(後)
「………………ていうか……朝???」
(あれ? カウスくんは?)
びっくりした。びっっっっくりした──。
夜から朝までを、瞬きしただけで超えてしまった……そんな感覚。
「おはようございます、奥様」
自室側の寝室の扉をノックする、エバさんの声に飛び起きたら……カウスくんはどこにも居なくて、もう、朝で。
カーテンを締め切ったこちら側と違い、カウスくんの寝室のカーテンは既に開けられているらしい。眩しい朝日が、2つの寝室を隔てるドアの向こうから入ってくる。
(良かった……)
開かれたままの扉に、ホッと安堵の息をついた。胸の中にジワジワと温かなものが広がっていく。
(カウスくんもちゃんと寝たのかな)
エバさんに返事を返し、朝の支度をしてもらう。
「奥様、本当に良うございました。小さな一歩は大きな一歩ですよ。カウスぼっ……いえ、旦那様と無事、新婚生活が送れるようになるのは、もう間もなくですからね」
感極まった涙を浮かべたエバさんがそう繰り返すのだけがネックだけれど、こんなに穏やかな、清々しい朝を迎えたのは久しぶりだ。ぐっすり眠れたおかげで、このところ慢性的に感じていた目の奥の重さもない。
食堂に降りると、ノーマルモードに戻った隙のないカウスくんが先に朝食を取っていた。
あのかっちり上げた髪、たまには軽く流していてくれてもイイのに……なんて。
「おや、起きてしまいましたか。おはようございます。もう少し寝ていても良かったんですよ?」
「カウスくん、おはよ。ゆうべは……本当に本当にありがとうございました。おかげでぐっすり眠れたわ」
「それは何より。顔色も良くなりましたね。ツィーナはどんな時でも愛らしいですが、やはり笑顔が似合いますよ」
「っ……」
(ちょっと……最近のカウスくん、糖度高くない!?)
起き抜けから赤面必至でなかなかツラい。
南東に大きな窓のある食堂は、朝日の中、向かい合わせに座ると相手の顔がよく見える。わたしはチラチラと視線を上げ、カウスくんの目の下を確認してホッとした。
(隈は……ないね)
「わたしのせいで眠れない」なんてことになっていたらどうしようかと思っていた。
「お陰様で、今日は仕事が捗りそうだわ。ユニさんに、帳簿の付け方を提案しようと思っていたの。
カウスくんは? 今日は書斎?」
メイドちゃんが運んできてくれたお茶と朝ごはんに手をつけながら、今日の予定を訊いてみる。正直なところ、日中は夜ほど恐怖心が募るわけではないが、それでも、カウスくんが在宅だと心強い。精神的な安心感がまったく違う。
「いえ、朝のうちに川を見てきます。灌漑工事をしてかなりの年数が経っていることがわかったので、念の為確認しようかと」
「そうなんだ……。……気をつけてね?」
「ありがとうございます。遅くとも昼前には帰りますから、昼食は一緒に食べませんか? 今日の天気ならサンルームでもイイ」
「わっ、それステキ!」
領主としての責務をしっかりこなすカウスくんも、お昼ご飯の提案も。どちらもステキだ。
以前のカウスくんは、領内の視察に出る時、わたしを一緒に連れて出ていた。わたしも楽しかったし、イイ息抜きだったのだけど……このところ外出を嫌い、室内に篭っていることを理解してくれているのだろう。お誘いもなく、家にいるのを当然とする態度がありがたい。
外に出るのはカウスくんが居たとしてもまだ、怖い。ゲームのイメージでわたしが勝手に警戒しているだけなのかもしれない、とは思いつつ、それでも、あんな狂気じみたヒトは初めて見たから……。
「楽しみにしてるね。安全第一で行ってきてよ?」
「わかっています。ふふ……何度も聞いたセリフなのに、想いが通じあってから聞くと、こうも違うものなんですね。熱い眼差しも……。ツィーナの愛がより感じられて幸せです」
「な…………も、からかわないでよ……っ」
「ふふっ」
気難しい顔がデフォだったカウスくんに笑顔が増えるのはイイことだと思う。わたしをダシにしなければ!
