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悪役令嬢の幼馴染と……幼い義母の顔見知り。


揺れの少ない道を走るのは久しぶりだ。朝早くにカウスくんと一緒にアケルナーを出て、街道をガタゴト揺られ。きっちりと整地された王都の道を走る。


「お義母様、お手を煩わせてしまってごめんなさい」


口酸っぱく注意事項を繰り返すカウスくんと別れたあと、車内で向かい合って座るシャウラちゃんが非常に申し訳なさそうに口を開いた。

「お義母様」なんて呼ばれるのが久しぶりだから、つい、口元が緩んでしまう。やっぱりイイよね、義娘って。


「イイ息抜きだから気にしないで? わたしも研究所に行くのは本当に久しぶりだから、ちょっと楽しみなの」


ほんのちょっと会わなかっただけなのに、シャウラちゃんはまた大人っぽくなった気がする。成長期真っ只中だからか、あっという間に背が伸びた……? このままだと、見た目が母子から姉妹に……さらには逆転してしまうかもしれない。

わたしも服装で大人っぽさを意識してはいるのだけれど、身長ばかりは如何ともし難い。実年齢が十も離れていないから、身長差は大切なのに。


「お義母様は行ったことがあるんですよね。魔法研究所はあまり情報がなくて……どんな所なのですか?」


幼馴染くんは、自身の近況報告はしてくれても、研究所のことはほとんど書いて来ないらしい。守秘義務もあるものの、何より「そういう性格だから」とはシャウラちゃんの談。深く考えず、目先のことに飛びつくたちなのだそうだ。


(幼馴染くん、なかなか筆まめっぽい? シャウラちゃんに感謝してるのもあると思うけど……仲良きことは美しきかな! 身分が変わってもこれまで通り接してくれる友達は貴重よね)


わたしは昔の記憶を掘り出して、当時見た事を説明する。しかし、細部はあの頃とはいろいろ変わっているだろう。


「魔法でできることを研究したり、魔術具を開発したりしている所よ。半官半民の施設で、所属している研究員は希少属性の持ち主か、魔力量の頭抜けたヒトだけ。……入所基準が厳しいから、人数は少なかったはずよ」


わたしが訪れた時は、魔術具の研究がなかなか捗らない程に人手不足だと言っていた。それ程に入所するヒトの少ない、いわば魔法エリートの集まりだ。


「そう、なんですね……。やっぱり、所属する方は貴族ばかりですか?」


「そこまではわたしもちょっと……。でも、魔力量が多い、って考えると必然的に貴族になるわよね。うーん……シャウラちゃんのお友達みたいな子は……少ないかもしれないわねぇ……? 属性的にラナちゃんなら研究員に成れるだろうけど、彼女も貴族だし」


……というか、ラナちゃん、生活に困っていたなら研究所行ってみれば良かったのに。確か、報酬が十分額出るはずだ。


(まぁ、ヒロインだし、クルストルート避けようと思えば近寄れないか)


メリバエンドなんて、現実世界じゃハード過ぎる。

出がけに見送りに出てきたラナちゃんの、


「ツィーナちゃん、クルストにだけは近寄らないようにね。……つっても、ヤぁな予感するんだよね〜」


不吉な予言が頭を過ぎった。脅しかけるの、やめて欲しい。ヒロインの予言なのだ、怖いどころの騒ぎじゃない。

所長のクルストは確か、隠しキャラだけあって引きこもり設定だったと思う。今までだって会ったことはないし、今日だって遭遇率は低いはず。わたしの知っている所長はおじいちゃんだったから、クルストは恐らく後任者で……ちょっと気にはなるけれど、このまま面識を持たずに暮らすのが一番平和でイイんじゃないかな……。

わたしが顔見知りになってしまうことでラナちゃんとの縁が繋がって……バッドエンドに辿り着いたりしたら、目も当てられない。カウスくん、シャウラちゃんはもちろん、ラナちゃんにだって、幸せになって欲しいのだ。


「わたくし、考えたのです。……もし、万が一、ワイトが平民だからと虐められていたりしたら……アケルナーの名を使わせてもらうのは、ダメですか……?」


「うんと? シャウラちゃんがその子の後ろ盾になるってこと?」


真っ直ぐな瞳で頷く姿が眩しい。きっとその子は、シャウラちゃんにとって、とっても大切な相手。小刻みに震える手が物語る。


(……ただ、自分本位に研究に没頭する魔法研究所員が虐めとか……想像できない)


杞憂だと思う。それに、


「アケルナー全体の名を使うならカウスくんの許可を取った方がイイと思うわ。でも、シャウラ・アケルナーの名前なら、もちろんシャウラちゃんの一存で使ってイイんじゃないかしら。ただし、相手が望めば、よ? その子は、シャウラちゃんが公爵家令嬢って立場を振りかざすことを良しとするような子なの?」


「っ! ……いえ……嫌がるかもしれません」


(そうだよね?)


