第83話 NOAH
公式練習マッチの開始まで、あと三分。沢渡夕奈は入力確認を終え、画面に並ぶ参加チームの名前を見た。
TIERAX。
NEXORA。
BLACK CIRCUIT。
そして、GRAVENOR Esports。
選手欄の中央にNOAH。その左右には、MILOとVIKのプレイヤーIDが並んでいた。
試合前の公式プレイヤーカードには、三人が選んだバッジも表示されている。NOAHは過去ランクシーズンを上位十位以内で終えたグリムリーパーバッジ。前へ出るVIKは、一試合十五キルのキルストームバッジ。外角から射線を重ね続けるMILOは、四千ダメージのデストロイヤバッジを装備していた。
どれも公開された過去の実績で、今日の勝敗を保証するものではない。試合が始まれば敵の頭上にバッジは出ず、位置もプレイヤーIDも教えてはくれない。
昨夜、遥真は「一本だけ」と言った映像を二本目の途中まで見た。航平は一度目の巻き戻しで自室へ戻り、夕奈も止めなかった。朝食の席でノアの名を出したのは遥真だけで、夕奈は返事をしないままコーヒーを冷ました。
今は巻き戻せない。同じ試合の中で見つけても、三人が同じものを見るとは限らなかった。
「音声、問題ないですか」
早坂航平の声がヘッドセットから入った。
「聞こえます」
「俺も大丈夫です。ハルは?」
「聞こえる」
久我遥真のキャラクターが、待機場所で一度しゃがんだ。夕奈も同じ操作を返す。
勝敗もキル数も、グループステージの成績には入らない。機材や接続、本番の動線を確認するための公式練習マッチである。
それでも参加する二十チームには、確認だけで終わらせるつもりはないようだった。
「GRAVENORだけを見ないようにしましょう」
夕奈は言った。
「向こうを探して動いたら、私たちの試合ができなくなります」
「了解です。降下地点と周辺を優先します」
「見つけたら?」
遥真が尋ねる。
「必要なら戦います。でも、追いません」
「分かった」
開始音が鳴った。練習マッチとは思えない歓声が、選手席を囲む壁の向こうから届く。
画面が切り替わり、輸送機がマップ上空へ入った。
◇
NOVA-3は、マップ南東の整備区画へ降下した。
細長い倉庫と低い集合住宅が並ぶ場所で、中央寄りの管理棟までは少し距離がある。物資を集めてからでも、最初の収縮には間に合う位置だった。
夕奈は倉庫の二階へ入り、SMGを拾った。隣の部屋ではマークスマンライフルも見つかる。
「ユウナセット、できました」
航平が言った。
「まだサイトがありません」
「本体が揃えば、半分は完成です」
「3倍、こっちにある」
遥真が落としたサイトを、夕奈が拾う。
「ありがとうございます」
「俺、Raptorとショットガン。前は止められる」
「こっちはランサーとSMGです。回復は少なめ。フル一つ」
夕奈は報告を聞きながらマップを開いた。
収縮は北西寄り。
外周を回れば戦闘を避けやすいが、次の移動が遅れれば強い建物を取られる。中央寄りの管理棟へ入れれば、その後の収縮にも対応しやすい。
「管理棟を目指します」
夕奈が言う。
「正面の連絡路を抜けます。航平さん、周辺は?」
「北で交戦。西は遠いです。正面の銃声は一度だけ。今なら通れると思います」
「ハルは?」
「前へ出られる」
条件は悪くない。
「行きます。長く止まらず、管理棟の一階まで」
三人が倉庫を出ようとしたとき、遠くの高所から銃声が伸びた。
短い射撃だった。
夕奈がサイトをのぞくと、高所にいる部隊が、西側を移動していた別部隊へ弾を飛ばしている。撃たれた側は足を止めず、低い壁沿いへ進路を変えた。
3倍サイトの中で、黒い競技スキンと選手別識別帯が見えた。高所にいるのはGRAVENORだった。
