第24話 奪われる前に守るもの
スターリット・プロダクションからの回答は、翌日の午前十時に届いた。
私は自宅の机で、片桐弁護士から転送された文書を開いた。
件名は、LumiRise活動継続条件書への回答。
文面は丁寧だった。
丁寧で、長く、そして肝心な部分ほど曖昧だった。
当社は、LumiRiseの活動継続に向け、所属メンバーおよび保護者の皆様との対話を重視しております。
外部プロモーション会社との連携については、現在調査中であり、必要に応じて見直しを行います。
今後のSNS施策、配信企画、未成年者稼働についても、社内規程の整備を検討いたします。
なお、個別の役職者の関与や処分については、人事上の事項であり回答を差し控えます。
佐伯美月氏の処遇についても、現在調査中であり、回答を控えます。
LumiRiseの活動継続には、メンバー、保護者、当社の信頼関係再構築が不可欠です。
つきましては、現行契約に基づき、当社の管理のもとで活動を継続することを前提に、改めて協議の場を設けたいと考えております。
私は一行ずつ読み直した。
外部会社との連携は「必要に応じて見直し」。
規程整備は「検討」。
黒崎、神田、須藤の排除には答えない。
佐伯美月への処遇にも答えない。
そして最後に、「現行契約に基づき、当社の管理のもとで活動を継続することを前提」。
つまり、変えるつもりはない。
火元に水をかけるふりをしながら、火の周りに立ち続けろと言っている。
私は片桐へ電話した。
「読みました」
「どう見ますか」
「回答しているようで、何も約束していません」
「同感です」
片桐の声は冷静だった。
「保護者側も同じ受け止めです。特に、黒崎常務らの関与排除に回答しなかったこと、佐伯さんの処分再調査を曖昧にしたこと、活動継続を現行契約前提にしたこと。この三点が大きい」
「離脱交渉に進みますか」
「本人と保護者の最終意思確認が必要です。ただし、選択肢としてはかなり現実的になりました」
私は窓の外を見た。
曇っている。
雨が降りそうな空だった。
「会社は妨害してきますね」
「必ず」
「何から来ますか」
「まず、権利です。グループ名、楽曲、SNSアカウント、ファンクラブ、過去映像。次に、違約金。さらに、スポンサーや媒体への先回り。そして、佐伯さんへの引き抜き主張」
「想定通りです」
「ただし、慌てないでください。まだ解除通知を出す前です。今日、本人・保護者会議で最終確認を行います」
「私は同席しない」
「はい。佐伯さんは同席しない。そのほうが安全です」
わかっている。
だが、胸が重い。
四人が、名前や曲を失うかもしれない選択をする。
その場に私はいない。
それでいい。
彼女たちの意思を守るためには、それがいい。
片桐は続けた。
「もう一つ、重要なことがあります。アステル・マネジメントについて、設立手続きを進めるなら今日中に定款案を固めましょう」
「今日ですか」
「はい。会社側が妨害に出る前に、受け皿の最低限の形を作る必要があります。登記が完了していなくても、準備中であることを文書化します」
「わかりました」
「ただし、LumiRiseを受け入れる前提の記載はしません。あくまで、佐伯さん自身の新事業準備です」
「はい」
電話を切ると、私は机に置いたノートを開いた。
アステル・マネジメント設立準備。
昨日まで、まだ紙の上の仮名だった。
今日からは、盾になる。
小さくても、まだ未完成でも、選択肢として存在させる。
午前十一時、LumiRiseのグループチャットに花音がメッセージを送った。
会社から回答が来ました。
正直、私たちが求めたことにはほとんど答えていません。
今日、四人と保護者で改めて話します。
優芽。
読んだけど、「検討します」が多すぎました。
奈々。
黒崎さんたちが関わらないって書いていませんでした。
澪。
つまり、また同じ人たちが決める可能性があるってことですよね。
花音。
そうです。
だから今日、ちゃんと話します。
残る条件が満たされないなら、契約解除を考えます。
優芽。
いよいよだ。
奈々。
怖いです。
澪。
私も怖い。
花音。
怖いけど、一人で決めない。
四人で、保護者と、専門家と確認する。
私は返信しない。
ただ、その流れを保存した。
午前中は、片桐と定款案を詰めた。
商号。
株式会社アステル・マネジメント。
事業目的。
一、芸能タレント、アーティスト、俳優、モデル、クリエイター等の育成およびマネジメント。
二、音楽、映像、舞台、イベント、配信コンテンツの企画、制作、運営。