権力を振り翳すのは最終手段だ。


「ね、心配になる気持ちもわかるけど、もしもを想定して先走るよりも、まずはちゃんと顔を見て話しを聞いてあげたらどうかな?」


「……はい」


冷静なシャウラちゃんが暴走するなんて珍しい。シュンと肩を落とす姿に、微笑ましい気持ちになる。


(大切な友達なんだもんね。……もしかして、初恋の相手とか? やーん、甘酸っぱい!)


「……あぁ、ほら。もう着くわ」


窓の外、初夏の日差しに照らされた高い壁と、行く本もの尖塔が見えてきた。

魔法研究所は王都の近郊、街からほんの少しだけ離れた所に建っている。不審者が紛れ込まないよう厳重に巡らされた壁の中の、巨大な建物。

わたしのイメージするファンタジー世界の学園が、まさにこんな感じだ。

ゲームだと研究所を訪れる時も外観スチルを飛ばして、内部にポーンと移動していたから……来るのは初めてではないはずなのに、新鮮に見える。ここがゲームの世界だと認識して以降、初めての訪問だからだろうか。


入り口の門で御者さんが受付を済ませる。そこからちょっと進んだ馬車降り場からは、徒歩で内門に向かうことになっていた。面会予約や入所許可を取った本人以外は、一切中に入れない決まりなのだ。


「許可証はお持ちですか?」


「いえ、面会予約をしてあります」


「かしこまりました」


わたし達は内門の守衛さんに面会許可者とその保護者である旨を伝え、腕につける魔術具の貸出を受けた。

白くてツルリとした見た目のそれは、魔力登録での本人確認と、所内でのいわばGPS的な役割をこなす腕輪で、


「シャウラ・アケルナー様とツィーナ・ハダル・アケルナー様ですね。登録、照会完了致しました。尚、ツィーナ・ハダル様の情報に上書きさせていただいております」


一度ここを訪れて登録されると、こうしてその後も魔力情報が蓄積される。訪れるヒトがそう多くないからできるシステムなんだと思う。貴族であっても、魔法研究所に関しては「用がない」と言うカウスくんが、マジョリティだ。


今回の訪問では、わたしの魔力登録が前もってあったおかげで身元が保証され、入所の手続きが簡略化された。これがないと、正規の書類が数種類必要になって、煩雑なのだ。

こればかりは、幼いわたしをアクセサリーとして連れ歩いた親に感謝しないとならないだろう。


「ワイト・カグ研究生との面会許可が下りておりますので、このまま二番ゲートからお入りください」


慣れた様子の守衛さんに御礼を言って奥へと進む。

気になることばかりだろうに、キョロキョロしないように努めているらしきシャウラちゃんに、幼い頃の自分を見てつい、


「ここには他人を気にかけるようなヒトはいないわ。大丈夫。珍しい魔法を使うとかでなければ、キョロキョロしようが騒ごうが、気にされないの」


声をかけた。好奇心を刺激されるこの場所で御上品にしているのは、子ども心には難しい。そりゃ、歩みも遅くなるというもの。


「確か……ここを抜けると中庭に出るのよ。お友達はそこで待ってくれているんじゃないかしら」


腕輪があるから、入ってしまえば内部はわりかし自由に歩き回れる。立ち入り禁止区間に近付けば腕輪は拘束魔術具の役目を果たすし、その前に迷子対策として警告もしてくれる。とはいえ、研究所は入り組んだ独特の造りの場所だから、面会相手に案内してもらうのが一般的だ。


「あの、わたくし……なんだか、緊張してきてしまって……」


(まあっ!)


