25.遭遇
森の奥から響いた咆哮に、俺は思わず足を止めた。地面が震えている。遠くにいるはずなのに、その声だけで身体の奥まで揺さぶられるようだった。
「第四班、配置を確認!」
ラヴィの声が飛ぶ。
「最前線は俺が受け持つ! 合図が来たら予定通り動け!」
「了解!」
周囲の冒険者たちが一斉に返事をする。俺も腰に下げた笛を確認した。今回の作戦で、俺たちが担当するのは気候魔獣を倒すことではない。
森の端にある目的地まで、少しずつ追い込むこと。そのために、冒険者たちは迷いの森の広範囲に分かれて配置されている。
第四班の立ち位置は目的地のすぐそば。想定していたよりだいぶ早いが、ここまで誘導されているなら一、二、三班がうまくやってくれたのだろう。
第四班は森の外に気候魔獣を逃さず、目的地まで誘導しなければならない。俺とリーセレンはその中でも後方に位置していた。
「私たち、結構暇じゃない?」
リーセレンが周囲を見渡しながら言う。
「暇なくらいがいいだろ」
「まあ、それもそうだけど」
リーセレンは腰に下げた笛を指で弄ぶ。
「私はてっきり、もっと魔法撃ったりするのかと思ってた」
「俺たちの役目は合図と支援だからな。主戦力が頑張ってる間、俺たちは後ろを崩さないようにする」
「……」
「どうした?」
リーセレンが急にある方向を睨みつけ、護身用のナイフへと手を伸ばす。
直後。
ピィッ!
遠くから笛の音が聞こえた。
顔を上げる。
森の奥から、木々がなぎ倒される音が響いた。
一本。
二本。
次々と木が倒れていく。
「全員、武器を構えろ!」
ラヴィの声と同時に、第四班の精鋭冒険者たちが武器を構えた。
そして――。
木々の隙間から、それが姿を現した。
「……でたな」
口から思わず声が漏れた。
気候魔獣。
全身から異様な魔力を漂わせた巨大な獣が、あの時と同じ姿で森を踏み荒らしながらこちらへ向かってくる。
キリンのような背格好をしているが体毛は赤く、下半身が木の幹のように太い。身体中に赤い葉をまとわりつけ、漂わせていた。
気候魔獣の周辺にある木が果物を実らせ、腐らせ、枯れていく。それが近づくだけで、植物の栄枯盛衰が終わる。
「来たぞ!」
「魔法使いたちは準備してくれ!」
ラヴィさんの指示が飛ぶ。
気候魔獣がこちらに気づいた。
巨体が僅かに沈む。
次の瞬間、大地を蹴った。
「撃て!」
「〈火炎〉!!!」「〈稲妻〉!」「〈滝〉」「〈氷柱〉!」
ラヴィさんの声と同時に、第四班の魔法使いたちが一斉に魔法を放つ。轟音が響き、爆炎と土煙が視界を覆った。
「どうだ……!」
誰かが呟いた。
しかし――
土煙の向こうから、巨大な影が現れる。すべての魔法が直撃しても、気候魔獣は止まらなかった。
「チッ……やはりそうなるか。全員、散れ!俺が止める!」
身体にはいくつもの傷が刻まれている。だが、それだけだ。魔法を受けても、怯むどころか勢いを増してこちらへ迫ってくる。
ラヴィさんが一歩前へ出た。その身体から、今までとは比べ物にならないほどの気配が溢れ出す。
「《先祖返り》!覚醒!」
冒険者たちが息を呑む。
ラヴィさんの身体が大きく膨れ上がった。体高は2mを優に超え、毛が全身を覆い、腕が太くなる。指先から鋭い爪が伸び、顔つきさえも半獣人のそれから獣人の物へと変わっていく。
「獣化……!」
誰かが叫んだ。
それは純血の獣人だけが持つ、本来の力を解放するための奥の手。
そして数秒後。そこに立っていたのは、巨大な一頭の熊だった。
「グルルル……」
ラヴィさんが低く唸る。
次の瞬間、気候魔獣が突っ込んできた。
「グオオオオオッ!!」
獣となったラヴィさんも真正面から駆け出す。大地を揺らすほどの衝突音。二体の巨体がぶつかり合い、周囲の木々が大きく揺れた。
「押してる……!」
ラヴィさんが魔獣の突進を真正面から受け止めている。
「今だ! 全員、動け!」
その咆哮に呼応するように、第四班が一斉に動き出した。
「魔法は足だ!足を狙え!」
「前衛は左右から回り込め!」
「森の端まで押し込むぞ!」
魔法が飛び交い、冒険者たちが次々と配置につく。
ラヴィさんが応戦している間に、第四班は気候魔獣を少しずつ森の南へと追い込んでいく。冒険者たちが声を掛け合う。気候魔獣が方向を変える。
俺はその様子を見ながら、周囲を警戒していた。気候魔獣ばかりに注意を向けてはいけない。
この森には、それ以外の魔物もいる。
正常な魔物なら、危険な気配を放つ気候魔獣のそばにはまず近寄らない。だが現在、迷いの森にはそんなことはお構いなしに人へよって来る魔物がいた。
