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領地に逃げ帰って……ごめんなさい。


「奥様、こちらの書類なのですが……」


「業種別の売上一覧ね? ……高級レストランや菓子店が人気……予想通りだわ。貴族階級でちょっとした遠出先として名が上がってきた証拠よ」


「しかし、これ以上広まると従業員の教育が追いつかず……」


「あぁ、そういう問題もあるわね」


アケルナー領のカントリーハウス。たくさん余っている部屋の1つを、商業組合の臨時派出所兼わたしの執務室として使い始めた。というのも、わたしが本腰を入れてアケルナーの観光事業を取り仕切ると決めたからだ。

わたしは現公爵カウスくんの妻ではないけれど、アケルナーの「奥様」であることには変わりないし……領地のためにできることがあるなら、進んでやりたい、そう思ったのだ。


カウスくんに領地に戻ることを提案され、わたしは迷った末、こちらに帰ってきた。なぜだか、それがとても重要なことに思えたから。


考えてみればそもそも、わたしが王都に出たのはシャウラちゃんの為人を知るためだった。

絶対に悪役令嬢になんてしないと心に決めて、そのために彼女のそばで見守ろうと思った。シャウラちゃんがイイ子だとわかって、兄妹関係に不穏な気配がないことを確認しても、今度はさらに他の攻略対象が気になって……。なんだかんだで、ダラダラと居着いてしまっていた。本来の目的も忘れてダラダラと。


(懸念事項は片付いたんだもの。これから先、妙な変化が起こらないとは限らないけど……わたしが出しゃばらない方がイイんだと思う)


何かに急き立てられるようにカントリーハウスに帰ったわたしは今、憑き物が落ちた気分を味わっていた。視野狭窄が治った、とでも言うのだろうか。


──だから、正直に言えば…………後悔している。


わたしが変にはりきってあちこち顔を突っ込んだりしたから……。冷静に考えてみれば、1年にも満たない短期間で王族とあそこまで関わりが深くなることなんて、普通じゃない。

貴族として、王族は敬うべきものだ。忠誠を誓い、彼らを支えてこそ、王国の日常は成り立つ。この世界に生まれ育ったわたしは、そう教えられ骨身に沁みているはずだった。なのに。

浮かれていた……のだと思う。シャウラちゃんと出会って、前世の記憶が刺激されて。さらに、次々と新しい出会いがあって、椎田さんという隠し事不要の友人を得て。

貴族としての常識を忘れていないつもりでも……常識的には有り得ない、日本人の感覚で、周りのヒト達に接してしまった。


(カウスくんが迷走しちゃうのも当たり前だよ……)


領地に居れば起こらないあれこれ。ただでさえ、公爵位の継承という一大事を控えているのに、わたしが次々と高貴な縁をつないで厄介事を起こしてしまえば、いくら優秀なカウスくんでも、いっぱいいっぱいになって当然だった。

得に、ケネス様とは……必要以上の関わりを持ってしまったから。


シャウラちゃんとカウスくんのバッドエンド回避のため、ストーリーの改変が必須だったのは間違いない。けれど、他のヒト達の人生を狂わせたいとか……まして、不幸にしたいなんてことは、まったく一切望んでなかった。わたしがケネス様との結婚を受け入れられない以上……彼には、本当に申し訳ないことをしてしまった。ぽにぃちゃだって、振り回して迷惑をかけまくった。


(……ケネス様、きっと椎田さんからも妙なこと吹き込まれてたんだろうな…………)


ケネス様を正気に戻すためにも、わたしは王都に居るべきじゃない。


「ねぇユニさん。何か、訪問者の詳しい内訳がわかるような資料はなかったかしら。迷路の入場記録とか、来店記録なんかに、年齢や階級なんかのわかる部分はない?」


「少々お待ちください。……一店舗の記録で申し訳ありませんが、こちらが辛うじて……」


「あぁ、来店人数の細かな記録をつけていたのね。助かるわ」


わたしは前世、ごくごく一般的で平凡な女子だった。だから、マーケティングの知識や地域振興案だとて、ドラマや何かの借り物でしかない。それでも、できることがあるのはありがたい。

