第14話 業界から消すということ
翌朝八時半、私はいつもより早く会社に着いた。
緊急人事面談は九時。
場所は常務室。
件名には、佐伯美月の今後の処遇についてとあった。
これほど露骨な件名をつけるあたり、黒崎常務はもう私を会社員として扱う気がないのだろう。呼び出しではなく、処分の通告。あるいは、それに近いもの。
私はデスクでパソコンを開き、昨日までの記録フォルダを確認した。
LumiRise記録。
RVE関連調査。
本人意思記録。
契約確認。
SNS炎上。
Milky Gate匿名証言。
白石瑠璃証言。
バックアップは複数箇所に分けてある。万が一、会社用端末を取り上げられても、全部は消えない。
もちろん、社内機密の扱いには細心の注意を払っている。
私は会社を潰すために動いているわけではない。
でも、会社が誰かを潰そうとするなら、その記録は残す。
八時四十分、LumiRiseのグループチャットに体調報告が届き始めた。
花音。
起床しました。睡眠六時間半。体温36.4度。今日は契約確認申請について家族と話します。
優芽。
起きました! 睡眠七時間。足首は痛み一。親が契約書見て怒ってます。
奈々。
起きました。睡眠六時間半。体温36.5度。お母さんと申請書を書きます。
澪。
起床。睡眠六時間。契約確認申請、今日出します。
私は返信する。
報告ありがとうございます。
私は本日九時から会社と面談があります。
皆さんは予定通り、契約確認について保護者と相談してください。
何か言われた場合は、口頭で返事をせず文面で残してください。
すぐに優芽から返った。
面談って嫌なやつですか?
澪。
絶対嫌なやつ。
奈々。
佐伯さん、大丈夫ですか。
私は画面を見つめ、少し考えてから打った。
大丈夫とは言いません。
ただ、準備はしています。
花音。
私たちも準備します。
佐伯さんだけに背負わせません。
胸の奥が少し温かくなる。
だが、ここで甘えてはいけない。
ありがとうございます。
ただし、感情的に動かないこと。
今日は各自の契約確認を優先してください。
澪。
こういうときほど文書。
優芽。
合言葉!
奈々。
はい。文書にします。
私はスマートフォンを伏せた。
そのやり取りだけで、少し呼吸が整った。
八時五十八分、常務室の前に立つ。
ノックをすると、神田部長の声がした。
「入れ」
扉を開けると、黒崎常務、神田部長、総務部長、そして見知らぬ男性が一人座っていた。
四十代後半。紺のスーツ。表情は穏やかだが、目が笑っていない。
名刺が机の上に置かれている。
株式会社スターリット・プロダクション 顧問弁護士 牧野修一
弁護士。
会社側が本気で処分に動くときの席だ。
「佐伯美月です」
私は一礼した。
黒崎は椅子にもたれたまま、顎で席を示した。
「座れ」
「失礼します」
私は椅子に座り、ノートを開いた。
その瞬間、神田が不快そうに言った。
「また記録か」
「面談内容を確認するためです」
顧問弁護士の牧野が静かに口を開いた。
「録音はしていますか」
「していません」
「念のため、携帯端末を机上に置いてください」
「録音しないことには同意します。ただし、端末の提出は拒否します。業務上の連絡が入る可能性があります」
牧野は少しだけ眉を上げた。
「では、録音しないという前提で進めます」
「承知しました」
黒崎が口を開いた。
「佐伯。お前には、会社への重大な背信行為の疑いがある」
「具体的にお願いします」
「外部記者との接触。社内資料の不正収集。タレントへの会社不信の扇動。業務命令違反。現場混乱の誘発」
並べられた言葉は重い。
だが、具体性がない。
「それぞれ、日時と根拠を示してください」
神田が机を叩いた。
「お前は処分を受ける立場だぞ!」
「事実確認です」
牧野が手を上げ、神田を制した。
「佐伯さん。会社としては、あなたが担当タレントに対して、会社の方針に反する情報を与え、契約内容に疑義を持たせ、外部記者と連携して会社に不利益を与えようとしていると見ています」
