26.深まる疑念、転
気候魔獣を追い込む作戦は、開始からしばらくの間、大きな破綻もなく進んでいた。
――ただし、それは誰もが余裕を持っていられるという意味ではなかった。
森の中を走りながら、俺は何度も周囲を確認していた。遠くから聞こえる笛の音。それに続く、別の方向からの返答。
冒険者たちは一定の距離を保ちながら気候魔獣を追い立て、進行方向を少しずつ修正している。俺たちも、その流れに合わせて森を進んでいた。
「止まるな! この先だ!」
ラヴィさんの声が飛ぶ。
「気候魔獣が予定より左に寄ってる! 魔法で右側に誘導しろ!」
「了解!」
冒険者たちが一斉に動いた。誰も無駄口を叩かない。先ほどまで聞こえていた会話も、今ではほとんどなかった。
気候魔獣に近づくほど、緊張感は増していく。木々の向こうから響く轟音。大地を踏み砕くような足音。
そして、ときおり飛んでくる赤や黄色の葉。普通の落ち葉ではない。気候魔獣が魔力を込め、硬質化させたものだ。
木の幹すら突き刺さる威力を持つ葉が、風に乗って森の中を飛び交っている。
「来るぞ!」
誰かが叫んだ。
直後、俺の横を一枚の葉が通り抜けた。
――ザシュッ!
背後の木に深々と突き刺さる。
「……あれ、まともに食らったらヤバいね」
リーセレンが表情を引き締める。
「ああ。リーセレンは絶対に近づきすぎるなよ」
俺も盾を握る手に力が入った。
第四班の役割は、第三班から引き継いだ気候魔獣を、最終地点まで気候魔獣を誘導することだ。そこから先はカラドさんに引き渡す。他の班の中でも、比較的近くにいる第三班は援護に来ることができるかもしれないが、序盤の誘導を担当する一、二班は距離の問題から増援は望めない。
「全員、前へ進め!」
ラヴィさんの指示で、隊列が動く。そのときだった。森の奥から、別の音が聞こえた。
――ガサガサッ。
茂みの中を、何かが進んでくる。
「……?」
後ろへ振り向く。
木々の隙間から、二つの赤い光が見えた。
「不死族!」
誰かの叫び声と同時に、クロックウルフが飛び出してきた。腐敗した肉体を持つ狼型の不死族が、俺へと襲いかかる。
噛みつきを盾でいなし、剣を両手で握りクロックウルフを弾き飛ばす。
「飛んでけ!死に損ない狼!」
「――〈凍結〉!」
既に詠唱を完了していた、リーセレンが魔法を放つ。氷漬けにされたクロックウルフは流れ作業で砕かれ、一瞬俺たちの間の空気が緩む。
「止まるな!」
ラヴィさんが叫ぶ。
「気候魔獣が近い!」
倒したクロックウルフを確認している暇もない。俺たちは全体から遅れを取らないよう再び走り出した。
その直後。
背後から、低い唸り声が響いた。
――グルルルル……。
「……まだいる!?」
リーセレンが振り返る。木々の向こうから、三つの頭を持つ巨大な犬が姿を現した。
「ケルベロスだ!」
不死族のケルベロス。
三つの口から腐臭を漂わせながら、巨大な身体を引きずるようにしてこちらへ迫ってくる。
「俺たちが相手をする!二人はそのまま進め!」
名も知らぬ冒険者がケルベロスとの間に割って入る。
「でも氷魔法がないと!」
「そっちの嬢ちゃんは魔法をかなり使ってる。相性が悪いとはいえ、ケルベロスは俺たちでも倒せる。だから早く行け!」
「……わかりました。お願いします!」
数人の冒険者が残った。
「――行こう」
俺はリーセレンの腕を掴み、走りだした。背後から、剣戟とケルベロスの咆哮が響く。
