⑷ 人の世界
「大丈夫!」
励ますような、誰かの声が聞こえた。
海澪が声を返す間もなく、唐櫃の蓋が閉じられる。中は真っ暗になった。
海澪は、空間が歪んでいくような、自分が目まいを感じているのか、分からない感覚に落ちる。
どのくらいの時間が流れたのだろう。
突然に沈黙と暗闇が破れる。唐櫃の底が抜けたように、光と喧騒と夏の熱気、不思議な匂いの世界に投げ出される。
幸い怪我をするほどの高さではない。せいぜい寝台から落ちるくらいではあったけど、人にぶつかった。倒れた地面は石のように固く、熱かった。
ぶつかってしまったのは、若い女性だった。倒れることはなく、何かを話し、海澪に手を伸ばした。
海澪は、手を借りて立ち上がる。
初めて人に触れた。柔らかく、温かい。自分の変わらないことに安心する。
謝罪と礼を言おうとしたが、人の多さと、喧騒に圧倒されてしまい、逃げ出すように、その場を離れてしまった。
海澪は、困惑していた。
人が多すぎる。そして、皆がさまざまに歩いている。海澪は流れに合せて歩くしかない。
高い建物ばかりで、首を上に向けないと空が見えない。だけど、時々上を向いているのは海澪だけだった。
服装も奇妙に見えた。今は夏なのだろう。単衣の軽そうな服が多かった。単衣の着物の女性も見かける。
時々、説明することすら難しい服を着た女性のまわりに、人が集まっている。集まっているのは男性が多い。
『星来ちゃん、大丈夫? 話はできる?』
海澪は、口に出さずに問いかけてみた。
『私は大丈夫です。海澪様は大丈夫ですか?』
時折、様なんてつける他人行儀なのは星来だけだ。
『うん、ひどく混乱しているけど……怪我はないし、大丈夫。服を汚してしまったけど……甘い匂いがするの』
『この人達に、私の姿を現すのは、とてもまずい気がしますから、しばらくはこのままでいます』
『そう。それに、ここの人達の言葉が全然分からないの……心配』
『それは、大丈夫だと思います。もともと、私達は心をメインで言葉を交わしていますから、慣れてくれば問題ないと思います。島の仙人の方々とも、普通にお話出来ていましたよね。本来は、仙人の方の言葉も全く違うんです』
「写真撮らせてください」
確かに、今度は、話かけてきた男性の言葉がわかった。
どうも、和装で恥ずかしがり屋のキャラクターのコスプレをしていると、勘違いしているようだった。
説明するのは難しい。撮られるままになっていると、次々と写真を撮る人が増えてくる。
海澪は、困惑と緊張で笑顔すら作れない状態だっが、そういうキャラクターだったのか、なぜか違和感なく受け入れられていた。
「ここにアップしておきますから…」と何枚かのカードを渡された。
「よかったら…」と冷たい飲み物をくれる人もいる。
「お礼に…あとで食べて下さい…」と、撮影した後に、改めてハンバーガーの紙袋を差し入れしてくれる人もいる。
『人って、優しいんですね』
海澪は、星来に呟いた。
星来から、返事は無かった。




