第11話 切り取られた真実
ファンミーティング当日の朝、私は午前五時半に目を覚ました。
眠ったというより、数時間だけ目を閉じていたというほうが近い。昨夜届いた切り抜き動画のせいで、頭の奥がずっと冷えていた。
澪が奈々に強い口調で言っているように見える映像。
奈々が俯いている映像。
前後を切れば、いくらでも悪意のある物語が作れる。
だが、私はその場にいた。
あれは、奈々のカメラ目線練習だった。
澪は、奈々を追い詰めていたのではない。
怖さを否定せず、そのまま前を向く方法を伝えようとしていた。
真実は、いつも全部を見なければわからない。
そして悪意は、いつも一部だけを切り取る。
私は起床後すぐに体温を測り、朝食を取った。味噌汁とご飯、卵焼き。いつもなら簡単に済ませるところだが、今日はLumiRiseの四人に報告しなければならない。
彼女たちに「ちゃんと食べて」と言われるようになってから、私は少しだけ自分の扱い方を変えた。
守る側が倒れてはいけない。
それは頭ではわかっていたが、実際に行動に移すには、誰かに見られている必要があったのかもしれない。
午前六時。
グループチャットへ送る。
起床しました。睡眠四時間半。体温36.3度。朝食済み。
今日は本番です。皆さんも起床後、体調報告をお願いします。
最初に返ってきたのは花音だった。
起床しました。睡眠六時間。体温36.5度。緊張していますが体調は大丈夫です。
次に優芽。
起きました! 睡眠六時間半。体温36.4度。足首は痛み一です。朝ごはん食べます!
奈々。
起きました。睡眠六時間。体温36.6度。少し怖いです。でも行けます。
最後に澪。
起きました。睡眠五時間半。体温36.2度。声は問題ありません。腹は立っていません。今のところ。
私は少しだけ笑った。
今のところ。
今日、腹を立てる出来事が起こることを、澪はどこかで察しているのかもしれない。
私は返信した。
会場入り後、全員に共有したいことがあります。
先にSNSは見ないでください。
会場で説明します。
既読がつく。
すぐに澪から返ってきた。
何か出るんですね。
私は短く返した。
出る可能性があります。先に対策します。
それ以上は書かなかった。
文字だけで伝えるには、危険すぎる内容だった。
午前八時、会場入り。
ファンミーティングの会場は、都内の中規模ライブホールだった。客席は三百席ほど。大きすぎず、小さすぎず、今のLumiRiseにはちょうどいい。
ステージ上には、淡いブルーの照明が仕込まれていた。背面スクリーンには、夜明け前の空をイメージしたグラデーション。中央には四本のマイクスタンド。客席から近い距離で、四人の表情がよく見える。
イベント制作会社のスタッフが忙しく動き回っている。
宣伝担当はすでに来ていた。目の下に薄い隈がある。
「佐伯さん、前後映像、見つかりました」
開口一番、彼女はそう言った。
「どこに?」
「リハーサル確認用の定点カメラに残っていました。音声もあります。昨日の切り抜き動画の前後、全部あります」
私は息を吐いた。
「助かりました」
「ただ、誰が切り抜き動画を撮ったかはまだ不明です。定点カメラとは角度が違います」
「スマートフォンか、別のスタッフカメラですね」
「はい。ステージ下手側から撮られています」
私は会場図を見た。
下手側。
昨日のリハーサルで、その位置にいたのは、衣装担当、イベントスタッフ、RVEの小早川、そして須藤が一時的に立っていた。
まだ断定はできない。
だが、範囲は絞れてきた。
「切り抜き動画は、まだ表には出ていませんか」
「現時点では確認できていません」
「出る前提で準備します」
「公式で先に出しますか?」
私は少し考えた。
先に出せば防げる可能性はある。
だが、何も知らないファンに「不仲疑惑対策です」と見せることになり、かえって噂を広げる恐れもある。
切り抜きが出た瞬間に、前後映像で返す。
それが最適だろう。
