27.束の間の決着
気候魔獣が再び地面を蹴った。
「来るぞ!」
ラヴィさんの声が響く。俺は剣を握り直し、迫ってくる巨体を睨みつけた。ここは、予定されていた合流地点。俺たちはすでに目的地へ到着している。
迷いの森は、その名の通り方角がわからなくなることが多々ある。その影響で到着が遅れているのかもしれない。
俺たちにできることは、カラドさんが来ることを信じて気候魔獣をここに留め続けることだけだ。
「さっきの黒い液体には近づくな!」
気候魔獣の首が振り下ろされる。ラヴィさんたちは左右へ散った。轟音とともに地面が砕け、土煙が舞い上がる。
「今だ!」
ラヴィさんの声と同時に、数人の冒険者が飛び込んだ。
剣が振るわれる。魔法が放たれる。
盾を構えた冒険者が正面から攻撃を受け止める。
「グォォォォォッ!」
気候魔獣が咆哮する。その巨体が大きく揺れ、周囲の木々から赤や黄色に染まった葉が大量に舞い落ちた。
それを気候魔獣が操る。無数の葉が宙を舞い、刃のような勢いで飛んできた。
「防げ!」
盾が一斉に構えられる。
ザザザザザッ!
葉が盾に突き刺さった。
「ぐっ……!」
「まだだ! 押し返せ!」
横から飛んできた葉を避ける。その直後、地面が大きく揺れた。
「――ッ!」
気候魔獣が突っ込んできた。
「受け止めろ!」
Bランク冒険者の一人が前へ出る。大盾を構え、正面から受け止めようとした。
「うおおおおおっ!」
激突。
ドォォンッ!
大きな衝撃が周囲へ広がった。
「ぐ……っ!」
その冒険者の身体が大きく後ろへ押し込まれる。気候魔獣の力は止まることを知らず、足が地面にめり込まされていく。
「耐えろ!」
仲間たちが駆け寄った。
だが――。
次の瞬間。
気候魔獣の前脚が振り抜かれた。
「――がっ!」
大盾ごと、身体が吹き飛んだ。
「おい!」
地面を何度も転がり、木の根元でようやく止まる。誰かが駆け寄った。
「意識がない!」
その言葉に、空気が凍った。
Bランク。
この第四班の中でも、前線を支えていた主戦力だ。その人が倒れた。
「……嘘だろ」
誰かが呟いた。俺は奥歯を噛みしめる。
まずい。明らかに、まずい。
「怯むな!」
ラヴィさんが叫ぶ。
「カラドさんが来るまで時間を稼ぐんだ!時間があれば他の班の奴等も援護に来る!」
その声に、冒険者たちは再び動き出した。けれど、さっきまでとは違う。攻撃の勢いが明らかに落ちている。疲労が限界まで溜まっていた。
腕が上がらない。
足が重い。
呼吸をするだけでも苦しい。
それでも俺たちは戦った。いつか増援が来る。それだけを支えにして。
「右から来る!」
誰かが叫ぶ。
気候魔獣が身体を捻った。その勢いだけで、周囲の木々から葉の嵐が押し寄せる。
全員が咄嗟に身を低くした。
「うわっ!」
後ろから悲鳴が上がった。振り返ると、別の冒険者が地面に倒れていた。硬質化した葉を避け切れず、体中のいたるところが切れてしまっていた。
「立てるか!?」
「……無理、だ」
返事が返ってくる。幸いなことに、頑丈な鎧を貫く力はないらしい。命に関わる箇所にはケガを負っていなかった。
胸が締め付けられる。もう何人目だ。戦える人間が、どんどん減っている。
「ラヴィ!」
Bランクの冒険者が叫ぶ。
「これ以上は――」
「分かってる!」
ラヴィさんが怒鳴るように答えた。その顔にも、疲労がはっきりと浮かんでいる。熊の半獣人であるラヴィさんでさえ、肩で大きく息をしていた。
それでも、彼は前を向いている。
「あと少しだ……!」
自分に言い聞かせるような声だった。カラドさんが来れば終わる。彼が来れば、俺たちは戦わなくていい。
だから、それまで耐える。それだけだった。
「グォォォォォッ!!」
気候魔獣が咆哮する。
そして――。
また突っ込んできた。
「構えろ!」
冒険者たちが身構える。俺も剣を構えた。だが、身体が動かない。足が震え、腕にも力が入らない。
周囲を見渡す。満身創痍。立っているだけの人間もいる。武器を杖代わりにしている人もいる。盾を持つ腕を下げたまま、息を切らしている人もいる。
