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第26話 失脚の音

四人の声明が出た翌朝、スターリット・プロダクションの株主向け問い合わせ窓口が一時的に止まった。

 公式には「アクセス集中による不具合」と発表された。

 だが、片桐弁護士経由で入ってきた情報では、原因はスポンサー企業だけではなかった。

 親会社。

 取引銀行。

 大口イベント主催者。

 そして、スターリットに所属する他のタレントの保護者たち。

 これまで沈黙していた人たちが、一斉に質問を送り始めた。

 LumiRiseの声明は、ファンに向けたものだった。

 けれど、その言葉はファンだけに届いたわけではない。

 「活動放棄ではない」

 「安心して活動を続けるために必要な確認をしている」

 この二文は、他のタレントや保護者にも刺さった。

 自分たちも、同じことを聞いていいのではないか。

 自分の契約を確認していいのではないか。

 怖いと言っていいのではないか。

 その空気が、スターリットの中に広がり始めていた。

 午前九時、片桐から電話が来た。

「佐伯さん、今日、スターリットで臨時取締役会が開かれます」

「議題は」

「外部調査体制、RVE契約、黒崎常務の職務権限、LumiRiseとの契約解除協議、そして佐伯さんへの処分」

 私は手元のノートを開いた。

「黒崎の職務権限まで」

「はい。スポンサー側が、黒崎常務が調査対象であるにもかかわらずスポンサー対応に関与していることを問題視しています」

「当然ですね」

「社長も、これ以上黒崎常務に任せるのは危険だと判断し始めているようです」

 私は窓の外を見た。

 空は晴れていた。

 昨日までの曇りが嘘のように、薄い青が広がっている。

 だが、胸の中は晴れなかった。

 黒崎が失脚するかもしれない。

 それは大きな前進だ。

 けれど、それで終わりではない。

 黒崎一人にすべてを押しつければ、会社は「個人の問題」で済ませようとする。

 RVE契約に署名したのは黒崎だけではない。

 神田も、須藤も、営業部長も関わっている。

 法務を通さなかった承認フロー。

 保護者説明を曖昧にした体制。

 炎上を数字として扱う営業文化。

 それらが残れば、別の黒崎がまた生まれる。

「片桐先生」

「はい」

「黒崎が処分されても、第三者調査の要求は下げません」

「もちろんです。むしろ、黒崎常務の権限停止は調査の入口です。出口ではありません」

 その言葉に、私は頷いた。

 入口。

 そうだ。

 まだ、入口だ。

 午前十時、LumiRiseのグループチャットには、いつもの体調報告が並んでいた。

 花音。

起床しました。睡眠六時間。体温36.4度。昨日の声明で緊張して、少し疲れています。

 優芽。

起きました。睡眠六時間半。足首痛み一。昨日ずっとスマホ見そうになったので、今日は時間決めます。

 奈々。

起きました。睡眠七時間。体温36.5度。怖い夢を見ました。でも朝ごはん食べました。

 澪。

起床。睡眠五時間半。怒りノートが一冊終わりそう。

 優芽。

早すぎ。

 花音。

今日はSNS確認を一日三回までにしよう。

私たちは休む時間も必要。

 奈々。

はい。

 澪。

了解。

 優芽。

了解!

 そこへ、花音が続けた。

昨日の声明について、他の所属の子から連絡が来ました。

「私も契約書を見てみたい」と言っていました。

どう返せばいいか、保護者と片桐先生に確認します。

 私は画面を見つめた。

 広がっている。

 LumiRiseの言葉は、スターリットの他の子たちにも届いている。

 それは希望であり、危険でもある。

 会社は「佐伯が扇動した」と言えなくなれば、次は「LumiRiseが他の所属者を巻き込んだ」と言い出すかもしれない。

 片桐事務所から、すぐに保護者連絡網へ注意が送られた。

他の所属者から相談があった場合、具体的助言はせず、「保護者や専門家に相談し、契約書を確認することは本人の権利」と一般的に伝えるに留めてください。

個別案件を抱え込まないでください。

 適切だった。

 LumiRiseは、他の子たちの相談窓口になるべきではない。

 彼女たちはまだ、自分たちの足元を守っている最中なのだから。

 午前十一時半、相沢から連絡が入った。

取締役会前に、黒崎側が最後の抵抗をしています。

「佐伯美月とLumiRiseが結託して独立を画策している」という資料を役員に配ったようです。

 私は眉を寄せた。

内容は?

