28.崩れた信頼
歩いてくる彼の表情が、不気味で仕方なかった。
カラドさん。
セゾンスニグ王国の騎士団から派遣された副団長。今回の作戦では、気候魔獣を仕留める役目を担っていたはずの人物だ。なのに、ここまで来るのが遅すぎる。
俺たちが何度も危機に陥っても。仲間が傷ついても。誰かが倒れても。
カラドさんは姿を現さなかった。
「シュンセイ」
突然、後ろから声を掛けられた。
「……ヴァレン?」
振り向く。
そこにはヴァレンがいた。
いつもと変わらないように見える。後方に控えていたとはいえ、あの激戦を耐え抜き疲労困憊でもおかしくなかった。
だが、その視線はしっかりとリーセレンへ向いていた。
「彼女は……大丈夫なのか?」
「ああ。魔力の使いすぎで気を失ってるだけだ……」
「そうか」
ヴァレンは心配そうにリーセレンを見る。
「かなり無理をしたんだな」
俺は頷いた。
「俺たちを助けるために……」
リーセレンがいなかったら、俺たちは全滅していた。だからこそ、今の彼女を守らなければならない。俺はそう思っていた。
「カラドさん……!」
さっき駆け寄っていった冒険者が、彼の前で足を止めた。
「来てくれたんですね!」
「ああ」
短い返事。それだけだった。
「気候魔獣は、あそこです!あの少女が凍らせたんです!」
「……そうか」
カラドさんは凍りついた気候魔獣と、こちらへ視線を向ける。その目に驚きはない。むしろ、確認するような冷たい目だった。
「あの状態なら、カラドさんの手にかかればちょちょいのチョイで――」
冒険者が言葉を続けようとした。その瞬間だった。カラドさんの手が動く。
何が起きたのか、理解できなかった。
一瞬。
本当に、一瞬だった。カラドさんの手に握られた剣が、冒険者の胸を貫いていた。
「……え?」
冒険者の口から、間の抜けた声が漏れる。剣が引き抜かれた。赤い血が地面に落ちる。
どさり。
その身体が崩れ落ちた。
「…………」
誰も動かなかった。
俺も。
ラヴィさんも。
他の冒険者たちも。
何が起きたのか理解できず、ただ目の前の光景を見つめていた。
「な……」
誰かの声が震える。
俺はリーセレンを抱えたまま、一歩後ずさった。
「カラド……さん?」
見間違いであってほしかった。今のは何かの間違いだ。そう思いたかった。けれど、倒れている冒険者を見れば分かる。間違いなんかじゃない。
殺した。
カラドさんが。俺たちの仲間を。
「なぜ……」
ラヴィさんが低い声を漏らした。だが、今の彼にはそれを追求する気力が足りない。
カラドさんは答えない。その眼鏡の奥から、冷たい視線を向けているだけだった。
「お前……何をしている!」
一人の冒険者が怒鳴り、剣を抜く。
だが、その声にもカラドさんは反応しなかった。
ただ、淡々と口を開く。
「予定通りだ」
「予定……?」
その言葉に、背筋が冷たくなる。何の予定だ。俺たちは知らない。
この作戦で、こんなことをする予定なんて聞いていない。
「必要なことは、すでに終わっている」
カラドさんの視線が、凍りついた気候魔獣へ向けられる。
そして――。
リーセレンへ移った。
「……!」
俺は反射的にリーセレンを抱き寄せた。
彼女はまだ意識がない。身体から完全に力が抜けている。あれだけの魔力を使ったんだ。今のリーセレンは、俺が守らなきゃいけない。
「リーセレン……!」
名前を呼んでも返事はない。その姿を見ていると、嫌な予感がどんどん膨らんでいく。
リーセレンと初めて会った日。胡散臭い男がリーセレンについて事細かに聞いてきた。アストルさんは俺に、信じる相手を間違えるなと言った。疲れ切った脳で、思考が回る。誰が味方で、誰が敵か。
考えることに夢中で、カラドの行動に対してのみ注意を払っていた。
その瞬間。
「――悪いな」
ヴァレンの声が聞こえた。