「まずは出さない。監視を続けてください。もし切り抜きが投稿されたら、前後映像を添えて、公式から事実説明を出します」
「文面は?」
「用意します」
私はその場で短い案を作った。
現在拡散されている映像について、前後の文脈を欠いた切り抜きであることを確認しました。
該当場面は、メンバー同士によるカメラ目線練習の一部です。
本人たちの関係性を誤認させる投稿・拡散はお控えください。
LumiRiseは本日のファンミーティングを予定通り実施いたします。
ただし、これを出すのは最後の手段だ。
できることなら、公式コメントより先に、今日の本番で四人自身の言葉が届いてほしい。
控室に入ると、LumiRiseの四人が揃っていた。
衣装前の私服姿。
テーブルには朝食用の軽食が並んでいる。花音が全員の飲み物を確認し、優芽が足首にサポーターを巻き、奈々が台本を握りしめ、澪が壁にもたれて目を閉じていた。
私が入ると、四人の視線が一斉に向いた。
「佐伯さん」
花音が立ち上がる。
「何がありましたか」
私はドアを閉め、控室内にスタッフがいないことを確認した。
そして、テーブルの上にタブレットを置いた。
「昨夜、悪意ある切り抜き動画が届きました」
空気が固まった。
奈々の顔から血の気が引く。
澪の目が鋭くなる。
「私と奈々ですか」
「はい」
澪は舌打ちしそうになり、飲み込んだ。
「見せてください」
奈々が小さく震えた。
私は彼女を見る。
「見る必要があります。ただし、これは一部だけを切り取ったものです。前後映像も確保しています。先にそれを伝えます」
奈々は唇を結び、頷いた。
「見ます」
私は切り抜き動画を再生した。
数秒。
澪が奈々に向かって何かを言っている。
奈々が俯いている。
音声は途中で切られ、澪の語尾だけが強く残る。
「怖がりすぎ」
そこで映像は終わる。
控室は静まり返った。
優芽が怒りで顔を赤くした。
「これ、ひどい」
花音も表情を硬くしている。
「完全に意味が違います」
奈々はタブレットを見つめたまま、指先を握っていた。
澪は黙っていた。
その沈黙が一番危うかった。
「澪さん」
私が声をかけると、彼女は低く言った。
「私が言いました」
「はい」
「でも、こういう意味じゃない」
「わかっています」
「でも、これを見た人は、私が奈々を責めてると思う」
「だから前後映像があります」
私は続けて定点カメラの映像を再生した。
そこには、練習の最初から最後までが映っていた。
奈々がカメラを怖がると言う。
澪が「カメラを敵だと思わない」と伝える。
奈々がうまく視線を上げられない。
澪が「怖がりすぎ」と言う。
その直後、優芽が「澪、言い方」と突っ込み、澪が考え直して「怖くても、そのままでいいと思う」と言い直す。
奈々が「今の、優しいです」と笑う。
優芽が茶化し、澪が照れる。
そこまで見れば、悪意あるいじめ映像には見えない。
むしろ、不器用な澪が奈々を支えようとしている場面だった。
動画が終わると、奈々が深く息を吐いた。
「よかった……」
澪が奈々を見る。
「ごめん」
奈々は驚いたように顔を上げた。
「どうして澪ちゃんが謝るんですか」
「言い方が強かったのは本当だから」
「でも、その後言い直してくれました」
「最初から言えればよかった」
「私は、澪ちゃんがちゃんと言い直してくれたのが嬉しかったです」
澪は言葉に詰まった。
優芽が目元を押さえる。
「朝から泣かせに来ないで」
「泣いてないでしょ」
「泣きそうなの」
花音が二人のやり取りを見ながら、静かに言った。
「これが出たら、私たちはどうすればいいですか」
私はタブレットを置いた。
「まず、個人アカウントでは反応しない。公式が必要に応じて前後映像を出します。ただし、本番中にこの件が話題になる可能性があります」
「ファンから質問が来るかもしれない?」
「はい。スタッフが質問は選別しますが、SNSを見て不安なファンはいるでしょう」
奈々が手を握った。
「私、言えます」
全員が奈々を見る。
「もし聞かれたら、澪ちゃんにいじめられてないって言えます」
