第21話 署名のある不正
スポンサーからの質問状が届いた翌日、スターリット・プロダクションの内部調査は、急に速度を上げた。
きっかけは、RVEプロモーション企画室との契約書だった。
午前十時過ぎ、片桐弁護士から電話が来た。
「佐伯さん、RVE契約の一部が開示されました」
私は持っていたペンを止めた。
自宅待機中の机には、昨日から作り続けている時系列表と、新事務所準備ノートが並んでいる。
「保護者向けですか」
「正確には、スポンサーおよび保護者からの質問に対する説明準備の過程で、総務と法務が契約書を確認したようです。その中で、かなり問題のある条項が見つかりました」
「ネガティブ拡散ですか」
「それだけではありません」
片桐の声がわずかに低くなった。
「成果報酬の支払条件に、『SNS上における一定数以上の自然発生投稿および疑似自然発生投稿』という文言があります」
私は眉を寄せた。
「疑似自然発生投稿」
「はい。普通の契約書に入る言葉ではありません」
疑似自然発生。
つまり、自然に見えるが、実際には仕込まれた投稿。
ファンや関係者を装った話題化。
ステルスマーケティングに近い。
場合によっては、景品表示や広告表示の問題にもつながる。
「さらに、『ポジティブ・ネガティブ双方の反応を含む総話題量』が成果指標になっています」
「宮内さんが見つけた要約表と一致しますね」
「はい。そして、契約承認欄に署名があります」
「誰のですか」
「黒崎常務、営業部長、神田部長、そして須藤氏の確認印です」
私は息を吸うのを忘れた。
須藤の確認印。
黒崎の署名。
神田の署名。
単なる現場の暴走ではない。
契約として、会社の上層が承認していた。
「社長は?」
「社長決裁欄はありません。金額的には常務決裁で通せる範囲だったようです。ただし、スポンサー案件に関わる契約としては、社長報告が必要だった可能性があります」
「黒崎が社長に上げずに進めた?」
「その可能性があります」
私はノートに書いた。
RVE契約:疑似自然発生投稿。
総話題量、ポジティブ・ネガティブ双方を成果指標。
承認:黒崎、営業部長、神田、須藤確認印。
社長決裁なし。
署名。
これまで黒崎たちは、すべてを曖昧にしてきた。
口頭指示。
空気。
現場判断への圧力。
外部会社の一般的協力。
だが、契約書の署名は逃げにくい。
誰がその文言を読んだのか。
誰が承認したのか。
誰が、炎上も成果になる仕組みに会社として判を押したのか。
そこに名前がある。
「片桐先生、その契約書は使えますか」
「慎重に扱う必要があります。現時点で私たちが原本を持っているわけではありません。保護者側へ正式開示されるか、スポンサー説明資料として提示されるか、いずれにせよ適法に入手された形でなければ、公には使えません」
「総務や法務はどう動いていますか」
「かなり慌てています。特に法務は、この文言を事前に精査していなかった可能性が高い」
「誰が法務を飛ばしたんでしょう」
「そこも調査対象です」
電話を切った後、私はしばらく椅子から立てなかった。
疑似自然発生投稿。
ポジティブ・ネガティブ双方の反応。
成果報酬。
署名。
ようやく、不正の形が見えてきた。
これまでは「おかしい」という感覚を、記録で積み上げていた。
だが今は、契約条項という形で残っている。
黒崎たちは、LumiRiseを売るために炎上を利用したのではない。
炎上も含めた話題化が利益になる契約を、最初から組んでいた。
そして、その中に未成年者が含まれていることを知っていた。
午前十一時、相沢からも連絡が来た。
契約書の件、別ルートでも確認が入りました。
「疑似自然発生投稿」という文言、かなり危険です。
RVE側は「ファンコミュニティ分析上の用語」と説明する準備をしているようですが、苦しい。
私は返信した。
契約書原本の入手経路には注意してください。
証言者を守ってください。
相沢。
もちろん。
ただ、これで黒崎・神田・須藤の責任はかなり重くなります。
スターリット内部でも、責任の押し付け合いが始まっています。
責任の押し付け合い。
予想通りだった。
午後には、社内の空気がさらに変わったことが伝わってきた。
宮内から、短いメールが届く。
佐伯さん
返信不要です。
社内が大変なことになっています。
RVE契約書の文言が問題になり、法務と総務が営業部へ確認に入っています。
須藤さんは「自分は上から言われただけ」と言い始めました。
