次期公爵の提案
【Side カウス】
目の前に並ぶ三人の男を心の中でキツく罵る。
まったく、この殿下方はどの面下げて僕の前に現れるのか。王家の横槍さえ入らなければ、ツィーナはとっくに、名実共に僕の妻になっていた。
(歳若い僕ならば父と違って容易に御せると考えているのだろうが……甘く見られたものだ)
今やアケルナー公爵家は経済的に大きな価値を持つ。先代までの、歴史に縋るだけの旧家ではないのだ。
ツィーナの実家からの援助は父の贅沢や見栄のためにも使われていたが、公爵家を円滑に回すために使われる分も当然あった。その資金を使って数年掛かりで、ツィーナと共に領地の特色作りに励んだ。おかげで、今や領民の生活は向上し、税収も上がって来ている。
王都に近い田舎──そんな印象しかなかったアケルナー領を、「日帰りで行ける遊び場」にしてはどうかというツィーナのアイデアはまさに、画期的だったのだから。
(ようやく、農地を使った四季それぞれの巨大迷路が軌道に乗り始めた。食事処も土産物屋もやっと、自分達で「客を呼び込む」ことを考え始めた。全てツィーナの発想があってこそ……)
もちろん、僕はツィーナという個人を心から、嘘偽りなく愛している。
しかし、それだけでなく現実的に考えれば、ツィーナはアケルナーにとっても不可欠な人物なのだ。
単調で単色の世界から僕を救い出してくれたツィーナ。
生きる意味を僕に与えてくれたツィーナ。
……そのツィーナを奪おうと画策する王家には反吐が出る。
王家への忠誠、一族の発展──そんなもの、ツィーナに比べればどうでもイイ。ツィーナさえ居れば、場所なんてどこでもイイのだ。
アケルナー領に蟄居しようが、更に廃れた場所へ逃れようが、外国に逃亡しようが。ツィーナさえ居てくれれば……ツィーナをこの手で幸せにするためならば、何も苦労だとは思わない。
(武力を持ち出される前にこの国に見切りを付けるのも有りだな)
白々しい笑顔を浮かべる2人の王族の後ろに控える騎士団長の姿に、そう思う。
例え逃亡生活になったとしてもツィーナに辛い思いをさせないだけの財力と才覚はあるつもりだ。実際、いざという時に備えて、資産を分割してあちらこちらに秘蔵してある。国外の貴族とのツテも十分。
だが、武力だけは……まったく戦えないわけではないものの、優秀な本職には敵わない。
ケネス殿下がもし、無理やりにもツィーナを奪い去ろうと考えたとして、その時に下っ端騎士やそれ以下の者達を手駒に使う可能性は著しく低いと思う。
残念ながら僕の腕では、中位までの騎士一人を相手にするだけで手一杯だ。複数の騎士や実力上位の騎士を相手取ることは無謀。つまり、その場になったらどこかにツィーナを隠してやり過ごすくらいしかできない。
(ケネス殿下も……いい加減、脈がないと気付いて諦めればイイものを。大の大人が女々しいことだ)
本当ならば、消えていただきたい。
だがさすがに王族の暗殺はリスクが高い。
何せ、付け入る隙があると思えば僕を蹴落としに来るだろう相手は1人では無いのだ。例えケネス殿下を消せたとしても……他にも最低2人の敵がいる。しかも、その場合は王妃陛下は表立ってリーベルト殿下につくだろう。政敵だって、忘れてはいけない。
腹は立つが、ツィーナを守るために僕がするべきことは、王家の意を汲まず、淡々と事務的に婚姻の許可を申請し続けること。そして、確実にツィーナの心を僕に向けることだ。
「ツィーナ。寝る前で構いません、僕の部屋に来てください。アケルナーとしていろいろ話すことがありますから。今後、あのような品を欠く真似をされては困りますし」
突然の「女官になる」宣言で場の時を止めたツィーナには、アケルナー当主代理としても言うべきことがある。まぁ、今日のところと考えれば、聞き分けのないケネス殿下を撃退できたのは良かったかもしれないが。
あれから間もなく、王妃陛下宛の手紙を受け取った殿下は、何事か思案する表情のまま、王城へと帰って行った。リーベルト殿下も同様だ。
(……そろそろツィーナにも自覚してもらわなければ)
微妙に硬い空気のまま夕食を終え、自室へと戻る。さて。
手ずから、ティーセットを整えた。茶葉はとっておきの一品。
ツィーナの影響で、僕もシャウラも茶の淹れ方くらい、覚えている。
「カウスくん?」