「担当タレント本人および保護者が、自身の契約内容を確認することは正当な権利です」
「その権利行使をあなたが誘導したのでは?」
「契約内容に不明点があれば保護者と確認するよう伝えました。契約当事者が内容を理解することは、会社にとっても必要なことではありませんか」
牧野は少し黙った。
総務部長は視線を落としている。
黒崎は苛立ったように指で机を叩いた。
「お前は自分の立場をわかっていない。マネージャー補佐に降格され、現場担当も外された。それでもなお、LumiRiseに接触し、会社の判断を妨害している」
「本人たちから体調報告や相談が来ています」
「受けるな」
「未成年を含むタレントから体調不良や契約不安に関する相談があった場合、無視することはできません」
「綺麗事を言うな!」
神田の声が響く。
「お前が余計なことをしなければ、LumiRiseはもっと売れていたんだよ!」
私は神田を見た。
「売れるために、虚偽の不仲演出や切り抜き動画を利用する必要があったのですか」
空気が止まった。
牧野が私を見る。
「切り抜き動画?」
黒崎の目が鋭くなる。
「佐伯、話を逸らすな」
「逸らしていません。担当タレントに対する悪意ある切り抜き動画が流出し、その前後映像を公式で提示したところ、RVE側から抗議が来たと神田部長が発言しました。なぜRVEが抗議したのか、会社として確認していますか」
牧野が黒崎を見る。
「常務、その件は?」
黒崎は短く言った。
「現場対応上の行き違いだ」
「具体的には?」
牧野の声は穏やかだが、弁護士として確認している。
黒崎は不快そうに顔をしかめた。
「RVEは協力会社だ。公式対応が拙速だったという意見があっただけだ」
「切り抜き動画の投稿者とRVEの関係は?」
「知らん」
私はノートに書き込んだ。
黒崎、RVE関与を否定。
その様子を見て、黒崎が低く言った。
「佐伯。お前のそういう態度が問題なんだ」
「記録を残す態度ですか」
「会社を疑う態度だ」
「会社が説明すれば済むことです」
神田が立ち上がりかけたが、牧野が再び制した。
弁護士は淡々と書類を取り出した。
「会社として、本日付であなたに自宅待機を命じる方針です。期間は当面一週間。その間、業務用端末の使用を停止し、タレント・取引先・媒体関係者との接触を禁止します」
自宅待機。
接触禁止。
予想より早い。
現場から外すだけでは足りず、連絡そのものを断つつもりだ。
「命令書を文書でください」
「もちろんです」
牧野が書類を差し出す。
私は内容を確認した。
自宅待機命令。
理由は、情報管理上の疑義および社内秩序維持のため。
業務用端末の一時返却。
会社関係者との接触禁止。
ただし、「会社関係者」の範囲が曖昧だった。
「確認します。会社関係者との接触禁止とありますが、所属タレント本人から体調不良、契約不安、ハラスメント、未成年者保護に関する相談が来た場合も、応答禁止ですか」
牧野が少し眉を寄せる。
「原則として、会社窓口へ回してください」
「窓口は誰ですか」
「神田部長、または総務部です」
「神田部長自身が相談対象となる場合は?」
神田が怒鳴った。
「どういう意味だ!」
「一般論です」
牧野は私をじっと見た。
「その場合は総務部へ」
「では、所属タレント本人から緊急性のある相談が来た場合、総務部へ転送する旨を伝えることは許されますか」
「必要最小限であれば」
「記載してください」
牧野は一瞬だけ黙り、書類の余白に追記した。
緊急性のある安全・健康・権利侵害に関する相談については、総務部窓口へ転送するための必要最小限の応答を妨げない。
私は頷いた。
「ありがとうございます」
黒崎が不快そうに言った。
「本当に、隙あらば抜け道を作るな」
「安全確保のためです」
「自分を正当化するな」
「正当化ではなく、リスク管理です」
牧野は書類を整えた。
「業務用端末を返却してください」
