第十八話 強さ
――バッ!
和田の顔面へ、櫻田の拳が一直線に伸びる。
踏み込みと同時に空気が弾け、狙いは完全に不意を突いていたが、その一撃は寸前で紙一重にかわされた。
「危ねえな……てか、本気でやりやがったな?」
軽口の裏に、わずかな緊張が滲む。
「不意打ちが決まったと思ったんだがな。まあいい。痛いのが嫌なら今のうちに降参しとけ」
短く吐き捨てるように言いながら、櫻田は距離を詰める構えを崩さない。
夜断には手をかけていない。
――いや、正確には抜けない。
今の残存魔力量では能力をまともに発動できず、仮に強引に使えば、その反動でこちらの身体が持たない可能性が高い。
加えて目的は討伐ではなく拘束であり、あの刃を本気で振るえば制圧どころか致命傷になりかねない。
「降参?」
和田は鼻で笑い、肩を竦める。
「やっと夢に手が届きそうなんだ。こんなとこで止まれるかよ」
「夢?犯罪がか?」
「犯罪はただの手段だよ。夢のための、な」
軽く言い切るその声音に、罪悪感の色は一切ない。
「……その夢とやらはなんだ?」
「今度会ったときに教えてやる」
「逃げられる前提か」
「当たり前だ!!」
叫びと同時に、空気が歪む。
和田の姿が消えた。
直後、視界の端で閃く光。
「っ!?」
反応が一瞬遅れ、直感が全力で危険信号を叩きつける。
櫻田は大きく後方へ跳び、地面を削る勢いで距離を取った。
刃が空を裂き、わずかに遅れて衝撃が頬を撫でる。
「チッ、避けんなよ」
「当たってたらやばかったってことか?」
「さあな。試してみろよ」
間髪入れず、再び踏み込んでくる。
速度、間合い、迷いのなさ。
櫻田は攻勢に出る余裕を失い、防御に徹するしかなかった。
――遺物。
確信する。
あの短刀から漂う魔力の質は明らかに異質で、夜断を扱っている櫻田だからこそ、その危険性を直感的に理解できる。
かすっただけでも終わる。
ならば触れさせない。
神経を極限まで研ぎ澄まし、視界のすべてを切り捨てて刃の軌道だけを追う。
だが、それでも確信があった。
(このままじゃ、負ける)
拳で攻めれば防がれる。
防がれた瞬間に終わる。
このままでは、攻撃という選択肢自体が存在しない。
ならば――
櫻田は静かに夜断を抜いた。
刃が空気に溶けるように現れ、空間の温度がわずかに下がる。
「ついに抜いたか」
和田が愉快そうに笑う。
「俺のはボロ刀なのに、ずいぶん卑怯だな」
「それも遺物だろ。くだらねえこと言うな」
軽口を交わしながらも、空気は一気に張り詰める。
刃と刃が向き合う。
どちらが先に動いてもおかしくない、臨界の間合い。
リーチでは櫻田が上。
だが魔力では圧倒的に不利。
その事実が、均衡をかろうじて保っていた。
沈黙が流れる。
時間が引き伸ばされたように、重く停滞する。
その均衡を破ったのは、和田の一言だった。
「怖いのか?」
「は?」
「俺ごときが」
(自分を下げて、何を引き出したい)
警戒は緩めない。
「同じSランクだろ」
「同じ、ねえ」
和田は自嘲気味に笑う。
「俺の戦闘力なんてAランク以下だ。俺がSランクなのは、ゲート見つけるだけでポイント入るクソルールのおかげさ」
淡々とした自己評価。
そこに虚勢はない。
「でも現に俺はお前を倒せてないだろ」
「それはお前が本気出してねえからだ」
「本気のつもりなんだがな」
「本気を出してないっていうか、出せないんだろ。分身のせいで」
「……」
「今の魔力、前の十分の一もないだろ。じゃなきゃ俺がお前に気づかないわけがねえ」
核心を突かれる。
櫻田は無言のまま睨み返す。
「そんなに分かるもんか?」
「分かるさ。お前の魔力は異常だ」
一瞬、空気が緩む。
「……ていうか、なんで俺らこんな喋ってんだ?」
「今更かよ」
和田が笑う。
「時間稼ぎだよ」
「……は?」
その瞬間。
「中野!!」
呼び声と同時に、和田の姿が消えた。
「なっ――!?」
背後。
「ふんっ!!」
衝撃。
斬撃が走る。
だが血は出ない。
「チッ、やっぱ固てえな」
振り向くと、そこに和田がいた。
だがそれ以上に異常なのは――
「……動けない」
身体が完全に固定されている。
指一本動かない。
「何をした」
「触れた相手を動けなくする遺物だ。いくらお前でも五分は止められるはずだ」
「櫻田さん!!」
麗奈の声が響く。
「あばよ。もう会わないことを願ってるぜ」
「行かせないよ!」
飯村が前に出る。
だが――
和田が再び消えた。
次の瞬間、飯村が吹き飛ばされる。
「グワァ!」
「だ、大丈夫!?」
「ボクは大丈夫!それより早くあいつらを!」
焦りが空気に広がる。
距離はすでに開き始めている。
「麗奈!あれを使うんだ!!」
「あれ?」
「今日買ってやった弓だよ!」
「あっ……はい!!」
麗奈が弓を構える。
次の瞬間、炎が凝縮され、矢として形を成す。
弓を引き絞る。
軋む音。
限界まで張り詰めた瞬間――
――バンッ!!
爆発と共に放たれた矢は、空間を歪めるような軌道で和田たちへと向かう。
因果固定。
命中は確定している。
――ドォォンッ!!!!
直撃。
爆発。
煙が視界を覆う。
「や、やりましたか!?」
「それ言うな!」
櫻田が即座にツッコむ。
そして、嫌な確信が胸をよぎる。
煙が晴れる。
そこにいたのは――
無傷の和田たちだった。
「マジかよ……」
「使い捨てのバリアですね」
足立が冷静に分析する。
「ひとつひとつがバカ高いあれか」
「そうです。そのバカ高いあれです」
打つ手が消える。
だが――
櫻田は、わずかに残った選択肢を選ぶ。
「……足立、俺の腕を振れ」
「……どうすればいいのかな?」
「斬る動きでいい。任せる」
一瞬の躊躇のあと、足立は頷いた。
夜断を持つ腕を振る。
その瞬間――
「グッ……!」
魔力が一気に持っていかれる。
だが、足は動いた。
崩れながら、それでも前へ。
視界が揺れる。
意識が遠のく。
それでも――
「逃がすかぁ!!」
最後の踏み込み。
刃が和田を捉える。
「グァ!!」
確かな手応え。
だが次の瞬間、和田の姿は消えた。
残ったのは空虚と、切り裂いた感触だけ。
「ちくしょう……」
視界が暗転する。
支えを失った身体が崩れ落ち、そのまま櫻田の意識は深い闇へと沈んでいった。