全ての準備が整ってしばし。軽いノックと控えめな声が扉の向こうから響いて来た。
既に人払いは済ませてある。
「待っていました」
扉を開けてやれば、少し驚いたように立つ小柄な姿。パチリと見開かれた浅緑の瞳も愛らしい、唯一の女性。
既に湯浴みも終えたのだろう。飾りの少ない薄手のドレスと、下ろしたままの髪から立ち上る清潔な色香にクラリとさせられた。
「わ……忙しいカウスくんがわざわざ出迎えてくれるとは思わなかったわ」
恐らく、「お説教の準備万端」と捉えたのだろう。一瞬だけ、春の妖精のような麗らかな面に怯えが走った。
(あぁ……)
どんな彼女も見逃したくない。だが、気丈に振る舞いたがる彼女の怯えた表情など、いったい誰が知るだろうか。僕だからこそ気付けた、僕しか知らないツィーナの一面。
甘やかな雷に撃たれたかのようだった。または、甘い毒で骨の髄まで溶かされたかのような──。
「……どうぞ。まずはお茶を淹れますから」
家族の元を訪れる時、ツィーナは基本的に従者を連れて来ない。常識的に考えれば、貴族たる者、屋敷の中といえど連れて歩くべきなのに。
「カウスくんが淹れてくれるの? やったぁ」
無邪気に喜ぶ笑顔も可愛い。
もう随分前から、僕はツィーナに毒されている。乾燥していた僕の不毛な世界はツィーナに侵され……ツィーナへの想いだけが満ちている。
そしてあの夜──ツィーナを得られるのだと気付いた夜──その想いは現実へと溢れ出た。
「えぇ。とてもリラックス効果の強い茶葉なんだそうです。難しい話もしなくてはなりませんからね」
「お説教も、でしょ? わたしだって、強引だったのも、失礼だったのもわかってるんだけど……」
いじけた子どもの少しだけ尖った唇。幼さの覗く横顔と、ツンと尖らされた……
「んんん!? んんっ!」
「……ふっ」
魅力的な唇を指でふにりと摘み上げる。口付けたい衝動を誤魔化した指先が感じる柔らかさ。不満げに睨み上げてくる愛らしさ。
思わず、笑みが零れた。
「むうううっ!? うんんんっ!!」
フニフニと感触を楽しむように力を込めれば、更に反抗的に、涙目で見上げてくる愛しいツィーナ。
僕は神を信じない。けれど。
(ツィーナと巡り合わせてくれたことには感謝する)
こんな幸せがこの世にあるとは。
「まったく……どの口が『王妃陛下の女官』とか言うんですかねぇ。子どもじゃないんですから……どれだけの教養と品格が必要とされるか、わかってますか?」
わざとらしく溜息をついたあと、呆れたように手を離してやれば、「ぅゔ」と可愛らしい威嚇。口元が緩みかけるのを我慢してテーブルへ向かうと茶器を取った。
「王妃陛下と仲良くしていただいているからと言って、王城の女官などそうそうなれるものではありません。縁故であっても試験を受ける決まりです」
「え!?」
「……やっぱり。その場の思いつきで喋る癖をやめなさいとあれ程……」
「え、ねぇカウスくんっ、試験てどんなことするの!?」
席についたツィーナに湯気の立つハーブティーを勧める。慌てた様子ではあっても優雅さを失っていないあたりさすがだとは思うが……
「第一に、感情を表に出さない」
女官は友人ではない。王族の邪魔にならないよう、常に冷静で控えめでいなければならない。
(こうして素直に慌てふためく姿が可愛いのに……。誰が好き好んでツィーナを手放すものか)
前公爵である父との婚姻直後に見せていた人形のような姿。あの仮面をかぶるなら、ツィーナは女官として必要なラインは余裕で超える。ただし、
「第二に、筆記試験にて優秀さを示す。第三に、実技にて忠誠心を示す。第四に実技にて……」
「ごめん、試験て幾つあるの?」
「十、ですが?」
「ぅぐ……」
忠誠心以外は求められるレベルは総じて高くない。が、それをわざわざ口にする必要はないだろう。
「はぁ……イイ案だと思ったんだけどな……」
ゆったりとした動きでカップに口をつけたツィーナは、未だに諦めれきれないようだ。
──さて。そろそろ、覚悟してもらおうか。
「ツィーナ。あなたにとって、一番大切な人間は王妃陛下ですか?」
「え? まぁ……椎田さんも大切だけど……」
「一番、ですよ? 何をおいても幸せにしたい、大切な相手は? もちろん、ケネス殿下ではないはずだ」
「一番かぁ……」