「返却前に、私物データと業務記録の扱いを確認します」
「業務記録は会社資産です」
「会社資産として、削除や改ざんをしないよう保全してください」
黒崎の表情が変わった。
「何が言いたい」
「LumiRiseに関する体調管理記録、SNS炎上対応記録、契約確認申請、外部施策に関するやり取り、担当変更時の引き継ぎ書。これらは業務上重要な記録です。端末返却後も保全されるよう、受領記録をください」
牧野が頷いた。
「それは当然です。総務部長、端末受領時に記録保全の確認書を作成してください」
総務部長が小さく頷く。
「承知しました」
黒崎は黙っていた。
不満そうだが、弁護士の前で記録保全を拒むわけにはいかない。
私は会社用パソコンとスマートフォンを返却した。
ただし、返却リストを確認し、保全対象フォルダ名を記載してもらった。
その間、神田はずっと苛立った顔で私を睨んでいた。
最後に黒崎が言った。
「佐伯。お前は今日から一切、LumiRiseに関わるな」
「自宅待機命令の範囲は確認しました」
「命令を破れば懲戒解雇だ」
「承知しました」
「そして、業界で二度と仕事ができると思うな」
その言葉だけは、部屋の空気を変えた。
牧野がわずかに眉を動かす。
総務部長が顔を上げる。
私は黒崎を見た。
「今の発言の意味を確認します」
黒崎は鼻で笑った。
「確認するまでもない。お前のように会社に楯突き、取引先に迷惑をかけ、タレントを煽る人間を、どの事務所が使うと思う? スポンサーにも、代理店にも、制作会社にも話は通せる。お前がどれだけ有能だろうと、現場に居場所はなくなる」
業界から消す。
そういう意味だった。
私はノートに書いた。
黒崎常務:「業界で二度と仕事ができると思うな」「スポンサー、代理店、制作会社にも話は通せる」と発言。
黒崎は私が書くのを見て、笑った。
「それも記録か」
「はい」
「好きにしろ。どうせお前の記録など、誰も見ない」
私はノートを閉じた。
「誰が見るかは、これから決まります」
黒崎の表情が一瞬だけ歪んだ。
それ以上は言わず、私は立ち上がった。
「自宅待機命令、受領しました。失礼します」
常務室を出た瞬間、廊下の空気が冷たく感じた。
業務用端末はもう手元にない。
会社用メールも見られない。
カレンダーも、共有フォルダも、社内チャットも。
会社は私の手足を切ったつもりなのだろう。
だが、私は会社の廊下を歩きながら、ポケットの個人スマートフォンが震えるのを感じた。
グループチャットではない。
総務部長から個人メールに転送された、自宅待機命令の写しだった。
件名には、短くこう書かれていた。
控えです。保全してください。
私は画面を見て、小さく息を吐いた。
味方は、まだ社内にもいる。
完全に孤立してはいない。
ロビーへ降りる途中、宮内がエレベーター前で待っていた。
顔色が悪い。
「佐伯さん」
「宮内さん、ここで話すのは危険です」
「わかっています。でも、これだけ」
彼女は封筒を差し出した。
「今朝、須藤さんが営業部で話していました。『佐伯は今日で終わり』『業界にいられなくする』って。あと、いくつかの代理店に連絡しているようでした。私が聞いた範囲をメモしました」
「宮内さん」
「大丈夫です。私の名前は出さないでください」
「無理はしないで」
「無理じゃないです」
その言葉は、以前より強かった。
「私はもう、何もしないのが一番怖いです」
私は封筒を受け取った。
「ありがとうございます。必ず慎重に扱います」
宮内は小さく頷き、すぐに離れていった。
会社のエントランスを出ると、春先の風が吹いていた。
まだ午前十時半。
自宅待機を命じられた日とは思えないほど、空は明るい。
だが、スマートフォンには次々と通知が来ていた。
まず、LumiRiseのグループチャット。
花音。
佐伯さん、会社で何がありましたか。須藤さんから「佐伯はもう関係ない」と言われました。
優芽。
自宅待機って本当ですか?