「久しぶりに会うんですもの。ドキドキするのも当然よね」


「そう……ですわよね……」


しかし、好奇心から速度が落ちているのかと思ったシャウラちゃんは、少し青ざめた顔で別の理由を口にした。……可愛い過ぎる。


「うふふ、大丈夫よ。今日のあなたは、公爵令嬢らしい装いだけれど、控えめで、街中に居てもおかしくないもの。シャウラちゃんは立場が変わった今でも、昔と比べて変わり果てたりしてないし、最高に素敵だわ。きっとお友達もそう思ってくれる」


「……っ」


昔の友人に会うのに気になるのは、自分の今の姿だ。だからわたしは、盛大にシャウラちゃんを褒めちぎる。

馬車での会話から、彼女が身分を意識しているのは感じていた。それが、良くも悪くもハードルになるのだろう。「きれいになった」と思われたいけれど、「高慢」だとは思われたくないし、「変わっていない」と安心だってして欲しい……女心は複雑なのだ。


「ありがとうございます……」


はにかんだ笑みを浮かべる義娘に、キュンと胸を撃ち抜かれた。何コレ、尊い。


「ねぇシャウラちゃん。幼馴染くんはどんな子なの?」


もうすぐ会えるとは思いつつ、気になる話題を振ってみた。黙って歩くより、気が楽になるはずだ。


「そうですね……。気が強い、です。でも、単純というか素直というか……努力家なところは見習いたいと思っていて……」


思い出しながら話す横顔には、血の気が戻って来ている。ほんのりピンクに頬を染めた様子にまたしても胸を撃たれた。


(これ確定じゃない!? えー、相手の子はどうなんだろう……。魔法使いとして大成すれば爵位も貰えるはずだよね!?)


両想いだったりしたら、もう、大安泰だ。それに、片想いだとしても……


(シャウラちゃんがラナちゃんを虐める悪役令嬢にならないのはもう確定だけど、これ……「恋心」を理解しない利己主義の悪役令嬢要素も排除済みってことじゃない!?)


婚約者や結婚相手をステータスと捉えるような、ヒトの心がわからないThe・お貴族様。ゲームのシャウラちゃんにはそんな部分があった。今となっては、生い立ちを気にするあまり差別的になってたのかなとか、公爵令嬢として舐められないように片意地はってたのかなとか、察せる部分は多い。

でもそもそも、ウチのシャウラちゃんはヒトの心を思いやれるし、素直だし、一生懸命だし……めちゃくちゃ可愛い。わたしが余計な心配をするまでもなく、悪役令嬢要素なんて欠片も持ち合わせていなかったんじゃないかな、と思うこともしばしばだ。


「手紙でも、すごく頑張ってることが伝わった来るので……」


「大丈夫、シャウラちゃんも負けないくらい努力家だから。ウチの自慢の義娘よ。自信をもって普段通りに会いに行けばイイわ。変に令嬢らしくしようとしなくても、いつも通りでシャウラちゃんはとっても素敵よ。わたしが保証するわ」


「お義母様……。ふふっ……ありがとうございます」


ちょっと熱が入り過ぎただろうか。呆気に取られたようにシャウラちゃんが笑ったところで、視界が開けた。


「わぁ……」


広い研究所の中庭は、相変わらず美しく整っていた。王城の庭にも負けないと、今ならわかる。

権威のためなのか、研究の成果なのかはわからないが……舗装された小道と生垣、自然林とパーゴラ、噴水なんかの配置が素晴らしい。絵本で見るおとぎの城もかくや、の造形だ。

目を輝かせて見入る義娘の純心な様子にほっこりしながら、わたしは目当ての人影を探して辺りをぐるり、見回した。


「ね、シャウラちゃん、あそこ」


道の先、噴水の奥に誰かの影。お目当ての幼馴染くんではなかろうかと促せば、


「! お義母様、参りましょう」


先程までの緊張感はどこへやら、今にも駆け出しそうなウキウキとした笑顔で歩き出す。

……ウチの義娘がヤバ可愛い。落ち着いた大人っぽいシャウラちゃんが、今は年相応にはしゃいでるとか……めちゃくちゃツボる。


「シャウラ!」


あちらも気付いたようで、快活な声と共に走って来た。

研究所の黒い制服を着た、ヒョロりとした少年だ。茶色の髪がモサモサと揺れているのはご愛嬌。見た目にこだわらないあたりいかにも駆け出し研究者という感じで、頑張り屋だという彼の、実直な人柄が偲ばれた。