悩んだように言うツィーナが、またコクリとお茶を飲む。温かくほんのり甘いお茶は、僕の思った通り彼女の好みに合ったらしい。
「僕を唯一の家族と呼んで過ごした日々は、偽物だったんですか」
「そんなことないよ!」
間髪入れずに返ってきた否定に満足しつつ、できるだけ冷たく見えるように目を細めた。
「その割にはこのところ、シャウラに夢中なようですね。ラナ嬢のことも異様に気にかけているようですし?」
ツィーナが心を割こうとする全てのモノに嫉妬を覚える。今まで通り僕のことだけ考えて、僕を通して世間を垣間見るだけで十分だろうに。
僕とツィーナの結婚を本気で望み応援すると公言するからこそ、なんとか我慢しているが……ただの邪魔者に成り下がった瞬間、あの二人には家を出てもらう手筈でいる。なんのことはない、アケルナーが支援するには実力不足と断じて、どちらも生家に戻せばイイのだ。シャウラの母が勤めていた娼館の調べも、とうについているのだから。
「それは……説明しづらいんだけど、ラナちゃんが、カウスくんとシャウラちゃんの幸せのキーパーソンな気がして……」
温かなカップを手で包み込んだまま、ツィーナは少し遠い目をした。「なんだそれ」と一蹴するのは容易い。しかし、せっかくツィーナが話す気になったのなら聞いていたい。どんな与太話でも、ツィーナがその愛らしい鈴のような声で語るのなら、それは至高の音楽。
「ラナちゃんと仲良くしとくとね!? きっと、カウスくんにもシャウラちゃんにもイイことが起こると思うのっ」
「他人の運まで借りなくては我々は幸せになれない、と? ツィーナが幸せにしてくれるのではなかったんですか? ひどい話です」
「っ!?」
「まぁ、そうですね。確かに、以前に比べて僕は幸せではありません」
ビクリと肩を揺らしたツィーナが恐る恐るといった体でこちらを窺う。それをじっと、意図的に睨むように見つめ、
「僕を愛してくれていたツィーナは、もう居ないようですから」
刻み込むようにゆっくりと言った。
ツィーナに聞かせるためのセリフとはいえ、我ながら自虐趣味が過ぎる。言った言葉がそのまま心を抉り、今度は意図せず、縋るような視線をツィーナに向けた。
「な……」
自分の眼差しが、言葉が、気持ちが、華奢な身体を絡め取って行くのが感じられる。
(いい加減素直になればイイのに)
「そんなことない! わたしは今でもカウスくんのこと、とっても大切に想ってるよ!」
「嘘ばかり。ツィーナが最後に僕に『好き』だと言ってくれてからどれ程経っているかわかりますか?」
僕の想いに目を瞑って。
僕への想いに目を瞑って。
「ほら、思い出せないでしょう。領地に居る頃は毎日のように言ってくれていたのに。ねぇツィーナ。僕がどれ程傷付いて、寂しい思いをしたか、わかりますか?」
関係性を変えたくない、そういうツィーナの気持ちも尊重してあげたかった。本当にそれまでと関係性が変わらないのであれば、だ。
「結婚したくないならそれでもイイんです。しかし今のあなたは自分の『結婚したくない』という気持ちにだけ夢中で、自分のことしか愛していない。僕から逃げることしか考えてない。それでよく、『大切』だなんて言えますね。
……ツィーナ。もう一度訊きます。ツィーナの一番大切なヒトは誰ですか? 自分?」
刺さるものがあったのだろう。青ざめて震えるツィーナは、はっきりと顔に罪悪感を浮かべていた。
これでイイ。じわりじわりと追い詰めて。
今更逃げるなんて、許さない。
僕に愛情を与えて、愛というものを教えておいて。今更無かったことになんて、絶対、させない。
「わた、し、は……」
カクカクといじらしく唇を動かし、干上がった喉にようやく気付いてまた一口、お茶を含む。
リラックスできるお茶を。隠し事などできなくなる、すべてをさらけ出すほどに寛ぐ、特別なお茶を。
その頑なだった心を暴いて、柔らかな心に僕という存在を唯一無二として、深く深く刻み込む。
簡単なことだ。
だって、彼女は既に、僕のことを愛しているから──。
「わ……が子より大切なものは……」
「我が子? 誰のことです?」
「……カウスくんと……シャウラちゃん」
「僕は言いましたよね。ツィーナを母とは思っていない、と。ではあなたの子はシャウラだけだ。……おや。やはり僕のことはもう、どうでも……」
