第84話 世界の初日
輸送機の扉が開いたとき、沢渡夕奈は左スティックを普段より強く押し込んだ。
選手ブースは冷えている。唇はラスベガスへ着いてからずっと乾いている。それなのに、コントローラーを握る手の内側だけが熱かった。壁の向こうの歓声は、ヘッドセットで音を切っても机から肘へ上がってくる。
昨日までは公式練習だった。今日から、倒れた順位も1キルも、世界大会の結果になる。
「前、問題ありません」
早坂航平の声が入る。普段よりマイクが近く、息の音まで聞こえた。
「俺も行ける」
久我遥真が続く。
夕奈は南東の倉庫区画にピンを置いた。
「行きましょう」
三つの軌道が地上へ伸びた。
第一試合。武器は揃った。問題は、その次だった。
ラウンド2の収縮は北寄り。近いサービス路を抜ければ中央の建物へ届く。遠い西の水路へ回れば遅れる。
「北、戦闘終了。一部隊落ちています」
航平がキルログを読む。
遥真はサービス路の入口に照準を置いた。
「前、まだいない。渡れる」
「勝った部隊は?」
「車両音が一つ。北へもう一部隊来るかもしれません」
夕奈は人数、窓、道路の順に見た。見終えたとき、遥真のキャラクターは入口へ半歩出ている。
「北を使います。接触したら西へ」
三人が倉庫を離れた直後、白銀の競技スキンがサービス路を横切った。NEXORA。先頭のJINが移動ウルトを起動し、後ろの二人は加速が切れる前に左右へ開く。追う銃口を止めながら先頭を中央の建物へ入れ、その射線を渡って二人も消えた。
「取られました」
「西へ変えます」
切り替えは遅くないと思った。水路の入口へ着くまでは。
取水ポンプ台に、もう別の三人がいた。
正面から弾が飛び、背後からはサービス路を抜けた部隊が寄る。横倒しの輸送車へ三人で伏せたが、車体は片側の弾しか止めない。夕奈が右へ寄れば左から、左へ寄れば右から体力が減った。
「前、一人下げる」
遥真が撃つ。
「後ろ三人です。もう近い」
航平の声に夕奈は戻ろうとした。スティックを倒した先にも射線があった。航平が最初にダウンし、遥真も二方向から削られる。夕奈の画面は、伏せていた輸送車を半分映したまま暗くなった。
十八位、0pt。
「北を選ぶのが遅かったです」
「選んだときは空いていました」
航平がサービス路の時刻を開きかける。次のロビーへの転送通知が重なり、リザルトごと閉じた。
「あとで見ます」
夕奈は答えず、入力確認へ戻った。右手の爪が人差し指の腹に食い込んでいた。
次のロビーは、爪の跡が消える前に開いた。
二試合目、NOVA-3は世界大会で初めて一部隊を倒した。
味方から離れた先頭を遥真が止め、夕奈が横へ回り、航平が残り二人の帰りを切った。三つ目のダウンが出た瞬間、航平の声が一音だけ高くなる。
「取りましたね」
「ハル、世界でも普通に当てますね」
「いつもと同じ」
遥真の返事が終わる前に、建物の外で重い着地音が三つ鳴った。
BLACK CIRCUITはデスボックスへ寄らなかった。正面扉、裏口、二階窓へ一人ずつ広がる。航平は接近前の車両音を拾っていたが、三人が弾と回復を取ったときには出口が全部、別々の銃口になっていた。
最初の射撃で遥真がダウンし、そのまま完全脱落まで取られる。武器もヘビーシールドも、敵が見ている箱に残った。
「起こしに行けません。ウルトで戻します」
航平の蘇生ウルトがREADYになっていた。遥真のキャラクターが航平の横へ戻る。
「戻った。でも、何もない」
基礎体力だけ。夕奈は予備の武器を落とした。拾う動作の最中にも、敵の足音は三方向から近づく。
「こっち、弾が一マガジンしかありません」
「それでいい」
「よくないです」
裏口から収縮外へ押し出され、武器のない遥真から倒れた。航平、夕奈の順に画面が暗くなる。
十二位、3キル。4pt。