渡された書類を受け取り、並ぶ数字に目を凝らす。


組合から派遣されてきたユニさんは、わたしと同年代の女性だ。笑顔より真顔でいることの方が多いバリキャリだけど、とても柔軟な感性の持ち主で一緒に居て仕事がしやすい。灰色の長い髪をいつもきっちりお団子に結い上げた姿は、いかにも「できる女」で、組合長からの信頼も厚い有望株。そんな彼女と一緒に、ここ数日、わたしは新たな観光の目玉を模索していた。


「あとはこちらも……平常時の数値ではないので、あくまで参考程度ですが」


「? ……あぁ、公爵就任のお祭りの時の売上票ね」


(楽しかったなぁ)


カウスくんが公爵となったお祝いのお祭り。つい数週間前に終わったそれを思い出し、口元が自然と綻ぶ。

本人は特に必要も感じていないようだったし、興味もないみたいだったけど。


春の終わり、王命でついにカウスくんの叙爵式が行われた。文字通り、有望な独身貴族の誕生に、社交会は沸きに沸いた。

当日はタウンハウスでお披露目の夜会を開くのが慣例とのこと。その日は、わたしも領地から出て、カウスくんと共にホスト側の仕事を務めた。伝統的に見ても、こういった場合の夜会に王族が姿を見せることはない。王城の叙爵式で既に会っているから、なのだそうだ。それだけでも、わたしもカウスくんも、落ち着いて訪問客の相手ができた。


平穏裏に祝賀会を終え、その翌日、2人で急いで領地に戻った。領地を上げて3日に及ぶ祝賀祭が始まるためだ。

領内の町や村には既に祭り用の振舞い酒や食料が届けられている。調理は各地の長の采配に丸投げだが、現在のアケルナー内の各首長は数年前に調査済み。身辺に疚しいところのある者は交代してもらったから、今回も十分、役目を果たしてくれるだろうと思われた。


「んー……領内で動くには総額が大きいわよね?」


振舞い以外にももちろん、組合傘下の商店がセールを開催したし、お祭り景気を当て込んだ行商人も多くアケルナーを訪れた。


「おっしゃる通り、さすがに領民間で動く額にしては大きいので、王都や周りの領からの訪問客も多かったのではないかと」


「……トラブルはなかったのかしら。ヒトが増えるとその分、治安も心配よね……」


祝賀祭では、少しだけ、わたしも街に繰り出した。顔見知りの領民達と笑い合う時間は懐かしくて楽しくて……自分が王都で無理をしていたことに、気付いてしまった。

王都での毎日は刺激的で目まぐるしくて、アケルナーの日常とはまったく違う。「我が子の幸せのため!」なんて意気込んで向かった王都だったけど、知らず知らず溜め込んだストレスは大きかった。わたし、社交界とか、向いてない。

シャウラちゃんがイイ子だとわかった今、わたしはこうして、昔のように領地の発展のために細々と働く程度が似合っている。


「失礼します。奥様に書簡が届いております」


「はーい」


ノックされた扉の向こうから響くのは、アルギさんの声。タウンハウスで働く皆さんには悪いけれど、やっぱり、アルギさんとエバさんが仕切るカントリーハウスは安定感と安心感が段違いだ。警戒心どころか、飾る必要すらない相手は貴重。心からそう思う。


「んんー……っ」


仕事机から立ち上がり伸びをする。


「シャウラ様からのお手紙のようですよ。休憩がてら、お茶はいかがでしょうか」


「わ、さすが!」


入ってきたアルギさんの手にはワゴン。焼きたてのクッキーのイイ匂いも。


「ユニ女史のお茶もこちらでよろしいですね?」


「ありがとうございます」


ウキウキとソファーに移動するわたしの後ろから、ユニさんの苦笑含みの声が聞こえた。真面目な彼女も、連日お茶に誘い続けた結果、諦めてくれたらしい。せっかく2人で働いているんだから、「職務中」なんて言わずにちょっとした交流を大切にしたい。


「わぁっ、フロランタン! 手間がかかるのにわざわざ焼いてくれたのね。アルギさん、お礼を伝えておいてくれる? もちろん、わたしも会えた時には言うけれど……」


「畏まりました。『感謝はできるだけ早く伝えたい』という奥様のお気持ち、厨房の者たちも理解しておりますし、嬉しく思っておりますよ」


「うふふ、ありがとう」


数年前に言った言葉を今でも覚えてくれている彼には頭が下がる。その感謝を伝えると、アルギさんは柔らかく破顔した。


(やっぱりイイなぁ、笑顔溢れる我が家って)


