29.季節は《春》
「……ッ来るぞ!」
ラヴィさんの声に、動ける冒険者たちが一斉に身構える。
けれど、俺は動けなかった。動けるはずがない。俺には、もう片腕しか残っていない。
さっきカラドに斬り落とされた右腕。そこから流れ続けていた血で、身体はすでに力を失っていた。
「――っ!」
黒狼が地面へ着地する。大地が震え、土が爆ぜた。
「うわぁっ!」
「散れ!」
「逃げろ!」
冒険者たちが慌てて左右へ飛び退く。その中の一人へ、黒狼が狙いを定めた。
「な――」
巨大な前脚が振り下ろされる。
「ぐあっ!」
男の身体が地面へ叩きつけられた。
動かない。
「…………」
地に伏せたまま、仲間が傷つく光景をただ見ていた。
何もできない。剣を握ることすらできない。どうにか立ち上がろうと力を入れるが、身体が言うことを聞かなかった。
「誰か、あいつを止めろ!」
別の冒険者が叫ぶ。
錯乱した冒険者が唯一の出口である黒狼の横を通り抜けようとする。だが無情にも、決死の脱出は失敗に終わる。
「くそっ……!」
黒狼が身体を捻る。その長い尾が冒険者たちを薙ぎ払った。
「ぐあっ!」
「うわぁぁ!」
何人もの身体が吹き飛んでいく。
「…………」
まただ。また、誰かが倒れた。助けなきゃ、そう思っているのに足が動かない。俺にはもう、戦うための身体すら残っていない。
しょうがないよな。俺の力じゃどうにもならない。この短い一か月でこの世界について多くの事を学んだ。鍛えた。経験した。けど、足りなかった。また、俺は助けられなかった。
助けることが出来たかもしれない――違う。俺には何もできなかった。助ける力がなかった。
そう思わなければ、きっと正気を失ってしまう。あの光景が、何度でも蘇ってしまう。
そのとき。
「おい!」
誰かが俺の肩を掴んだ。
「……え?」
振り向く。
名前までは知らない。けれど、顔には見覚えがある。第四班の一員だということだけは知っていた。
「腕、見せろ!」
「いや……俺は……」
「いいから!」
男は腰に下げていた回復薬を取り出すと、俺の左腕があった場所へと振りかけた。
「――ッ!」
傷口に薬が触れた瞬間、焼けるような痛みが走った。
「ぐ……っ!」
「我慢しろ!」
男は瓶を使い切るまで回復薬を傷口へかけ続ける。やがて、流れ続けていた血が、少しずつ止まっていった。
「……はぁ……」
息を吐く。なくなった腕が戻ることはない。傷口が完全に塞がったわけでもない。ただ、出血は止まった。
「これで少しは持つ」
男が言う。
「でも、無理に動くな。死ぬぞ」
「……あなたは……」
俺が尋ねるより先に、男は黒狼へ振り返った。
「俺は前に出る。お前は下がってろ!」
「待って……!」
男は走り出した。
「――おおおおっ!」
剣を振り上げ、黒狼へ斬りかかる。黒狼が振り向く。
爪が振るわれた。
「――ぐあっ!」
男の身体が吹き飛ぶ。
「…………」
俺は何もできなかった。助けてもらった。それなのに、その人を助けることすらできない。
男は地面へ転がったまま動かなかった。
「……くそ……ッ!」
唇を噛む。
何もできない自分が、どうしようもなく情けない。悔しい。それと同時に、どうしようもなく怖い。次にああなるのは俺だ。
そんな俺の前へ、ラヴィさんが立った。
「シュンセイ」
「ラヴィさん……」
身体中傷だらけで、呼吸のたびに身体が大きく揺れていた。それでもその目だけは、諦めているようには見えなかった。
「お前はもう十分やった」
「俺は何も――」
「そうじゃない」
ラヴィさんがこちらを見る。
「生き残れ。それだけでいい」
そう言って、ラヴィさんは黒狼へ向かって走った。
「ラヴィさん!」
黒狼の顔に飛びつき、その目に鋭い爪を向けた。
「うおおおおおっ!」
黒狼の目に、ラヴィさんの爪が食い込む。不死族となっても、視界は目に頼っているらしい。真っ先にラヴィさんを振り払った。
今度はわずかに、黒狼の身体から液体が流れた。
「効いてる……!」
誰かが叫ぶ。
「いけるぞ!」
ラヴィさんがさらに踏み込む。
執拗に目を狙う。あれが人間だったなら、頭部は砕け散っていただろう。身体が限界を迎えているとは思えないほどの猛攻だった。
けれど。
黒狼は倒れない。
「グルル……」
むしろ、怒りをあらわにしていた。
「――っ!」
黒狼がラヴィさんへ飛びかかった。
「ぐっ……!」
爪を受け止める。しかし、身体が徐々に押し込まれていく。
「ラヴィさん!」
「まだ……だ!」
ラヴィさんが歯を食いしばる。
「俺は……第四班のリーダーだ!」
「仲間のために……後ろへ通すわけには……いかない!」
黒狼が咆哮した。
「グルァァァァッ!」
ラヴィさんの身体が大きく弾き飛ばされた。