澪がすぐに言った。
「無理に言わなくていい」
「無理じゃないです」
奈々の声は震えていたが、逃げていなかった。
「勝手に切り取られて、澪ちゃんが悪く言われるのは嫌です。私、言えます」
優芽が頷いた。
「私も言う。あの場にいたし」
花音も。
「私も、リーダーとして説明します」
澪は俯き、拳を握った。
「私は……」
私は澪を見た。
「澪さんは、何を言いたいですか」
澪はしばらく黙っていた。
やがて、顔を上げる。
「私は、言葉が強いです」
静かな声だった。
「それで誤解されることもあると思います。でも、奈々を傷つけたいと思ったことはありません。もし言い方が悪かったら、ちゃんと言い直せる人になりたいです」
奈々の目が潤んだ。
「澪ちゃん……」
「泣かないで」
「泣いてもいいって言ったの澪ちゃんです」
「今は困る」
優芽が笑った。
花音も少しだけ笑った。
私は四人を見て、決めた。
「では、ファンミの中で予定していた『助けられた瞬間』のコーナーに、この話を自然に入れましょう」
花音が頷く。
「切り抜きが出ても出なくても?」
「はい。不仲説への直接反論ではなく、皆さん自身の言葉として話す。練習中に言葉が強くなったこと、言い直したこと、それを奈々さんが嬉しかったと思ったこと。全部、本当のことです」
澪が小さく息を吐く。
「嘘じゃない」
「はい」
「じゃあ、言えます」
控室の空気が少し変わった。
怖さは消えていない。
だが、ただ怯えるだけではなくなった。
自分たちで話す準備ができた。
それが何より強い。
午前十時半。
開場一時間前。
会場前には、すでにファンが並び始めていた。
ロビーには、LumiRiseのポスターとファンミ限定グッズが並んでいる。白と青のペンライト。メンバー別のアクリルキーホルダー。新曲『夜明けのプリズム』の予約ブース。
私はロビーを確認しながら、宣伝担当と最後の打ち合わせをした。
「SNS状況は?」
「切り抜き動画はまだ出ていません。ただ、不穏な投稿が増えています」
「どんな内容ですか」
「『今日のファンミで澪と奈々の件が暴露されるらしい』『運営が隠してる動画がある』などです」
私は眉を寄せた。
動画そのものを出す前に、期待値を煽っている。
炎上の予告だ。
「投稿元は?」
「例のアカウント群と重なります」
「監視継続。動画が出たら即共有してください」
「はい」
そのとき、イベント制作会社の女性が駆け寄ってきた。
「佐伯さん、会場スタッフの一人が、見慣れないカメラを持って下手袖に入ろうとしていました」
「所属は?」
「RVE側の記録スタッフだと言っています。でも、スタッフリストに名前がありません」
私はすぐに向かった。
下手袖の入口には、黒いキャップをかぶった若い男が立っていた。首から小型カメラを下げている。イベントスタッフに止められ、不満げな顔をしていた。
「佐伯です。所属とお名前を確認させてください」
男は面倒そうに言った。
「RVEの撮影補助です。小早川さんに言われて来ました」
「スタッフリストにお名前がありません」
「急遽追加です」
「追加許可のメールは?」
「聞いてないです。小早川さんに確認してください」
私は手を出した。
「入館証を確認します」
男は渋々首から下げたカードを見せた。
そこには、今日のイベント名ではなく、別案件の古い入館証が入っていた。
「本日の入館証ではありません」
「だから急遽って」
「入場は認められません。撮影機材を持ったまま関係者エリアに入ることも禁止します」
男は苛立ったように舌打ちした。
「面倒くさいな」
「記録スタッフとして来たのであれば、正式な申請をしてください」
「小早川さんに怒られますよ」
「こちらで確認します」
私はその場で小早川に電話した。
数コール後、彼が出る。
「佐伯さん、どうしました?」
「RVEの撮影補助を名乗る方が、未登録のまま下手袖に入ろうとしています」
「ああ、彼ですか。今日のSNS用に少し裏側を撮れればと思って」