「ワイト! 元気そうで良かったわ」


近付いて来た彼に小走りで寄って行くシャウラちゃんは、この上なく嬉しそう。


「手紙に書いたろ? 魔力の使い方もわかったし、もう大丈夫だって」


「ワイトは強がりだもの。自分の目で確かめなければ安心できないじゃない。でも、本当に良かった……」


「っ……なんか、いろいろありがとな。オレも、ちゃんと会ってお礼、言いたかった」


照れたように笑い合う少年少女が甘酸っぱくて身悶えそうだ。激烈に可愛い。2人に幸あれ。

ニマニマと幼馴染の再会シーンを眺めていると、ふいにシャウラちゃんがこちらを向いた。さすが出来る子、ちゃんと紹介してくれるらしい。


「お義母様、こちらがお話ししていたワイト・カグです。ワイト、こちらは前アケルナー公爵夫人でわたくしのお義母様。ご挨拶できるわよね?」


「……ちぇ、子ども扱いすんなよ。こちとら商売人の子だぞ?」


(あれ、この子……!)


小声で拗ねるその姿は、好きな女子に弟扱いされて不貞腐れる男子そのもの。キュンキュンしつつその顔を見て、わたしは「あっ」と目を見開いた。


(この子、攻略対象者だ……! 天才魔法使いワイトくん!)


なぜ名前で気付かなかったか。ちょっとわたし、ポンコツ過ぎる。


見つめる先、モッサリと重たい前髪の奥にある黄土色の知的な瞳。ゲームの印象よりかなり明るいものの、間違いない。カウスくん、ケネス様、リーブ様、マーカスくんに次ぐ五人目のヒーローだ。ヒロインの魔法指南役を務める未来の大魔法使い、心休まる平民枠の素朴な青年、ワイト・カグの在りし日の姿。


(……あれ? でも、ワイトくんて悪役令嬢に標的にされてなかったっけ? …………あ、悪役令嬢の素性を知ってたから!)


「アケルナーの大奥様、お初にお目にかかります。ワイト・カグと申します。研究所入りに際しましては格別のご配慮をいただき、ありがとうございました」


礼儀正しく挨拶する彼の顔に翳りはない。純粋な感謝と親愛の情を感じて嬉しくなった。


「よろしくね、ワイト。いつも義娘と仲良くしてくれてありがとう。お礼なら義娘にどうぞ。王族にあなたのことを直訴したのは彼女なのですから」


アケルナー夫人として挨拶を受け入れつつ、さり気なくシャウラちゃんの功績を曝露する。彼女のことだ、きっと、自身の手柄は話していないに違いない。

案の定、


「お義母様っ」


焦ったような声と、


「そう……だったんですね……」


王族、と慄いたような表情かお


「これからも義娘をよろしくね、ワイト」


「っ、はいっ! こちらこそ、ご令嬢との交友をお許しくださり、ありがとうございます!」


(やーん可愛いっ!)


こんなところでシャウラちゃんの健全な未来を確信できるとは思わなかった。声変わり途中の少年の、ハキハキとした迷いのない言葉が嬉しい。二人の間にある確かな絆が、明るい未来を示唆しているかのようで、許されるものなら盛大な拍手を送りたい。


「おやぁ? ワイトの恩人ですかぁ? ようこそ魔法研究所へぇ」


ふいに、頭上に影がさした。と同時に、どこか粘ついた低い声が降ってくる。


「所長!」


ワイトくんが声を上げるのと、バサリと人影が降り立つのは同時だった。

え、何、どこから降って来たの? そんなわたし達の疑問は、


「また空間を吸い込んだんですか? ホント、所長は規格外ですよね……なんだよ、その闇魔法の使い方。吸収を極めればオレにもできるのか???」


納得いかなげな指摘と呟きに、ある程度の答えを得た。空間を吸い込むって……ブラックホールを使ってワープしたのか。え、そんなことできるの……? いや、実際目の前で降ってきたし……。


「魔法研究所って……すごいのですね……」


「そうね……」


常人には理解できない理屈がまかり通る場所、それが最先端の研究所なのだと肌をもって思い知る。


「こちらがワイトの恩人のご令嬢ですねぇ? 叔母から聞いていますよぉ、おかげで貴重な検体を獲た、ありがとうございます」


「あ、はい、いえ……わたくしは別に……」


「検体って。オレは実験体じゃねぇっつの。ま、所長にとっちゃ似たようなもんか。……ぇっ」


予想外の人物の予想外の登場にド肝を抜かれたシャウラちゃんが戸惑ったように応じているのを横目に見ながら……


(え。所長……?)