「ツィーナこそ無理しないでくださいね。まだ本調子ではないはずです」
「……うん、ありがとう。でもたくさん眠れたからね。こんなに朝ごはんを食べれるのも久しぶりよ」
スープとサラダ、オムレツとパン、果物。量はほんの少しずつにしてもらったが、全部、手をつけられそうだ。ここ最近にしては、奇跡的。わたし、頑張れてる。
自分の食事を終え、こちらを眺めていたカウスくんが時計の魔術具を見て立ち上がる。「名残惜しいですが」と言い残し、
「早く終わらせて、ツィーナのところに戻ります」
わたしの桃色の髪をふわり、撫でて出て行った。
あとに残されたのは、プルプル小刻みに震えるわたしだけ。だって……
(カウスくんがカッコイイ……っ!)
知ってた……知ってたよ!?
ゲームのカウスくんは基本、ツンデレからのヤンデレ。デレの割合が増えるにつれてヤンデレ要素が増えていく。
なのに。現実のカウスくんはめちゃくちゃ優しい。前は……半年くらい前とかは、なかなか拗らせて言動に危険な香りが漂っていた。でも、今は……。
(なんか……ムズムズするっ)
白状しよう。こういう扱い、慣れてない。
ほぼ無条件で愛情を向けられるとか……経験がない。あんな、慈しむような眼差しで見られることも、ありのままの自分を丸ごと受け入れてもらえることも。
カウスくんの向けてくる愛情が怖いと、ずっと思っていた。母親に向けるにしては強くて深い。執着にも似た想い。
どんなわたしも、許してくれて、甘やかしてくれて、過保護なほどに守ってくれて。
いつ、どんな見返りを求められるかわからない。
それに、同じだけの愛情を見返りに求められたら……彼の秘める、身を焦がすような熱意だけは、返せない。わたしには、理解できないものなのだから。そう、思ってきた。でも。
今の心は穏やかだった。カウスくんに感じていた恐怖なんて、どこかへ消えた。
彼が、そんな不器用なわたしを、そんな部分もまるごと受け入れて、見守っていてくれる。
彼の愛情が沁み込んで来るのに比例して、多分、わたしは素直になって来ていた。そういう自覚も、少しだけど、芽生えてきた。
「おはようございます。本日はこちらの書類を預かって参りました」
ユニさんが出勤したと聞いて、わたしも執務室に移動する。先に仕事を始めていると怒られるのだから、大貴族の奥様という立場も、仕事をするには極めて不便だ。
「ありがとう。……王城からの穀物の納入依頼書? まぁ……これ、わたしでイイのかしら。領の大事なら、まずカウスくんに見せないと」
「いえ、奥様宛ですので、ご確認ください。内容によって領主様にも御相談すればよろしいかと存じます」
実用的でシンプルな封筒。公用の紋に気を取られたが、きちんと見直せば確かにわたし宛になっている。
(てことは……椎田さんかな?)
彼女は以前から、公用に私信を忍ばせてよこす。
組合や我が家の警備のヒト達も、さすがに王家の封書を勝手に検めることはできなかったのだろう。きっちり閉じられた封をペーパーナイフで切っていく。
(えっと……?)