奈々。
佐伯さんと連絡したらだめなんですか?
澪。
ふざけんなって送る前に深呼吸しました。
私は立ち止まり、慎重に返信した。
本日付で会社から自宅待機命令を受けました。
会社関係者との接触は制限されています。
ただし、安全・健康・権利に関する緊急相談は総務部へ転送するための必要最小限の応答が認められています。
皆さんは、体調・契約・ハラスメントに関することは文面で総務部へ送り、保護者にも共有してください。
私への連絡は、緊急時を除き控えてください。
これは皆さんを守るためです。
送信する手が少し重かった。
彼女たちとの連絡を控える。
それは、黒崎たちの狙いでもある。
だが、今ここで命令に正面から反発すれば、私だけでなく彼女たちも「命令違反に協力した」とされる。
戦い方を間違えてはいけない。
すぐに返信が来た。
優芽。
嫌です。
奈々。
でも、わかりました。緊急じゃないことは送らないようにします。
花音。
私たちは、契約確認申請を予定通り進めます。保護者にも共有します。
澪。
緊急じゃない怒りは、ノートに書きます。
私は少しだけ笑いそうになった。
澪らしい。
それでお願いします。
怒りも記録です。
ただし、送る相手とタイミングは選んでください。
澪。
わかってます。記録係さん。
胸が痛んだ。
もう、簡単には返事できない。
私はスマートフォンを閉じた。
次に、白石瑠璃から電話が来た。
出るべきか迷ったが、彼女は現場担当中のタレントではない。とはいえ所属アーティストだ。会社関係者に含まれる可能性はある。
私は電話には出ず、短いメッセージを送った。
会社から自宅待機命令を受けました。
所属者との接触制限があるため、詳細な通話は避けます。
あなた自身の安全と記録を優先してください。
緊急時は総務部または専門家へ。
瑠璃から返信。
わかりました。
でも私は、自分の証言を撤回しません。
美月さんを一人にしません。
私は画面を見つめた。
一人にしません。
その言葉は、ありがたくて、苦しかった。
巻き込みたくない。
でも、もう彼女たちは自分で選んでいる。
私が勝手に「守る」という名目で遠ざけることは、彼女たちの意思を奪うことにもなる。
ただ、今は慎重に。
私は返信した。
ありがとう。
動くときは必ず記録を残し、第三者を入れてください。
昼過ぎ、自宅に着くと、私はすぐに宮内の封筒を開けた。
中には手書きのメモが入っていた。
9:20頃 営業部内
須藤氏発言
「今日で佐伯は終わり」
「代理店には、現場を混乱させた問題マネージャーとして話しておく」
「白石瑠璃の現場にも余計な影響が出ないように調整する」
「LumiRiseには、佐伯と連絡すると仕事に響くと伝える」
通話先と思われる相手:大崎氏?