「事前申請がありません。撮影不可です」
「柔軟にお願いしますよ。いい素材が撮れるかもしれません」
「未登録スタッフによる舞台袖撮影は認めません」
「そんなに警戒しなくても」
「昨夜、リハーサル映像の切り抜きが送られてきています。撮影管理を厳格化します」
電話の向こうが一瞬静かになった。
「切り抜き?」
「ご存じありませんか」
「知りませんね」
「では、なおさら確認のため、本日の未登録撮影は不可です」
小早川は少し低い声で言った。
「佐伯さん、本当にやりにくい方ですね」
「よく言われます」
「褒めていません」
「承知しています」
通話を切り、男には退場してもらった。
イベント制作会社のスタッフには、舞台袖と控室周辺の撮影禁止を改めて徹底してもらう。
切り抜き動画の火元が、ここで新しい素材を撮ろうとしていた可能性がある。
私は男の外見、入館証、時間、発言を記録した。
未登録撮影者_RVE申告。
開演三十分前。
控室では、四人が衣装に着替え終えていた。
白と淡いブルーの衣装。
照明の下で見ると、布地が柔らかく光る。花音のスカートは少し長めで上品に、澪はシンプルで直線的に、優芽は動きやすい短めの丈に、奈々はふわりとしたシルエットに調整されている。
それぞれ違う。
でも、並ぶと一つのグループに見える。
「似合っています」
私が言うと、優芽が笑った。
「佐伯さん、そういうこと言えるんですね」
「事実です」
「褒め方が硬い」
奈々が鏡を見ながら小さく言った。
「でも、嬉しいです」
澪は自分の袖を見た。
「悪役じゃない」
「澪ちゃん、まだ気にしてたの?」
「気にしてない」
「気にしてるじゃん」
花音が笑い、それから真剣な表情に戻った。
「佐伯さん、もし本番中に怖くなったら、どうすればいいですか」
「一度深呼吸してください。それでも無理なら、合図を決めましょう」
「合図?」
私は四人に提案した。
「マイクを両手で持ったまま、一度視線を下げる。それを見たら、私か進行スタッフが次のメンバーへ振ります。無理に続けなくていい」
奈々が安心したように頷いた。
「わかりました」
澪が言った。
「でも、たぶん大丈夫です」
私は彼女を見る。
「根拠は?」
「四人でいるので」
優芽が少し目を丸くした。
「澪、今日かっこいいこと言いすぎじゃない?」
「うるさい」
花音が静かに笑った。
その空気のまま、開演時間が来た。
客席のざわめき。
照明が落ちる。
影の中で、四人がステージ袖に並ぶ。
私は袖の少し後ろに立った。
拍手は、まだない。
けれど、ペンライトの淡い青が客席に揺れている。
ファンは待っている。
噂を見た人もいるだろう。
心配している人もいるだろう。
面白半分で来た人も、もしかしたらいるかもしれない。
それでも、ここは彼女たちの場所だ。
誰かが仕組んだ炎上の舞台ではない。
LumiRiseが、ファンと向き合う場所だ。
開演SEが鳴る。
四人がステージへ出た。
「皆さん、こんにちは! LumiRiseです!」
花音の声が会場に響く。
拍手が起きた。
思ったより大きい。
優芽が客席へ手を振り、奈々が少し緊張した笑顔で頭を下げ、澪が静かにマイクを持った。
最初のトークは順調だった。
新曲の話。
歌詞解釈。
夜明けというテーマ。
花音が「明るくなる前の不安も、この曲には入っています」と話すと、客席は静かに聞いていた。
優芽の座り振付講座では、会場全体が手の動きを真似した。優芽は足に負担をかけず、上半身だけで楽しませた。
「皆さん、完璧です! 私より揃ってるかも!」
笑いが起きる。
奈々も少しずつ表情が柔らかくなっていった。
澪は言葉数こそ少ないが、一言一言が客席に届いている。
良い流れだ。
だが、イベント中盤。
「助けられた瞬間」のコーナーに入る直前、宣伝担当が袖に駆け込んできた。
顔が硬い。
「出ました」
私はタブレットを受け取った。
SNS上に、昨夜の切り抜き動画が投稿されている。
【関係者流出】LumiRise澪、奈々をリハで叱責?
