一年程前、全ては動き出したんだった気がします。
外出するのは久しぶりだ。
カウスくんや、椎田さんのおかげで一時期ほどの恐怖心はなくなったものの、やっぱり今でも「気軽にお出かけ」という気持ちになれないでいる。今日のように必要に迫られれば仕方ないと思えるけれど、それでも緊張のあまり動きが鈍る。できることなら、出かけたくない。
「現地の確認だけです。すぐに終わりますよ」
向かいの席から柔らかく声をかけてくれるアルギさんに強ばった微笑みを返し、アタシは脳内で再度、馬車を降りてからの手順を確かめた。
戸籍上の夫だったドゥーベ・アケルナー前公爵が亡くなって、間もなく1年が経とうとしている。この世界にも一周忌にあたる追悼イベントは存在していて、わたしはその準備の総責任者の位置にあった。
身内だけで営まれるイベントだ、やる事はあまり多くない。それに、そもそもわたしに求められているのはアルギさん達が手配してくれたあれこれの最終確認作業だけ。
「神官様のお名前は……リヒテル様、だっけ……?」
「その通りです。堂々となさっていて大丈夫ですよ」
復習に集中するあまり声に出ていたらしい。笑みを含んだ低い声にハッとする。
「奥様にとって然程難しいお仕事とは思えません。気負わず参りましょう」
「……そうね」
久々の外出なのに、頼りのカウスくんは仕事で王都だ。その心細さもあって、変に考え過ぎていたのかもしれない。拭い去れない恐怖で集中力が乱されているのも確かだが、アルギさんの指摘する通り、妙に肩に力が入ってしまっていた自覚もある。
「お墓の状態を確認して、神官様と打ち合わせするだけだものね」
よくできました、とばかりに頷くアルギさんに、くすぐったいような申し訳ないような情けないような、複雑な気持ちが湧く。
諸々の確認は大切な用件ではあるものの、本来、家令が同行するほどの一大事ではない。若い従者でも十分なところを、心配してわざわざついて来てくれていた。
(いつまでも引きずってたらダメでしょわたし。気合い!)
いい加減切り替え時だ。
悲劇のヒロインぶるのは止めなきゃならない。
(てか、そういうタイプ嫌いだったくせに何やってんのホントに。甘えすぎでしょ。肝っ玉母ちゃんはホームドラマの住人で、悲劇やミステリのヒロインじゃないんだからね?)
…………なんだろう。考えているうちに猛烈に恥ずかしくなって来た。
なんか……ここ最近のわたしって、自分に酔いしれた「かまってちゃん」みたいじゃなかった? ……とか思ったら……いや、というか間違いなく「かまってちゃん」だったよね、と気付いたら…………
(ぅああぁ────っ!! はっっずかしっ!! 恥ずかしいを超えてもはや痛いっ!! 物理的にも頭が痛むっ!!)
羞恥に振り回されて涙腺が緩みかけたのを、ググッと必死で引き締める。思ったそばからそんな「かまってちゃん」全開な行動を取る自分はさすがに嫌だ。
母親だってメンタルが弱ることはあるだろうし、親しいヒトに甘えたくなったり頼りたくなったりすることもあるだろう。人間なんだから当然だ。
けど、わたしが目指す「肝っ玉母ちゃん」はそういうんじゃない。逆境に負けずに大地に根を張り、機転をきかせて敢然と立ち向かう──いつだって凛として芯のブレない、生き方のカッコイイ女性なのだ。いつまでもウジウジオドオドしてるなんて、有り得ない。
(それに比べてわたしは……)
カッコ悪いにも程がある。言うことやること全部、ブレブレじゃないか。
(例え肝っ玉母ちゃんになれなくたって……目指すことは諦めたくない!)
カウスくんの母親にはなれない。
わたしはもう、彼を義息子だと思えなくなってしまったから。彼を、男性として見てしまっているから。
でも、肝っ玉母ちゃんは子ども達はもちろん、夫から見たって肝っ玉母ちゃんに違いないはず。
(シャウラちゃんにこれ以上カッコ悪いとこ見せられないもん! これ以上……っ!!)