神田部長は「営業案件だから詳細は知らない」と言っています。
黒崎常務は会議室にこもっています。
LumiRiseの現場には、今日は宣伝担当さんと別の女性マネージャーがついています。須藤さんは外れました。
須藤が外れた。
これは大きい。
担当を私から奪ったあと、須藤が現場を見るはずだった。
その須藤が、契約問題で引っ込められた。
LumiRiseにとっては、安全面で少し前進だ。
私は返信しないほうがいいか迷ったが、宮内自身の安全を考え、短く返した。
受け取りました。
あなた自身の安全を最優先にしてください。
記録は自分を守るためにも保管してください。
これ以上は書かない。
午後一時、LumiRiseのグループチャットにも変化が現れた。
花音。
今日の現場、須藤さんではなく、宣伝担当さんと女性マネージャーの青山さんが来ています。
優芽。
空気が全然違う。休憩時間が予定表に書いてある。
奈々。
コメント確認も宣伝担当さんがしてくれています。
澪。
須藤さんがいないだけで、こんなに違うのかと思いました。
花音。
今日は、取材内容も事前に共有されました。
契約の話は聞かない、ファンミの感想と新曲中心、と文面で確認済みです。
優芽。
仕事ってこういうふうにできるんだ。
奈々。
少し安心しました。
澪。
一旦。
優芽。
出た、一旦。
花音。
一旦でも大事。
私はそのやり取りを見て、目を閉じた。
須藤が外れただけで、休憩時間が予定表に戻る。
取材内容が事前に共有される。
コメント確認が行われる。
当たり前のことが、当たり前に行われる。
それだけで、彼女たちの空気が変わる。
つまり、これまでの苦しさは「芸能界だから仕方ない」ものではなかった。
人が変われば、運用は変わる。
仕組みが変われば、現場は変わる。
午後二時過ぎ、片桐から追加連絡が来た。
「スターリットの法務担当から、非公式ですが連絡がありました」
「内容は?」
「RVE契約について、社内調査ではなく、外部弁護士を含む調査チームを設置する方向で調整しているそうです」
「第三者委員会では?」
「まだそこまでは言っていません。ただし、昨日よりは進んでいます。スポンサー三社が、独立性ある調査を求めているためです」
「黒崎は?」
「抵抗しているようですが、社長がスポンサー対応を優先しています」
社長が動いた。
黒崎の権限が、初めて揺らいでいる。
「もう一つあります」
片桐の声が慎重になった。
「スターリット側から、佐伯さんへの懲戒手続きを一旦保留するとの連絡がありました」
私は驚いて聞き返した。
「保留?」
「はい。自宅待機は継続ですが、懲戒処分については調査結果を待つと」
「昨日までは懲戒解雇の可能性が高かったのに」
「スポンサーと世論の影響です。ここで佐伯さんを処分すれば、報復と見られる可能性が高い」
私は椅子にもたれた。
黒崎は私を消すと言った。
だが、今は簡単に消せなくなっている。
記録を開いたから。
スポンサーが動いたから。
保護者が動いたから。
法務が動いたから。
そして、署名のある契約書が出てきたから。
「ただし、油断しないでください」
片桐が言った。
「黒崎常務が追い詰められているなら、別の形で反撃してくる可能性があります」
「わかっています」
通話を切った後、私は黒崎の顔を思い浮かべた。
高級スーツ。
光る腕時計。
目だけが笑わない表情。
彼はこれまで、会社の商品としてタレントを扱ってきた。
だが今、その商品を売るために使った契約が、自分の首を絞めている。
午後三時半、スターリット社内で緊急説明会が行われたらしい。
宮内からではなく、宣伝担当から片桐経由でメモが届いた。
彼女も直接私へ連絡することを避けている。
正しい判断だ。
社内説明会概要
・RVE契約に関する報道およびスポンサー質問状について、社内調査を進める。
・所属タレントへの不利益取扱いを禁止。
・契約確認を求めたタレントや保護者への圧力禁止。
・SNS施策、外部会社による投稿支援、インフルエンサー施策は一時停止。
・須藤営業担当はLumiRise関連業務から一時的に外れる。
・佐伯美月氏に関する発言、噂の流布を控えること。
私は最後の一行を何度も読んだ。
佐伯美月氏に関する発言、噂の流布を控えること。
昨日まで、会社は私を「元従業員」と呼び、問題人物にしようとしていた。
今日は、噂を流すなと言っている。
小さな逆転だった。
もちろん、これで名誉が回復したわけではない。