そこに並んでいたのは、穀物というより、穀物を加工したお菓子の催促。大学芋や、芋羊羹、南瓜のプリン。椎田さんが国王陛下にオススメしてくれたあれこれが、定期納入希望として記されていた。
「ねぇ、ユニさん。これ、可能だと思う? 魔術具を使って保存したとしてもそこまで長持ちするものじゃないし、時期的には厳しいものもあるわよねぇ?」
特に南瓜のプリンとか。この時期では、昨秋に収穫して保存してあるものを加工するしかないのだが、保管量にも限りがある。春野菜や果物の保存スペースも確保したいし、このあたりの判断は、わたしより地元の商店や管理者との面識深いユニさんの方が、適任だ。
「拝見します。…………不可能ではありませんが……組合としましては、これらの各品を微量ずつ削って、そこに季節のお勧めの菓子を入れさせていただきたいところです」
「それは……んー……難しいかもしれないわね。王城は、万に一つのこともあってはいけないでしょう? 定期納入にはよく知っているお菓子が好まれるみたいなの」
「あぁ、そういった事情があるのですか。……こちらの一覧のお品は、製造者指定でしょうか?」
「お店への注文ではなく、アケルナーに一括してということだから、特に指定はないと思うわ。領の名を背負うのだから、もちろん、腕のイイ職人さんでなければダメだけどね」
言われてみれば確かに、菓子店一店舗で賄うには厳しい量だ。日本の製造工場のようなところではなく、アケルナーでは複数の菓子店が同じレシピをベースに名物となる菓子を作っている。各店長のオリジナリティを取り入れるから、まったく同じとはいかないが、例えば「基本の大学芋」と頼めばちゃんと、どこのお店でも初期レシピ通りの大学芋を作ってくれる。
「ではまず、現状でそれぞれの店からどれだけの納入ができるか聞き取り調査をしてまいります」
「ありがとう。基本レシピの品物限定ということを徹底して確認してね。各店のアレンジ商品は、観光の目玉だもの。アケルナーに来ていただくか、カウスくんの手土産か……それ以外の入手経路はあまり作りたくないの。王命ならしょうがないけれど、今回の依頼に強制力はないようだし」
「かしこまりました。ではわたくし、これから午前中いっぱいは予定を変更して、出て参ります。奥様は休憩なさっていてください」
「同行できなくてごめんなさい。……ここを片付けたら、ありがたく少し休ませもらうわ。読んでおきたい本もあるの」
ユニさんには「アレルギーのような症状が出ているためしばらく外出は避ける」と伝えてあった。嘘をつくのは心苦しいが、貴族の事情に巻き込む方が気の毒だ。
堅いお辞儀をして退出していくユニさんを見送って、わたしは封筒に紛れていた二枚の手紙を手に取った。
これを読んだら、カウスくんが帰ってくるまで、新作お菓子のレシピを考えるのもイイかもしれない。和菓子系は少ないから、例えば、「変わりどら焼き」とか……? 季節の果物のジャムや生クリームを挟めば、見た目も華やかでウケると思う。
「あ、そうだ……」
手にした手紙を一度置いて、呼び鈴の魔術具でメイドちゃんに来てもらう。
ちなみにエバさんは新人メイド教育やら屋敷の管理やらで忙しい。さすが侍女頭。年齢のこともあるし、無理しがちなエバさんには女主人権限で残業ナシの日勤を申し付けてあるけれど、彼女は根っからの働き者だ。若いメイドちゃん達と申し合わせて、エバさんはカウスくんの用事をメイン、わたしの用事はメイドちゃん達にお願いすると決めている。
それでも朝のお世話とかに来ちゃうんだけどね。ホントに、エバさんには頭が上がらない。涙脆い彼女は、わたしの目指す肝っ玉かあちゃんとはちょっと方向性が違うものの、十分立派な「アケルナーの母」だと思う。
「お昼ご飯なのだけれど……」
やって来たメイドちゃんに簡単なメモを書いて渡す。せっかくだから、思いつきを実行してみたい。
この屋敷の料理長ならば、これで十分通じるし、なんとかしてくれるだろう。
『いつも美味しいお食事をありがとう。』
と書き添えたメモを持って退室していくメイドちゃんを見送ってから、今度こそ、手紙をカサリと開いた。
(うふふ、椎田さんらしい)
他人に見られても困らないように、麗しい文字で高位の女性が親しい相手に向けたに相応しい文面が並んでいる。「なかなか会えなくて寂しい」とか、「アケルナーに行ってみたい」とか、「また美味しいものを待っている」なんて内容を、お洒落かつ丁寧に飾った言葉で。
でも本題は、その紙面を彩る飾りの方だ。フレームのように、四方を細かく囲む模様。まるで、王妃が新しく覚えた趣味を得意になって見せびらかすかのごとく煌びやかに装飾されたその枠は、絵ではない。
「スタートは……ここかな?」
手紙を逆さまに持って、「うん、正解」と1人、頷く。
柔らかな曲線をメインにする模様らしきものは、椎田さんとわたし、そしてラナちゃんにしか、きっと読めない。
『くわしくはしらんが、おいから、おまえとのけっこんをせがまれた。』
(「詳しくは知らんが、甥から、おまえとの結婚をせがまれた。」……椎田さんの甥って……!)