わたしは背筋に走る悪寒を必死で堪えた。

隠しキャラ、黒髪の魔法研究所所長クルスト・ミーズリ。もしやこのヒトが、あの……?


(いや、でも、ゲーム開始までまだあるし! クルストの前任なんて可能性も……)


狂気エンドのクルストとの縁はいらない。馬車の中でも思ったばかりだ。


(まさか、ね?)


「ワイト、せっかくなのだから恩人のお嬢さんに所内を案内して差しあげなさい、ねぇ、アケルナー嬢? 久しぶりにワイトと話したいこと、たぁくさんありますよねぇ?」


粘度の高い声と視線。伸ばされた髪で目は見えないのに、視線の重さが感じられる。

その粘つく視線が、わたしを捉えた。


「おやおやおやおやぁツィーナ嬢ちゃまもお久しぶりですねぇっ! くふふ、あなたの魔力を感知しましてぇ、思わず飛び出してきてしまいましたよぉ」


細身の長身を黒のローブに包んだ黒髪の青年に見覚えはない。


(久しぶり……? ってことは、昔から居た研究員さん? 黒髪で背が高いお兄さんなんて居たかしら……というか「嬢ちゃま」って……)


「おやおやぁ? わかりませんかぁ? あぁ……そういえばボク、髪の色変わったんでしたぁ、あなたは幼かったしぃ、んー、無理もないかなぁ?」


ゆらりゆらりと上体を揺らした独特な歩き方に、何か引っかかるものを感じた。すぐ目の前に来た黒い彼がおもむろに前髪をかき上げて……秀でた額と細い琥珀の瞳が露になる。


「『くりしゅ』ですよぉ『く・り・しゅ』、ねえぇぇ、もちろんわかりますよねぇ???」


(あ……!)


その名で、ピッと回路が繋がるように記憶が一つに繋がった。


「でもクリシュさんて……髪の毛も琥珀色ではなかったかしら……?」


「そおぉですその通ぉり!! その『くりしゅ』ですよおぉツィーナ嬢ちゃまあぁっ!!」


「きゃ……っ」


小さな独り言を拾った黒ずくめの男性が目の前でハイテンションに叫ぶ姿は何気に怖い。驚きに反射的に上げてしまった悲鳴に、シャウラちゃんが慌ててわたしの元に駆け寄ってきて、


「何事ですか!?」


グイッとわたしの腕を引いた。


「くふふふっ、くふっ、くふあっ、むはああああぁっ!」


「ひぃっ!?」


突然高笑いし始める黒づくめの男性もやっぱり怖い。わたし達は手を握り合ってすくみ上がった。


(……ダメよ、シャウラちゃんを守らなきゃ……っ)


でも……怖い!


「ちょっと所長。落ち着いてください。って聞こえてねぇな?」


──スパコーン!!


どうしたらイイんだろう、と戸惑っていると、ふいに小気味良い音が響いた。


「おぉっとワイト、びっくりするじゃぁありませんかぁ?」


「びっくりしたのはこっちっス。女性を怖がらせるの、止めてください」


「んん? おや、これはしつれぇい?」


どうやら、ワイトくんがクリシュさんの後頭部に平手でツッコミを入れたらしい。そうとわかって、ようやく体の強ばりが抜けた。


「ボクは嬢ちゃまと積もる話がありますからぁ、ワイト達はゆうぅっくり見学してくるとイイですよぉ、ねぇ嬢ちゃま、所長室でお茶をどぉぞぉ?」


「あの、お気持ちは嬉しいのですが……クリシュさん? 残念ながら本日は半刻の予定で面会許可をいただいておりまして……」


「そぉんなの、ボクがなんとでもしますからゆっっっくりして行ってください、せっかくですからぁ」


隠れた目の圧が強くて怖くなる。クリシュさんて、こんなヒトだったっけ……?


「いえ、でも……」


「あの、わたくしも見学はまたの機会にゆっくりとさせていただきたく存じます。今日はワイトの顔を見に来ただけですし……領地のお仕事のあるお義母様に無理を言って付き添っていただいておりますから。ええと……初めての場所でお義母様と離れるのも不安ですので……あの、あちらのパーゴラをお借りしても? お義母様、わたくしの目につく場所に居てくださいね」


(シャウラちゃん……っ!)


