隠すより守る作戦にしたんだそうです。
わたしをどこに匿うか、椎田さんはかなり悩んだのだそうだ。申し訳ない。
ケネス様の王族としての権力が及ばぬ所で、かつ、実力行使も不可能な所。
公爵家の領地からわたしを拉致したことは、一部で大きな問題になっていた。もちろん、アケルナーが非公式かつ大々的に抗議したから。
正式に抗議するには、あまりに内容がひど過ぎた。
乙女ゲームが元になった世界なのか似ただけの世界なのか、はたまた乙女ゲームの元になった世界なのかは知らないが、この国はかなり平和な立憲君主制国家だ。絶対君主制のような独裁者による恐怖政治なんて起こり得ず、さらには現国王陛下の政治手腕は良くも悪くも、とっても真面目。
そんな大きな波風立たぬ世の中に放つには、王弟による拉致事件の話題は劇薬過ぎた。世の中、上へ下への大騒動になるだろう。間違いない。
しかもその実、拉致のみならず、軟禁に洗脳もプラスされるのだからとんでもない。アケルナーがその気になれば、いくらでも王家に傷をつけることの可能な出来事だった。
下手したら、国王といえどペナルティを免れない。何せ、これまで知られていなかった闇属性魔法による洗脳だ。この先、闇属性持ちのヒト達が迫害される契機にだってなり兼ねない。
今回アケルナーは、」内密に抗議することで王族を立てて忠誠心を示しつつ、多大なる恩を売った」……のだそうだ。椎田さんがそう言っていた。さすが、うちのみんなは賢い。すごい。
(というかわたし、いつ帰れるんだろ……)
結局、わたしは今、王妃専用区間の専属女官室で暮らしている。
最初にいた客室は、共用区画だった。つまり、城に常駐するヒトなら、誰でも入れる場所だということ。ケネス様対策の厳重警備をしてくれていたおかげで何事もなかったけれど、ずっとそうしてもらうわけにもいかない。元々、長居できる場所じゃなかった。
それにひきかえ、王妃専用区間は、国王といえど前触れなく立ち入れない、本当の私的エリア。だからこそケネス様が真っ先に当たりをつけるとしたら、やはりそこで……。
椎田さんのご実家に厄介になるという案なんかもあったものの、いくら最上位貴族といえど王族には逆らえない。あえなく却下されたのは、わたしがアケルナーに帰るという案も同様だ。
「失礼致します」
ノックの音とともにドアが開いた。
王妃の専属女官は貴族階級から選ばれる。そのため、使用人の部屋とはいえ、居間と寝室が分かれたなかなかに優雅な造りだ。大抵の場合、専属女官自身も家からメイドを連れて来ているから、メイドちゃん用のワンルームも併設されている。
ちなみに、この部屋の本来の主は何やら私用で、年単位の長期休暇を取っているらしい。
「……2人きりの時にその態度は…………」
「…………ハァ。んなこと言われたってドア閉めるまで無理。廊下の衛兵率舐めんなって言ったよね。中では普通なんだからイイじゃん」
後ろ手で扉を閉めつつ眉間にシワを寄せるのは、メイドに扮したラナちゃんだ。
彼女は宣言通り、本当にわたしの付き人として一緒に滞在してくれている。なんとか説得しようとしたものの、「アタシの光魔法がなきゃ、闇の魔力なんて侵入し放題でしょ」と淡々と言われて……ゾワリと震えたわたしは逆に、あっさりと説得されてしまった。
家族同然のラナちゃんをわたしの都合で拘束するのは申し訳ないけど、今は正直ありがたい。
心を支配された恐怖は、根深くわたしの中に残っている──。わたしの意思ではどうにもできない。
ふとした時のフラッシュバックや、自制できない震え、衝動的な……希死念慮まで。ラナちゃんに指摘されるまでもなく、これが「トラウマ」というヤツなのだと理解できた。「いつまでここに居るんだろう」と思いつつ、「こんな状態で帰れるわけない」ともどこかで思う。