「違うってばっ! カウスくんのこと、すごく大事! ずっとずっとずっと一緒に居てくれて、一番傍に居てくれて、大切じゃないわけないでしょう!?」
「なら、ちゃんと言ってください。僕のことを愛している、と。声に出して」
透き通った浅緑の瞳に浮かぶ涙の美しさに目を奪われる。今にも零れそうな雫。そのまま流れて消えてしまうにはあまりにも勿体ない。
「……て、る……」
「はい? 聞こえません」
「あぃ、して……」
「誰を?」
美しい涙を染めるのは絶望。
なぜツィーナがそこまで母親という立場に拘るのかは知らないが、このまま誤魔化され続けては困るのだ。いずれ気付く、と優雅に待つには敵が多い。
そろそろ、強引にも気付かせてあげることが、彼女への優しさであり、愛情だろう。
「ほら、落ち着いて。お茶、もう少し要りますか? きちんと自分の心を見つめればイイんです。答えはすぐそこにあるでしょう?」
向かい合って座っていた席を立ち、彼女の隣に立ってお茶をカップに注ぎ足した。そして、そのまま、
「僕のこと、愛してますか?」
顎を捕まえ、濡れた瞳を間近から覗き込む。
ひどく混乱しているのだろう。ハッ、ハッ、と少し乱れたツィーナの吐息。その甘い吐息を感じながら、心底焦がれた言葉を待つ。
「……ぃ、てる……。カウスくん、を」
「うん?」
「愛して、る…………」
透明な涙がポロリ、零れた。
「カウスくんを……愛してる…………──」
そして、とめどなく。
浮かんでいた絶望を押し流し、透明な雫がツィーナのまろやかな頬を下って行く。
「よく言えましたね」
知らず、心から微笑んだ。淡い桃色の髪を優しく撫でる。
サラリとした髪の手触りも、しっとりとした頬も、幼子のように泣く姿も。全てが愛しい。
好きで好きで。苦しいほどの想いが溢れる。
「ツィーナ。大丈夫ですよ、ツィーナ。あなたが僕を愛してくれていること、僕はちゃんと知っています」
子とか親とか、そんな小さな枠の中には収まらない。
「あなたは最初から、僕という個人を見て、対等の存在として、僕を大切にしてくれた」
性別なんてモノも関係なく。ただ、一個人として。
「もう、言い訳する必要はありません。ツィーナは今まで通り、ただ素直に、僕のことを愛せばイイ」
婚姻は手っ取り早い手段だった。敵を寄せ付けないための。僕を意識させるための。
(ホントは……ツィーナさえ居てくれれば……僕を愛してくれているなら……)
形なんて、どうだってイイ。
「これ以上、苦しまないで? あるがまま、僕を愛して。僕の愛を受け入れて」
僕の腕に縋り付いて泣き崩れる、儚いツィーナ。その背中をそっと撫でた。
このまま抱きしめてしまえば……きっと、止まれない。だから。
「愛しています、ツィーナ。あなたという存在の全てを、愛しています」
あなたさえ居れば僕は幸せなのだ、と。
繰り返し繰り返し、伝え続ける。
余人の付け入る余地など元々なかったのだ、と。
親子、家族、そんな名前のつく関係を超えて、僕達は愛し合って来たのだ、と。
壊れてしまったガラスの鍵を、二度とツィーナが求めないように。
二度と、心を偽らないように。
甘く、優しく、ツィーナの芯に囁き続ける。普段は凛と張った芯が、濡れそぼって緩んでいるうちに。強く、刻む。
「愛しています、ツィーナ。大丈夫。ツィーナも僕を愛してイイんです。あなたが何を思おうと僕が、その愛を許して受け入れます。間違いなく、僕達は愛し合っていますからね」
「っく……ぅ、……ぅう……」
泣き声までもが、なんと愛しい。僕を想って苦しんで来たのだろうと思うと、たまらない気持ちになる。
「心のままに。僕はけっして、ツィーナを裏切りません」
どれほど、そうしていただろう。
ようやく震えの止まった肩がもぞりと動いて……
「……ありがと……」
小さく小さく、囁いた。
そして、控えめにこちらを窺う、弱りきって、はにかんだような表情。
ツィーナはいつだって可愛い。いつだって……
「〜〜っ」
何度だって、僕はこうして、胸を撃たれる。
「愛していますツィーナ。だから……」
せっかく打ち砕いたツィーナの心を覆う檻。
二度と、一人で苦しませるようなことはしない。
「一度、アケルナー領に帰りませんか」
檻が欲しいのなら……僕が作ってあげるから。
ツィーナと僕、二人で入るための檻を──。