佐伯さんの会見、LumiRise声明、アステル設立準備の噂、白石瑠璃さんのコメントを並べて、「社外勢力による所属タレント引き抜き」と見せるもの。

ただし、証拠はほぼ推測です。

 来た。

 予想していた攻撃だ。

 アステルの準備は、どこかから漏れたのだろう。

 隠していたわけではない。

 片桐や税理士、商号確認の関係で外部に情報は出ている。

 それでも、このタイミングで黒崎が使うのは当然だった。

 私はすぐに片桐へ転送した。

 片桐から電話が来る。

「佐伯さん、落ち着いてください」

「落ち着いています」

「声が低いです」

「怒っています」

「それは正常です。ただし、こちらには時系列があります。アステル設立準備は、あなたへの自宅待機命令、悪評流布、今後の職業選択の必要性が生じた後に始まっています。LumiRiseへの誘引行為はありません」

「はい」

「取締役会向けに、こちらからも文書を出します。佐伯さんの新事業準備は職業選択の自由に基づくものであり、LumiRise本人・保護者の契約解除協議とは独立したもの。誘引の事実はない。本人たちは保護者・専門家同席のもと意思形成している。これを明記します」

「お願いします」

「それから、アステルの準備を止める必要はありません。むしろ、隠すほうが不自然です」

「わかりました」

 電話を切ったあと、私はノートに書いた。

黒崎側、佐伯・LumiRise結託による独立画策資料を役員に配布。

証拠は推測。

対応:時系列、職業選択、誘引なし、本人・保護者主体を明確化。

 怒りはある。

 だが、もう怒りだけでは動かない。

 黒崎は、私を「引き抜きの首謀者」にしたい。

 そうすれば、RVE契約や炎上施策の問題から目を逸らせる。

 だからこそ、私はその物語に乗らない。

 淡々と時系列を出す。

 淡々と記録を出す。

 淡々と否定する。

 昼過ぎ、LumiRiseのグループチャットにも、黒崎側の資料の話が伝わったらしい。

 澪。

私たちが佐伯さんに操られてるって資料が出てるらしいです。

 優芽。

またそれ?