書かれているのは、平仮名だった。懐かしい文字。我ながら、よく読めたなと思うほどに、遠い記憶にある文字だ。
『まほうばかがほかのことをきにするのはめずらしいから、きょうりょくしたいきもちもあったがおまえじゃぁな。かちめがない。うちのおとうととそっちのむすこでていっぱいだろ?』
(「魔法馬鹿が他のことを気にするのは珍しいから、協力したい気持ちもあったがおまえじゃぁな。勝ち目が無い。うちの義弟とそっちの義息子で手一杯だろ?」……魔法馬鹿な甥って……間違いない……っ)
歯の根が合わない。クルスト・ミーズリ。名前を思い浮かべるだけで、底知れぬ恐怖を感じる。
甥というのが彼ではない、別の甥であることを期待したが……ダメだった。
『おいはとめるが、いずれほかにもでてこないとはかぎらない。せかしてわるいが、はやめにきめろよ』
カタカタと震え始めた手が手紙を取り落とさないように努力しながら、なんとか読み切った。
クルストという名を意識した途端、頭が白く染まって……文字を追う目が滑る。内容が入ってこない。
2枚目に目を通すことは一旦諦め、水差しからなんとか注いだ少量の水を口に含んだ。心臓がバクバクと嫌な音を立てる。
領地に居て、あの存在をこんなに近くに感じるのは初めてだった。漠然とした恐怖ではない、明確な恐怖。
だってわたしは……クルストを、恋愛相手に選ばない──。
愛せるかどうかという問題以前に。わたしは彼のことをほとんど知らない。現実に生きる彼を……幼い日の記憶の中の「クリシュさん」とも親しく過ごした覚えはないし、ましてや、魔法研究所長となった彼のことなどまったく……。
そんな、見ず知らずと言って差し障りのないような相手から寄せられる、異常な熱量。まだ、「一目惚れ」と言われた方が爽やかだった。幼い頃からずっと見守り続け、陰から偏愛していたのだ、と知らされるよりは、ずっと。
放置したままの手紙と大きく明るい窓から距離を取るように、壁際の本棚の近くに移動する。どうしよう……1人で居ることが心細い。
(申し訳ないけど、メイドちゃんに居てもらおうかしら……)
本を探すでもないのに本棚に張り付きながらあちこち落ち着きなく見回すわたしは、完全に挙動不審だ。自覚はある。
昼食のサンルームに行くにはまだ少し時間が早いし、
(サンルーム……! 窓!!)
何より、1人で居たくない。
和風庭園を模したサンルームはわたしのお気に入りの場所だ。それはもちろん、冬は燦々と陽が入り、夏は風通し良く開け放てるから。つまり、どこよりも大きな窓があって、逆を言えば、庭からだってよく見える。よく、見える。
(あの時、彼は何て言ってた……?)
確か、「10年間遠くから姿を見ていた」と言わなかったか……?
王都での公式行事に一切参加せず、それどころか、結婚後は足を踏み入れることもなかったのに……?