ありがたい目配せに内心胸を撫で下ろし、わたしはクリシュさんに向き直った。義娘に助けられてばかりで情けないけど……せっかくの助け舟だ、最大限に活かしたい。


「クリシュさんも研究所長になられてお忙しいのでしょう? 短い時間になりますが、よろしければわたくし達もあちらのパーゴラでお話し致しませんか?」


シャウラちゃんが指し示したものと、小道を挟んで斜め向かい。白い藤のような花が絡むシンプルな東屋を指さした。

ちなみにシャウラちゃん達が向かったのは、淡いピンクの花の絡むパーゴラ。咄嗟に好みの花を示してみせるあたり、ロマンチストのシャウラちゃんらしくて微笑ましい。


「…………仕方ありませんねぇ、では、次回はゆっくりとボクに会いに来てくださいねぇ? ゆうぅっくりとぉ」


正直、クリシュさんと話したいことは別にないのだけれど……とりあえず、頷いておく。これは次の許可は下りないかもなぁ、とカウスくんの険しい顔を思いながら。


「ああぁ夢のようですぅ、またこうしてツィーナお嬢ちゃまに会えるなんてぇ」


エスコートしてくれるクリシュさんに内心冷や冷やしつつ、ベンチに座る。だってなんだかこのヒト、距離が近い。


(そんな前髪してるから近視になるんじゃない?)


わたしの隣にピタリと座ったクリシュさんが、真っ黒なローブを持ち上げ、虚空に片手をスラリと伸ばした。と思えば、今度はその指先で地面を示し……


「嬢ちゃまの可ぁ愛らしいお口に合えばイイのですがぁ」


「え……!?」


氷入りの涼し気なグラスを差し出して来る。


「くふっ、驚きましたぁ? くふふっ、目を丸くする姿も可愛らしいぃっ」


忽然と現れたテーブルとティーセット。


(「規格外」……)


ワイトくんの言葉が思い出された。どこからか物を取り寄せる魔法なんて、聞いたこともない。さすがは魔法研究所長と感心すべきか……呆然としたままグラスを受け取る。カランと涼し気な氷の音と、汗をかいたグラスの冷たさに、「夢じゃない」と思わされた。


「クリシュさんは……ワイトくんと同じ闇属性の魔法をお使いになられるのですね」


昔は属性なんて気にしなかった。親に付いて訪れて、こっそりと暇を持て余すわたしにかまってくれる、気のいいお兄さんだと思っていた。


「そぉなんですよぉ、叔母から聞いていませんかぁ? あぁ、叔母というのはルシータという名でしてぇ」


「えぇ!? 椎田さん……ルシータ陛下の甥御さんなんですか!?」


(……そういえば、なんかケネス様が言ってたかも! 所長は闇属性で王妃陛下の身内だとかなんとか!)


思い出してみれば、目の色がよく似ているかもしれない。


「では……ルシータ様のご実家の……?」


「えぇ、ウチの父が公爵です、まぁ爵位はいずれ兄が継ぎますけどねぇ。ボク、所長として別に爵位持ってますし」


「まぁ…………」


いろいろと、びっくりだ。そもそも、


「公爵家のご令息が……よく、男爵家の娘に過ぎないわたくしを覚えていてくださいましたね……」


かまってくれる所員は少なかったから、わたしとしてはわりと思い出しやすかった。だが、クリシュさんにしてみれば、昔、ごくたまに連れられて来た子どもに過ぎない。


「えええ忘れるものですかっ、ツィーナ嬢ちゃまは天恵、ひらめきの宝庫でボクの天使ですからねぇえっ! アケルナー公に嫁いだと聞かされた時は本気で呪いの研究をしたものですよお」


「あ……ぁはは……ありがとう、ございます……?」


なんだか不穏な言葉が聞こえたような……いや、きっと気のせいだろう。研究所を訪れる子どもは少ないから、たまたま記憶に残ったのだと思う。


「ほぉらこれも、嬢ちゃまが言ったことに着想を得て実現した魔法なんですよぉ? ブラックホールだなんて、ほんとぉに素晴らしい発想でしたぁ!」


(え、わたしそんなこと言ったんだ?)