 奈々。

私たち、自分で決めましたよね。

 花音。

はい。

だから、必要なら時系列を出せます。

佐伯さんが返信していないことも、会議に同席していないことも、記録があります。

 澪。

便利ですね、返信しない記録。

 優芽。

寂しかったけど役に立った。

 奈々。

佐伯さん、見てくれてはいたと思います。

 花音。

うん。

でも、決めたのは私たちです。

 私は画面を見て、胸の奥が締めつけられた。

 見ていた。

 ずっと見ていた。

 でも、決めたのは彼女たちだ。

 その事実を、彼女たち自身が理解している。

 それが何よりの防御だった。

 午後一時、臨時取締役会が始まった。

 私はその間、アステル・マネジメントの設立書類を整えていた。

 資本金の振込準備。

 印鑑の発注。

 商号調査の結果確認。

 税理士候補との面談予定。

 社労士の紹介依頼。

 ハラスメント外部窓口の候補リスト。

 やることは山ほどある。

 スターリットの取締役会で黒崎が何を言っているか、気にならないと言えば嘘になる。

 だが、私は私の仕事をする。

 外に場所を作ると決めたなら、誰かの失脚を待つだけではいけない。

 午後二時半、相沢から短いメッセージが入った。

荒れています。

社長が黒崎資料の根拠を確認。黒崎側、具体証拠を出せず。

法務が、佐伯さんの直接誘引を示す記録は現時点でないと説明。

 私は息を吐いた。

 片桐の文書が効いたのだろう。

 午後三時。

RVE契約について、社長が黒崎に「なぜ法務精査を通さず承認したのか」と質問。

黒崎、「営業判断」と回答。

営業部長が「常務指示」と発言。場が凍ったそうです。

 私は思わず画面を見つめた。

 営業部長が黒崎を切った。

 責任の押しつけ合いが、ついに表に出た。

 午後三時半。

須藤も呼ばれています。

須藤、「RVEの詳細施策は小早川氏側が設計、自分は窓口」と主張。

ただし、活動継続確認書や奈々さん個人配信については説明に詰まっているようです。

 須藤も逃げている。

 だが、彼の発言はすでに多く記録されている。

 「泣けるなら次の配信で使える」

 「澪が奈々に謝って抱き合えば感動」

 「泣き虫じゃないと言うなら、一人でも話せるところを見せましょう」

 どれも、彼の言葉だ。

 午後四時過ぎ、片桐から電話が来た。

「佐伯さん、決まりました」

 私は立ち上がった。

「何が」

「黒崎常務の職務権限停止。調査終了まで、LumiRise案件および外部プロモーション契約、スポンサー対応から外れます」

 言葉が、胸の中に静かに落ちた。

「黒崎が外れる」

「はい。神田部長もLumiRise案件から外れます。須藤氏は営業部内で待機、RVE関連業務から外れるとのことです」

「処分ですか」

「正式処分ではありません。調査中の職務停止・担当外しです」

「でも、大きい」

「大きいです」

 私は椅子に座り直した。

 黒崎が、LumiRise案件から外れる。

 神田も。

 須藤も。

 それは、四人が最初に出した条件の一部だった。

 会社は昨日まで回答を濁していた。

 今日、スポンサー、世論、保護者、法務、社長の前で、ついに外さざるを得なくなった。

「佐伯さんへの自宅待機は?」

「継続ですが、懲戒手続きは正式に停止。調査対象として、あなたの安全管理判断も確認する形になります」

「復職ではない」

「まだです。ただ、処分の流れは止まりました」

 処分の流れが止まった。

 黒崎は私を業界から消すと言った。

 その黒崎が、職務権限を止められた。

 スカッとしたかと聞かれれば、答えは複雑だった。

 胸の奥に、小さく熱いものはある。

 けれど、それ以上に疲労があった。

 ここまで来るのに、どれだけの人が怖い思いをしただろう。

 LumiRise。

 瑠璃。

 莉子。

 宮内。

 宣伝担当。

 保護者。

 みんなが、少しずつ傷つきながら声を出した。

 黒崎が外れたからといって、その傷が消えるわけではない。

「片桐先生」

「はい」

「第三者調査は」

「外部弁護士三名、労務専門家一名、未成年者支援の有識者一名を含む調査チームを設置する方向です。まだ完全な第三者委員会とは言えませんが、社内調査よりかなり独立性があります」

「結果公表は?」

「概要公表を検討。スポンサーが求めています」

「そこは譲らないでください」

「もちろんです」

 電話を切ったあと、私はしばらく黙っていた。

 窓の外の青空は、朝より少し薄くなっていた。

 風が吹いている。

 風向きは、完全に変わった。

 午後五時、スターリット公式が声明を出した。

当社は、一連の報道および関係各所からのご指摘を受け、外部専門家を含む調査チームを設置することを決定いたしました。

調査期間中、関連する役職者の一部について、当該案件に関する職務権限を停止いたします。

所属タレントの心身の安全、契約説明、外部プロモーション施策の運用について、事実確認を進めてまいります。

調査中、所属タレントへの不利益取扱いを行わないことを改めて確認いたします。

 名前は出ていない。

 黒崎とも、神田とも、須藤とも書いていない。

 だが、関係者にはわかる。

 役職者の一部。

 職務権限停止。

 それは、失脚の始まりだった。

 SNSはすぐに反応した。

ついに役職者外れた

ちゃんと調査して

LumiRise守って

佐伯さんを問題扱いしてたの何だったの

これで終わりにするな

第三者調査の結果を出して

 ファンは、もう簡単に納得しない。

 声明が出たから終わり、ではない。

 結果を見せろ。

 それが世論の流れになっていた。

 午後五時半、LumiRiseのグループチャットに花音が投稿した。

会社から、黒崎さん、神田さん、須藤さんがLumiRise案件から外れると説明がありました。

調査チームも作るそうです。

 優芽。

本当に外れたんだ。

 奈々。

少しだけ、息ができる感じがします。

 澪。

でも、まだ終わってない。

 花音。

うん。

これは条件の一部が動いただけ。

契約解除協議は続きます。

私たちは、残るか出るかを、調査と会社の対応を見て決めます。

 優芽。

すぐ戻ります、じゃないんだね。

 花音。

うん。

怖かったことがなかったことになるわけじゃないから。

 奈々。

私も、また同じことが起きないって思えるまで、戻るのは怖いです。

 澪。

名前だけ人が変わっても、仕組みが変わらないなら同じ。

 花音。

だから、確認します。

 私はそのやり取りを見て、静かに頷いた。

 そうだ。

 黒崎が外れた。

 でも、戻る理由にはまだならない。

 大事なのは、仕組みが変わること。

 そして、彼女たちが納得して選ぶこと。

 夜七時、白石瑠璃からメッセージが来た。

黒崎常務、外れましたね。

はい。

美月さん、少しはスカッとしましたか?