王都よりゆっくり時間の流れる領地。そして、タウンハウスにはアルギさんとエバさんの気遣いが溢れている。


ユニさんとゆったりお茶をいただきながら手紙を開く。フロランタン初体験だというユニさんは、ためつすがめつ検証してから


「クッキー生地に……ナッツのキャラメリゼが……あ、バターとの相性も……このほのかな酸味はどの実が……」


分析を楽しんでいる。お気に召したなら何よりだ。ナッツを薄切りにしたり、生クリームたっぷりのキャラメルを作る必要があったり、フロランタンは何かと手間がかかるから、まだ市場しじょうには流していない。わたしも食べるのは久しぶりだ。


「えっと……?」


シャウラちゃんからの手紙は、薄い藍色の、品の良いレターセットに書かれていた。模様はないものの、カサリと開くと焚きしめた香がほのかに薫ってすごく雅。センス良いなぁ。

けれど、読み進むうちに、流麗な字で書かれたその内容に戸惑いが浮かぶ。


ラナちゃんと共に王都に残ったシャウラちゃんは、変わらず健やかに過ごしているらしかった。読書好きの彼女は、ついにタウンハウスにある物語の本や図鑑なんかを読み尽くし、専門書にまで手を出し始めたそうだ。

実の所、貴族社会の傾向として、頭でっかちな令嬢は敬遠される。……前世でも居たよ、「嫁は自分より無学がイイ」みたいな、「チヤホヤされたい病」のヒト。素直な「かまってちゃん」ならまだ可愛げもあるけれど、他人を見下すのを目的とした「かまっては」……ねぇ? 夫としてどうこう、というより、1人前の人間としてどうなのか。

個人的には、シャウラちゃんが知識を蓄えるのには賛成だ。ゲームの悪役令嬢の知ったかぶりはあまりにもイタかったし、他人を見下して満足するような相手に、ウチの可愛い娘は嫁がせたくない。だから、王都育ちで、王都に居たいと言うシャウラちゃんを、無理に領地に誘うことはしなかった。最新の書物も、良い家庭教師も、王都に居た方が求めやすい。


「ユニさん……わたし、近いうちに何日か王都に行ってくるかも」


「急ですね。数日程度でしたらこちらはまったく構いませんが……決定ですか?」


「カウスくんに相談してからだけど……たぶん」


「……とおっしゃるからには、ご当主様とのお出掛けではないのですね? それは……可能性が低いのではないかと……」


「んー……」


困ったように眉間にシワを寄せるユニさんに、苦笑を返す。その通りだと思うから。


「まぁ、まず相談してみるわ。もしかしたら……ってことで、その時はよろしくね?」


「はい」


領主となったカウスくんは、領地に腰を据えている。アケルナーは、必要ならば日帰りで王都まで行ける距離。だから、よほどのことがない限り、夜はカウスくんと必ず会える。


わたしは……ここまで来てまだ、ズルズルと彼の優しさに甘えて、はっきりした態度が取れないでいた。

カウスくんが好きだし、大切だ。彼が居てくれるだけで気持ちが落ち着くし、顔を見れば嬉しいと感じる。だから……「愛してる」と言って過言じゃないんだと思う。1番大事な相手だと言ったことにも嘘はない。けど。


(前世で読んだエッセイマンガとかによくあったもの。女親は、息子を「小さな彼氏」扱いしやすいって)


どう対応するのが正解なのか。

自分の心と向き合うのが怖い、そんな恐怖は未だに拭いきれずに持っている。でも多分それ以上に。

わたしは、カウスくんと向き合うことを避けてきた。何よりも、彼の抱く熱が怖くて──。


「ただいま帰りました、ツィーナ。今日は1人にしてしまってすみませんでした」


夕方、王城での用事を済ませて帰ってきたカウスくんを迎えに出た。少しでも早く往復するため、彼は最近馬車ではなく馬を使う。カントリーハウスとタウンハウスの間を馬で移動し、王都内でだけ、公爵らしい豪華な馬を使うのだ。

護衛はつけているし、治安も悪くない。乗馬の腕前にも問題ないとくれば、反対する理由もないのだが……ついつい、心配が勝ってしまう。乗馬用のタイトな服装が見慣れないせいだろうか。