ゾクリ、と悪寒が足元から這い上がる。思っていた以上に猟奇的な事態が起こっていたのかもしれない、と今更気付いた。そういえば、「盗聴」とかなんとか……
「ツィーナ?」
トントンッと鳴り響く高い音と共に突然名前を呼ばれ、
「ひゃいっ!?」
飛び上がった。良くない思考に支配されていたせいもあって、それがノックの音だと気付くまでに数秒かかる。
窓からじゃないし、この声……カウスくんだ……。
(良かった……)
ほっとすると同時に腰が抜けた。
わたしがその場にへたり込むのと、カウスくんが扉を開くのは同時だった。執務机、ティーテーブルと見回して、不思議そうな瞳がようやく、床にヘナッと座るわたしに辿り着く。
「な……どうしたんですか!?」
慌てて駆け寄って来てくれる見慣れた姿に、深い深い息が漏れた。
(カウスくんだぁ……)
もはや、わたしの精神安定剤。
外から戻ったばかりでも着崩されることのないかっちりとした服装も、冷たく輝く銀の髪も、心配そうな水色の双眸も。間違いなく、目の前の人物がカウスくんであると保証してくれていた。彼が、頭の中の黒ずくめの影を瞬時に追い払って消してくれる。
「何がありました?」
眉間によった険しい皺は、わたしを心配してくれているせい。詰問するかのような口調も、優しい気持ちの裏返し。
「……何も。ただ……1人で居るのが不安になっちゃっただけなの」
わたしが弱っていると、いつも助けてくれる。お母ちゃんを目指すわたしより、よっぽど頼りになる存在だ。
「おかえりなさい。早かったのね?」
わたしの手を取って温めてくれていたカウスくんが抱き抱えてソファーに移そうとするのを断り、そのまま彼の手を借りる。ゆっくりと立ち上がって……温かな手を頼りに、自分の足でソファーに座った。
「なぜ1人なんですか? 帳簿の付け方を教えているはずでは?」
腹立たしげな質問に、
「ユニさんには急遽、お店回りをお願いしたの。王城からの手紙が来て……執務机にあるでしょう? お菓子を定期納品するための体制を整えないと」
慌ててユニさんを庇う。真面目に仕事している彼女が叱られてはたまらない。
「王城から? ツィーナの手元に届いたということは、王妃陛下絡みですか」
「そうなの。行き先が同じならまとめてしまった方が効率的ですものね。ルシータ陛下からの私信も入っていたわ。あ、見ても大丈夫よ」
納入依頼の確認に向かうカウスくんに、手紙の存在を告げて許可も出す。さすがに王族の私信を盗み見るのは不敬だが、パニックだったせいもあって、分けずにまとめて置いてしまった。日本語の読めない彼に見られて困ることも別にないから、漁ってもらって問題ない。
「国王陛下は殊の他、アケルナーのサツマイモを気に入ってくださったようね。貯蓄量や保存状態なんかも、ユニさんが改めて確認してくれるって」
カサリカサリと紙を捲る音が聞こえる。最終決定や王城への返事はカウスくんにお願いすることになるから、わたしは現時点でわかることをまとめるだけ。
「ユニさんと、『アケルナーお勧め季節のスイーツ』にも少し枠をもらえないかって話してたんだけど、難しいよねぇ?」
「──ナ……」
「わたしとしてはこれからが旬の果物も売り込みたいん」
「ツィーナ」
「だけど……ん?」
地を這うがごとき低い声に、驚いて口を噤んだ。
「最近ツィーナが怯えていたのは、この手紙のせいですか」
断定に近い口調に青ざめる。なんで……平仮名、読めないはずなのに……。
「ツィーナ?」
「ぁ……」
じとり、とこちらを見る目が鋭い。
(どうしよう……言っちゃった方、イイのかな……。でも、なんて? 「天才な変態に狙われてるみたいだ」って……?)
手紙をぐしゃりと握りしめ、ツカツカと歩み寄るカウスくんの周りの温度が冷えていく。魔力が漏れるほどに……抑えきれない怒りを感じさせる姿に戸惑う。
「僕には秘密にしようと?」
「……余計心配するでしょう……?」
「秘密にされる方が不快です」
「あと……口にするのも怖かったから……」
「っ!」
ギシリとソファーがゆっくり歪んだ。
怒りに底光りする水色の瞳から目が離せなくて、膝の触れ合う距離から見下ろしてくるのをじっと見返す。
「余程、閉じ込めて欲しいようですね?」
(……はい?)