ロビーへ戻ると、遥真は右手を開閉した。夕奈が落とした武器を拾おうとして、いつもと違うボタンを一度押していたらしい。
「戻ったのに、何もできなかった」
「戻す場所まで塞がれていました」
航平が言う。言い訳ではない。慰めにも聞こえなかった。
二人の返事を待たず、三試合目の降下航路が画面に出た。
三試合目、夕奈は先に入ることだけを選んだ。
遥真が「一人遅れてる」と言っても撃たせなかった。目の前に背中が出ても、次の建物へピンを置く。キル表示は増えないまま、三人生存でラウンド5へ入った。
「残れてます」
航平の言葉に、夕奈は頷きかけた。ヘッドセット越しには見えない。
最後の移動先は橋の向こうだった。JADE VECTORの緑金の競技スキンが、橋上と橋脚脇に分かれて進路を押さえている。
「上、二秒止める」
遥真が撃つ。夕奈と航平は次の遮蔽へ届いた。最後に動いた遥真へ、橋上と橋脚脇の二方向から弾が重なる。
「ハル、右へ」
「右もいる」
遥真のシールドが割れ、その場でダウンした。夕奈が一歩戻ると、橋上の弾が足元へ入る。
「戻れません」
航平に言われる前から分かっていた。それでも夕奈の左スティックは、遥真の方へ少しだけ倒れた。起こしに行けず、二人で先の遮蔽へ伏せる。次の収縮でそこも外れた。
六位、0キル。3pt。
三試合合計は7pt。
「三人で残るって言いました」
敗退画面を閉じたあと、夕奈は言った。
「残るために撃った」
遥真の声は怒っていない。その方が夕奈には痛かった。
「私が撃たせませんでした」
「うん」
航平がボトルを開けようとして、キャップを一度落とした。透明な床を転がる音が、次の接続音より大きく聞こえた。
◇
第四試合前の暫定順位は十八位。十位との差は七ポイントだった。
上位にGRAVENOR Esportsがいる。夕奈は昨日のノアを思い出した。全部は見ない。二人が先に動く。ただし、その日本語は通訳が一度言い直し、VIKとMILOは横から別々のことを言っていた。
正解として覚えたはずではない。それでも、遅れている数字を見ると、都合のいいところだけが頭に残った。
ラウンド3。防砂壁にLUMENFANGの一人がいる。残り二人は少し前まで北の観測小屋にいた。
「前、一人。ヘビー。残り十二発」
遥真が撃つ。
「割った。落とすなら次はリロード」
敵は壁裏へ下がった。増援はまだ見えない。
「行きます。右から」
「待ってください。俺、回復が――」
航平の声は聞こえていた。直前の移動で、航平のシールドは半分近く削れている。
止まれば敵が合流する。夕奈はそう考え、返事をしなかった。
「ハル、先に。私が合わせます」
「行く」
遥真も航平の声を聞いていた。それでも二人で前へ出た。
航平は防砂壁の手前でシールドパックを使い始める。夕奈と遥真までは数秒分の距離が開いた。
遥真の最後の連射で、一人をダウン。夕奈が確定を取る。北の観測小屋で二つの窓が同時に開いた。
「残り二人、両方見ています」
弾着が航平の報告へ重なる。夕奈のシールドが割れた。目の前のデスボックスからヘビーシールドへ替え、最初の一発だけ耐える。
遥真はリロード中。航平は回復を中断させられた。背後にも別部隊が入り、航平のスモークは三人の間に広がっただけで、戻る道までは届かない。
遥真が先に倒れた。夕奈は起こしへ寄れず、航平も投げ物に押し出される。
十六位、1キル。1pt。
夕奈はヘッドセットの内側で、自分の呼吸を三回聞いた。
「航平さんの声は聞こえていました」
「はい」
「俺も」
遥真が続ける。
「落とせると思った」
「一人は落とせました」
航平の声は穏やかだった。
「それで三人とも早く終わりました」
夕奈は謝ろうとした。次の試合のカウントが始まり、言葉が喉に残った。