「うぅ……魔力が足りない……! これ以上は、ちょっとヤバいかも……!」
「買っておいた魔力薬を使おう!それで少しはマシになるはずだ」
少しして、前方から笛の音が聞こえた。予定地点が近い。俺たちは森を抜けるように進んだ。
やがて木々が途切れ、その先の地形が見えてくる。
「……着いた」
俺は息を呑んだ。
周囲を高い崖に囲まれた、細長い窪地。入口こそ広いものの、奥へ進めば進むほど逃げ道は限られる。まるで谷底のような袋小路だ。気候魔獣をここまで誘導した時点で、作戦は成功したといってもいいだろう。
同時に――。
一度入り込めば、こちらも簡単には逃げられない。
「奥まで気候魔獣を押し込むんだ!今が正念場だぞ!」
ラヴィさんが仲間を鼓舞しながら、気候魔獣と組み合う。その体には硬質化した落ち葉の切り傷が深く刻まれ、何度も突進を受け止めた腕からは赤い血が滴り落ちていた。
獣化は身体への負担が大きい。ましてや半獣人のラヴィさんは、スキルを使って無理やり発動している。そんな無茶を続けているラヴィの身体が、もう限界に近いことは俺にも分かった。
「ラヴィ!下がれ!それ以上続けると死ぬぞ!」
Bランクの冒険者たちが叫ぶ。彼らも最前線で戦い続け、鎧は所々砕けている。ラヴィさんほどではないが、限界が近づいてきていた。
気候魔獣が身体を大きく震わせた。次の瞬間、その身体から赤や黄色の葉が舞い上がる。
「落ち葉での攻撃だ!伏せろ!」
「リーセレン!後ろに!」
「わかった!」
俺はリーセレンと共に身体を小さく屈め、盾を前に構える。
ひらひらと宙を漂っていたはずの葉は、空中で鋭く回転し――一斉にこちらへと飛来した。魔力によって刃のように硬質化した無数の葉が、風を切り裂き地面や木々へ突き刺さっていく。
「くっ……足が……!」
飛来した葉が俺の左足を掠め、片膝をついてしまう。この状況だ。アドレナリンで痛みはないが、装甲のない所にあたり、血が流れ出ていた。
間髪入れず、気候魔獣が地面を蹴った。巨体が一直線に突っ込んでくる。
「俺が止める!」
ラヴィさんが気候魔獣に向かって突進した。
ぶつかった衝撃で轟音とともに地面が抉れ、土砂が舞い上がった。
「ラヴィさん!」
土煙が徐々に晴れていく。気候魔獣と一人睨み合うラヴィさんは、俺の目から見ても限界だった。果敢にも、自ら攻撃を仕掛けようと駆け出すが、その直後。
気候魔獣の足元から黒い液体が広がった。
「下がれ!」
ラヴィさんが叫び、自らも他の冒険者と同じ位置まで下がる。
液体が触れた地面から、白い煙が上がる。
腐食。
草木が一瞬で崩れ、岩肌すら変色していく。
「なんだよ……これ」
冒険者の顔から血の気が引いた。気候魔獣が咆哮する。崖に囲まれた空間へ、その声が何度も反響した。
俺は辺りを見回した、カラドさんの姿はどこにもない。予定なら、とっくにここへ到着しているはずだった。
「……おかしい」
胸の奥がざわつく。作戦開始前に感じた、あの嫌な感覚。それが今までになく強くなっていた。
「シュンセイ」
リーセレンが小さく呼ぶ。いつもの明るさはない。
「……あの人、本当に来るよね?」
俺は答えられなかった。
その瞬間。
気候魔獣が再び地面を蹴った。
「来るぞ!」
ラヴィさんが叫ぶ。
第四班は逃げ場の少ない窪地で、再び迎え撃つ。
だが――。
カラドさんの姿は、どこにもなかった。
俺には、ラヴィさんの表情から、先ほどまでの余裕が完全に消えているのが分かった