 私は少し考えた。

少しだけ。

でも、まだ終わっていません。

 瑠璃。

美月さんらしい。

私は少し泣きました。

あの人に「売り時を逃す」と言われた日のことを思い出して。

 私は画面を見つめた。

 瑠璃の中にも、黒崎の言葉は残っていた。

 喉が限界だった彼女に、売り時を逃すと言った大人。

 その大人が、今日、権限を止められた。

 完全ではない。

 でも、意味はある。

泣いていいです。

 私が送ると、瑠璃からすぐ返事が来た。

佐伯さんに言われると、変な感じです。

でも、泣きました。

 夜八時、宮内からも短いメールが来た。

佐伯さん

今日、社内で黒崎常務の権限停止が発表されました。

神田部長も須藤さんも、LumiRiseから外れました。

私、Milky Gateのときに何もできなかったことを、ずっと後悔していました。

今回、少しだけでも動けてよかったです。

まだ怖いですが、調査には協力します。

 私は返信した。

あなたの記録がなければ、過去との線はつながりませんでした。

無理はせず、専門家と相談しながら進めてください。

自分を責めないでください。

 送信してから、私は宮内の最初のUSBを思い出した。

 震える手。

 「変です」と言った声。

 あの小さな違和感が、ここまで来た。

 夜九時、相沢から電話が来た。

「佐伯さん、真壁はまだ逃げています」

「でしょうね」

「RVEは、真壁の関与は過去の形式的な役員登記にすぎず、LumiRise案件には関与していないと説明する方向です」

「顔合わせに同席していました」

「そこが鍵です。スポンサー側の議事メモに、真壁の名前が残っている可能性があります」

 私は目を細めた。

「飲料メーカーの宣伝部長」

「はい。あの人が協力してくれれば、真壁の関与はかなりはっきりします」

「お願いできますか」

「片桐先生経由が安全です」

「わかりました」

 真壁は、まだ残っている。

 黒崎が落ちても、レイヴンとの裏取引の線は終わっていない。

 むしろ、黒崎が弱った今こそ、真壁は証拠を消そうとするかもしれない。

 夜十時、私は今日の記録をまとめた。

スターリット臨時取締役会。

黒崎側、佐伯・LumiRise結託による独立画策資料を提出するも、具体証拠なし。

法務、佐伯による直接誘引記録なしと説明。

RVE契約について、営業部長「常務指示」と発言。須藤、窓口にすぎないと主張。

黒崎常務、LumiRise案件・外部プロモーション契約・スポンサー対応から職務権限停止。

神田部長、須藤もLumiRise案件から外れる。

佐伯への懲戒手続き停止。自宅待機は継続。

外部専門家含む調査チーム設置。

LumiRise、即時復帰ではなく、調査と会社対応を見て選ぶ姿勢。

次焦点:真壁・レイヴン・RVE関与。

 最後に、一文を書いた。

失脚の音は、怒号ではなく、署名と記録が机に置かれる音だった。

 保存。

 黒崎は、今日、完全に消えたわけではない。

 役員を辞めたわけでもない。

 責任を認めたわけでもない。

 だが、彼の手からLumiRiseは一度離れた。

 それは、彼女たちが署名しなかったからだ。

 ファンに自分たちの言葉を届けたからだ。

 保護者が質問状を出したからだ。

 スポンサーが説明を求めたからだ。

 宮内が記録を残したからだ。

 瑠璃が声を上げたからだ。

 莉子が過去を話したからだ。

 そして私は、記録を開いたからだ。

 誰か一人の正義で、黒崎が倒れたわけではない。

 小さな声と記録が重なり、彼の足元を崩した。

 スカッとするには、十分すぎるほど静かな音だった。

 でも、私は知っている。

 物語はまだ終わらない。

 黒崎が外れた先に、真壁がいる。

 RVEがいる。

 レイヴンとの裏取引がある。

 そして、LumiRiseがどこで未来を選ぶのかという、もっと大きな問題が残っている。

 私はアステル・マネジメントの定款案をもう一度開いた。

 小さな会社の、小さな一行。

タレントの活動継続およびキャリア支援。

 そこに、まだ誰の名前もない。

 けれど、私はその空白を見て思った。

 ここは、誰かが泣きながら署名を拒否したあとに、安心して署名できる場所でなければならない。

 黒崎の失脚は終わりではない。

 新しい場所を作る責任が、さらに重くなっただけだ。

 それでも、今日だけは少し息を吐く。

 あの人の「業界で二度と仕事ができると思うな」という声は、もう以前ほど大きく響かない。

 業界は、黒崎一人のものではなかった。

 そのことを、今日、彼自身が思い知ったはずだった。

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