「寂しかったでしょう? もう大丈夫ですよ。明日はずっと屋敷に居ますから」


カウスくんの涼やかな雰囲気に、薄い色の乗馬服はとても似合ってカッコ良い。その見慣れない恰好で甘い言葉を吐くものだから……安堵やら何やらが込み上げて、


「……ダメですよツィーナ、そんな無防備に可愛らしい顔を見せては。潤んだ瞳も、はにかんだ微笑みも……全部僕のものです。2人きりの時にだけ、見せてください」


おかえり、を言う前にダメ出しされて、カウスくんの上着をふわりと頭から被せられてしまった。


(あ……カウスくんの香り)


あぁ、ちゃんと帰ってきたんだ。そんな多幸感に包まれる。今日も何事もなく無事に帰ってきてくれて、本当に良かった。


「さぁ、部屋でツィーナの話を聞かせてください」


そっと肩に触れた手に導かれ、狭い視界で彼を見上げる。


「うん。おかえりなさい、カウスくん」


よくやく言えた。間近に見る彼の変わらない姿に笑みが零れる。

そっと伸ばされた指先が頬に触れ……わたしは自分からその手のひらに擦り寄った。ペンだこのある、長い指。


「うふふっ」


「ツィーナ……ハァ。やはり婚約式だけでも強行して……」


何か呟いているようだけれど、頬擦りする手のひらの長い指が耳元を擽るからよく聞き取れない。「ん?」と見上げると、優しく蕩けた水色の瞳と目が合った。


「愛しています、ツィーナ」


「ふふっ、わたしもカウスくん大好きよ。ありがと」


アケルナーに戻ってからのカウスくんは、ひたすら甘い。王都に居た時とは別人のようだけど……でも、なぜかこの場所だと、そこまで違和感を感じなかった。

たぶんそれは、シャウラちゃんと出会う以前、わたしが彼にそういう風に接していたから。母親として、最大限の愛情を注ごうと──カウスくんを猫可愛がりして。……まぁ、嫌がられたことも多かったし、できる限り普通に接するように努力したけど。それでも、猫可愛がりしてきたわたしが、猫可愛がりされるようになった今、順番だと思えば……恥ずかしくはあるものの、素直に受け入れられる部分もある。


わたしの中で、カウスくんの位置は少し変わった。

守るべき義息子という殻が割れて、「カウス・アケルナー」という1人の対等な人間に。

それが、進歩なのか後退なのかはわからない。ただ、今は、自分の心を見つめ直す勇気を溜めるためにも……自分の感覚に素直であろうと思っている。好きなモノは好き。イヤなモノはイヤ。そうシンプルに物事を捉えれば、いつかまた、王都でみんな仲良く暮らせる日が来るかもしれない。


お母ちゃんが余裕を失ったら、やっぱりダメなんだと思う。でもわたしはまだすごく未熟だから……自分のことで手一杯になって、結果、大切な家族に迷惑をかけてしまった。

大家族とか、わたしにはまだ、早かった。中途半端になるくらいなら、離れて見守った方がイイ。相手のために、自分のためにも。


(ケネス様にも……法的にシャウラちゃんの父親になれるチャンス、とか思わせちゃったんだろうな……。ホント、申し訳ないことしたよね。わたしが短絡的だったせいで……)


飢えている時に餌をぶら下げられたら誰だって食いつきたくなる。家族の愛情を求めていたケネス様が、シャウラちゃんという家族を得ようと躍起になったのは当然だ。義母であるわたしに目をつけたのも、強引に事を進めようとしたのも、彼の境遇を思えば仕方ない。


(わたしが気を利かせているつもりで変に引っ掻き回したから……。ホントはわたし、しばらくシャウラちゃんの周りをウロウロしない方がイイんだろうけど、ねぇ?)


「それで、ツィーナは今日、どういったことをして過ごしていたんですか?」


夕食の前、カウスくんの部屋に行って他愛ないお喋りをする。こちらに戻って以来の習慣だ。……が。


「っ、ね、やっぱり、着替え終わってから出直すから……っ」


(せっかく余計なこと考えて意識散らしてたのに! なんで話しかけるかな!?)