その先には、NOVA-3が通る予定だった連絡路がある。
GRAVENORのパルスセンサーが西側の低い壁に刺さった。第一波に、移動中の三人が浮く。索敵警告を受けた一人が装置を壊し、二波目を止めた。その発砲光の位置に、今度はクラックチャージを乗せた弾が入る。小爆発を避けた三人は、低い壁を捨てて連絡路へ向きを変えた。
撃破表示はない。小爆発を避けた先頭が、連絡路の入口へ足を掛けた。
「正面、入ってきます」
遥真が言った。
敵の一人が連絡路へ滑り込み、残りの二人も続く。三人は入った直後に振り返り、NOVA-3が通る予定だった道へ銃口を並べた。
今から進めば、狭い通路で正面からぶつかる。倒せない相手ではない。
ただ、戦闘が長引けば北の部隊も寄ってくる。
「右へ変えます」
夕奈はすぐに指示を出した。
「線路側の通路を抜けます。ハル、後ろを切ってください」
「分かった」
遥真が数発撃ち、連絡路の敵を下がらせる。その間に、夕奈と航平が右側へ移った。
右側には、高架の下を通る細い道がある。遮蔽は少ないが、走り抜ければ管理棟の東側へ回れる。
「通路の先、一部隊います」
航平が言った。
「まだ遠いです。こっちへは来てません」
「先に抜けます」
三人が高架下へ入った直後、別の方向から銃声が響いた。
高架上にいる部隊が、通路の先にいた敵へ射線を通している。撃たれた敵は高架下を離れず、NOVA-3の方へ下がり始めた。
「来ます。三人」
航平の声が速くなる。
敵はNOVA-3へ照準を向けず、高所からの射線が切れる側へ下がってくる。
その進路が、NOVA-3のいる通路と重なった。
戻れば、最初の連絡路に別部隊がいる。前へ進めば、下がってきた三人と正面からぶつかる。
「ハル、前を止められますか」
「止める」
遥真が高架の支柱から体を出した。
Raptorの弾が、先頭の敵に当たる。
「一人、七十。まだ来る」
「航平さん、左を見てください。私はハルの後ろへ行きます」
「了解。後ろ、今のところ動きなし」
夕奈はマークスマンライフルで、遥真が削った敵を撃つ。
敵は遮蔽の裏へ戻った。進行ピンもそこで止まる。ダウン表示は出ない。
「左の整備施設、空いてます」
航平が言った。高架の脇に平屋の建物がある。管理棟より低く、周囲から見下ろされる。長く残りたい場所ではない。
ほかに空いている場所はなかった。
「入ります」
夕奈はスモークを投げ、三人で整備施設へ滑り込んだ。建物の中には使われていない作業台と壊れた機械が並び、四方に窓がある。
「正面、さっきの部隊」
遥真が窓から射線を作る。
「後ろも来てます」
航平が反対側を見た。
最初に連絡路へ逃げ込んだ部隊が、NOVA-3のあとを追うように東側へ回っている。
夕奈はミニマップを確認した。
前を押し返せば、後ろから入られる。後ろへ人数を回せば、前の部隊が高架下を取る。
「前を短く削ります。後ろが建物まで来る前に、北へ抜けます」
「前、一人出た」
遥真が撃つ。
「割った」
夕奈も同じ敵に弾を重ねた。
敵が遮蔽へ戻る。
「後ろ、近いです。十秒ない」
「北の出口へ――」
夕奈が言いかけたところで、出口の外へ投げ物が転がった。
爆発が壁を揺らす。
北側にも、別の射線が通っていた。
正面には先ほどの部隊が残り、背後には追ってきた敵が迫っている。北側の出口も、すでに見られていた。
「建物で受けます。ハルは前、航平さんは後ろ。私は北を止めます」
「分かった」
「後ろ、二人見えました」
三方向から弾が入った。
遥真が正面の一人を七十削り、航平も背後の一人を半分まで削った。夕奈は北側から回り込もうとした敵へ撃つ。シールドを割った瞬間、別の窓から航平へ弾が入った。
「後ろ、入られます」
航平のシールドが割れる。