だが、会社が内部向けに釘を刺したことは意味がある。
片桐から短いメッセージが来た。
一歩前進です。
ただし、これも「一旦」です。
私は思わず笑った。
片桐まで使い始めた。
一旦ですね。
午後四時、保護者たちへの会社回答の第一弾が届いた。
内容はまだ不十分だったが、重要な記載があった。
契約確認、体調不安の申告、保護者からの説明要求を理由として、所属タレントに不利益な取扱いを行うことはありません。
この一文。
短いが、重い。
本人たちが怖がっていたこと。
「契約を確認したら仕事が減るのではないか」
「怖いと言ったら干されるのではないか」
その不安に対し、会社が文書で否定した。
まだ信用できるわけではない。
だが、もし今後不利益が起きれば、この文書が盾になる。
LumiRiseのグループチャットにも、すぐに共有されていた。
花音。
不利益扱いしないって、文書で来ました。
優芽。
これ、すごくない?
澪。
すごいけど、信用は別。
奈々。
でも、少し安心しました。
花音。
うん。安心していい部分と、確認を続ける部分を分けよう。
優芽。
花音、強い。
澪。
リーダーっぽい。
花音。
ぽいじゃなくて、リーダーです。
優芽。
おお。
奈々。
かっこいいです。
澪。
いいと思う。
私は画面を見て、胸の奥が温かくなった。
花音が、自分で「リーダーです」と言った。
苦労人としてではなく。
一人で背負う人としてでもなく。
四人で進むためのリーダーとして。
午後五時、相沢から電話が入った。
「佐伯さん、RVE側で動きがあります」
「真壁ですか」
「はい。真壁亮司が、RVEプロモーション企画室の役員から外れていたことになっています」
「なっている?」
「登記情報を確認すると、昨日付で役員変更の申請が出ています。実際の効力や日付はまだ確認中ですが、明らかに切り離しに来ています」
私は眉を寄せた。
「昨日付」
「記事が出た後です。火消しでしょう」
「真壁は逃げるつもりですね」
「おそらく。ただ、過去の登記や資料には名前が残っています。白石瑠璃さんからの情報とも一致します」
瑠璃が最初に教えてくれた。
RVEプロモーション企画室は、レイヴンの関連会社。
役員に真壁亮司の名前。
あの情報が、ここで効いている。
「スターリット側は、真壁の関与を知っていたんでしょうか」
「顔合わせに真壁が同席していた時点で、少なくとも黒崎と神田は認識していたはずです」
「競合事務所の取締役が、若手グループのプロモーションに関わる」
「普通ではありません」
相沢の声は低い。
「次は、裏取引です。なぜレイヴン系のRVEが、スターリットのLumiRise案件に入っていたのか。そこを掘ります」
私はノートに書いた。
真壁、RVE役員から切り離しの動き。昨日付。
過去登記・資料に名前あり。
次焦点:レイヴンとスターリットの裏取引。
通話を切ったあと、私はしばらく考えた。
黒崎の目的。
RVEの成果報酬。
真壁の同席。
レイヴン。
LumiRiseを炎上させ、話題化し、価値を上げる。
その先に何があるのか。
単純なプロモーション費用のキックバックか。
それとも、LumiRiseの一部メンバーの移籍、楽曲権利、スポンサー契約の横取りか。
まだ見えない。
ただ、真壁が急いで役員から外れようとしているなら、そこに見られたくない線がある。
夜七時、スターリットが追加声明を出した。
当社は、外部プロモーション契約に関し、契約文言および運用実態に関する確認を進めております。
現時点で、所属タレント本人に対する意図的な誹謗中傷や虚偽情報拡散を指示した事実は確認されておりません。
ただし、外部会社との連携において一部不適切な表現や運用上の問題があった可能性があるため、外部専門家を含む調査体制のもと確認いたします。
ずいぶん変わった。
昨日までは「適切に運用」。
今日は「不適切な表現や運用上の問題の可能性」。
まだ逃げている。
だが、認め始めている。
片桐はすぐにコメントを出した。
「不適切な表現」にとどまる問題ではなく、未成年者を含む所属タレントの安全、契約説明、SNS上の疑似自然発生投稿の有無に関わる問題です。
調査体制の独立性、対象範囲、結果公表の有無を明確にするよう求めます。
私はその文面を保存した。
夜八時半、LumiRiseのグループチャットには、珍しく明るい報告があった。
優芽。
今日の撮影、めちゃくちゃ楽しかったです。普通に!