片方の膝のすぐ横に、カウスくんの膝を感じる。両肩の横には、彼の両手。
あれこれ疎いわたしでもわかる。これは……世に言う壁ドンだ。応用系の、ソファードン。両腕の中に閉じ込められて、ずり下がって逃れようにも彼の体に邪魔される。
逃げ道のない状況と、射抜くような至近距離からの視線に、むしろ、逃げ出したい気持ちが湧いてくる。なんだか……怖い。
「ここしばらく外出を嫌っていたのは、僕を油断させるためですか?」
「え?」
「あなたは残酷だ。こんな時まで、可愛らしい、無垢な表情で……」
「カウスくん?」
(あれ……? 椎田さんの手紙を見たんだよね……? それで怒ってるんだから、「なんで相談しなかったんだ」ってことよね???)
何かが、食い違っている。小さな違和感に首を傾げた。
「相談しなくて、ごめんなさい」
実際、悪かったと思っている。心配をかけるだけかけ続けたのだから。
本当は最初に相談するべきだった。それなのに、カウスくんは見守ってくれて、部屋も隣に移ってくれて。
「謝るんですか……。ふふ……ふははは! それはつまり、殿下を選ぶ、と?」
(へ? 殿下???)
「あの……カウスくん?」
やっぱり、何かがおかしい。
「ははは! 愛していると、好きだと! そう言ってくれたのは嘘なんですね!? そう言って僕を誤魔化して……!」
突然笑い出したカウスくんが、ピタッとその笑いを納めた。そして、わたしの心の奥底まで見透かすような暗い瞳で見下ろして来る。
ハイライトのない、暗い瞳。水色の澄んだ色が、なぜだろう、澱んで見えた。
「逃がすわけ、ないでしょう」
その重さのあるじっとりとした視線に背筋が震える。少しだけ……クルストを、思い出すから。
(……違う。カウスくんはカウスくんだよ。わたしがずっと一緒に居た、過保護なくらいに優しいカウスくんだ)
「……わたし、嘘なんて言ってない」
とにかく、情報の擦り合わせがしたい。彼が何に怒ってるいるのか、わたしには見当もつかないのだ。
ただ、カウスくんがひどく傷付いていることだけははっきりしている。怒った仮面の下に、泣き喚く姿が見える気がした。
「違う? 何がです。あなたはケネス殿下を選ぶのでしょう?」
「ケネス様? なんのこと???」
椎田さんの手紙のどこにも、そんなことは書いてなかった。「義弟」とある一文だって、おかしなものではなかったはずだ。
「惚けるんですか? ふふ……イイでしょう。まぁ、二度と会わせないだけですからね」
「ねぇ、ホントにわからないんだけど……」
「まだ言いますか」
ふいに。
重苦しく光る水色の瞳が近付いて来た。鼻先の触れる距離に。
そして──
「っ!?」
突き刺すような眼差しのまま、唇が直に触れ合う。
最初は、ふにりと柔らかく。
それから、しつこく啄むように。
(これって…………キス……?)
下唇を緩く食まれ、引っ張られる。
混乱するわたしを嘲笑うかのように、視界を埋める水色が、にったり歪んだ。
その奥でドロドロと渦巻く暗い熱に息が詰まる。次第に、獲物を捕らえる獣のようなギラギラとした光も浮かんで見えて……。
「あぁツィーナ。ダメですよ、ちゃんと鼻で息をしなくては。ね?」
クラリ、と意識が遠のきかけたところで、ようやく唇が離された。
「ふふ……時間はたっぷりあるんです。大丈夫。きっとあなたは、僕のことを好きになります。他の人間なんて忘れるくらい、ね」
ハカハカと酸素を求める心臓と、歪な笑みを浮かべるカウスくんに混乱だけが一層募る。
「なんで……?」
なんでこんなことをするのか。
なんでそんな笑い方をするのか。
なんで怒っているのか。
「わかりませんか? 可愛いツィーナ……いつまで清純ぶっているつもりでしょうねぇ」
何一つ、わからない。
「教えてあげます。僕が、誰よりもツィーナを愛しているからですよ。世界中の誰よりもツィーナを愛しています」
「……うん」
カウスくんが、わたしを想ってくれていることは、知っている。
ようやくわたしにもわかる言葉が出てきて、嬉しくなって頷いた。
「……どういうつもりですか? 慈悲を請おう、と? そんなの与えるわけないでしょう。僕はあなたをこの屋敷で飼うのですから」
(あ……また、わからない……。でもなんか……ゲームのカウスくんにはこんな場面あったような……? ……え、ヤンデレモードなの? なんで???)