夕奈が振り向いた瞬間、正面で遥真がダウンした。
「二人来る」
「ハルは起こせません。後ろを先に――」
航平の体力も削り切られ、ダウン表示が出た。
夕奈は作業台の裏へ下がり、SMGに持ち替えた。建物へ入ってきた敵を一人倒す。
続く二人目を削ったところで、北側の窓から弾が通った。
シールドが割れる。
体力がなくなった。画面が暗くなり、十八位の表示が出る。
キルログに並んだのは、GRAVENORではない選手の名前だった。
◇
夕奈はコントローラーを握ったまま、敗退後の画面を見ていた。
「最初の通路で戦った方がよかったですか」
夕奈が尋ねると、航平は敗退直前のキルログを見返した。
「正面で戦ったら、北から来られていたと思います」
「右へ変えた判断も、間違ってない」
遥真が言った。
「でも、両方使えなくなった」
観戦画面が別の部隊に切り替わる。
黒を基調とした三人が、中央寄りの管理棟へ入っていた。画面の下にはGRAVENOR Esportsと表示されている。
夕奈たちが最初に目指していた建物だった。
NOAHのキャラクターは窓から周囲を見たあと、すぐに奥へ戻る。MILOは管理棟の西に、VIKは東の出口に分かれ、広い射線を作っていた。二人とも、NOAHの指示を待ってから動いたようには見えない。
近くを通ろうとした部隊へ、NOAHが短く撃つ。
シールド表示もダウンログも動かない。撃たれた部隊の進行方向だけが折れ、別の部隊がいる隣の区画へ入った。
銃声が重なった。
GRAVENORは、その戦闘へ向かわなかった。MILOが西の射線を残す間に、VIKはブーストステップで反対側の出口へ加速した。発動直後の撃てない時間をNOAHの射線が埋める。VIKが出口へ着くとNOAHが続き、最後にMILOが合流して、三人で次の建物へ入った。
航平は観戦画面ではなく、自分たちの敗退直前のタイムラインを開いた。
「俺の『通路の先、一部隊』、見えてから二秒遅いです」
「三人になるまで待ったからですか」
「一人だけで言って、外したくなかった」
遥真はGRAVENORが去った出口を見たまま言った。
「一人のときに言って。増えたら、増えたって言えばいい」
航平はすぐに返事をしなかった。
「見えたものを全部その順で言ったら、夕奈さんはどれを使います?」
「私が選びます」
答えたあと、夕奈は第一試合で航平の短い報告を聞きながら、自分でも同じ窓を見直した場面を思い出した。情報が早ければ決められる、とは言い切れない。
「ただ、一人を一部隊だと思うかもしれません」
「じゃあ、何て言えばいい」
遥真の問いに、航平は肩をすくめた。
「それを今、失敗した側へ聞きます?」
夕奈も、自分ならどうしたかを考えるうちに二秒黙った。
「私は、その報告を待たずに右へ変えました」
「はい。だから、どっちかだけ直しても足りません」
観戦画面では、GRAVENORの三人がもう次の建物の別々の窓にいた。
◇
練習マッチ終了後、夕奈たちは選手エリアへ戻った。
通路では各チームの選手がスタッフと話し、タブレットで試合映像を確認している。
その先から、黒いユニフォームを着た三人が歩いてきた。胸元にGRAVENORのロゴがある。
中央にいるのはノア・クライン。左胸にMILOのプレイヤーネームが入った選手が身振りを交えて話し、VIKがタブレットの画面を二人に見せていた。映像ではほとんど表情を変えないノアも、二人の話には普通に笑っている。
大会スタッフが両チームに気づき、近くにいた通訳を呼んだ。形式的な挨拶だけで終わると思った。けれどノアは、通訳へ何かを伝えたあと、夕奈を見た。
「日本予選の最終試合を見たそうです」
通訳が日本語で伝える。
「中央の遮蔽へ出る判断と、そのあと二人を同じ方向へ動かした場面を覚えている、と」