こんな状態で、もう一度あれを受け止めるのか。
「……無理だ」
誰かが呟いた。その言葉を否定する者はいなかった。
俺自身、同じことを考えていた。次の攻撃が来たら、耐えられない。
「……っ!」
片膝をつき、今にも倒れてしまいそうな姿が見えた。
「ラヴィさん!」
俺は叫んだ。この状況で、皆の心の支えである彼が倒れてしまうと、戦闘を続けることが困難になる。だから絶対に、倒れさせるわけにはいかない。
すぐに立ち上がろうとするが、ラヴィさんの腕にはもう力が入っていなかった。
身体を支えるだけで精一杯なのが、見ているだけでも分かる。
「まだ……だ」
荒い息を吐きながら、ラヴィさんが立ち上がる。
「まだ、俺たちは……持ち場を離れるわけには……」
その直後、気候魔獣が咆哮した。
「グォォォォォッ!」
ラヴィさんが身構える。けれど、その腕は震えていた。
無理だ。
このままじゃ、次の攻撃を受けきれない。俺がそう思った瞬間だった。
「……リーセレン」
ラヴィさんが呟いた。俺とリーセレンは、彼を見つめた。
ラヴィさんは、しばらく気候魔獣を睨みつけていた。そして、苦しそうに息を吐く。
「頼む」
リーセレンが目を見開く。
「俺たちじゃ、もう止められない」
ラヴィさんが拳を握る。
「君の力を……貸してくれ」
その言葉に、リーセレンの表情が変わった。
いつもの明るい笑顔はない。
ただ、目の前で限界を迎えている仲間たちを見つめている。
「……分かった。やるよ!」
その言葉には、仲間をこれ以上傷つけたくないという思いが滲んでいた。そして、ぎゅっと杖を握り直した。
その表情から、いつもの明るさは完全に消えていた。リーセレンが一歩前へ出る。
「止める」
「でも、リーセレンまた――」
あの時の様に倒れてしまうのではないか。そう感じていた。この戦いの中で意識を手放してしまえば、どんな危険が襲い掛かるか想像に難くない。
「だから、あたしを守ってね?」
「――わかった」
俺は小さく頷いた。
気候魔獣がこちらへ向かってくる。地面が揺れる。
リーセレンは振り返らなかった。
「ちょっとだけ、頑張るから。ママ、力を貸して……」
彼女が杖を掲げる。
その瞬間だった。
空気が変わる。肌を刺すような冷気が広がる。
「……寒い?」
誰かが呟いた。吐き出した息が白くなる。地面に霜が広がっていく。
気候魔獣が足を踏み出す。
「グォ――」
その足元が、凍った。
パキッ。
小さな音。
「――《冬の檻》!」
次の瞬間。
凍結が一気に広がった。脚から胴体へ。胴体から腕へ。そして、首へ。
「グォォォッ!?」
気候魔獣が暴れる。だが、その身体はもう動かない。巨大な身体が、白い氷に覆われていく。俺はただ、その光景を見つめていた。
数秒後。
気候魔獣は完全に氷の中へ閉じ込められていた。動かない。呼吸すら聞こえない。
「…………」
誰も言葉を発しなかった。ようやく、戦いが止まった。
「……はぁ」
リーセレンが大きく息を吐く。身体がふらりと揺れた。
「リーセレン!」
俺は慌てて駆け寄り、その身体を支えた。
「大丈夫か?」
「……だい、じょうぶ……」
そう言いながらも、リーセレンの瞳は焦点が合っていない。
「あとは任せてくれ」
リーセレンの身体から、完全に力が抜け落ちた。俺は彼女を支えながら、凍りついた気候魔獣を見上げた。
これで時間を稼げる。少なくとも、今すぐ襲われることはない。俺たちは助かった。
そう思った。
――そのとき。
後ろから、足音が聞こえた。
ザッ。
ザッ。
複数ではない。一人だ。
俺たちは一斉にそちらを向いた。この袋小路の出口側。木々の間から、一人の男が姿を現す。見覚えのある顔だった。
「カラドさん……!」
ある冒険者は遂にやってきた希望にすがり、駆け寄っていく。
「……遅すぎるだろ。何人倒れたと思っているんだ」
本人には聞こえないように、悪態をつく者もいた。
彼は、こちらへ歩いてくる。
俺は安堵しかけた。ようやく来た。
これで――。
そう思った。けれど。
歩いてくる彼の表情が、不気味で仕方なかった。




