接待
平社員から出発した茜の転職。
1年後には社長秘書として働くようになっていた。
秘書ではあるが、営業も熟していた。
社員達とも打ち解けて話せるようになっていた。
そんなある日、新たな契約を締結するために、東証一部上場の大企業の本社へ社長と営業部長と向かった。
応接間に通されて出て来た担当者を見て茜は声を失った。
あの22歳の時に別れた恋人・本田翔也だった。
一瞬、勧められたのに座ることさえ出来なかった茜。
翔也も同じように驚いていた。
社長に「中森さん?」と声を掛けられて、茜はハッと気付いた。
今が仕事中であることを………。
翔也も同じように動揺を隠しながら茜たちが座るのを見てから、ゆっくり座った。
契約は問題なく締結された。
「どうでしょう、この後、少しお時間を頂けませんか?」
「社長御自らのお誘いならお断り出来ませんな、本田君。」
「はい、お断り出来ません。」
茜は秘書として接待するための店は選んでいた。
その店へ向かった。
接待が終わるまで、茜は笑顔を張り付けていた。
二十年ほど前の別れであったが、茜の心に深く残っている初めての恋だった。
その相手が今目の前に居る。
動揺を隠しながら接待をしていた。
⦅早く終わって!⦆と思いながら………。
お酒を飲むのではなく、飲んでいるように見せかけて、上手に相手の飲ませる――それが茜の今日の大きな仕事である。
社長に飲ませることも当然のことさせなかった。
翔也と視線が合う時が一番辛かった。
翔也の視線を感じた時が哀しかった。
どうしても茜は比較してしまったのだ。
結婚して子どもが居る幸せを絵に描いたような人生を歩んでいる翔也。
それに比べて、茜には何も無い。
無残な姿に翔也の目には映っているはずだと思うと悲しくなった。
接待が終わるのを茜は待ちかねている。
茜は途中でトイレに行く為に席を静かに立った。
その後を翔也が追いかけるかのように立ち上がって部屋を出た。
御手洗いで用を済ませた茜の前に、壁に背中を預けて立っている翔也の姿が目に入った。
茜は驚いて目を見張ったが………急いで翔也の前を過ぎ去ろうとした。
すると、茜の前に立ちふさがった翔也が「茜……この後、話したいことがある。終わったら、この店の左隣二件目のカフェで会おう。」と言った。
茜は「会う必要が無い。」と言おうとしたが、翔也は言いたいことだけを言って直ぐに部屋に戻って行った。
茜は断るチャンスが無かった。
接待が終わり、店を出る取引先を見送った社長と営業部長そして茜。
「あぁ………無事に終わったわ。」
「無事に終わって良かった!」
「社長、営業部長、おめでとうございます。」
「中森さんのお陰です。」
「本当に!」
「いえいえ、私は何もしていません。」
「あぁ……社長業って忙し過ぎるわ。」
「忙しいから、あの方を待たせるのは……如何なものでしょう。
ねぇ、営業部長。」
「そうだよ。早く結婚しちまいな。」
「もう……二人とも………。大変なのよ!」
「そうですね。女性は出産もありますものね。
でも! 社長御自ら育児休暇を取得なさいますと、社員は取得しやすくなりま
す。
是非ともご結婚なさいまして、出産も子育ても経験して頂くと社員たちのお手本
になります。
そういう点も踏まえまして、ご結婚なさいますようお願い致します。」
「嫌だぁ~~~っ、中森さんったら………。」
笑い声が3人を和やかにした。
3人はその店で別れた。
茜は悩んだ末に二軒隣のカフェへ向かった。
そこに待っているのは、あの本田翔也。
茜の胸はいつもより早い鼓動を打っていた。