ぅぐっ……と突き刺さるものがあるが、ここで怯んだら元の木阿弥。うあああああっと心の中だけで絶叫して頭から雑念を振り払う。
(そう! メンタリティーの問題よ! 実際に肝っ玉母ちゃんのポジションが難しくたって大丈夫わたしが肝っ玉母ちゃんの精神を目指す限りは問題ないっ!)
元々高嶺の花なのだ。憧れの存在になり代われるなんて思ってない。少しでも近づきたくて、目標に据えて来た。
あんな、頼れる存在になりたくて。
家族に頼られたくて。
(いけるいける! まだ更生の余地はある! 頑張れわたし!)
「……奥様…………」
ふと目をあげれば、頼れる家令のなんとも残念そうなお表情。
ハタと我にかえれば、無意識で頭を振って拳を握って……
「っ……えっと……気合いよ気合い……っ! ……あー、その、ね? んーと………………ふっ! あははっ、わたしホント、バカみたいね。あははは……っ吹っ切れたわ!」
恥ずかしさも積もり積もって限界を超えれば、力一杯笑えてくるものらしい。
珍しくわかりやすく驚いたアルギさんの姿にも笑みを誘われ、見えるもの全てがおもしろおかしく思えてくる。
「あは、ヤだもうっ、あはははっ」
(ヤバ……涙出てきた……っ息苦しいし!)
情けなさすら、おもしろい。
「あははっ、ふふっ、ふはっ、あははははっ」
……うん、だからもう大丈夫。
おかげで、こうやって笑い飛ばすことを思い出した。
(この調子で外出くらいサクッとこなしちゃうんだから!!)
…………なんて思っていた頃がわたしにもありました。サクッと。あっさり簡単に。……いやいやいやいや。世の中そんな思い通りになるわけ、ないじゃないか。
笑い過ぎて攣りそうなお腹を押さえながら着いた墓地で、わたしは早々、挫折しそうになっていた。
「あの……お手紙でも申し上げましたように」
「何のことかな。ツィーナからの手紙など、もらっていないよ?」
「大変申し訳ないのですが、わたくし、婚姻の内定している身ですので……本日、義娘はこちらにおりませんし……」
「ふふ、それは一刻も早くわたしと結婚したいという遠回しなおねだりかな? ツィーナは本当に可愛いね。心配ないよ、今日はこのまま一緒に帰ろう」
「あの……ちょ……ケネス様!?」
「迎えに来るのが遅くなってしまってすまなかったね。これからはずっと一緒だよ」
(おーいっ、聞いて!)
肝っ玉母ちゃんのメンタルを目指すと決めて腹を括ってみたところで、言葉が通じないことにはどうにもできない。本物ならそれでもどうにかするんだろうけど……わたしのレベルじゃ、暴走モードに入ったヒトの相手はまだ無理そうだ。
(どうしたらイイの!?)
久しぶりに会ったケネス王弟殿下の様子は、それ程までに異様だった。
「ドゥーベだってツィーナのことはわたしに任せたいと思っているのだろう。だからこそ、こうして会えた」
なぜか打ち合わせ相手の神官と共に現地で待っていた彼は、問答無用でわたしを自身の馬車に押し込めようとして来る。見た目はいつも通り穏やかで大人カッコイイままなのに、どこかがおかしい。
アルギさんはもちろん止めようとしてくれているが、相手は遥かに上位の王族だ。ことを荒立てるわけにも、物理的な手段を取るわけにもいかない。今この場に居るのは一人でも彼の後ろには多すぎる程のヒトが居る。
「いえ、あの、わたくし、お手紙にも書いたのですが……」
(もらってないなんて嘘だ)
大切な手紙だ、ちゃんと信頼できる従者に持たせた。
「わたくし、カウス・アケルナー公爵に嫁ぐことになりました。ケネス様と並んでシャウラの親となることはできませんが、家族であることに変わりはありませんので今後も気軽に遊びに来ていただければと思……」
「あぁ、可哀想に。そういえばそんな偽書が届いていたね。大丈夫、わたしはまったく信じていないよ。脅されたのだろう? そういう内容の手紙を出したから諦めて従え、と。いや、書くことを強要されたのかな?」
(どうしちゃったのケネス様??? ちょっと……本気で会話が通じないんだけど!?)