上着を持ってくれているから──とかなんとか言いくるめられて、あのまま一緒にここまで来てしまった自分を殴りたい。いつものソファーに座ったわたしの、薄い扉一枚向こう。声が通るように半開きにされたドアの向こうでは、この部屋の主が乗馬着から普段着へと着替えている。

着替えている──男性カウスくんが。服を。脱いで。


(っっっっぎゃああああああっ!!)


許されるなら逃げ出したい。叫んで走って、自分のベッドでジタバタしたい。


「もうすぐ終わりますからそこに居てください。やっとツィーナの元に帰れたんです。ほんの少しの時間だって離れていたくない」


(ううぅ……)


なんなのか。なぜこんな時まで甘いのか。カウスくんはわたしをマタタビ漬けにされた猫のようになるまで可愛がり続ける気なのか。


心のままに振舞ってみようと決めたわたしには、心のままに振る舞うカウスくんを止める権利なんてない。甘んじてこの状況を受け入れ……るなんて無理だよね!? とんでもなく恥ずかしいし、いたたまれない!!


「お待たせしました。おや、ツィーナがお茶を淹れていてくれたんですか? ふふ、ありがとうございます」


「っ、どっ、どういたしまして!?」


「……あぁ。やはりツィーナのお茶は美味しい。ツィーナのように素敵な香りがします」


「!?」


「ところでツィーナ。顔が真っ赤ですよ? どうかしましたか?」


(な……なななななっなんなの!? わたしの香りって何!?)


向かいに座り、目を細めて微笑むカウスくんは絶対に確信犯。

ついさっき、自分も「カウスくんの香りが……」とか思ったことは棚に上げて、わたしは耐えきれずに両手で覆った顔を伏せた。


「ふふ……ツィーナが僕のことを異性として意識してくれるようになった嬉しさで……つい、意地悪してしまいました」


「〜〜っ!!」


「恥ずかしがるツィーナも可愛い。そんな可愛い真っ赤な顔、他の誰にも見せないでくださいね?」


「見せるわけないでしょ恥ずかしいんだからっ!!」


思わず涙目でキッと睨めば、冷たいはずの美貌が柔らかく蕩けて……


(や……っちょ、やめてぇっ! 尚更恥ずかしい!!)


慈しむような優しい瞳とぱっちり出会う。過去五年ちょっとの間には見た事のなかった、けれど最近よく見る、優しい眼差し。熱の篭った暗い眼差しと違って、穏やかで温かな……なのになぜか直視し難いその光に、わたしは慌ててまた、顔を下げた。


「ハァ、ツィーナが可愛い過ぎてつらい。抱きしめてもイイですか? ここにはほら、誰もいない」


「!?」


(なんなのこの積極性! カウスくんて実は遊び人!? それとも血筋!? 天性の女たらし!?)


わたしが戸惑っている間に、カウスくんが隣にスっと移動して来た。ソファーが沈み、下を向いた視界の隅にもスラリとした足が映り込む。


(こんなキャラだったっけ!?!?!?)


脳内大混乱だ。

膝枕してあげるとか、ハグしようかとか、義母として自分では散々言って来たけど。


(だってカウスくんだよ!? 散々、散っっっ々断ってたよね!?!?)


それがどういう風の吹き回しか。


「ツィーナ?」


笑みと、懇願を含んだ囁き。


(ぅあああああああ──っ!!)


「…………ちょ…………っ! ちょっ、と……だけ、なら…………っ!!」


(ってわたし、何言ってるかな──!?)


「ツィーナ……」


そっと回された手が触れた瞬間、ビクリと体が強ばった。


「大丈夫」


優しい声と優しい腕が包み込む。

俯いたままのわたしを、カウスくんは壊れ物を扱うように抱きしめた。頭の上にも感じる温もり。


「好きです、ツィーナ。あなたが居れば、何もいらない……」


ポツリ、ポツリと降ってくる言葉が、じんわりと沁み込んで来る。それは魔法の呪文のように。甘い催眠のように。心を癒す薬のように。


「愛しています──」



※※



「シャウラからですか?」


どのくらい彼の腕の中に居たのか──一向に離してくれる気配のないカウスくんに、わたしは堪らず声を上げた。とはいえ、文句を言うのも違う気がして……テンパった挙句に口にしたのは、「シャウラちゃんから手紙が来たんだけど!?」という報告事項。