さすがに小さい時の発言までは責任が持てない。しかし、先程「ブラックホールでワープ」と思ったのは間違いないではなかったようだ。


「そんな……子どもの戯言から画期的な技術を確立されるなんて……クリシュさん、すごいのですね……。あ、ごめんなさい、クリシュ所長とお呼びするべきでしたわ」


次から次へとカルチャーショックが襲ってきて、処理しきれない。というか、クリシュさんの存在自体がカルチャーショック。かなり強烈。


「くふっ、イイんですよ、ツィーナ嬢ちゃまは特別ですからぁ、好きなように呼んでください、あぁでも、きちんと名を呼ばれるのも捨て難いですねぇ、一度、その愛らしい唇で『クルスト』と呼んでくださいませんかぁ? ね、呼んでくださいぃ」


(え)


「クルストさん……? ……クルスト・ミーズリ、様……?」


「ぬほぉおっ! 良いです良いですぅ、舌っ足らずな『クリシュさん』もイイですがツィーナ嬢ちゃまに『クルスト様』と呼ばれるのも捨て難いぃっ! んあああっ、ぜひもう一度、上目遣いで『クルスト様』と甘えてくださいぃっ!」


「え……クリシュさんは、本当にクルスト様なのですか……?」


「そおぉですよぉっ! むはぁっ、その小首を傾げた仕草もあざといぃっ! あざと可愛いぃっ!」


(このヒトが…………最悪なバッドエンドのクルスト所長……)


がっくりとその場に崩れ落ちそうになるのを、必死で堪える。まさか……わたし、既にあのクルストと出会っていたとは。


(ラナちゃんに謝らなくちゃ……でもって、ラナちゃんがクルストバドエンに進まないように協力して……)


「くふっ、くふふふっ」


薄らと、考えなくはなかったのだ。この黒ずくめ……有り得ないほど真っ黒な…………うん、他に有り得ないよね。どこからどう見てもクルストだ……。


(ぅああああっどうしよう!?)


……いや、それもわかってはいる。速やかに帰るのが一番イイと。イイんだけど……


(どうやって!? なんか……熱烈大歓迎されちゃってるしっ)


何より、シャウラちゃんはあんなに楽しそうにお喋りしている真っ最中。


「ツィーナ嬢ちゃまはぁ、昔から可愛くてぇ、可愛くて可愛いくて可愛くて可愛くて可愛いくてぇっ」


クリシュさん……もとい、クルスト様のねっとりとした大音声が空気を震わす。なのに、すぐ向こう側にいるシャウラちゃんもワイトくんも気付かないのは、魔法のせいだろうか。遮音くらい、このヒトなら簡単にできる気がする。


(めっちゃ怖い……!)


人間、自分に理解できない物事は恐怖の対象になると言う。……声を大にしてして言いたい。「めっちゃわかる!!」と。とにかく怖い。ガクガク震えそうな四肢と声を必死におさえる。


長い前髪に隠されて見えないものの、きっとあの細い琥珀の瞳の瞳孔は開いているのではなかろうか。だって相手はネジの飛んだ、溺愛鬼畜だ。


(わたし、クルスト様に可愛がられるような覚え一切ないんだけど!?)


背中をツッ……と汗が流れる。「ヤぁな予感するんだよね〜」と警告するラナちゃんの声が耳の奥でこだまして……。


「あぁあっ、あっ、ついにこの日があっ、大人のぉっ、可愛い可愛い可愛い可愛いツィーナ嬢ちゃまがぁっ!! ボクのお嫁さんになりに来てくれたああああっ!! 呪い呪い呪い呪い呪いぃ成っ就うぅっ!!」


(ひいぃ……っ)


なんでわたし、こんなにクルスト様に執着されているのだろう。ホントに、これっぽっちもわからない。


(なんか……ラナちゃんの心配とかしてる場合じゃないかも……!?)


「さあぁ、挙式はいつにしましょぉう? ああぁこのまま帰したくなぁいっ、でもおっ! 十年以上長ぁいこと我慢して遠ぉくから嬢ちゃまの姿を見たり盗聴したり洗濯物を拝借したりぃ、我慢した偉ぁいボクだからあっ! もう少しぐらい耐えてみせるうっ、ああっ、できれば今日も何か嬢ちゃまのイぃイ匂いの何かを置いて行ってぇ?」


(すっっっごく怖いぃぃっ!!)