「――ラヴィさん!」
地面を転がり、木の幹へ激突する。
ラヴィさんは立ち上がろうとした。何度も腕に力を込めている。けれど、身体が起き上がらない。
周囲を見渡す。立っている冒険者は、もうほとんどいない。誰もが傷つき、疲れ果てている。気候魔獣を追い込むはずだった。俺たちは、そのためにここへ来た。
なのに。
気がつけば、俺たち自身が追い込まれている。援軍は来ない。カラドとヴァレンは裏切った。リーセレンは連れ去られた。ラヴィさんも倒れた。
そして今。
俺たちを追い詰めているのは――。
目の前の黒狼。ただのクロックウルフじゃない。迷いの森に君臨する、クロックウルフの親玉。それが今――不死族へと変えられている。
「……こんなの……」
俺は震える左手で剣を握った。けれど、まともに立つことすらできない。片腕を失った俺に、何ができる。
俺には戦う力がない。
何もできない。リーセレンも守れなかった。ラヴィさんも守れなかった。目の前の人たちすら守れない。悔しい。悔しくて、涙が出そうになる。
「何か……ないのか……」
どうしようもなくなった時。その時の為にスキル枠は一つ残してある。だけど、それだけでこの状況を打開できるスキルは思い当たらない。
「もう……どうにでもなれ」
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保有スキル 《疾走Lv.5》《潜伏Lv.1》《翻訳》《剣術Lv.1》[袈裟切り]《盾術Lv.2》[シールドバッシュ]《持久力成長Lv.7》《季節の種》
保有可能スキル 《観察》《連撃》《目利き》 《追跡》 《槍術》 《気配察知》 《瞑想》 《精神耐性》 《集中》 《緊急回避》 《運搬》 《計算》 《筋力成長》 ……
スキル枠 7
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《季節の種》それ自体には何の恩恵もないが、季節スキルを発現する人間の大半は持っているという。もし季節スキルが、これがあるために生まれるのだとしたら……。
その瞬間。
胸の奥で。
ドクン、と何かが鳴った。心臓とは違う。もっと深いところ。身体の奥底に埋め込まれた何かが、目を覚ました。
熱い。
だけど、炎のような熱さじゃない。春の日差しを浴びた土のような。冬の終わりに、地面の下で芽が動き出すような。
そんな感覚だった。
「……なんだ、これ……」
知らないはずの力。なのに、なぜか理解できる。それは――俺の中にある《春》の力。《春》は「始まり」と「継続」の力を持つ。
始まりとは、何もないところから何かを生み出すことだけじゃない。
あるべきものが。あるべき姿へ戻ること。終わりによって歪んだものを。
もう一度、その始まりへ戻すこと。
「……《戻れ》」
無意識に、言葉が漏れた。
黒狼が飛びかかってくる。
俺は逃げなかった。
逃げられなかった。
ただ、左手を黒狼へ向ける。
「グルッ……!?」
僅かに、不死族化した肉体が生命の輝きを取り戻す。困惑した黒狼は急に足を止めた。
胸の奥から、何かが溢れ出す。
「《回帰》」
瞬間。
淡い光が、俺の手から放たれた。
「――グルァァッ!?」
黒狼が初めて怯えた。光がその身体へ触れる。
腐敗していた肉と濁っていた瞳。不死族として歪められていた身体が。少しずつ、元の姿へ戻っていく。
これが、俺の季節スキル。初めて使ったからなのか。それとも、俺自身がまだ使いこなせていないからなのか、分からない。ただ――。
黒狼を倒すことはできなかった。代わりに。黒狼を、不死族になる前の姿へ戻すことができた。
やがて光が消える。
目の前には、一頭の巨大な黒狼。さっきまでの禍々しい気配は消えていた。
「……戻った……?」
黒狼が、ゆっくりと俺を見る。濁っていた瞳は、澄んでいた。
そして。
『……お前か、我を蘇らせたのは……』
「……え?」
声は聞こえていない。
なのに、頭の中へ直接言葉が響いた。
『一度、見たことがある』
俺は目を見開いた。
「ああ……あの時の」
以前、森で出会った黒狼。間違いない。
『礼を言おう。我には、死んでも守らなければいけない使命がある』
黒狼が立ち上がる。その巨体に、周囲の冒険者たちが息を呑む。けれど、もう敵意はなかった。
黒狼が森の奥へ駆け出す。その視線が一瞬、南の方を向いた。森の奥へ消え去る直前、木々の間で一度だけ振り返る。
『嵐が来る』
そう言い残し。黒狼は、森の奥へと消えていった。
「…………」
胸の奥には、確かに何かが残っていた。小さな種のような感覚。
それはまだ芽吹いたばかりで。
俺自身でさえ、その先に何があるのか分からなかった。