キスされたことよりも何よりも、そのことに驚いた。どこにヤンデレスイッチなんてあっただろうか。
それに……
(カウスくん……わたしのこと、本気で閉じ込めようって思ってる)
流れは把握できないものの、彼が本気でそう考えていることは伝わってきた。
「……いいよ、閉じ込めても」
「は? ふざけているんですか? 二度と外の人間に会わせないと言っているんですよ? あなたの愛しいケネス殿下にも」
「言ったでしょ。わたしは、カウスくんを愛してるって」
「えぇ。家族として、ね」
「それは否定しないけど……」
ゲームのカウスルート、バッドエンドは監禁だった。
でも考えてみれば、ここ数日、わたしは自主的に屋敷に引きこもっている。監禁というほど厳重ではないものの、実質、自主的な軟禁生活だったと思う。
(だから今問題なのは、わたしのことじゃない。カウスくんが壊れちゃう方がよっぽど……)
わたしはカウスくんを愛してる。家族として、義息子として、一個人として。そして多分、男性として。
ようやく、自覚し始めた気持ち。
肝っ玉母ちゃんにこだわらなくても、例えば、エバさんがわたし達みんなを支えてくれているように……。わたしは、カウスくんを支えたい。どんな形でも、構わない。
「ケネス様なんて関係ないよ。今はカウスくんと、わたしの話。わたしはカウスくんと一緒に居たい」
「またそうやって煙にまこうと考えているんでしょう?」
「カウスくん言ってたじゃない。わたしがカウスくんのこと好きだって知ってるって。じゃあ、わたしが本当にカウスくんと一緒に居たいと思ってて、なんならこの屋敷から一歩も出なくても構わないって本気で思ってるって、わかるでしょう?」
「…………」
怪訝な目つきで黙り込んだところに畳み掛ける。
理想の肝っ玉母ちゃん像はまだまだ遠い。でも今まで、わたしは少しでも理想に近付くために、ヒトの気持ちを想像して、わかろうと努力してきたつもりだ。懐深く受けとめるにも、時にはバッサリ切るためにも、相手の気持ちが想像できなきゃ始まらない。怒ってる相手が、単純に機嫌が悪いだけなのか、悔しいのか、不安なのか、はたまた安心したせいなのか、見極めなくちゃならない。
その経験が、今はカウスくんの不安を受け止めてあげるべき時だと告げていた。
頼るばかりじゃなく、わたしだってカウスくんに頼られたい。わたし達は今までだってそうして来たはず。
「悩んで悩んで、それでもやっぱりカウスくんのことが好きなんだって……。わたしの気持ちをバカにしないで」
カウスくんを説得するために口にする言葉が、自分の中にも響き渡る。それが、力になった。
「わたしがツィーナ・ハダルから、ツィーナ・ハダル・アケルナーになって、その日からずっと一緒に居てくれたのはカウスくんだった。わたしを変えてくれたのはカウスくんなんだよ」
無表情で無気力な顔をした義息子。その存在に、わたしはお飾りのお人形さんでいるしかないと諦めた人生を、変えようと思った。一念発起して、ちゃんとした母親になろうと、どうせなら憧れの肝っ玉母ちゃんを目指そうと、そう思った。
わたしと同い年なくせに、妙に大人びて達観して、すべてを諦めたかのような虚無を抱えていた彼。放っておけなかったし、放っておきたくもなかった。
「サンルームだって、勝手に改造してて驚いたでしょう? 突然、腹を割って話そうって言われたって、そうそう受け入れられるものじゃない。でもカウスくんは、わたしを拒絶しないでくれた。それがどんなに嬉しかったかわかる? 今のわたしが居るのは、カウスくんのおかげなの」
水色の瞳が揺れている。
暗い色がチカチカと瞬いて、淡い水色に溶けていく。
「カウスくんが好き。その気持ちはわたしにとってすごく特別でとっても大切。……だから、カウスくんにも信じて貰えると嬉しいな」
強がりだとバレるだろうか。そう思いつつ、笑顔を浮かべる。
本当は不安だけど……でも、カウスくんに伝えるこの気持ちには、笑顔が一番似合うから。
それから、そっと手を伸ばした。彼の美しい銀の髪に。前髪は後ろに流すために整髪料で固めてあるはず、と考えて耳の上の辺りにそっと触れる。
一瞬強ばったカウスくんの体。指先で撫でているうちに、少しずつ強ばりが解けていった。
「ツィーナは……」
(……あ。戻ってきた……?)