奈々。
私も楽しかったです。怖い質問がなくて、歌の話ができました。
澪。
取材で「最近のLumiRiseは言葉が強くなりましたね」と言われました。
花音。
澪が「強くなったというより、自分たちの言葉を確認するようになりました」と答えていました。
優芽。
かっこよかった!
奈々。
すごくよかったです。
澪。
褒めすぎ。
花音。
でも本当。
優芽。
あと、休憩時間にちゃんとお弁当食べました。
奈々。
スープもありました。
澪。
佐伯さんが見たら褒めるやつ。
花音。
返信不要だけど、報告として残します。
私たちは今日、ちゃんと食べて、ちゃんと休んで、ちゃんと仕事をしました。
私はその一文を見て、静かに涙が出そうになった。
ちゃんと食べて。
ちゃんと休んで。
ちゃんと仕事をした。
それだけのことが、こんなにも尊い。
これこそが、芸能の現場であるべき姿だ。
無理をして倒れることではない。
泣きながら配信することではない。
炎上で名前を広げることではない。
食べて、休んで、準備して、ステージに立つ。
それを当たり前にすること。
私は返信しないまま、ノートに書いた。
LumiRise、須藤不在の現場で、食事・休憩・事前確認が機能。
本人たち「ちゃんと食べて、ちゃんと休んで、ちゃんと仕事をした」と記録。
深夜前、今日の総括を書いた。
RVE契約書に「疑似自然発生投稿」「ポジティブ・ネガティブ双方の反応を含む総話題量」の文言確認。
承認欄:黒崎常務、営業部長、神田部長、須藤確認印。
須藤、LumiRise関連業務から一時的に外れる。
スターリット、外部専門家含む調査体制へ前進。
契約確認・体調不安申告を理由とする不利益取扱いなしと文書回答。
真壁、RVE役員から切り離しの動き。
次焦点:レイヴンとスターリットの裏取引。
最後に、私は新事務所準備ノートを開いた。
今日、追加するルールは決まっていた。
外部プロモーション契約には、本人・保護者・法務の確認を必須とする。
疑似自然発生投稿、ステルス的話題化、ネガティブ拡散を成果指標に含める契約は禁止する。
話題量ではなく、信頼・継続・安全を評価指標に入れる。
書き終えた後、私はペンを置いた。
署名のある不正は、もう隠しにくい。
黒崎たちは、口頭で逃げることに慣れていた。
だが、今回は契約書に残っている。
署名がある。
確認印がある。
日付がある。
人を燃やして数字にする仕組みを、誰が承認したのか。
その問いから、もう逃げられない。
明日、さらに追及は進む。
責任の押しつけ合いも始まるだろう。
でも、今日は一つだけ確かなことがあった。
LumiRiseは、ちゃんと食べて、ちゃんと休んで、ちゃんと仕事をした。
その当たり前を守るために、私はここまで来た。
そして、その当たり前を壊した人間たちの署名が、ようやく紙の上に現れた。