「佐伯の名前が出たら通さない方向で」
「制作会社にも共有しておいてください」
※聞こえた範囲のみ。正確な録音なし。
私はメモを読み、深く息を吐いた。
業界から消す。
黒崎の言葉が、実際に動き始めている。
代理店。
制作会社。
白石瑠璃の現場。
LumiRiseへの圧力。
これは単なる社内処分ではない。
私の職業生命を絶つための動きだ。
私はメモをスキャンし、保存した。
宮内メモ_佐伯排除工作。
ただし、宮内の名前は別管理にする。
その直後、相沢からメッセージが入った。
自宅待機になったと聞きました。
こちらにも、佐伯さんについて「問題マネージャー」という話が回り始めています。
出どころは広告代理店筋。
会えますか。
私は少し考え、返信した。
会社から媒体関係者との接触も制限されています。
ただし、私個人への名誉毀損・業務妨害に関する相談として、弁護士同席であれば可能かもしれません。
先に専門家を入れます。
相沢。
その判断がいいです。
急ぎ、芸能労務に強い弁護士を紹介できます。
私は画面を見た。
会社には顧問弁護士がいる。
こちらにも専門家が必要だ。
記録だけでは、ここから先は危ない。
お願いします。
返信してから、私はノートを開いた。
自宅待機命令。
接触制限。
業界排除発言。
代理店への悪評流布。
LumiRiseへの連絡制限。
これは、私自身の問題でもある。
同時に、LumiRiseを孤立させるための手段でもある。
だから、私は次に何をすべきかを整理した。
一、会社からの命令には形式上従う。
二、LumiRiseには直接指示しない。本人・保護者・総務窓口のルートを使う。
三、専門家を入れる。
四、相沢には記事化ではなく、情報保全の相談として対応。
五、瑠璃と莉子の証言は、本人保護を最優先。
六、業界への悪評流布について、記録と証言を集める。
七、LumiRiseが自分たちで動けるよう、既に共有済みの手順を信じる。
最後の項目で、私はペンを止めた。
信じる。
それは、意外と難しい。
守る側でいるほうが楽なことがある。
自分が動き、自分が止め、自分が矢面に立つ。
それは苦しいが、役割は明確だ。
でも、今は違う。
私は離れた場所から、彼女たちが自分で立つのを信じなければならない。
そのとき、奈々の母、朋子さんからメールが届いた。
三枝奈々の母です。
本日、総務部へ契約書・追加同意書・外部施策説明記録の開示申請を提出しました。
佐伯さんが自宅待機になったと奈々から聞きました。
私は、保護者として事務所へ正式に説明を求めます。
奈々には、佐伯さんへ不用意に連絡しないよう伝えています。
ただ、これだけはお伝えしたくて。
娘を守ろうとしてくださり、ありがとうございます。
私はしばらく画面を見ていた。
保護者が動いた。
これは大きい。
会社は、私一人なら潰せると思っている。
だが、保護者の正式な開示請求を簡単には無視できない。
私は短く返信した。
ご連絡ありがとうございます。
会社から接触制限があるため、詳細な助言は控えます。
保護者としての正式な確認は重要です。
すべて文面で残し、必要に応じて専門家へご相談ください。
続いて、花音からではなく、花音の母からもメールが来た。
さらに、優芽の父から。
澪は自分で申請書を出したらしく、CCに母親を入れていた。
四人全員が動いた。
私はそれぞれに、同じように慎重な返信をした。
詳細な指示はしない。
ただ、文面で残すこと、保護者と共有すること、必要なら専門家へ相談すること。
それだけでも、十分だった。
午後三時、相沢から紹介された弁護士、片桐由佳とオンラインで面談した。
片桐弁護士は、芸能契約と労務に詳しい女性弁護士だった。
私は、自宅待機命令、接触制限、黒崎の発言、宮内メモ、悪評流布の可能性を説明した。
片桐は画面越しに淡々と聞いていた。
「佐伯さん。まず、会社の自宅待機命令には形式上従ってください。違反の口実を与えないことが重要です」
「はい」
「ただし、黒崎常務の『業界で二度と仕事できないようにする』趣旨の発言や、代理店への悪評流布が事実なら、名誉毀損や業務妨害にあたる可能性があります」
「記録はあります」
「良いです。次に、所属タレントとの接触制限ですが、未成年者の安全や権利侵害に関する緊急相談への最低限の対応が認められている追記は非常に重要です。よく入れましたね」