GRAVENORの選手が、NOVA-3の日本予選最終試合を覚えていた。夕奈は登録カードを握り、遥真と航平を見た。
「ありがとうございます」
通訳が英語に変えると、ノアは最後まで聞き、日本予選の映像についてさらに続けた。
「君は、全部を確認してから三人を動かす司令塔だと思った、と言っています」
「あなたは違うんですか」
夕奈は尋ねた。通訳が言葉を渡す。
ノアがMILOとVIKを見ると、MILOは先を促すように手を開き、VIKはタブレットを抱えたまま待った。
ノアが答えた。
通訳はノアの最初の一文で止まった。
「全部は見ません。二人が先に……決めるから」
ノアがすぐに英語で訂正した。通訳は片手を上げる。
「すみません。『決める』ではなく、先に動く、です。その動きを見て、ノア選手が――」
今度はVIKがノアの肩越しに言葉を重ねた。MILOも人差し指を振り、別の英語を返す。三人の声が重なり、通訳は一度訳すのを諦めた。
「VIK選手は、ノア選手の報告は時々遅い、と。MILO選手は、VIK選手は報告より先に入るので困る、と言っています」
VIKは笑ったが、ノアは遅いという部分を否定した。MILOはまだ話している。
航平が通訳へ向いた。
「さっき俺は、一人だけ見えたときに報告せず、三人になるまで待って二秒遅れました。ノア選手なら、一人の時点で言いますか」
質問が英語になった途端、VIKは「言う」と答えた。MILOは同時に首を横へ振った。ノアは二人を止めず、少し考えてから話す。
「一人を見た、と言うようにしています。一人しかいない、とは言わない――だそうです」
「昨日も遅かった」
VIKが英語で付け足し、MILOがタブレットの時刻を見せる。ノアは画面をのぞき込み、今度は否定しなかった。
夕奈が「では、最後に決めるのは」と聞きかけたところで、大会スタッフがGRAVENORの次の集合時刻を告げた。通訳も途中でそちらを確認し、質問は英語にならなかった。
VIKは歩き出す前に、練習拠点から届いたらしい映像を開いた。同じ黒いスキンの三人が狭い通路で全滅している。
VIKは最前の一人を指して笑い、MILOは帰路の角で映像を止める。ノアは二人の手元を順に見たあと、再生位置を全滅の十秒前に戻した。三人はもう夕奈たちを見ていなかった。
ノアは最後に軽く手を上げた。MILOがタブレットを持ち、VIKがノアの肩を押すようにして、三人で歩いていった。
◇
翌日、グループステージ初戦のロビーが開いた。
公式練習マッチとは違う。
NOVA-3とTIERAXは、グループステージで同じ組に入っていた。
ここからは順位ptもキルptも、すべて進出争いの成績として残る。
夕奈は参加者一覧を閉じ、自分たちのマップを開いて航平に尋ねる。
「西側の降下、何チームですか」
「二チームです。近いのは一つ。昨日より少し東に寄っています」
「ハル、最初の建物を取れますか」
「取れる」
「分かりました。私たちは予定どおり行きます」
夕奈は二人の報告をマップに重ね、予定していた進路を確定した。
画面に初戦開始までの秒数が表示される。十から九へ変わる前に、遥真の降下ピンが最初の建物へ刺さった。航平が西の二チームに色をつけ、夕奈は自分のピンを二人の間へ置く。
「近いのは一つ――いえ、奥も寄っています」
航平が色を一つ増やした。夕奈のピンは、もう降下地点として確定している。
「見えてから変えてください。今は行きます」
言った声ほど、迷いは消えていなかった。夕奈は汗ばんだ左親指をスティックの縁で拭い、二人のピンをもう一度見た。壁の向こうの歓声が机を揺らす。カウントが二から一へ変わり、夕奈は浮きかけた親指を戻した。