テンションと圧だけでも逃げ出したいくらいに怖くって、喋ってる意味までは理解できない。纏わりつく粘着質な声が質量をもって締め上げてくるかのようだ。


「ぬっはあああっ、ヤバっ、ヤバヤバヤバっ、嬢ちゃまの涙目ええぇっ! 可愛ぁぁっ、激可愛あぁっ、えっ何、ボクが泣かしちゃったりなんかしてぇっ!? うわっ、嬉しっ、ボクのせいで泣く嬢ちゃま、キュンキュンキュンキュンギュンギュンするぅっ! もっとぉ、もっともっともっと泣かせてぇ、どろっどろに溶かしちゃいたぁあいっ!!」


前髪で覆われていても、通った鼻筋と女性的な程に整った骨格はわかる。妖しいほどに紅い唇がニィィッと歪んで哄笑する姿は、さすが攻略対象と思える妖艶さが漂っていた。狂気も併せて漂ってるけど。


(ううぅ……誰か助けて……)


たぶん、クルスト様はわたしに好意を向けてくれているんだと思う。害意や敵意は感じない。でも……好意を向けられることが、こんなにも、骨身に染みて恐ろしい。


ゲームの頃は、クルストルートも嫌いじゃなかった。ハッピーエンドに進めば、愛され放題、甘やかされ放題。前髪を上げた彼の中性的な美しいスチルを眺めながら、重たいくらいの愛の言葉をイヤホンで聞き……うっとりと妄想にふければイイだけだった。


「叔母上がぁ義弟がどうとか言ってたけど別にイイよねぇえ? 嬢ちゃまにイッチ番先に目ぇつけたのはボクだったのにぃあの公爵めぇ、可愛い可愛いボクの嬢ちゃまをぉっ! くふっ、くふふふっ、もぉ大丈夫ぅ、ぜぇんぶボクがキレイに消毒してぜぇんぶ作り治してあげるからねぇ?」


「あの……あ……クルスト様、わたくし……」


このまま流されてはダメだ。ちゃんと、彼の暴走を止めなくては……お断りしなくちゃ……。


喉が干上がって声が出ない。カフカフと息が漏れて、うまく話せない。それでも……


「おんやぁ? どぉしました嬢ちゃまぁ? あぁ、そうですよねぇ、驚きますよねぇ、だぁってボク、ルールちゃぁんと守ってましたからねぇ? アケルナー公が亡くなるまで、こおぉんなに大好きなのに、嬢ちゃまに愛を告げるのを我慢してぇ、会えば絶対我慢できなくなるのわかってたから眺めるだけで我慢してぇ」


「い、え……ぁ、あの……」


「でもぉ、もぉイイでしょおぅ? こぉしてツィーナ嬢ちゃまから会いに来てくれたんですからあああっぅあああ可愛ぃ可愛いぃっだぁぁぁい好きいぃぃっ!!」


(聞いてくれる気がしない……)


これ……はっきり断ったら逆にマズいんじゃないだろうか。ここにはシャウラちゃんもいるのに、逆上とか暴走とかされたら……


(ダメ! ……急いで帰って二度と関わらないようにするしかないかも)


「ぃ……じ、時間が……っ」


なんとか揺れる声を絞り出した。


「す……す、すみません、がっ……今日はも……時間、が……」


「ぬはぁぁ、天使の囀りぃ、永遠に聞いてられるぅ」


「お、約束の……時間なの、で…………く、クルスト様……っ」


「んんんっ、そぉんな涙目スェクスィーに名前呼ばれちゃったらもっ、ヤバあっ、くふふっ、えっろぉっ!」


(ちょっと何言ってるかわからないけど、公式でもクルスト様って変態だったし、もう無視で。とにかくシャウラちゃんを連れて無事にここを出るのが第一……!)


腹を括って乗り切るしかない。ありがたいことに程よく時間だ。

舞い上がって自分の世界を爆走しているらしいクルスト様をじっと見つめる。……うぅ……思考回路が謎生物。


(でも……ここが山場よ!)


すうぅ、と深呼吸をして震えを止めて……気合いを入れてにっこり笑う。


「クルスト様。心苦しいのですがお時間ですので、ごきげんよう」


最上級の笑顔を。

クルスト様が、公式のように溺愛キャラなら──。


きっと、笑顔でこの窮地を乗り越えられる。


間もなく100ブックマークを迎えます。

皆様、ブクマ、ありがとうございます。

ブクマと「いいね」や評価のおかげで、細々ですが毎週更新を続けられています。

本当に、ありがとうございます。

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