見慣れた理知的な光。ごちゃまぜに浮かぶ光の中に見つけたそれに、嬉しくなる。カウスくんが壊れなかった証拠に思えて。
「……何に怯えていたんですか……?」
「え?」
ヤンデレ街道を独走しそうだったカウスくんが、ちゃんと会話できるところまで戻って来てくれればイイ。そう願っていた。
とはいえ、まさかの質問に首をひねる。
(やっぱり……平仮名を読んだわけじゃなさそう……?)
噛み合わないわけだ。しかし、ならば尚更、地雷はなんだったのか……。
「僕に怯えていたのでしょう……? ……殿下の元に向かうため……僕の目を欺こうと……」
一言一言、自身の心を抉るかのように眉間を寄せながら絞り出す姿に目を瞬いた。そういえば、さっきも殿下がどうこう言っていたような……。
(あ、ダメ、カウスくん! また闇堕ちする……っ)
「わたしが怖いのは…………」
「……」
再び瞳を覆い始めた暗い色に慌てて口を開く。イイ機会だから話してしまおう。そう思うのに、声にするのが怖くて言い淀む。ハクハクと震える唇をなんとか押し開き、
「ルシータ陛下の……甥御さん……っ」
色を失い、蚊の鳴くような声で呟く。
言った端から震えが湧き上がって来て、思わず両腕を抱きしめた。声にしたことで、遠くの彼と繋がってしまったかのような……盗聴されているんじゃないか、見られているんじゃないか、そのための道を自ずから繋いでしまったんじゃないか……そんな不安に押し潰される。
「ツィーナ? ……ツィーナ!」
「こわ……っ……」
わたしの様子がおかしいと気付いたのだろう。カウスくんが強く呼ぶ声が聞こえる。
(ダメ……怖がってる場合じゃなくて……カウスくんを支えないと……)
「しっかりしてくださいツィーナ……! 大丈夫ですから!」
ぎゅううっ、とぬくもりに包まれた。
自分の震える体を押さえつけるための両腕が、さらに上からきつくきつく抱きしめられる。
「大丈夫。……ほら、僕のことは怖くないでしょう……?」
(怖く……ない…………)
「う、ん」
「もう訊きません。大丈夫。ツィーナを疑ったりもしない」
少しずつ、少しずつ震えが収まっていく。
それに反比例するかのようにズドーンと心が落ち込んでいくのがわかった。わたしまた……結局カウスくんに助けられてる。今度こそわたしが支えようと思ったのに。
(壊れかけのカウスくんを救うどころか……壊れる隙すら与えてあげられてない、って感じ……)
母親とか家族とかいう前に、わたし、大人失格じゃなかろうか。
「ツィーナ……良かった……」
無意識に漏れた囁き。
その言葉がとても嬉しい。たった今沈みきっていた気持ちが浮かれて上がって来るほどに。
「ありがと」
いつも通りのカウスくんが、しっかりと真っ直ぐ、わたしのことを──。
「たぶんね、わたし」
ゴソゴソッと動いて額を合わせた。コツンと触れ合ったおでこが温かい。
「カウスくんが思う以上に、カウスくんが好き」
少しずつ育った気持ちを、ようやく本当に理解した気がする。
(わたしは……わたしの気持ちに正直で居よう)
きっと、それがわたしがカウスくんのためにできる数少ないことの一つだから。
間もなく、第一部完結とする予定です
第二部はプロットを練り直してからになるため、少しお時間をいただきます
なんだか、恋愛よりもメンタル救済の物語になってきてしまって……
誰も不幸にならない結末を目指します