三、著作権、肖像権、商標権その他知的財産権の管理。
四、未成年者を含むタレントのキャリア支援、学業・健康管理支援。
五、芸能活動に関する契約説明、労務管理、ハラスメント防止体制の構築支援。
六、その他前各号に附帯関連する一切の事業。
「五番目、かなり珍しいですね」
片桐が言った。
「入れたいです」
「入れましょう。アステルの特徴になります」
資本金は、最初から大きくはできない。
だが、最低限の信用を保つ金額にした。
住所は、当面シェアオフィス。
会議は外部の貸し会議室。
レッスンは提携スタジオ。
専属スタッフは私一人。
外部に弁護士、税理士、社労士、心理相談窓口、医療機関、振付師、宣伝協力者。
小さい。
驚くほど小さい。
スターリットのビルとは比べ物にならない。
だが、私は大きなビルが欲しいわけではない。
必要なのは、嘘をつかない契約と、止まれる仕組みだ。
昼過ぎ、保護者会議が始まった。
私はその間、アステルの規程案を整えていた。
タレント活動基本規程
一、本人意思確認。
二、契約説明記録。
三、稼働時間管理。
四、休憩・食事。
五、医療判断。
六、SNS施策審査。
七、外部企画審査。
八、未成年者保護。
九、ハラスメント窓口。
十、活動休止・終了時のキャリア支援。
書きながら、何度もスターリットでの出来事が頭をよぎった。
優芽の足首。
奈々の夜配信。
澪の切り抜き動画。
花音の活動継続確認書。
莉子の泣き演出。
瑠璃の喉。
全部、規程の行間にいる。
この規程は、机上の理想ではない。
誰かの痛みからできている。
午後二時、片桐から第一報が届いた。
本人・保護者の意思確認中。
四名とも、スターリット回答は条件を満たしていないとの認識。
解除交渉に進む方向で一致しつつあります。
私はしばらく画面を見つめた。
進む。
ついに。
それでも、まだ決定ではない。
最終意思確認。
そこが大切だ。
午後二時四十分、次の報告。
四名とも、スターリットとの現行契約継続は困難との意思。
保護者も同意。
ただし、グループ名、楽曲、SNS、違約金リスクについて再説明中。
私は深く息を吸った。
現行契約継続は困難。
それは、離脱の意思がほぼ固まったということだ。
胸が痛い。
嬉しさではない。
安堵でもない。
重さだ。
彼女たちは、夢を続けるために、今の場所を離れようとしている。
離れることは、勝利ではない。
傷を伴う。
でも、壊される場所に残るよりは、自分たちで選ぶほうがいい。
午後三時過ぎ、LumiRiseのグループチャットに、花音から長文が送られた。
私たち四人と保護者で話しました。
スターリットからの回答は、私たちが安心して活動を続ける条件を満たしていないと判断しました。
これから、片桐先生を通して契約解除の協議に入ります。
まだすぐに辞めるという意味ではありません。
でも、今のまま活動継続確認書に署名したり、同じ人たちの判断で活動を続けたりすることはしません。
私たちは活動を続けたいです。
だから、続ける場所と条件を自分たちで選びます。
優芽。
怖いです。
LumiRiseじゃなくなるかもしれないのが怖いです。
でも、踊ることはやめたくないです。
足も、自分の気持ちも、ちゃんと守って踊りたいです。
奈々。
私も怖いです。
名前がなくなったら、ファンの人がわからなくなるかもしれないと思いました。
でも、泣くための仕事を続けるのは嫌です。
怖いと言える場所で歌いたいです。
澪。
私は怒っています。
名前も曲も、私たちが大事にしてきたものなのに、会社のものだと言われるのが悔しいです。
でも、名前がなくても、私たち四人が嘘になるわけじゃない。
私たちは出ます。
ただし、逃げるんじゃなくて、選んで出ます。
私は画面の前で、長く息を止めていた。
出ます。
その言葉がついに出た。
澪らしい、まっすぐな言葉。
花音の慎重さ。
優芽の怖さ。
奈々の不安。
四人の言葉が揃っているようで、少しずつ違う。
でも、向いている方向は同じだった。
自分たちで選ぶ。
私は返信しない。
返信してはいけない。
代わりに、片桐へ連絡した。
本人たちの意思表明を確認しました。
私は返信しません。
アステル準備は、私自身の職業選択として進めます。
片桐から返事。
その対応で。
本日中に、スターリットへ契約解除協議開始の通知を出します。
佐伯さんは関与しないでください。
承知しました。
午後四時、スターリットへ通知が送付された。
宛先は社長、法務、総務部長。
黒崎、神田にはCC。