わたしを見ているのに見ていないかのような瞳に、不安が募る。
表向きはエスコートのようにして握られた手が痛くなってきた。腰に回された腕も緩むどころか一層キツさを増している。
(マズいよ……馬車に着いちゃう……っ)
「奥様……」
オロオロとするアルギさんなんていうレアなものを見られたけれど、この状況だ、喜んでなんていられない。
(わたしがなんとかしなくちゃ……)
この場でケネス様に意見できるのはわたしだけ。
なのに、彼は聞いているようで聞いてくれない。会話が微妙に成立しない。
「ケネス様。偽物なんかではありません。わたくしが書いた、正真正銘わたくしの本心です」
だったら直球勝負で。
いくらなんでも不敬だなと思うし、何より、何だかんだでわたしを妻にと望んでくれた物好きな相手に対して、ひどい言い様だと思う。
「わたくし、義息子であったカウス・アケルナーを愛してしまいました。……家族の形より自分の気持ちを優先する、ひどい母親です」
だからあなたの伴侶には相応しくありません。家族ごっこは1度終わりにしましょう。
(わたし如きが何様だって感じの言い分よね。しかも、自分で誘っといて放り投げるとか。恨まれて当然だ)
胸の痛みも自嘲も全部、決然とした仮面の下に抑え込んだ。わたしが鈍くなかったら……わたしが優柔不断じゃなかったら……ケネス様を巻き込まずに済んでいたかもしれない。
彼が「家族」に興味を持っているのはわかっていた。あの日、義娘を守るためとはいえ、わたしはその気持ちに付け込んだのだ。なのに、父親の立場を求める彼に、わたしはそれを用意できない。すでにわたし自身の立場がアケルナーの中で「母」なのか「姉」なのか曖昧になっているうえ、ケネス様と並んで「父母」役をする気などないのだから。
我ながら身勝手過ぎて情けない。自己中にも程がある。これで天下の肝っ玉母ちゃんを自称するとか、世の中舐めてる。
(……ま、だからってもう、悲劇のヒロインぶったりはしないけど。むしろ、ここは憎まれ役を買って出る場面でしょ)
「ですから、ケネス様に嫁ぐことはできません」
万が一にもケネス様が逆恨みして、アケルナーを敵と認識するようになっては困る。カウスくんや、特にシャウラちゃんが悪役に回されることがあっては絶対いけない。
恨むなら、わたし。悪女は、わたし。……いや、悪女って単語も悲劇に酔うようなイタさがある。素直に、「わたしが悪い」と打ち出そう。
肝っ玉母ちゃんマインドをもってすれば、家族を守るために戦うのは当然のこと。「ドンと来い」だ。家族のためならどんな役だって檜舞台。わたしの憧れは……心持ちは、そうでなくちゃ。
「…………ツィーナ……もしやキミは無理やり純潔を……?」
「?」
「もはや乙女ではない自分には務まらないと……? 大丈夫だよ、世間的にはキミは再婚なのだから……」
「ケネス様!? え、や……なっ!? なななななにを突然仰るんですかっ!?」
「うん? ……その狼狽の仕方……おのれカウスめ!」
「ちが……っ変な誤解しないでくださいっ! 清く正しいお付き合いですっ!!」
(ってわたし何を大声で──……っ!!)