だからそろそろ離して普通に戻って! というわたしの願いも虚しく、


「要件は?」


なぜかカウスくんは、わたしを抱え込んだまま話しを続ける。しかも、


「ひゃ!?」


なぜか、膝の上に乗せられた。小さい子にするような……横向き抱っこ。


「ちょっ!? か……かかか、か、かうす、くん!?」


「はい?」


「はいじゃなくて!! なんっ、なんなのこの状況……!?」


「あぁ。そうか、ツィーナは覚えてないんですね」


「何の話!?」


「最近夜遅くまで話し込んでいたでしょう? 眠くなるとツィーナはよく、抱っこをせがむんですが……」


「は!?!?!?」


ねむた過ぎて覚えてないんでしょうね。……ふふ、イイですね、この新鮮な反応。甘えん坊なツィーナも可愛いですが、耳まで赤くして慌てるツィーナも大層愛らしい」


(は──────!?)


「あぁ、そんなに緊張しなくても。……うん、これならどうです? 顔が見えなければ少しは気楽でしょう?」


(はぁ──────!?)


ゴソリとした振動のあと、体の向きが変えられた。目の前には……ティーカップの乗った机。

どうやら、前向きに座り直させられたらしい。足の間に。背中と腰の脇にぴったりとくっついた温もりがある。


「起きている時も少しずつ、慣れていきましょうね?」


「ひぅっ!?」


パニクっているところに耳元で囁かれ……


(イイ声!! ……じゃなくてっ!! えっと、ちょっと待って)


「なんでそんな軽々持ち上げれらるわけ……!?」


我ながら、「ソレじゃない」感満載の苦情が飛び出た。ちょっとこれは……尚更、割増で、恥ずかしい。


「いつまでも子どもじゃありませんからね」


クスクスと楽しげな吐息が頭の上から降ってくる。


(何コレ、ホント、何の拷問!?)


「ツィーナを守れるように、僕はもっと強くなります」


爆発寸前の心臓がバクバクうるさい。沸騰した頭の片隅が、


(でも後ろだから! 茹でダコな顔、見られてないから!!)


と、お門違いに安堵する。


「ズル……っ……カウスくんだけ大人っぽくなって……ズルくない!?」


お義母さんはわたしなのに!

零れかけた言葉を飲み込む。「立場を押し付ける言葉は止めよう」。アケルナーに戻る時、自分で決めたことだった。


「そうですか? では……一緒に大人になってください」


「? どうやって?」


「まずはそうですね……キス、しませんか?」


「っ!! しませんっ!!!!」


(誰か助けて、カウスくんが暴走してる──どこでそんなの覚えて来るのよぉっ!?)


「残念です」


クスクスクスクス。


「っ!! からかってるでしょっ!?」


「いえ? 本気ですよ? 大人への1歩を一緒に踏み出す気になったら、いつでも言ってくださいね?」


クスクスクスクス。


頭をそっと撫でる手の感覚は、この上なく優しいのに。


「も、イイもんっ!! それより! シャウラちゃんからの手紙のことっ!」


対抗するように子どもっぽく頬を膨らませて。

あからさまに話題を変えて。


逃げている自覚はある。それでも、この空気の甘さに耐えるのは無理。爆発する。

膝の間から抜け出すことも諦めたわたしは、ティーカップを睨みつけながら手紙の内容を口にした。


「わたしに王都に来てって!」


「ツィーナに? しかし、先程顔を合わせた時は何も……」


「どうせカウスくんのことだから、急いで帰って来たんでしょう? シャウラちゃん、言い出す暇なかったんじゃない?」


「否定はできませんね」


背中の温もりが気になるけれど、気にしない。

わたしの腰を挟むカウスくんの太ももがさっきより狭まった気がするけれど、気にしない。


「前に、シャウラちゃんの幼馴染くんを魔法研究所に預けたじゃない? ほら、ケネス様と王妃陛下の推薦ってことにしてもらって……」


「……あぁ。闇属性を疑われる少年でしたか。居ましたね。それで?」


脳天に軽く頬擦りされているような気配があるけど、気にしない。気にしないったら気にしない。


「会いに行きたいんだって」


「行けばイイと思いますよ。王都郊外といえど、我が家の馬車なら時間も大してかかりませんし。……あぁ、面会予約を取って欲しいということですか」


「そうじゃなくて。ねぇカウスくん、それワザと? 未成年なんだからシャウラちゃん一人で研究所に入れるわけないじゃない」


「…………王都あちらの家令でも付ければ」


「ワザとよね? カウスくんが知らないわけないもの。魔法研究所って、貴族以外は入れないでしょう?」


「行ったことがないので、その噂が本当かどうかはわかりません。試しに家令をつけて……」


「無理だってば。え、ホントに行ったことないの?」


「用がないので」


頭上で会話しているはずの唇が……


(わたしの髪の毛啄んでる気がするけど気のせいですよね!?)