その言葉を出せないまま、三人は最後の輸送機に乗った。
初日最後の第五試合。三人の声は、試合開始から噛み合わなかった。
「西、一人」
航平が言う。
「二人いる」
遥真が同時に言った。
「どちらですか」
「今見えるのは一人です。二人目は足音だけ」
「じゃあ二人」
夕奈が迷った間に、敵の初弾が壁へ入った。三人は予定より一つ手前の建物へ引く。そこは次の収縮で外れる場所だった。
ラウンド3では、移動中の二人を見つけた。夕奈が「待って」と言うより先に、遥真が一人を割る。航平は後方に別の足音を拾い、そちらへピンを置いた。
「後ろも来ます。取るなら今だけです」
今度は航平が、戦う時間まで決めた。
夕奈は一拍遅れて前へ出る。遥真が一人目を倒し、夕奈と航平で二人目を落とした。追えば最後の一人にも届いたが、背後の投げ物が道路で爆発し、選ぶ前に三人とも走らされた。
2キル。倒したから離れたのではない。離れなければ焼かれていた。
終盤、NOVA-3は八部隊まで残った。高所へ移る途中、航平が「左は薄い」と言い、夕奈は右の銃声に気を取られて返事を遅らせた。遥真が先に左へ出る。
「今なら行ける」
「待って、まだ三人――」
夕奈と航平が追いついたときには、高所の別角度から弾が来ていた。遥真が一人を下げる。夕奈も撃ち返す。航平は二人の背後へ煙を落としたが、次の遮蔽まで半分しか隠れない。
三人は同じ岩へ届かず、夕奈と航平、遥真で別の窪みに分かれた。そこへ二部隊が左右から寄る。
八位、2キル。4pt。
最後の画面が暗くなると、夕奈の肩が急に重くなった。初日五試合、合計12pt。暫定十六位。通過圏の十位は19ptで、差は七ポイントだった。
取り返せる差だと考えた直後、また明日も五試合あることを体が先に嫌がった。首を回すと、ヘッドセットの跡に指が当たって痛い。
◇
控室で、夕奈は第一試合の録画を開いた。サービス路が埋まった秒数を比べようとしたが、カーソルが狙った位置に止まらない。指先の汗を服で拭いて、もう一度戻す。
「最初から全部は見ません」
航平が隣の椅子へ座った。声は普段より低い。
「でも、ここは確認しないと」
「今日、俺が止めたところも見てください」
第四試合の防砂壁。航平の『待ってください』の途中で、夕奈と遥真は走り出している。
「聞こえていました」
夕奈が言う。
「聞こえた上で、私が行きました」
「俺も行った」
向かいの遥真が答えた。
「夕奈が言ったからだけじゃない。落とせると思ったから」
航平は二人を順に見た。
「じゃあ次、俺が止めたら止まるんですか」
夕奈はすぐに答えられなかった。遥真も黙った。
毎回止まれば間に合わない。止まらなければ、今日と同じことになる。その間を、ノアの言葉一つでは埋められなかった。
「今日は、もう映像を閉じませんか」
航平が言った。
「時間はあります」
「俺の耳が、もう同じ銃声を分けられません」
航平は自分の水を飲み、空になったことに気づいてボトルを振った。遥真は右手首を左手でつかみ、夕奈は赤くなった親指の付け根を隠すように握った。
しばらくして、遥真が言う。
「腹、減った」
夕奈は笑えなかった。航平も笑わず、端末だけを伏せた。
「俺もです。何か食べて、明日の朝もう一回見ましょう」
「朝なら分かるんですか」
「分からないかもしれません。でも今の俺たちよりは、ましです」
夕奈は再生中の映像を止めた。停止位置は、航平の声が入る一秒前だった。
遥真が先に立ち、ドアを開ける。勢いよく戻った扉が、後ろから来た航平の肩に当たった。
「押さえてくださいよ」
「来てると思わなかった」
「腹減ったって言った人が一番速いんですね」
夕奈は二人のあとへ続いた。廊下へ出た途端、自分の腹も小さく鳴った。航平は聞こえないふりをして、売店の案内を探した。