予想外の方向に進むケネス様の剣幕に押され、とんでもないことを叫んでしまった。昼日中の貴婦人として有り得ない。
というか、そこに神官様とか御者さんとか居るのをすっかり忘れていた。マズい。先代とは白い結婚だったなんて知られて良いことは一つもないのに。動揺のあまり、見事に墓穴を掘ってしまった。
(……けど)
わたしにだって引けない時がある。カウスくんが悪くない言われるのは絶対嫌だ。
「……わたくしは昔も今も、そしてこの先も、ツィーナ・ハダル・アケルナーです」
どんな状況になろうとも。わたしがアケルナーにあることは変わらない。カウスくんと一緒に歩んで行くと決めたから。
「殿下、少々御前を失礼致します。亡夫の命日を前に打ち合わせがございますので」
ふと、だったらわたしからの線引きが必要だと気付いた。
ケネス様を家族の輪に入れて、態度を崩していったのはわたし。考えてみれば、その態度のままで彼に理解を押し付けるのはおかしいだろう。王族なのだと改めて、心得なければならない。
「ツィーナ……?」
わたしの態度の変化に気付いたらしいケネス殿下が、明らかにショックを受けた様子で見下ろして来る。その硬直をついて、彼の腕の中から逃げ出した。
不意をついてばかり。自分のあまりの卑怯者っぷりに苦い笑いが込み上げる。
それでも、縋るような声と視線を無視して、老齢の神官との打ち合わせを開始した。といっても、確認するだけだし、大して時間はかからない。
貴族というのは面倒なもので、こうして格式張った様式を正しくこなして行くこと自体が重要なのだ。わたしと神官が現地で顔合わせをすることに意義がある。
「それでは、そちらの手配は予定通りに行いますね」
「はい……お願い致します……」
王族を無視して仕事することに気まずそうな老神官相手に確認事項を片付けていく。
聖職者ともあろう者の、この反応を見るに、改めたはずのわたしの態度は更に一層、引き締めなければならないものなのだろうと思う。ケネス殿下や椎田さんが身近になり過ぎて感覚が麻痺していたけれど、そういえば、王族は最優先にするべき存在だった。こうして放置しているのもよろしくない。
(社交ってやっぱり難しい……)
勉強はさておき、経験が不足しているのは事実。前アケルナー公時代は別として、わたしはこれからのアケルナー夫人として、恥ずかしくない社交方法を至急身につける必要がある。
「お待たせ致しまして申し訳ございません。殿下、本日は神官様にご用事でございましたか?」
暗い顔で茫洋とこちらを眺めるケネス殿下に笑顔を向ければ、後ろでリヒテル神官が身を固くするのが感じられた。アケルナー領では最上位の神官とはいえ、田舎暮らし。王族を前に、緊張が隠しきれないのだと思う。
そういえば、突然馬車に押し込めようとしてくるから訊けなかったが、ケネス殿下はなぜこんな所にいるのだろう。
「ツィーナ……」
(……何その情けない表情! え、ちょ……本物のケネス様よね???)
いつも穏やかな堂々たる微笑みを浮かべる彼の甘いマスクが、初めて見る表情を浮かべている。泣き出しそうな……途方に暮れた幼子のような……。
(……っ可愛い!)
