 ここからが、本当の炎上対策だ。


 裏方扱いのマネージャーとして、やることは決まっている。


 火に油を注がず、証拠を集める。


 彼女たちを火の前に立たせない。


 そして、火をつけた人間の手元を照らす。


 私は夜の歩道に立ったまま、LumiRise記録フォルダに新しいファイルを作成した。


 SNS不仲炎上_初動。


 保存したスクリーンショットを一枚ずつ入れていく。


 投稿は増えている。


 でも、こちらももう、ただ燃やされるだけではない。


 彼女たちの本当の関係性は、今日すでにファンへ届き始めている。


 そして私は、全部記録している。


 誰が火をつけたのか。


 誰が煽ったのか。


 誰が、その火で彼女たちを売ろうとしたのか。


 いずれ必ず、明るみに出す。

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