「これ。シャウラから手紙来てた」
ヒラヒラと振られる薄い緑の封筒に頬が緩んだ。シャウラちゃんが元気に日常を送っている、そのことが無性に嬉しかった。
「なんだって?」
「別にいつも通り。ツィーナちゃんは元気かって質問と、領の様子。かなり暑くなったせいか、アケルナーの街に避暑に来るヒトが増えたんだってさ。なんか、ミストシャワーみたいなイベントやってんでしょ?」
「あぁ……」
シャウラちゃんは、領地から王都に届く色々な情報もうまくまとめて、こちらに送ってくれている。
(そういえば春にそんな企画を考えたっけ……。実現したんだ……)
わたしが領地を離れて、既に2ヶ月近くが経っていた。予定していたたくさんの事を、全部誰かに丸投げしてしまったことを思うと気持ちが沈む。
「……で? まだカウス様には会えないわけ? 案の定今回もそっちも同封されてるけど?」
「…………」
ズキンと胸を刺すような痛みに、わたしは息を詰めて俯いた。名前を聞いただけで、罪悪感が物理的な重さを持ってのしかかって来るかのようだ。
頻繁に来る手紙を自分で受け取らず、ラナちゃんに読んでもらう理由は、わたしの弱さ。怖くて──カウスくんからの手紙を読むのが、ラナちゃんの手紙に出てくるカウスくんの様子を知るのが……どうしようもなく怖くて、無理だった。
「向こうは相当キてるみたいよー?」
会いたい気持ちと、会いたくない気持ち。でも何より、「会えない」という気持ちが強い。だって……会わせる顔がない。
(わたしはカウスくんを裏切った)
例え魔法のせいだとしても。誰よりも大切だと思った彼を忘れ、わたしは別のヒトに愛を囁き続けていたのだ。そんなの、許されるわけがない。誰よりわたし自身が、許せない。
(いっそ、捨ててくれればイイのに……)
卑屈な考えだとわかってる。でも、止められなかった。
こんな愚か者、カウスくんに相応しくない。こんな、穢れた心のわたしなんて……今すぐ、消えて無くなればイイ。そうすれば、カウスくんにも、誰にも迷惑をかけなくて済む。
シャウラちゃんに心配をかけることも、ラナちゃんが慣れないメイド役を頑張ることも、椎田さんに心労をかけることも、何もかも、わたしが消えれば済む話。カウスくんだって、わたしがいなくなれば誰かと新たに恋するだろう。
「……ハァ。はーいツィーナちゃーん、こっち見てー」
わざとらしく明るい声が暗い物思いを引き裂いた。反射的に、それでもノロノロと顔を上げ、
「っ!」
あまりの眩しさに顔を庇う。
「余計なことウジウジ考えるの止めー」
呆れたような言い方だけど、眩い光は温かい。
淀んだ暗い思考が、光に照らされて溶けていく。沈んだ心が、ふわりと軽くなるのがわかった。
「まだ早かったねー。これ、アタシがタイミング間違えたヤツじゃん。ハァ……ごめん」
ラナちゃんの優しさに、じわりと温かな涙が滲んだ。
わざわざ彼女が側に居てくれる理由。光魔法は闇魔法対策だけじゃない。こうして、わたしの心に巣食う暗い雲を晴らしてくれる。
「無理は禁物。ってアタシが言うことじゃないか。でもダークサイド堕ちかけてるうちはまだ隔離ね」
心配させてしまっていることが心苦しいのに、この光の中にいるうちにその苦しさは、ただただ真っ直ぐな感謝に変わった。
「……ありがとう」
やがて白い光がスゥッと静かに消えた時、わたしは穏やかな心持ちでラナちゃんに微笑みかけた。
(やっぱりラナちゃんは聖女なんだわ……)
【side ラナ】
ほわっと薄い笑みを浮かべたツィーナちゃんが、すとんと眠りに落ちた。