心頭滅却すれば火もまた涼し。わたしは今、普通に座ってる。わたしは今、普通に会話できている……!


「そうなんだ? わたし、子どもの頃だけど何回か行ったことあるの。一応、実家が出資者に名を連ねてるから、連れられてね」


「さすがハダル家ですね。幅広い」


「出入りのチェックが厳重でびっくりしたの、覚えてるわ。貴族の家系でも、当主、夫人、直系以外は入れないって。例えば、アケルナーの傍系でも、自身に爵位がなければ無理なのよ」


後ろ盾程度ではどうにもならない。それ程に守られた、貴重な研究がある場所なのだ。シャウラちゃんが行こうと思えば、カウスくんかわたしが同行する以外はない。


「では無理ですね。シャウラには諦めさせましょう」


「な!? ダメよ絶対! シャウラちゃんが自分からお強請りすることなんて滅多にないでしょ!? カウスくんは忙しいから、わたしが行く」


「それこそ許可できません。自分の立場、わかってますか? ……怖がらせてはいけないと黙っていましたが、ケネス殿下はまったく諦めていない。王都に行って万が一にも顔を合わせれば……王宮に連れて行かれてしまうかもしれないんですよ!?」


(やっぱり)


徐々に荒くなって、激昂していくカウスくんの声。それだけで、日々、どれほど彼に守られているのか理解した。


「今日も何かイヤミ、言われた……?」


ケネス様は王族だ。自身より下位の貴族に結婚を断られるなんて、プライドが傷つけられただろう。……正式には、婚姻の打診を受ける前だったから、こちらが断ったことにはならないけれど……椎田さんの手も借りてストップをかけたのは間違いない。


「ごめんね、嫌な思いさせて」


矢面に立ってくれているカウスくんに、きっとケネス様は何らかの圧をかけているのだと思う。


「負け犬の遠吠えなど気にはなりません。でも、ツィーナが顔を合わせるのは危険です、絶対に許しません」


「王城には近づかない、約束する。魔法研究所にシャウラちゃんを連れて行って、戻ったら真っ直ぐアケルナーに帰る」


「……」


「絶対カウスくんを裏切らない。戻って来るから。日帰りで1日だけ。ね?」


「……」


「わたしはカウスくんのおかげで毎日とっても幸せ。でも、シャウラちゃんは一人なの。ラナちゃんが居るとはいえ、彼女だって実家いえに帰ったりするもの。一人で頑張ってるシャウラちゃんにもご褒美があってイイと思う」


「……」


「じゃあ、カウスくんが王城に行く日は? 一緒にタウンハウスまで行って、帰る時も一緒ならどう?」


「…………」


「ケネス様も参加する会議があるんじゃなかった? カウスくんの視界にケネス様が居る間に、急いで行って帰ってくるから……」


「…………ハァ。九日後です。その日なら、侯爵以上の当主と王族は集まる必要があるので……」


「っありがとう!」


葛藤の間から絞り出された小さな声。でも聞こえた。


「ありがとうカウスくん! シャウラちゃん、絶対喜ぶ!」


何だかんだ言って、やっぱり優しい。イイお兄ちゃんだ。

カウスくんの優しさは、領地経営にも表れている。冷たく見えるのは、その優しくて柔らかな心を隠すため。繊細なヒトだから。


「約束は守ってくださいね。滞在は一刻だけです」


「うん、守る。それも約束する」


「まったく……。ハァ。……敵いませんねツィーナには……」


(違うよ、カウスくんが嫌われ役を買って出てくれてるだけ)


これだから……彼は特別なのだ。危うくて目が離せない。本当はとても素敵なヒトなのに。


だから──。


(腕……さりげに後ろからハグされてるけど……っ……気にしない……!!)


今日のところは我慢する……!!


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