件名は、LumiRise所属契約に関する協議開始のご通知。
内容は、現行契約継続が困難である理由を淡々と並べたものだった。
RVE契約と説明不足。
活動継続確認書への署名要求。
不利益示唆発言。
本人意思に反する施策。
未成年者保護への懸念。
信頼関係の破壊。
契約解除または円満離脱に向けた協議を求める。
攻撃的ではない。
しかし、明確だった。
午後四時二十分。
会社はすぐに反応した。
黒崎からではなく、法務担当から片桐へ電話が入ったという。
回答は予想通りだった。
「契約解除には応じられない」
「LumiRiseは当社が育成投資してきたグループ」
「一方的離脱は契約違反」
「違約金および損害賠償請求の可能性」
「グループ名、楽曲、ロゴ、アカウントの使用禁止」
「外部の第三者による誘導があった場合は、法的措置」
私は片桐からそれを聞き、静かに頷いた。
「想定通りです」
「はい。ただ、向こうはかなり強い言葉を使っています。焦りもあります」
「外部の第三者による誘導」
「佐伯さんを指しています」
「でしょうね」
「だからこそ、あなたが返信していない記録、会議に同席していない事実、本人・保護者・専門家主導の流れが重要です」
私はノートに書いた。
会社、解除拒否。違約金・損害賠償・権利使用禁止・第三者誘導主張示唆。
佐伯、直接関与なしを維持。
午後五時過ぎ、妨害はすぐに表に出た。
スターリット公式が、突然LumiRiseの今後のイベント出演情報を一括で「調整中」に変更した。
ファンが気づき、SNSがざわつく。
LumiRiseの予定消えてる?
何が起きてるの
事務所、説明して
メンバー大丈夫?
その直後、関係者らしきアカウントが投稿した。
一部メンバーが外部の大人に影響されて活動放棄しようとしているらしい。ファンがかわいそう。
まただ。
本人たちの意思を、外部の大人のせいにする。
私は投稿を保存し、片桐へ送った。
片桐から返信。
証拠保全。
会社側の関与が確認できれば、不当な世論誘導として抗議対象です。
LumiRiseのグループチャットにも動揺が走った。
優芽。
予定が調整中になってる。
奈々。
ファンの人が心配しています。
花音。
まだ個人で発信しない。
片桐先生と保護者に確認します。
澪。
「活動放棄」って何。
私たちは続けたいって言ってる。
花音。
だからこそ、言葉を選ぼう。
仕事を投げ出したんじゃない。
安心して続けるために協議している。
奈々。
それを伝えたいです。
優芽。
でも今は勝手に出さない。
澪。
わかってる。怒りノートに書く。
私はそのやり取りを見て、胸が苦しくなった。
スターリットは、彼女たちの予定を止めた。
仕事を人質にした。
そして、活動放棄という言葉を外に流そうとしている。
だが、四人は個人発信しなかった。
保護者と専門家を通す。
手順を守る。
その強さを、私は信じるしかない。
午後六時、保護者側と片桐事務所は、スターリットへ抗議文を送った。
内容は、イベント情報の一括変更について理由を文書で示すこと。
本人たちは活動放棄しておらず、契約条件および安全管理に関する協議を求めているにすぎないこと。
外部の大人による誘導という事実無根の情報が流れている場合、関与者の確認と削除対応を求めること。
所属タレントの名誉を傷つける発信を会社が防止する義務があること。
その抗議文は、かなり強かった。
スターリットは、すぐには返答しなかった。
代わりに、RVE関係者と思われる複数のアカウントが、また似たような投稿を始めた。
若手が契約も知らずに独立とか無理
甘やかしたマネージャーのせい
安全安全って言ってたら売れない
事務所に育ててもらった恩を忘れたのか
恩。
その言葉を見て、私は唇を結んだ。
恩は、人を縛る鎖ではない。
育てたなら、壊していいわけではない。
夢を与えたなら、その夢を取り上げる権利があるわけではない。
夜七時、白石瑠璃がまた動いた。
公式アカウントで、短い投稿をした。
活動を続けたいからこそ、立ち止まって確認することがあります。
それは活動放棄ではありません。
長く表現を続けるために、自分の声と身体を守ることは大切です。
LumiRiseの名前は出していない。
だが、誰に向けた言葉かは明らかだった。
瑠璃の投稿はすぐに広がった。
瑠璃ちゃんの言葉、LumiRiseに届いてほしい
確認することは活動放棄じゃない
本当にそう
事務所はタレントを盾にしないで
スターリットは、瑠璃を止められない。
止めれば、さらに不利益扱いに見える。