洗脳を解いて以来、基本的にツィーナちゃんはずっとベッドで過ごしている。着替える気力はもちろん、起きている気力もないんだろう。体力が落ちているのかこうして何かの拍子にすぐ寝てしまうし……その寝方も気絶っぽくてちょっと怖い。とはいえ、トイレや食事の時は最低限ちゃんと動くし、今はこうして横になっているのが正解なのかもしれない。
静かに眠るツィーナちゃんがちゃんと息をしているのを確認してから、アタシは手にしていた手紙を引き出しにしまった。同じ種類の封筒が既にいくつもしまわれた引き出しは、そろそろ閉まらなくなりそうだ。
(あの義兄妹、マジマザコン)
ふっ、と口の端を歪めつつ、
(ま、今は仕方ないと思ってあげるよ)
深い息をついた。
モブ転生のせいなのかなんなのか、ツィーナちゃんはアタシよりこの世界への馴染みがイイ。貴族生活が身についた彼女は、メイドが室内で多少の物音を立てようが気にせずに眠り続ける。もちろん、起きていても気にしない。
正直、そのあたりは羨ましい。アタシ、無理。ご大層な貴族育ちじゃないってのもあるけど、ヒトの気配とか、わりと気になる。
ツィーナちゃん付きの侍女になるという思いつきは、咄嗟のものだった。王妃への苛立ちとか対抗心なんかがツィーナちゃんへの心配とケネス殿下への怒りと混ざって、衝動的にアタシの口から飛び出していた。
でも今は、我ながらナイス判断だったと思ってる。だってツィーナちゃん、メンタルボロボロで、目を離したらあっさり死んでしまいそうだ。
闇魔法への強烈な恐怖心。引いては襲い来る、嫌な記憶とマイナス思考。
(食べないのも心配だけど、うまく笑えないって致命的でしょ)
本人は笑ってるつもりでも、このところのツィーナちゃんはほとんど表情が変わらない。アタシの観察眼を試してるのかってレベルの変化しか、浮かばない。
多分、本人が自覚している以上にヤバい状態なんだろう。
(信頼してるヒトにとことん甘やかしてもらうのがイイんじゃないかと思うんだけどね〜……)
ツィーナちゃん溺愛軍団筆頭、カウス・アケルナーなら、例え八つ当たりされようが終わりのない愚痴に付き合わされようが、献身的に付き合ってくれるはず。そう思うからこそ、アタシ個人としてはツィーナちゃんをさっさと領地に帰して欲しい。
いくら安全だからと言ったって、王城の敷地内には諸悪の根源が住んでいる。誘拐犯のテリトリーに長居したい人間なんて、いるわけがない。しかも、自身が軟禁されていた離宮だって、窓から探せば見えるのだ。なんて最悪な環境なのか。
(アタシ、お悩み相談受けるのに向いてないんだよね。絶対口出ししちゃうタイプだもん)
話し相手としてはシャウラとかの方が穏やかでイイんだろうなぁ、と思いつつ、でも、メイドとしては自分の方が役に立つ、と思い直した。
アケルナーのタウンハウスでは下働きのバイトをしていたから、メイド初挑戦とはいえ基本的なことはわかってる。人付き合いのコツみたいなのも王城といえどお屋敷と然程変わらないから、おかげで、この区画で働くヒト数人と仲良くなれた。
(情報収集、大事だよね〜)
アタシはアタシにできることを頑張るしかない。
転生当初より、なんだか泥臭い感じになって来てるけど…………いや? ウチ、マジ貧乏だし、ヒロインの貴族令嬢って設定にしては、最初から爽やかさとか煌びやかさとか皆無だった……。まぁとりあえず、攻略対象に失望したことで、アタシ、地に足がついた気がする。元々これが今の自分にとっての現実だってことはわかってたけど、それ以上に、なんと言うか、「生き抜くぞ」みたいな覚悟ができた。
(さて、ツィーナちゃんが寝てるうちに行って来ちゃうか)