これで不仲じゃないは無理がある。
すでに拡散が始まっていた。
タイミングを狙っている。
イベント中盤。
ファンが会場にいて、外の情報をリアルタイムで追いにくい時間。
終演後に広がれば、感想より先に疑惑が拡散される。
私はすぐに指示した。
「前後映像を準備。公式コメントはまだ出さない。まずこのコーナーを見ます」
「今出さなくていいんですか」
「四人が話します」
ステージでは、花音がコーナー説明を始めていた。
「次は、私たちがお互いに助けられた瞬間について話します」
客席が少し静かになる。
噂を知っているファンは、この流れに何かを感じたかもしれない。
花音は台本を持っていたが、途中でそれを閉じた。
「実は、今日この話をすることを、昨日四人で決めました」
私は袖で息を止めた。
台本より踏み込んでいる。
だが、止めない。
花音は続けた。
「最近、私たちについていろんな話が出ています。心配してくれた方もいると思います。全部に一つずつ答えることはできません。でも、今日は私たちの言葉で、今のLumiRiseを伝えたいです」
客席が静まり返った。
優芽がマイクを持つ。
「私は、優芽です。最近、足首を痛めて、思うように踊れない時期がありました。正直、踊れない私は何もないって思ってました。でも、メンバーがそうじゃないって言ってくれて。ファンミでも、今できるダンスで楽しもうって思えました」
拍手が起きる。
優芽は少し照れたように笑い、奈々へ視線を送った。
奈々がマイクを両手で握る。
「私は、奈々です。カメラが怖いときがあります。失敗したらどうしようって思って、顔が固まることがあります」
声が少し震えている。
でも、続けた。
「その練習をしていたとき、澪ちゃんが言ってくれました。怖くても、そのままでいいって」
客席が息を呑むのがわかった。
今、切り抜き動画と同じ場面に触れている。
奈々は澪を見た。
「最初、澪ちゃんの言い方がちょっと強くて、びっくりしました」
客席に小さな笑いが起きた。
澪が少し気まずそうに視線を逸らす。
奈々は続けた。
「でも、澪ちゃんはすぐに言い直してくれました。私は、それが嬉しかったです。私のことをちゃんと見てくれてるんだと思いました」
奈々の目に涙が浮かんでいた。
けれど、泣かせるための涙ではない。
自分の言葉で話す中で、自然にこみ上げたものだった。
「だから、私は澪ちゃんが怖くないです。澪ちゃんにいじめられてもいません。澪ちゃんは、不器用だけど優しいです」
会場から拍手が起きた。
大きな拍手だった。
澪は困ったような顔をしたあと、マイクを上げた。
「今、かなり恥ずかしいです」
会場に笑いが起きる。
澪は少し息を吐き、まっすぐ前を見た。
「私は、言葉が強いと言われます。実際、強いと思います。奈々にも、きつく聞こえる言い方をしてしまうことがあります」
会場は静かだった。
「でも、傷つけたいわけではありません。もし言い方が悪かったら、言い直せる人になりたいです。奈々が怖いと言ったら、怖いままでいいと言える人になりたいです」
奈々が隣で頷く。
澪は続けた。
「だから、切り取られた一部だけで、私たちの全部を決めないでほしいです」
その瞬間、私は袖で目を閉じそうになった。
言った。
澪は、切り抜き動画が出たことを知った上で、しかし直接攻撃するのではなく、自分の言葉で返した。
強い。
この子は本当に強い。
花音が最後にマイクを持った。
「私たちは、まだ完璧なグループではありません。言葉が足りないことも、すれ違うことも、怖くなることもあります。でも、誰かが作った物語ではなく、私たち自身の言葉で進みたいです」
優芽が頷く。
奈々も頷く。
澪も。
花音は客席を見渡した。
「今日ここに来てくれた皆さんには、今の私たちを見てほしいです。嘘の涙ではなく、嘘の仲良しでもなく、ちゃんと四人で立っているLumiRiseを見てほしいです」
拍手が起きた。
大きく、長い拍手だった。
袖で宣伝担当が小さく泣いていた。
イベント制作会社の女性も目元を押さえている。
私は拳を握っていた。
これは、私が作った反論ではない。
彼女たちが自分で作った答えだった。
その後のミニライブは、これまでで一番良かった。