「必要だったので」
片桐は少しだけ笑った。
「記録に強い方ですね」
「よく言われます」
「褒めています」
私は少し驚いた。
この数日、同じ言葉はたいてい嫌味だった。
褒められるとは思わなかった。
片桐は続けた。
「LumiRiseの契約問題は、本人および保護者が主体になって進めるのが適切です。あなたが前面に出ると、会社は『佐伯が扇動した』と主張します」
「はい」
「過去の証言については、本人の同意書と使用範囲を明確に。実名を出すかどうかは慎重に。記事化は最後の手段です」
「同意します」
「そして、あなた自身の身を守るために、今後会社とのやり取りには弁護士を通すことを検討してください」
「お願いします」
面談の最後に、片桐は言った。
「佐伯さん。あなたは今、会社から孤立させられようとしています。でも、記録を見る限り、実際には孤立していません。保護者、現場スタッフ、元タレント、記者、そして本人たちが動いている。ここからは、個人の正義感ではなく、手続きで戦いましょう」
手続きで戦う。
その言葉が、胸に落ちた。
怒りではなく。
勢いでもなく。
手続き。
文書。
証言。
開示請求。
専門家。
それこそが、黒崎たちが一番嫌がるものだ。
夕方、LumiRiseのグループチャットには、私宛ではなく、四人同士の報告が並んでいた。
花音。
契約確認申請、家族と提出しました。
優芽。
うちも出しました。父が「説明を聞きに行く」と言っています。
奈々。
お母さんが総務にメールしました。怖かったけど送れました。
澪。
私も出しました。母をCCに入れました。返信待ち。
花音。
みんな、送信時刻をスクショで保存してね。
優芽。
保存済み!
奈々。
保存しました。
澪。
記録係が増えている。
私はそのやり取りを見て、返信はしなかった。
接触制限がある。
それに、今は私が入らなくてもいい。
彼女たちは、自分たちで進んでいる。
私は画面越しに、ただ見守った。
夜になって、白石瑠璃から一通のメールが届いた。
美月さん
会社から、来週の収録が一件「調整中」になりました。
神田部長のメッセージも保存しています。
でも私は証言を撤回しません。
莉子ちゃんも、証言書を完成させたいと言っています。
私たちは消えません。
私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
消えません。
黒崎は私を業界から消すと言った。
でも、消されそうになっていた声が、いま少しずつ立ち上がっている。
莉子。
瑠璃。
LumiRise。
保護者。
宮内。
総務部長。
宣伝担当。
衣装担当。
相沢。
片桐弁護士。
声は増えている。
私は瑠璃へ返信した。
記録を続けてください。
動くときは必ず専門家を通します。
あなたたちの声を、誰かの都合で消させません。
送信してから、私は今日の記録をまとめた。
黒崎常務より自宅待機命令。
業務用端末返却。記録保全確認書あり。
黒崎「業界で二度と仕事ができると思うな」「スポンサー、代理店、制作会社にも話は通せる」と発言。
宮内メモにより、須藤が代理店等へ悪評流布を進めている可能性。
LumiRise四名および保護者、契約・追加同意書・外部施策説明記録の確認申請を提出。
片桐弁護士へ相談開始。
今後は手続きで戦う。
最後の一行を書いて、私はペンを置いた。
業界から消す。
黒崎はそう脅した。
けれど、業界とは誰のものだろう。
常務のものか。
代理店のものか。
炎上を売る外部会社のものか。
違う。
歌う人がいる。
踊る人がいる。
撮る人がいる。
照らす人がいる。
支える人がいる。
応援する人がいる。
その全員がいて、初めて業界は成り立つ。
裏方一人を消せば済むと思っているなら、甘い。
私はもう一人ではない。
そして、LumiRiseももう、黙って消費されるだけの少女たちではない。
彼女たちは文書を出した。
保護者も動いた。
過去の声も、今の声も、つながり始めている。
明日から、私は会社の外側で準備を始める。
現場から外されても、できることはある。
むしろ、ここから先は、現場の一判断では終わらない。
スターリットの中で隠されていたものを、手続きと証言で外へ引き出す。
業界から消される前に。
消されてきた声を、表に出す。