今回の作戦では、それらが冒険者たちの邪魔をしないことも重要だった。
「……ん?」
ふと、足元の落ち葉に目を向けた。何かがおかしい。
「どうしたの?」
リーセレンが尋ねる。
「いや……」
顔を上げた。静かだった。
さっきまで聞こえていた遠くの戦闘音すら、少しだけ遠く感じる。
そして――。
森の奥から、枝を踏み折る音がした。
パキッ。
「……何かいるぞ」
近くにいた冒険者が声をかける。その一言で、俺たちも警戒態勢に入った。
パキッ。
今度は、すぐ近くだった。
「『鋼鉄の身体』〈硬化〉」
魔法使いの一人が、音のなった場所から一番近くにいた俺に強化魔法をかける。
冒険者たちが武器を構えた。
次の瞬間。
木々の間から、一匹の狼が飛び出した。
「クロックウルフ!」
誰かが叫ぶ。狼は真っ直ぐこっちへ跳びかかってきた。
「くッ――!」
噛みつきに来た長い牙を、なんとか盾ではじき返す。
態勢を整えてその姿を見た瞬間、違和感を覚えた。身体の一部が黒く変色している。
毛並みはところどころ抜け落ち、傷口からは血ではなく黒い液体のようなものが滲んでいた。
目もおかしい。生き物の目ではなかった。
「……不死族!」
リーセレンが疑惑を確証に変えた。
その時、別の茂みに隠れていたもう一頭のクロックウルフがリーセレンに跳びかかった。
「うそッ――!」
「リーセレン!」
俺は腕を伸ばす。
間に合わない。
そう思った瞬間――。
ガキィン!
金属音が響いた。
クロックウルフの牙が、一本のナイフによって受け止められていた。
「下がれ!」
男の声。
俺は目を見開いた。
「ヴァレン!」
そこにいたのはヴァレンだった。
「シュンセイ、リーセレンちゃんを後ろへ!」
「お前いつの間に……」
「早く!」
ヴァレンがナイフを振り抜く。クロックウルフが吹き飛ばされた。しかし、地面に転がった狼はすぐに起き上がる。
その隙にリーセレンを連れて後ろへ下がった。
「やっぱ、不死族はタフだな」
ヴァレンが構え直す。クロックウルフが唸り声を上げた。
そして再び飛びかかる。
ヴァレンはその攻撃を受け流し、クロックウルフの目にナイフを正確に突き刺した。
「これは効くだろ!」
狼の身体から黒い液体が飛び散る。
ヴァレンの想定通り、片目を潰されたクロックウルフは距離感がつかめず、噛みつきの牙が空を切るようになった。
劣勢になった仲間を助けるためか、俺を襲ったクロックウルフが標的を変え、ヴァレンの方へ向けて突進していく。
「シュンセイ!」
「分かってる!」
その一言で、俺はヴァレンと突進してくるクロックウルフの間へと駆け出す。
「[シールドバッシュ]!」
その突進は向かってくるクロックウルフを吹き飛ばすが、またすぐに態勢を直して跳びかかってきた。
他の冒険者たちも武器を構え、二人を援護する。
「『太陽』『焚火』〈火球〉!」
一人の冒険者が魔法を放つ。火球が狼を包み込んだ。
しかし、炎の中からピンピンした様子でクロックウルフが跳び出してくる。
「なに!?」
魔法を放った冒険者は驚いた様子で、後方へと下がる。
「不死族に氷以外の魔法は効かない!リーセレン!」
「任せて!『北からの風』『一面の雪』『凍った港』〈凍結〉!」
魔法をまともに食らったクロックウルフたちは凍り付き、動かぬ氷像と化した。
剣の柄で氷の塊を叩くと、粉々に砕け散る。そこに生物の形はなく、氷の結晶だけが残った。
バラバラになった氷を見届けた冒険者たちはより一層周囲への警戒を強め、辺りを見回し始めた。
「助かったよ、ヴァレン」
「礼はいいって」
ヴァレンは笑った。
「お前らが死んだら、作戦成功した後の酒が不味くなっちまうからな」
「それでも、ありがとう」
リーセレンも笑う。
「ヴァレンさんが来てくれなかったら、私やばかったかも」
「気にすんな」
ヴァレンはそう言って、リーセレンの頭を軽く小突いた。
「死ぬなよ」
「わかってるよ」
「ああ」
その時。
再び、森の奥から笛の音が聞こえた。
ピィッ!
全員がそちらを見る。
「気候魔獣が動いたぞ!」
ラヴィさんが叫ぶ。
「第四班も予定位置まで移動する!」
冒険者たちが一斉に走り出した。
俺もその後を追う。ヴァレンも隣を走っている。
何気なく、その横顔を見た。
「……なあ、ヴァレン」
「なんだ?」
「さっき、どうしてこっちに?」
「ん?」
ヴァレンは少しだけ笑った。
「たまたまだよ。近くにいたからな」
「そっか」
俺はそれ以上聞かなかった。森の奥では、まだ戦いが続いている。
気候魔獣を追い込むための作戦は、順調に進んでいた。
少なくとも――。
この時の俺たちは、そう思っていた。