『夜明けのプリズム』のイントロが流れた瞬間、会場の空気が変わった。
澪の歌声は、いつもより少し柔らかかった。
花音の表情には、責任だけではなく誇りがあった。
優芽は足をかばいながらも、指先と笑顔で客席を巻き込んだ。
奈々はカメラではなく、客席の奥を見ていた。
怖くても、そのままで。
最後のサビで、四人の声が重なった。
客席のペンライトが、淡い青の波のように揺れる。
夜明け前の光。
歌詞の通りだった。
不安も、怖さも、怒りも、全部抱えたまま、それでも朝へ向かう。
曲が終わった瞬間、会場は拍手に包まれた。
ファンミーティングは成功した。
少なくとも、会場にいた人たちは、LumiRiseの今を見た。
誰かが切り取った数秒ではなく、四人が積み上げてきた時間を見た。
終演後、宣伝担当がすぐに状況を報告した。
「切り抜き動画、かなり拡散されかけましたが、会場参加者の感想が一気に上がっています」
画面を見る。
現場にいたけど、澪と奈々の話めちゃくちゃ良かった
切り抜き見た人、今日のファンミ見てほしい
不仲どころか信頼関係だった
LumiRise、ちゃんと自分たちの言葉で話してた
澪ちゃんの「切り取られた一部だけで全部を決めないで」刺さった
さらに、公式アカウントが準備していた前後映像を投稿した。
文面は慎重に。
本日一部で拡散されているリハーサル映像について、前後の文脈を欠いた切り抜きであることを確認しています。
該当場面は、メンバー同士の練習風景です。
本日のファンミーティングでも本人たちが自分の言葉で語りました。
誤認を招く投稿・拡散はお控えください。
反応は早かった。
切り抜き動画の投稿者は、しばらくして投稿を削除した。
だが、削除しても遅い。
スクリーンショットも、投稿URLも、時刻も、拡散経路も保存済みだ。
終演後の控室で、四人はぐったり椅子に座っていた。
疲れ切っている。
でも、目は明るかった。
優芽が天井を見ながら言った。
「勝った……?」
私は少し考えてから言った。
「今日のところは」
澪が苦笑する。
「佐伯さん、絶対に完全勝利って言わないですよね」
「まだ終わっていませんので」
「でしょうね」
奈々が小さく手を上げた。
「あの、私、ちゃんと言えてましたか」
「言えていました」
花音が即答した。
「すごく」
優芽も頷く。
「奈々、今日めちゃくちゃ強かった」
澪は少し照れくさそうに言った。
「助かりました」
奈々は目を潤ませた。
「よかった……」
「泣いてもいい」
澪が言った。
今度は全員が笑った。
奈々は少し泣いた。
でも、それは誰かに仕組まれた涙ではなかった。
自分の言葉で立てた後の、安心の涙だった。
私は控室の隅で、その光景を記録には残さなかった。
これは証拠ではなく、彼女たちの時間だ。
ただ、心には残した。
だが、穏やかな時間は長く続かなかった。
控室のドアが乱暴に開いた。
神田部長だった。
顔が赤い。
その後ろには須藤もいる。
「佐伯!」
神田の怒鳴り声が控室に響いた。
四人の表情が一瞬で強張る。
私は立ち上がった。
「お疲れさまです」
「何がお疲れさまだ! 公式で勝手に動画を出したな!」
「誤認を招く切り抜き動画への対応です」
「あれを出したせいで、RVE側から抗議が来ている!」
なるほど。
火元に近い場所が反応した。
「なぜRVEが抗議を?」
私が尋ねると、神田は一瞬言葉に詰まった。
須藤が横から言う。
「関係各所に迷惑がかかってるんですよ!」
「切り抜き動画の投稿者は外部アカウントです。RVEが抗議する理由を確認したいです」
「そういう問題じゃない!」
「では、どういう問題ですか」
神田が机を叩いた。
「お前は会社の許可なく、炎上に公式対応した! しかもメンバーに勝手な発言をさせた!」
澪が立ち上がった。
「勝手じゃありません」
神田が澪を見る。
「澪、座れ」
「嫌です」
控室の空気が止まった。
澪はまっすぐ神田を見ていた。
「私たちは、自分の言葉で話しました。佐伯さんに言わされたんじゃありません」
奈々も震えながら立った。
「私も、自分で言いました」
優芽が続く。
「私もです」
最後に花音が立ち上がる。
「今日のファンミは、私たちが望んだ形です。嘘の不仲演出をしなかったことも、切り抜きに対して自分たちの言葉で話したことも、間違っていたとは思いません」