「え?」
何かがおかしい。そう思った時には遅かった。
ヴァレンの腕が伸びる。リーセレンの身体を、俺の腕から引き抜いた。
「なっ――!」
身体が軽くなった。腕の中から、リーセレンが消える。
「リーセレン!」
俺は一瞬、状況が理解できなかった。咄嗟に手を伸ばした。だが、ヴァレンはすでに距離を取って、彼女の身体を抱えている。力なく垂れた腕と閉じられた瞳、意識はない。
「ヴァレン……何してるんだ?」
震える声を振り絞って、ヴァレンを睨みつけた。
「シュンセイ。俺たちはここでお別れだ」
ヴァレンはリーセレンを抱えたまま後退する。
「待て……!」
「待てって言われて待つ奴がいるかよ」
「《疾走》!」
スキルでの加速。頭より先に、身体が動いていた。地面を蹴る。距離を詰める。ヴァレンの顔面に拳を叩きこむため、懐に入り込み腕を振りかぶる。
目の前にいるヴァレンへ、拳を叩き込む。
その瞬間だった。
ヴァレンとの間に、黒い影が割り込んだ。
「――ッ!」
カラド。
振り下ろされた腕が、何かに触れた。
次の瞬間。
ぞぶっ、と。嫌な感触が腕を伝った。
「…………?」
視界が揺れる。
振りかぶったはずの右腕が――なかった。肩口から先が、綺麗に消えている。
「――――」
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。遅れて、熱が走る。
「ぐ、あああああああああっ!」
激痛。
身体が勝手に崩れ落ちる。血が地面へと滴り、紅葉の葉を濡らしていく。
「シュンセイ!」
遠くで誰かの声がした。けれど、顔を上げることさえできない。カラドは何事もなかったかのように剣を下ろしていた。
その向こうで、ヴァレンがリーセレンを抱え直す。
「……これ以上は獣の仕業にできない。それに、弱者をいたぶる趣味もない」
俺は左手で傷口を押さえながら、必死に顔を上げた。
「……リー、セレン……」
霞む視界の中。
連れ去られていく彼女の姿だけが、はっきりと見えていた。
「待て……」
立ち上がろうとする。だが、力が入らない。それでも手を伸ばす。
「リーセレン……!」
届かない。伸ばすはずの右腕も、無くなった。カラドとヴァレンの姿が、森の奥へ消えていく。
「待ってくれ!」
もう一度叫んだ。ヴァレンが一瞬だけ振り返る。目が合った。その顔には、申し訳なさそうな表情が浮かんでいた。それでも、彼らが止まることはなかった。
「……返せ」
誰にも届かない声が漏れた。
拳を握る。
悔しい。
何もできなかった。目の前にいたのに。手を伸ばせば届きそうだったのに。俺はリーセレンを守れなかった。
呆然と立ち尽くしていると、森の奥から。彼らが逃げた方から、何かが聞こえた。
低い。
唸り声。
「……グルルル」
暗い森の中から、それはゆっくりと姿を現した。
巨大な黒い影。四本の脚。鋭い牙。そして――生きている獣とは思えない、濁った瞳。全員の血の気が引いた。さっきまでさんざん戦ってきたクロックウルフ、ケルベロスとは比にならない大きさ。その親玉が、俺たちを見てよだれをダラダラと垂らしていた。
黒い狼が、ゆっくりと口を開く。
「グルァァァ……」
咆哮が森を震わせた。
全員が呆然と立ち尽くし、状況を理解できずにいる。頼みの綱だったカラドは俺たちを陥れ、不死族の餌にするつもりだったのだと、俺は気付いた。
黒狼が地面を蹴る。
「――来るぞ!」
ラヴィさんが息も絶え絶えに叫んだ。なんとか動ける冒険者たちが一斉に武器を構える。
誰も万全じゃない。さっきまで気候魔獣と戦っていた。仲間も倒れている。そして今度は――不死族化した黒狼。
「下がるんだ!」
ラヴィさんの声が響く。目の前の黒狼から、視線を逸らせない。
「グルァァァァッ!」
巨大な身体が、俺たちへ向かって飛びかかってきていた。