瑠璃はそのぎりぎりの線を理解している。
さすがだった。
夜八時、相沢から電話が来た。
「佐伯さん、真壁が動きました」
「何を?」
「レイヴン側の関係者が、複数の媒体に『LumiRiseの一部メンバーに移籍話があったが、現実性はない』という話を流しています」
「移籍話?」
「おそらく、スターリット離脱の動きと、佐伯さんの新事務所準備を混同させる狙いです。さらに、レイヴンは関係ない、むしろ巻き込まれた側という立場を作ろうとしている」
私は眉を寄せた。
「真壁がRVEに関わっていたのに?」
「そこを消したいんでしょう。役員変更もその一環です」
「LumiRiseの一部メンバーというのは?」
「具体名は出ていません。ただ、澪さんや奈々さんを想起させるような言い方をしている可能性があります」
私は机を軽く握った。
また、メンバー間に線を引こうとしている。
一部メンバー。
全員ではない。
そう見せることで、四人の意思を分断する。
誰かだけが出たがっている。
誰かは残りたい。
誰かが外部にそそのかされた。
そういう物語を作ろうとしている。
「相沢さん、その線は慎重に扱ってください」
「わかっています。記事にはしません。裏を取ります」
「四人を分断する意図があります」
「同感です」
通話を切ると、私は片桐へ情報共有した。
片桐からはすぐに保護者連絡網へ注意喚起が送られた。
「一部メンバー」「移籍話」等、本人たちの意思を分断するような情報が流れる可能性があります。
四名および保護者間で、実際の意思確認を文書で共有し、憶測に反応しないでください。
個人名を挙げた報道・投稿が出た場合は、即時に証拠保全してください。
LumiRiseのグループチャットにも、花音が書いた。
私たちは四人で話しています。
誰か一人が勝手に決めたことではありません。
憶測には反応しない。
四人で確認する。
優芽。
私は四人でいたいです。
奈々。
私もです。
澪。
私も。
一部じゃない。四人です。
花音。
四人で選びます。
その言葉を見て、私は少しだけ安心した。
分断は効いていない。
少なくとも、今は。
深夜前、スターリットからようやく抗議文への回答が来た。
イベント情報の調整中表記は、現在の状況を踏まえた関係各所との調整のためであり、LumiRiseメンバーへの不利益取扱いではありません。
「活動放棄」等の表現について、当社が発信したものではありません。
ただし、SNS上の憶測拡散については確認し、必要に応じて対応します。
また「必要に応じて」。
しかし、これで会社は「活動放棄」という表現を公式に否定せざるを得なくなった。
片桐はすぐに、追加で求めた。
LumiRiseメンバーが活動放棄している事実はないことを、公式にも明確にしてください。
スターリットは沈黙した。
公式にそこまで言いたくないのだろう。
それでも、圧はかけ続ける。
私は今日の記録をまとめた。
スターリット、活動継続条件書に対し曖昧回答。黒崎・神田・須藤排除、RVE契約停止、佐伯処分再調査に明確回答なし。
LumiRise本人・保護者、現行契約継続困難と判断。契約解除協議開始通知。
会社、解除拒否。違約金・権利使用禁止・第三者誘導を示唆。
イベント情報を一括「調整中」に変更。活動放棄との憶測投稿発生。
保護者側抗議。瑠璃、活動放棄ではなく確認であると発信。
レイヴン側、一部メンバー移籍話を流す動き。分断工作の可能性。
LumiRise「一部じゃない。四人です」と意思確認。
アステル・マネジメント定款案作成進行。
最後に、一文を書いた。
奪われる前に守るものは、名前ではなく意思。
保存。
スターリットは名前を持っている。
楽曲を持っている。
アカウントを持っている。
過去映像を持っている。
契約書を持っている。
大きなビルと、顧問弁護士と、スポンサーへの窓口を持っている。
対して、私が持っているのは、まだ登記も終わっていない小さな名前と、規程案と、記録だけだ。
でも、四人は今日、はっきり言った。
一部じゃない。
四人です。
その意思は、どの権利書にも書かれていない。
だからこそ、奪われにくい。
明日から、妨害はさらに強くなるだろう。
違約金。
権利。
噂。
分断。
仕事停止。
あらゆる形で、会社は引き戻そうとする。
でも、こちらにも準備がある。
手続き。
保護者。
弁護士。
記録。
スポンサーの目。
ファンの声。
そして、名前のない事務所に灯り始めた小さな星。
まだ弱い。
でも、消さない。
奪われる前に守るものを、私たちはもう間違えない。