神田は怒りで顔を歪めた。
「お前たち、誰のおかげでステージに立ててると思ってるんだ!」
その言葉が出た瞬間、私は一歩前へ出た。
「神田部長」
「黙れ!」
「本番直後のメンバーに怒鳴るのはやめてください」
「お前が言うな!」
「必要であれば、別室で伺います」
神田は私を睨みつけた。
「いいだろう。今すぐ来い。常務がお呼びだ」
来た。
予想していた。
今日のファンミは成功した。
切り抜きも潰した。
だからこそ、彼らは私を排除しに来る。
私は四人を振り返った。
「皆さんは着替えて、食事を取ってください。今日はこれ以上、SNSを見ないこと」
優芽が不安そうに言う。
「佐伯さん」
「大丈夫です」
澪がすぐに言った。
「それ、信用できません」
「では、こう言います。記録してきます」
澪は少しだけ表情を緩めた。
「それなら信用できます」
花音が静かに言った。
「私たちは、佐伯さんに言わされたわけではありません。必要なら、何度でも言います」
「ありがとうございます」
奈々が小さく拳を握った。
「私も言います」
私は頷き、控室を出た。
廊下を歩きながら、神田と須藤の背中を見る。
今日、彼らは焦っている。
RVEが抗議していると言った。
なぜ、RVEが。
切り抜き動画に関与していないなら、公式の前後映像投稿に抗議する理由はない。
自分たちの企画が潰されたからか。
それとも、投稿者との関係を疑われると困るからか。
どちらにせよ、反応が早すぎる。
常務室の前で、私はスマートフォンを取り出し、録音ではなくメモアプリを開いた。
時刻を記録する。
ファンミ終演後、神田部長より呼び出し。
RVE側から抗議との発言。
メンバー本人たち、自発的発言であると明言。
そして、最後に一行。
切り抜きへの公式対応により、RVE側が即時反応。関与確認が必要。
保存。
常務室の扉が開く。
中には黒崎常務と、小早川。
そして、窓際に立つ真壁亮司がいた。
レイヴンエンターテインメント取締役。
彼は私を見ると、静かに笑った。
「佐伯さん。今日のファンミーティング、拝見しました」
私は部屋に入った。
「ありがとうございます」
「実に見事でした。切り取られた真実を、本人たちの言葉で上書きする。裏方としては、かなり良い仕事です」
褒め言葉の形をした警告。
私は頭を下げるだけにした。
黒崎常務が低い声で言った。
「佐伯。お前には、会社の方針に従う気がないようだな」
「事実と異なる切り抜きから、担当タレントを守る対応をしました」
「会社の許可なく、だ」
「緊急対応です」
「便利な言葉だな」
真壁がゆっくり近づいてきた。
「佐伯さん。あなたは勘違いしている」
「何をでしょう」
「真実を見せれば、すべて解決すると思っている」
彼の声は穏やかだった。
「でも、芸能界では真実そのものより、どう見えるかのほうが価値を持つことがある。あなたは今日、その見え方を一つ潰した」
「虚偽の見え方です」
「虚偽かどうかは、受け手が決める」
「違います」
私は真壁を見た。
「事実は、受け手の感情とは別に存在します」
真壁の笑みが深くなった。
「面白い」
黒崎が机を叩いた。
「もういい。佐伯、お前は本日付でLumiRiseの現場担当から外す」
その言葉が、部屋に落ちた。
予想していた。
それでも、胸の奥が冷えた。
「理由を文書でください」
私が言うと、神田が怒鳴った。
「まだ言うか!」
「担当変更の理由、発令日時、引き継ぎ範囲を文書で確認します」
黒崎は冷たく言った。
「理由は業務命令違反。担当変更通知は後で出す。明日からLumiRiseの現場には須藤が入る。お前は本社待機だ」
私は頷いた。
「承知しました。ただし、担当変更に伴うリスクと、現在進行中のSNS炎上対応、優芽さんの足首管理、奈々さんの未成年稼働管理、契約確認事項について、引き継ぎ書を作成します」
「必要ない」
「必要です」
「お前の記録ごっこは終わりだ」
黒崎が吐き捨てる。
私は静かに返した。
「記録は終わりません」
真壁が小さく笑った。
黒崎の目が怒りで細くなる。
「出ていけ」
「失礼します」
私は常務室を出た。
廊下に出ると、膝が少しだけ震えていることに気づいた。
担当から外された。
