死線上の問答——「戦国とは何か」
炎に包まれた上原城の広庭。
敗北の煙が立ち込める中、その中央に陣取る男がいた。
甲斐の虎・武田信玄。そしてその傍らに控え、冷徹な隻眼でこちらを値踏みするように見つめる軍師・山本勘助。
「ほう……これが、諏訪の若殿か」
信玄の低く、地鳴りのような声が響く。
父の死体、血に染まった庭、その中で膝をつく俺の前に、信玄はゆっくりと歩み寄り、巨体をかがめた。
必死に築いた富国強兵も、シカのネットワークも、すべてはこの男の圧倒的な掌の上で粉々に砕かれたのだ。
「お前の軍勢が使っていた、あの神出鬼没の伝令の術……。そして、わずか数年のうちに整えられたあの見事な兵糧の備蓄と水路の網。……わずか数えのガキが、一朝一夕で成せる業ではないな。お前は何者だ?」
信玄の瞳には、怒りではなく、底知れない興味と、恐ろしいほどの政治的・戦略的な値踏みが宿っていた。
一歩間違えば、その場で首を刎ねられる。
しかし、俺の心は不思議なほど冷めきっていた。絶望の底で姉の言葉を貰い、これまでの短い日々で出会った人々や、必死に汗を流した領民たちの顔が脳裏をよぎる。恐怖はもうなかった。
俺は血にまみれた顔を上げ、正面から信玄の目を据えて言い放った。
「……ただの敗者だ。そして、お前は勝者で、俺たちのすべてを奪った。それ以上でも以下でもない」
俺の真っ直ぐな、しかし底冷えするような物言いに対し、信玄は不敵に片眉を上げる。
傍らで山本勘助が面白そうに目を細めた。
「ふむ。若殿、恨み言か?」
「違う」
俺は地面に這いつくばったまま、ぎりっと拳を握りしめた。
「お前たちが起こしたこの戦はなんだ。略奪し、焼き払い、数え切れない命を踏みにじっていく……そんなものは、ただの人殺しの連鎖だ!」
俺の叫びに対し、信玄は悠然と立ち上がり、冷徹な事実を突きつけるように言い放った。
「――人の営みの一つだ。
天下を治め、国を広げ、次の代へ繋ぐためのな。強者が弱者を食らうのは、天の摂理に過ぎぬ」
「ふざけるな……!」
俺は血走り、熱を帯びた瞳で信玄を睨みつけた。
「人間の営みに、こんなにも多くの理不尽な死があってたまるか!
懸命に働き、家族を愛し、明日を生きようとした人々が、お前たちの勝手な都合で、なぜ無駄死にしなきゃならないんだ!」
信玄は冷ややかに鼻で笑った。
「綺麗事を抜かすな。それが乱世だ。
生と死の価値を決めるのは、いつの時代も――勝者のみだ。 力なき者が散るに、理由などいらん」
その言葉に、俺の胸の奥で何かが激しく沸騰した。
そうだ、この男の言う通りだ。今までも、これからも、歴史は勝者の都合だけで塗り潰されていく。敗者は声を奪われ、ただ踏み潰されるだけの存在として歴史の闇に消えていく。
だが、だからこそ――。
「――違う!」
俺は声を張り上げ、まっすぐに信玄を見据えた。
「決めるのは、勝者なんかじゃない。……血を流す、敗者であるべきだ。
理不尽に踏みにじられ、すべてを奪われた者たちが、ただ泣き寝入りして消えていくものか。敗者であっても、泥を這いずりながら生き残り、お前たち勝者の敷いたレールを根底からひっくり返してやる!」
「ほう……?」
信玄の眼光がわずかに鋭くなった。
勘助が杖をつきながら一歩前に出、値踏みするように冷たく言い放つ。
「大言壮語を。……敗者であるお前に、何がなせるというのだ? 命一つ救えぬガキが、一体何を為す気だ?」
問答の空気が極限まで張り詰めた。
その問いに対し、俺の脳裏には、あの霧深き諏訪の景色と、温もりをくれた姉の笑顔、そして共に駆けたシカの姿が鮮烈に蘇っていた。
一期一会。人々との繋がり。自分がエンジニアとして、そして諏訪の若殿として生きてきたすべての経験が、一つの確信へと収束していく。
俺は恐怖を完全に消し去り、静かに、しかし誰にも揺るがせない覚悟を込めて言い放った。
「……お前たち勝者がどれほど世界を力でねじ伏せようとも、俺は、この手で裏の繋がりを紡ぐ。
国を追われた者、理不尽に死を強いられた者、すべての敗者と技術者を拾い上げ、お前たちの目が届かない影のネットワークで結びつけてやる。
――お前も、この国も、時代も、俺がすべて変えてやる!」
その言葉の響きには、ただの負け惜しみではない、圧倒的な執念と、未来をデザインする「設計者」としての狂気が宿っていた。
静寂が場を支配したあと――。
「……っは、ははははは!」
山本勘助が、腹の底から湧き出るような狂気じみた笑い声を上げた。
勘助は片目を細め、信玄のほうをチラリと見てから、俺の前にしゃがみ込む。
「面白い……! 面白いぞ、殿! こいつはただの敗残のガキではない。我が武田の脅威になるどころか……この乱世の構造そのものを食い破る、『特異点』になり得る男だ!」
信玄もまた、腕を組み、満足げな笑みを浮かべてうなずいた。
「首を刎ねるには、惜しいな。……お前のその不敵な目、そしてこの期に及んで天下を書き換えると言い放ったその度胸、気に入った」
その日から、俺の本当の戦いが始まった。
武田の懐、山本勘助の義理の息子という仮面の下で、俺は歯を食いしばりながら力を蓄え、影のネットワークの礎を築いていく。
数十年後の未来。
豊臣から徳川へ続く平和のロードマップを完成させ、すべての因縁を終わらせるために自ら「本能寺の変」のトリガーを引く日まで、寅王丸改め――諏訪信供の暗躍は続くのだった。