相手は自分より遥かに大人で、自分より遙かに偉いのに。縋るようなその表情に思わずキュウゥンとしてしまう。母性本能がくすぐられる。
「ケネス殿下?」
「なぜ……どうして急に他人行儀な話し方をするの?」
「え? 他人行儀もなにも、殿下は王族でいらして……」
「家族でしょう?」
「…………わたくしが至らないばかりに馴れ馴れしくも申し訳ございませんでした。もちろん、これからも親しくお付き合いさせていただけるのなら光栄ですが、分を弁えるべ……」
「ダメだよツィーナ。そうやって自分を欺くのは良くない。……キミはわたしのものだ、誰にも譲らない」
「ひいぃっ」
真っ黒な魔力が溢れ出るのと、老神官が悲鳴を上げるのはほぼ同時だった。
闇の魔力は珍しい。初見ならば恐ろしく見えるのも仕方の無いことだろう。
わたしは後ろから響いた悲鳴にビクリと肩を揺らしつつ、じっとケネス殿下を見つめた。
(苦しそう……)
リヒテル神官と違って、わたしは闇の魔力に度々接している。最初は同じように怯えたけれど……今は然程、恐ろしく感じなかった。椎田さんは便利に使っているし、思い出したくもないあのヒトも、能力だけ見れば、羨ましいくらいに使い勝手が良さそうだった。
加えて、今のわたしはケネス殿下が本当は優しいヒトだと知っている。無闇に他人を傷付けることはない、そう思えた。
「ようやく手に入るんだ。ねぇ、ツィーナ」
何よりもキツく眉根を寄せるケネス殿下の表情が気になる。王族らしい自制をかなぐり捨てたかのような、らしくない顔。
(わたし……失敗したかも。わたしのせいだ。自分のことばっかりで、ケネス様の気持ち、考えなかったから……)
少し考えればわかったのに。まだまだ修行が足りない。
自身のケジメとしてとった態度が、恐らく、彼を傷付けた。
冷たい環境で育った彼が「あたたかな家族」に憧れていると知っていたのに、今更、シャウラちゃんさえ以前と変わらず「娘のよう」に接すればイイはずだとタカを括った。わたしは戸籍上、シャウラちゃんの義母ではなく義姉になるから、ケネス殿下の中での立ち位置も変えなければと──。
(浮かれていたのかもしれない)
いくら義父娘関係を確かなものにするためとはいえ、ケネス様は仮にもわたしを妻にと望んでくれたのに。
わたしは、そんな彼に甘えてしまった。カウスくんとの関係が変わったことに浮かれて……ケネス様に、「それでもわたし達の親交は変わらない」とでも言って欲しかったのだろうか。
(バカだわたし……)
自責の念が湧いてくる。でも。
(凹んでる暇なんてない! やらかしたんなら責任取らなきゃ!)
「ケネス様。せっかくですので、我が家にいらっしゃいませんか? よろしければ、お茶でもいかがでしょう」
とりあえず、必要なのは対話。
(ちょっと時間かかりそうだけどねー……)
まず会話を成立させることを目指さなければ。
「……お茶、か」
ポツリと呟き、わたしを見る濃い紫の瞳。いつもは柔和な光を湛えるそれが、どことなく無機質に感じられて不安になる。が、ここで後込みしてなんていられない。
「えぇ。アケルナーの新しいお菓子も是非、召し上がってください」
「…………そうだね。お呼ばれしようかな」
ケネス殿下の言葉を受けてアルギさんの背筋がシャキッと緊張した。あれこれ手配する段取りを考え始めているのだろう。
「では、わたくし達は一足先に戻って準備致しますね」
「いや、ツィーナはこちらの馬車に乗るといい。そうすれば、従者は逸早く帰れるからね。それに、道中の話し相手がいるなら、回り道してゆっくりと行くのも悪くないと思える」
「でも……」
馬車とはいえ、密室で男性と2人きりになるのは体裁がよろしくない。その相手が、わたしに固執する男性なのなら尚更。
そして何より、カウスくんに要らぬ心配をかけてしまう。
(たぶん……ヤキモチ、妬くかも)
拗ねたカウスくんの顔を思い浮かべ、申し訳なくもくすぐったい気持ちで、断り文句を模索する。
(……って言っても、ねぇ)
ケネス殿下が善意で誘ってくれているだろうこともわかる。王弟という相手をもてなすのに、何の準備もなしでは貴族としての沽券に関わるのだ。
できる家令のアルギさんなら、ほんの少しでも先に帰り着きさえすれば、ある程度の体裁を整えてくれるはず。
2人きりにはなりたくないが、ケネス殿下の到着は遅らせたい──。
「失礼致します奥様」
同じ考えだったのだろう。アルギさんがこっそりとわたしに耳打ちしたのは、
(さすが!)