LumiRiseの現場から、私は排除される。
だが、これで終わりではない。
むしろ、ここからだ。
私はすぐに相沢へメッセージを送った。
ファンミ後、LumiRise現場担当から外されました。
同席者:黒崎、神田、須藤、小早川、真壁。
RVE側から公式対応への抗議あり。
切り抜き動画に対し、RVEが即時反応。関与疑い強まる。
次に、白石瑠璃へ。
担当を外されました。
ただし記録は残っています。
Milky Gate元メンバーとの面談、予定を進めたいです。
そして最後に、LumiRiseのグループチャットを開いた。
何を書くべきか、数秒迷った。
嘘はつけない。
でも、不安だけを投げるわけにもいかない。
会社から、明日以降の現場担当変更を告げられました。
正式通知は未受領です。
皆さんは今日は予定通り休んでください。
今日のファンミは、皆さん自身の力で成功しました。
それは誰にも消せません。
送信。
すぐに既読がついた。
優芽。
嫌です。
奈々。
どうしてですか。
澪。
ふざけないで。
花音。
私たちは、佐伯さんの担当継続を希望します。四人で会社に伝えます。
私は目を閉じた。
すぐに返信する。
感情的に動かないでください。
会社への意思表示は、文書で、四人の総意として、冷静に行ってください。
必要なら文案を考えます。
澪。
こんなときまで冷静に文書ですか。
私は返した。
こういうときほど、文書です。
少し間があって、澪から。
わかりました。記録係さん。
優芽。
泣きそうです。でも文書にします。
奈々。
私も言いたいです。
花音。
四人で書きます。送る前に見てもらえますか。
私は短く答えた。
見ます。
その夜、私は会社のデスクに戻り、担当引き継ぎ書を作り始めた。
会社が必要ないと言っても作る。
優芽の足首。
奈々の未成年対応。
澪への悪意ある切り抜き対策。
花音の負担管理。
SNS炎上の経緯。
RVE関連の注意事項。
契約確認未了事項。
すべてを書いた。
これは、ただの引き継ぎではない。
もし明日から須藤が現場に入り、同じことを繰り返そうとしたとき、「知らなかった」と言わせないための記録だ。
そして、私が担当を外された理由が、彼女たちを守ろうとしたことにあると示すための記録だ。
深夜近く、LumiRiseから文書案が届いた。
私たちLumiRise四名は、佐伯美月さんの現場担当継続を希望します。
理由は以下です。
・体調管理、食事、睡眠、怪我への対応を適切に行ってくれたこと
・本人たちの意思を確認した上で、活動方針を調整してくれたこと
・事実と異なる切り抜きや不仲説に対し、私たちの言葉で説明する機会を守ってくれたこと
・ファンミーティングを、嘘の演出ではなく、私たちらしい形で成功させてくれたこと
私たちは、佐伯さんに言わされているのではなく、四人の総意としてこれを提出します。
私はその文面を読み、しばらく画面を見つめた。
もう彼女たちは、ただ守られるだけではない。
自分の言葉で、守ろうとしている。
私は修正案を最小限だけ返した。
とても良いです。
感情的な表現はなく、事実と意思が明確です。
提出先は黒崎常務、神田部長、総務部長、宣伝部長を含めてください。
送信時刻も記録してください。
花音から返信。
ありがとうございます。送ります。
数分後、会社のメールにその文書が届いた。
宛先には、黒崎、神田、総務部長、宣伝部長。
CCに、私。
送信者は、LumiRise四名連名。
私はそのメールを保存した。
LumiRise本人意思_佐伯担当継続希望。
担当は外された。
だが、記録は増えた。
そして、本人たちの意思も残った。
私は夜のオフィスで、一人静かに息を吐いた。
ファンミーティングは成功した。
切り抜き動画は潰した。
その代償として、私は現場から外された。
でも、これは敗北ではない。
相手が私を排除しなければならないところまで、追い詰められたということだ。
明日から、戦い方を変える。
現場のマネージャーとしてではなく、記録を持つ人間として。
裏方扱いされ、降格され、担当を外された人間として。
そして、LumiRise自身の意思を背中に受けた人間として。
ここから先は、会社の中だけでは終わらない。