廊下に出ると、三メートル間隔で片側にピシッと騎士が立っている。どの部屋を守っているかわからないよう、それから万が一の時迅速に動けるよう配慮した結果がコレで、かなりの人数居るけど一応、最低人員まで絞ったのだそうだ。ツィーナちゃんは移動初日布団の中で、「結局みんなの仕事の邪魔してるし、迷惑かけまくってごめんなさい」みたいなことを言っていた。
姿勢良く立ち尽くす彼らの前を余所行き顔で会釈しながら通り過ぎ、女官用の部屋に入る。王族には聞かせられない勤務割り振りの話やら業務連絡をする、バックヤードみたいな役割の殺風景な部屋だ。
声をかけるまでもなく、奥の机で書類仕事をしていた女性が顔を上げた。
「こちらが明日の殿下方のご予定です」
真面目を絵に書いたようなおばちゃんだなぁ、と会う度に思う。女官長を務める彼女には、毎日午後、翌日の王弟、王子達の予定を一覧表にしてもらっている。ツィーナちゃんに万一のことがないよう王妃に掛け合った結果だ。
一番避けるべきはケネス王弟。でも、王子だって場合によっちゃ油断できない。メンタルやられてるツィーナちゃんに王族の男性は、誰であれ会わせたくない。ホントは王妃も会わせたくない。
(自分の身内貶されてるようなもんなのに、被害者を思いやれるあたり、王妃の評価はまぁ、上がったよね)
当然のことだとは思うが、それでも、王妃という立場の重さと動きにくさを考えれば、「アイツも日本人仲間だったか」と認めてもイイ程度にはツィーナちゃんのために頑張ってくれている。この身分差ワールドで既存のことを変える難しさは、アタシにだってそれなりにわかる。
「ありがとうございます」
受け取った紙をじっと眺めて暗記した。ヒロイン特典なのかなんなのか、この体は記憶力がなかなかにイイ。
(ヤバ男は……他国使節面会か)
部屋から一歩も出ないツィーナちゃんだから、相手の予定なんか関係ないと言えば関係ない。でもそれは反面、押しかけられたら逃げ場がないという意味。だから、王妃には万が一がないよう、これまで以上にケネスの公務予定を増やすように言ってあった。自由になる時間がなければ、それが一番。
(……アタシもかなりあの過保護集団に毒されてるわ)
主な二人を筆頭に、アケルナーは家人も住人も、ツィーナちゃんのことを好き過ぎる。もはや新手の宗教か。またはアイドル。
「ルシータ様より明日の昼、会食のお誘いがあります。アケルナー夫人の状況は重々承知していますが、たまには思いきり着飾るのも良い気分転換になるのではないかとのことです。衣装は普段とは違うイメージのものをこちらでご用意します。場所は『王妃専用庭園』ですので、安全面では完璧だと夫人に伝えてください」
「ノダテ……ですか?」
マル秘文書である予定表を返すと、女官長は徐にアタシの目を下から覗き込んだ。真面目過ぎるだけで悪いヒトじゃないのはわかってるけど、この、相手の目をジッと見つめ過ぎるとこ、好きじゃない。
「そうです。ルシータ様がご自身の区画のテラスに作られた小さな庭園ですので、誰かが迷い込むことはありません」
(へー。そういや、マンションのベランダにガーデンテーブル置いてる家とか見たことある)
前世、アタシはバス通で、見るともナシに見てた景色には川沿いの高級マンションがわりとあった。
「お返事はどのような形ですれば良いでしょう?」
一応伝えるだけは伝えてみるけどさ、と思いつつ訊けば
「夜の配膳の者に伝えてください」
書類に目を戻しながら答える女官長に、今日はもう他に連絡はないんだなと頷いて、部屋を出た。
さて、ツィーナちゃんの反応はどう来ることやら。
(車椅子あれば無理にでも気分転換させるんだけどねー)
なんならあの王妃に作らせようか。
明日は明日の風が吹く、と言うけれど、いまいち先の見えない生活に、アタシはハァッと息をついた。