「あの、ケネス様。もしよろしければ、なのですが……わたくしと、神官様をそちらの馬車に同乗させていただけませんか?」
2人きりを避けつつ、遠回りさせる。
リヒテル神官の拠点となる聖堂はアケルナーの街の中心地にあるから、観光ガイドにも打って付けだ。
「ひぇ!? いえ、わたくしめは……っ」
「うん、構わないよ。行く方向は同じなのだろう?」
「はい。せっかくですもの、アケルナーで近頃話題の商店街もお見せしたく存じます」
アルギさんに大成功のウィンクを送れば、心得たとばかりの力強い頷きが返って来た。これでたぶん、お出迎えの用意も、なんならカウスくんへの早馬も、手配してくれるはずだ。
カウスくん対ケネス様は正直、怖いから見たくない。でも、知らせない方がマズいだろうことは火を見るより明らかで。
「あぁ。噂は届いているよ。なんでもとても華やかで、雨でも平気なのだとか」
「はい。わたくしの拙い説明より、実物を見ていただく方がよろしいかと。ご案内致しますね」
パッと明るくなった彼の表情に胸を撫で下ろした。闇の魔力が霧散して、辺りも明るくなったようだ。
「神官殿もその街並みはご存知なのかな?」
「え、ええ、もちろんでございます、老いも若きも口を揃えて話題にのせていますので……」
「ほう。それは楽しみだ」
青ざめた老神官を引き連れて、王家の馬車にゆっくり乗り込む。遥かに後方では、我が家の馬車が慌ただしく出発していく音がした。
「あの……わたくしめは本当に……あの、隅の方で……」
お忍び用なのだろう、黒塗りのシンプルな馬車だが、居室は十分立派だった。
リヒテル神官の青ざめた顔に申し訳ない気分になるが、こちらにも譲れない事情がある。せめてもの気持ちを込めて、車内でのガイド役はわたしが務めようと決意した。
「申し遅れましたがケネス様、ようこそアケルナーにおいでくださいました。一年前とは少し街並みも変わっていますので、お迎えできて光栄です」
アケルナー商店街の路地の一つには今、カラフルな防水布のテントが張り巡らされている。水の魔術具を使用した薄布を幾枚も互い違いに渡らせて、シェードを重ねるようにして覆ったのだ。雨はもちろん、初夏の日差しも防いでくれるそれは、素朴なパッチワークのようでとても可愛い。
広げたビニール傘を吊るして飾る路地の画像。前世のどこかで見たその風景を、こちらにある素材で再現した試みは、見事、古びた小路を新たな観光名所に変えてくれた。
(お菓子屋さんに連れて行って、椎田さんへのお土産を一緒に選んでもらうのもアリかも)
そしてわたしはその間に別の馬車を呼べばイイ。
「うん。ツィーナとこうしてゆっくり話すのは久方ぶりだね。王都に戻るのはいつ頃になりそう?」
「そうですね……あの、その節は皆様方には本当にお世話になりました。ありがとうございました」
「あぁ、彼の件は災難だったね。その後、問題はないと聞いているけれど?」
進行方向に背を向けて座るのは老神官。わたしはエスコートされるままケネス様の隣に腰掛け、にこやかに見下ろしてくる甘やかな顔を見上げた。相変わらず、色気だだ漏れなイケメンだ。
狭い車内だからだろうか、いつか嗅いだことのある香水が殊更強く感じられる。彼に似合う大人な甘さは、キツいのに不思議と心地好かった。
「はい、おかげさまで」
恐怖の研究所長の件では、椎田さんだけでなく国王陛下やケネス殿下にもご迷惑をおかけした。大々的に暗躍してくれた椎田さんが彼らを巻き込んだというのが事実だし、身内の醜聞は闇に素早く葬るのが権力者の常なのだけれど、それにしても破格の扱い。有難いことに、かなり早い段階で、安全宣言を出してもらっていた。
(まぁ、頭で「大丈夫」ってわかってたって、気持ちがついていけてないから、王都はしばらく嫌かなぁ……)
「わたくしこの度、アケルナーの町興しの企画運営を任されるようになりまして。長く暮らすこの領地のために働けることを嬉しく思っております。ですので、当面はこちらで専念することになるかと」
(て言っても、シャウラちゃんのデビュタントの用意なんかも始める必要があるから、実質、心の準備が出来るまで、かな。……あっという間に王都に行くことになりそうだよね)
「そう」
おや、と思った。
ケネス様ならもう少し食い下がるかと思っていたのが、あっさり納得されてしまって拍子抜けだ。……いや、食い下がられたら困るのは自分だから、これでイイのだけれど。
(なんか……違和感……?)
