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余りめ 一別


「長居しすぎてしまいましたね。久々の再会があまりに嬉しくて、時を忘れてしまいました」



 源次郎様はお帰りになられる際、そう仰って苦笑いを浮かべていらっしゃいました。



「私もです。源次郎様とお話する時間があまりに楽しくて、少し飲みすぎてしまいました」



 火照る顔で、私は源次郎様に微笑みかけます。仏門に入った身だというのに、少し羽目を外しすぎてしまって。恥ずかしいですけれど、きっと今の私は耳まで真っ赤なのでしょう。



「本当に、源次郎様とお会い出来てとても嬉しかったです。幸福な、一時でございました」



「ええ、まことに」



 思いもしなかった、再会。

 それは、本当に嬉しいもので……幸運なことだと、思うのです。

 この同じ天の下、私達は離れ離れになっても互いに懸命に、生き抜いてきた。その、証なのですから。



「これでまた、お別れでございますね。今は戦の最中。また気軽に会う……ようなことは出来ないでしょうね……」



「そうで、ございますな……」



 源次郎様は、ふと目を伏せになられます。



「それがしは、関白殿下の使いとしてこの八王子に参りました。またすぐに、箱根の殿下の下へ戻らねばなりませぬ……それに、戦が終わればまた大坂でのお役目に戻されるでしょう。気軽に、という訳には参りませぬな……」



 あの日。新府の側で源次郎様と別れたあの時。

 きっと、あの場で私達の道は分かれてしまったのでしょう……



「……もう、源次郎様は『豊臣の武士』であらせられますから」



 武田は、滅びたのです。

 私が、源次郎様を留め置く楔など一切残っていないのです。


 武家の姫ですらない、しがない尼僧の私には。


「そう、ですね……」


 源次郎様は、本当、寂しいお顔をなされておりました。

 そして、



「……最後に一つ、松姫様にお知らせしたいことがありました」



 そのように、仰って。



「この戦が終わり大坂に戻れば……それがし、嫁を娶ることになっております」



 ……えっ?



「まぁ、それはおめでたいことではないですか。お相手は……?」



「豊臣の重臣、大谷刑部様のご息女でございます。太閤殿下が膳立てをしていただいた縁談でありまして、これを受ければそれがしはもう、名実ともに豊臣の家臣……信州上田の源次郎ならず、豊家馬廻『真田左衛門佐信繁』と、名乗りも変えることになりました」



「そうですか。なら、軽々しく源次郎様などと呼べませんね」



 そのお話を聞いて、私は少し寂しく思ってしまいました。

 奥方を娶り、名乗りも変えては、もう源次郎様は紛うことなき豊臣の家来でございます。『武田の者』では、なくなってしまう……


 こうやって、私の知る武田の家は、少しずつ色褪せて消えていくのですね……



「ええ、ですから……その前に、松姫様にお会い出来て良かった」



 穏やかな声で、穏やかな顔で、源次郎様は私に語りかけます。真っ直ぐ、私の顔を見て。



「それがしは、豊臣の家臣となります。しかし、決して忘れませぬ……武田の武士としての、誇りを。諏訪のお屋形様よりお教えいただいた、数多くのことを。そして……松姫様との、約束を」



 「それがしは、忘れませぬ」源次郎様は、力強い言葉でそう仰りました。

 とても頼りになりそうな、屈託のないお顔をされて。



「次にお会いするとき、それがしは、『日ノ本一の武者』でございます」



 源次郎様のお供の方が、馬の手綱を引いてこちらに近づいてきます。

 その手綱を受け取られると、源次郎様はばっと馬に跳び乗られて。



「では、御免仕ります」



「ええ、どうかご健勝で。ご武運を、お祈りしております」



 源次郎様は、手綱を引かれるとゆっくりと馬を進められました。

 お供の方を引き連れて、そのお背中はまるで去ることが心底名残惜しそうで。


 同じような想いを抱えながら、私は山門の前で小さくなっていく源次郎様のお姿を、消えて見えなくなってしまうまでじっと見つめておりました。


 もう、武田はない。


 源次郎様は豊臣の者で、私は仏門に入り。

 互いの道は、すでに分かれてしまっています。


 けれど、この天の下。


 互いが、互いの場で必死に足掻いていることを存じていますから。



 それ以来、私は二度と源次郎様にお会いする機会には恵まれませんでした。


 当然、関白様直属の馬廻りの方に一介の尼がお会い出来るはずもない。

 あの再会は、まるで夢か泡沫(うたかた)のように消えてしまった一時(ひととき)です。


 それでも、今一度。


 源次郎様にお会い出来たことは、私にとってかけがえのない出来事として、胸に大事に納めております。


 何もかもを失っても。


 私は『独り』ではないと、気づくことが出来たのですから。

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