さっき魔力を漏らしていた姿はなんだったのか。でもまぁ、落ち着いてくれたのならそれに越したことはない。
「あぁ、それで義姉上がアケルナーの特産品をご存知なんだね。最近やけに新作の菓子に詳しいから不思議に思っていたんだ」
「まぁ、それはそれは。陛下御自ら宣伝してくださるなんて光栄の極みですわ」
椎田さん、ラブ。ホントにかけがえの無い友人だ。
元日本人仲間が彼女で良かったと心から思う。もちろん、ラナちゃんも大好きで大切な存在には違いない。それでも、友人としても先達としても、椎田さんは頼もしくて、この上なく尊敬できる。
「ん? ……あぁ。もしかしてあちらの馬車は神官殿のお連れかな?」
心の中で椎田さん讃歌を並べていると、ふいに馬車が止まった。まだ街には距離があるのにと不思議に思えば、どうやら、御者さんが気を使った結果らしい。
高齢を押して徒歩でやってきた健脚ぶりに驚いていたが、リヒテル神官は実は、墓所のある丘の下で馬車を待たせていた。
(それはそうだよね、時間と体力の無駄遣いだもん)
直接乗りつけず麓から歩いたのは、公爵家への敬意の表明だったのだろう。
高齢者に負担をかけてまで敬ってもらいたいとは微塵も思わないが、それはわたしが前世の基準を引きずっているからなのかもしれない。階級社会は本当に制約だらけで面倒だ。
「あの、ではわたくしめはこれで。畏れ多くもここまで乗せていただき誠にありがとうございました」
「え?」
神殿の馬車って飾り付けが仰々しいなぁあれも権威付け
のためかぁ、なんて思いながら外を眺めていたわたしは、急に立ち上がり、自分でドアを押し開けて出ていったリヒテル神官に度肝を抜かれた。
確かに、こちらの馬車も止まっているから危険はない。けど、急にそんなにキビキビ動くとは思わなかったし、そもそも、あちらの馬車はそのまま帰すのだろうと思っていた。
「ちょ……え!?」
パタンと閉まった扉と、窓越しに見える後ろ姿。
「勘の良い神官だ」
呆然としていると、ケネス様の苦笑が聞こえた。
(……マズい、よね……?)
2人きりになってしまった──。
馬車が静かに動き始める。
(どうしよう!? 何か…………あ、れ……?)
次善策を考えなくちゃ! と思うのに、何もアイディアが思い浮かばない。そのうち、クラリと目眩を感じた。
「これだけ濃ければ気付きもするか」
ケネス様の独り言が耳から耳へと通り抜ける。なぜだろう、世界が遠くてよく理解できない。
ただケネス様の甘い香水の香りだけが、強く強くわたしを包んでいるようだった。
「ふふ……さすがに効いているようだね。大丈夫、誰よりも幸せにしてあげるから」
体から力が抜けていく。
(体調……悪くなかったはず、なのに……)
優しく肩を引き寄せられて……ケネス様の温かな膝に寝かされたのが、ぼんやりわかった。
「ツィーナは私のものだ──」
ケネス様が何か言ってる気がするなぁ。そう思ったのを最後に、わたしは唐突で深い眠りにストンと落ちた。
かなり遅れましたか、あけましておめでとうございます。
とりあえず3月まではかなり更新ノロノロの見込みですが、第2部、進めて参ります。




